広がる対話、深まる論議:
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| 構成 |
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| 1. はじめに |
| 2 「歴史対話」の多様化と活性化 |
| 3 相互理解と歴史認識の深化 |
| 4 おわりに |
韓国の歴史学会や日本の歴史学研究会など、全国的規模で会員を抱えている両国の10の歴史学関連諸団体は、2001年12月22日、東京で「日韓合同歴史研究シンポジウム:教科書問題」という学術会議を開催した。韓国と日本で多くの研究者と教育者が参加したこの会議では、韓国と日本の歴史教科書、そして歴史教育交流の現状などに対してさまざまに意見交換がなされた。このシンポジウムは、韓国と日本の歴史学者と歴史教育者が「新しい歴史教科書」(扶桑社刊行、2001年4月、文部科学省の検定を通過)の登場とそれによって惹き起こされた韓日間の葛藤を深刻なものとして受け止め、学問的対話を通じて歴史認識と相互理解の地平を広げようとして企画されたものであった。その精神を継承し、今回、ソウルで第二回目のシンポジウムを開催するにいたったことをとても嬉しく思う。
東京シンポジウムから1年半の月日が経ったが、この間、韓国と日本の内外では世間を驚かす事件が続けざまに起こった。韓日ワールドカップ共同開催の成功、北朝鮮と日本の平壌宣言と国交交渉、北朝鮮の日本人拉致と核開発疑惑、イラク戦争、韓国における政権交代、日本における有事関連法案の採択、韓国・日本・米国間の相次ぐ主脳会談などがそうだ。こうした事件が続発する渦中においても、韓国と日本の「歴史対話」は堰をきったように活発になり、トピックの幅が広がり深まったのは勿論のこと、論議の内容と水準も飛躍的に高まった。このことは、韓国と日本の「歴史対話」がいまや周辺の突発事件に引きずられることなく、持続する程度には正常軌道に入ったことを意味するものと見ることもできる。
本稿では、東京シンポジウム以降今日にいたるまで韓国と日本が中心になって行ってきた「歴史対話」の動向を紹介しようと思う。勿論、紙面の制約のため、「歴史対話」の全てを紹介することはできず、「歴史認識と歴史教科書」をめぐる「対話」の中で東京シンポジウムの趣旨に合うと私が判断した「歴史対話」だけを対象とすることにしたい。本稿ではまず、「歴史対話」が行われた場所と発言者の国籍によっていくつかの類型に分けて紹介し、それをもう一度発言の内容によっていくつかの範疇に分類し、それぞれの特徴を示すことにする。本稿が最近韓国と日本を軸として行われた「歴史対話」の実情とその性格を皆さんに理解していただく一助とれば幸いである。
「新しい歴史教科書」の登場とそれによって韓日間で葛藤が深まったことは、逆説的に韓国と日本の内外で「歴史対話」を促進する雰囲気を高めた。「歴史対話」が行われた場所や発言者の国籍によって「歴史対話」の類型を分類すると次の通りだ。
第一に、韓国で韓国人歴史研究者と歴史教育者だけで行われた学術会議の場合だ。言うなれば、「韓国人だけの歴史対話」ということになる。
日本の歴史教科書をただす運動本部と歴史問題研究所は、2002年4月13日、ソウルで「和解と反省のための東アジア歴史認識:韓・中・日の歴史教科書と歴史認識の比較を中心に」というシンポジウムを開催した。主催者側が明らかにした趣旨によると、21世紀の東アジアを平和と人権、民主主義の普遍的価値が実現される祝福の地として切り拓いていくためには、日本だけでなく東アジア各国が自らの歴史教科書に見られる歪曲した歴史認識を批判し、それをただすために努力しなければならず、国家間・民族間の相互理解を増進させ、葛藤を解くためには、隣国の歴史と歴史認識を深く理解しなければならず、国家・民族の単位を越えた東アジア共通の歴史認識を築いていくために協力しなければならないという。
歴史教育研究会は2002年10月10日、ソウルで「中国の歴史教科書における韓国史に対する認識」という大きな主題を掲げ、発表と討論会を開催した。中国史の研究者たちが主軸になったこのシンポジウムでは、最近急速に変わってきている中国の中学・高校の歴史教育課程と歴史教科書の推移を分析し、そこに見られる韓国史のありようを世界史との関連の中で検討した。従来、外国の歴史教科書に対する論議が日本の歴史教科書における韓国史に対する認識に偏っていたことを反省し、論議の範囲を中国にまで広げようという趣旨に基づいて設けられた学術会議であった。
日本の歴史教科書をただす運動本部・歴史問題研究所・全国歴史教師の会・韓国歴史研究会は、2002年11月9日、ソウルで「21世紀韓国史教科書と歴史教育の方向」というシンポジウムを開催した。韓国史の研究者と歴史教育者が多く参加したこのシンポジウムでは、韓国の中学・高校の韓国史教育、特に韓国史教科書の構成と内容のそれぞれが批判の対象になった。このシンポジウムは日本の教科書における「歴史歪曲事件」を念頭におきながら、韓国の歴史教科書の今のありようを点検し、それを是正していく方向性を示そうとする趣旨に基づいて企画されたものであった。
韓国西洋史学会は、2002年12月13日、「記憶しておきたい過去、忘れてしまいたい過去:米国・イギリス・フランス・ドイツ・ロシアの歴史教科書の事例分析」という大きな主題を掲げて学術大会を開催した。西洋史の研究者たちが発表を行ったこのシンポジウムは、韓国の歴史教育も、ドイツ・ロシア・米国・イギリス・フランスの教科書の事例を分析することを通じて、過去を記憶したり回避する方式を学ばなければいけないという問題意識に基づいて企画された。日本の教科書における「歴史歪曲事件」とそれに対する韓国の対応を見守っていた西洋史の研究者たちによる提案という点において、大きな関心をひくのに十分なものであった。
以上で見てきたように、韓国において昨年一年間、韓国史・中国史・西洋史の研究者と歴史教育者はそれぞれの立場から歴史教育と歴史教科書に対する活発な対話を行ってきたということが分かる。ところで、こうした「歴史対話」が今後この程度で終わってしまうのか、さらに広がりうるのかどうか、まだ断言することはできない。従来韓国では、歴史研究者と歴史教育者の間に「対話」が別段活発でなかったためだ。
第二番目の類型として、韓国と北朝鮮が日本の歴史教科書における「歴史歪曲事件」を主題にして行った「歴史対話」を挙げることができる。言うなれば、「南北共助型の歴史対話」ということになる。
韓国と北朝鮮の歴史学者は、2002年5月3日から4日にかけて平壌で、「日本の過去清算を要求するアジア地域討論会」を開催した。そして、2002年8月16日、ソウルで「8・15民族統一大会」において独島問題を主題にした南北学術討論会が開かれた。
続いて、韓国と北朝鮮の歴史学者は2003年2月17日から25日にかけて平壌で「日帝の強制人力動員の不法性に対する南北共同資料展示会」を開き、学術大会を開催した。そして、平壌・妙香山・開城・信川地方を訪ねた。
こうした南北朝鮮の「歴史対話」は、2001年3月に平壌、同年6月には金剛山で開かれた「日本の歴史歪曲策動」を糾弾する南北対話を継承したものであった。それゆえ、大会の目的と内容は、日本の「歴史歪曲」や「歴史清算」に対して韓国と北朝鮮の歴史学者が共同戦線を繰り広げることにあった。「南北共助型の歴史対話」の帰趨は、北朝鮮と日本の国交交渉が今度どういった方向で行われるかに大きく左右されるだろう。
第三番目の類型としては、韓国と日本の両国を行き来しながら開催する「歴史対話」を挙げることができる。言うなれば、「韓日両者型の歴史対話」ということになる。この類型に含むべき活動にはいろいろあるが、韓国の歴史教科書研究会と日本の歴史教育研究会が「歴史研究の動向と歴史教科書の叙述」という大きな主題を掲げて数年間行ってきている「対話」が典型的な例になるだろう。これら両国の研究会は1997年から今日にいたるまで11回の会合を持ち、両国の教科書における韓日関係史に関する記述を検討したり、韓日両国で用いることができる副教材の開発も共同で推進している。
これまでのところ、韓日の「歴史対話」は基本的に民間レベルで自発的に行われてきた。ところで、「新しい歴史教科書」の登場によって韓日間の葛藤と対立が深まると、それを克服する方法の一つとして両国の政府が支援する「歴史対話」が行われるようになった。2001年から始まった「韓日歴史家会議」と2002年から本活的に活動することになった「韓日歴史共同研究委員会」がそれだ。前者は「歴史学国際委員会」に加入している両国の国内委員会が主体となり、両国における歴史学の現況と動向について意見交換を行う比較的自由な会合であり、後者は2年間程度韓日関係史についての研究を行い、その成果を両国の政府に提出し、広く一般に伝える義務を有する会合である。両者とも始まってそれほど経っていないばかりか、その活動の実状が一般に公開されていないため、これらの会合の成果と今後の展望について論じるには時期尚早なようだ。
国史編纂委員会は2002年12月7日、ソウルで「韓日歴史教師による歴史認識の共有:21世紀の韓日パートナーシップのための両国の教師たちの歴史認識」というシンポジウムを開催した。政府機関が歴史教師間の「対話」を勧めたという点で特記するに値するものであるが、一過性のイベントとして終わってしまう可能性が高い。
第四番目の類型としては、韓国・日本・中国が一緒になって「対話」を行ったり、北朝鮮・ロシアなどといった国と一緒になって「対話」を行う場合を挙げることができる。言うならば、「東北アジア型の歴史対話」ということになる。
最近東アジアの「歴史対話」に見られる注目に値することは、韓国・日本・中国の市民団体が多数参加した大規模の国際会議が定期的に開かれるようになったということだ。2002年3月27日から31日にかけて中国の南京、そして2003年2月27日から3月1日にかけて東京で開催された「歴史認識と東アジア平和フォーラム」がこの類型に該当する。この国際会議を主催したのは、日本の教科書をただす運動本部(韓国)、侵華日本軍南京大虐殺遇難同胞殺記念館・中国社会科学院近代史研究所「抗日戦争研究」編集部(以上、中国)、歴史認識と東アジア平和フォーラム実行委員会(日本)などだった。主催者側は韓国・日本・中国の研究者・教師・市民団体間でバランスのとれた連帯のネットワークをつくり、日本の歴史歪曲に対応し、東アジア共同の歴史認識をつくっていくための基礎となる国際会議を組織したと明らかにした。
日本学術会議歴史学研究連絡委員会歴史研究と教育専門委員会・日本歴史学協会は、2002年10月12日、東京で「東アジアにおける歴史教科書の編纂:その歴史と現況」という国際シンポジウムを開催した。その席では、最近韓国・中国・日本において多くの変化が見られる歴史教科書の編纂制度や方法などについて、論議がなされた。韓国側は独裁政権下では韓国史の教科書は国定だったが、民主化とともに国定が廃止され、一種教科書と二種教科書というようになり、さらには自由発行制を視野に入れた複数の検定教科書が登場する方向に進展していっている様子を紹介した。日本側は高校の歴史教科書の検定と叙述内容の変化を互いに関連づけながら検討した。そして、各教科書の特徴と市場占有率などに関しても紹介した。中国側は上海のような大都市と農村の教科書では発行の主体、内容の構成などにおいて顕著な違いがある事情を紹介した。
2002年10月25日から31日にかけて中国のハルビンで「日本帝国主義の東北アジア侵略」について国際学術会議が開かれた。その席には韓国・北朝鮮・中国・日本・ロシアなどから40名の学者が参加した。
第五番目の類型としては、韓国・中国・日本のうちいずれかの国とヨーロッパや米国などの西洋のいくつかの国が一緒に行う「歴史対話」を挙げることができる。言うなれば、「東北アジア・西洋連合型の歴史対話」ということになる。
韓国教育開発院は、2002年10月16日、ソウルで「国家間相互理解増進のための教科書改善」という大きな主題を掲げて国際学術会議を開催した。ドイツ・フランス・ポーランド・日本・韓国の教科書専門家を呼び、講演・発表・討論を行うことで、韓国と日本などのアジア諸国がヨーロッパ諸国の経験や知識から何らかの示唆をえるためにこの会議を企画したと主催者側は会議の趣旨を明らかにした。
ドイツ連邦政治教育センター東西コロキウム、ケルン日本文化会館、ドイツ・日本研究所が、2002年9月25日から27日にかけて韓国・日本・ドイツ間の国際シンポジウムを共同で開催した。総合主題は「日本と韓国:共通の未来を目指すための課題と展望」で、その下に次のように三つのパネルが設けられた。第一パネルは「韓日関係における政治的・経済的な新しい枠組み:相互依存と地域主義」、第二パネルは「韓日の歴史をめぐる論議、過去との取り組み:現況と展望」、第三パネルは「市民と文化のイニシアティブによる韓日関係の新しい道、総括と結論:韓国と日本の共通の未来」であった。韓国と日本が主軸になる「歴史対話」の大部分が韓国・日本・中国で開かれてきたのに対して、こうした新しいタイプのシンポジウムが、ヨーロッパ各国間の「歴史対話」を先導してきたドイツで、西洋人が多く参加する中で開かれたということは、とても意義深いことだ。ドイツが今でも韓国と日本の「歴史対話」を真摯に見守り、暖かい声援を送ってくれていることを示す事例であった。
日本教職員組合は、2002年1月27日、宮崎市で「アジアとの共生・連帯を展望する歴史教育の今後:国際教科書研究に学ぶ」という国際シンポジウムを開催した。韓国・日本・中国・ドイツから来た発表者は、日本の全国から集まった教師たちの前で、韓国・日本・中国・ドイツ・フランスの教科書制度と内容について報告し討論した。そして、日本の教師たちは韓国・中国・在日韓国人たちと歴史教育交流をしてきた自らの経験を紹介した。
韓国の歴史学会と米国の世界史学会は、2002年8月15日から18日にかけて、「歴史の中の韓国と世界」という大きな主題を掲げ、大規模な国際学会を開催した。歴史学会創立50周年を記念するための歴史学国際学会として企画されたこの大会には、韓国・米国・日本などから数多くの発表者と討論者が参加した。歴史教育と歴史教科書に関連するセッションもいくつか設けられ、様々な発表と討論が行われた。
過去1年半の間に韓国と日本、それ以外の諸国も含めた「歴史対話」が各国で様々なかたちで活発に推進されるようになり、そこに参加した人は勿論のこと、書籍とマスコミを通じてこうした「歴史対話」について触れた市民たちの間に相互理解が増進され、歴史認識の地平が広がる現象が見られるようになった。以下では、この間行われた各種の「歴史対話」の特徴をその趣旨と成果にしたがっていくつかの類型に分けて示してみることにする。
第一に、韓国の歴史教育と韓国史教科書に対する全面的な批判と対案の模索である。
日本の歴史教科書をただす運動本部・歴史問題研究所・全国歴史教師の会・韓国歴史研究会が、2002年11月9日、ソウルで開催した「21世紀における韓国史教科書と歴史教育の方向」というシンポジウムがこれに該当する。このシンポジウムは、韓国人の歴史研究者と歴史教育者が日本の「歴史歪曲」を契機に、韓国の歴史教育にも本格的に関心をもつようになったことを示す代表的な例である。その席では、第7次教育課程と歴史教育システムの不適合性、韓国史教科書の「国定」制度に対する批判と代案、「国史」教科書の歴史認識と歴史叙述の欠陥、「検定」韓国近現代史教科書の歴史認識と歴史叙述の改善方向、「国史」教科書のジェンダー・労働・対外関係の叙述に見られる愛国主義などが主なトピックになった。そして、統合討論においては危機を迎えた世界史教育の正常化方案、韓国史教育と世界史教育の分離がもたらした歴史認識の乖離の克服、歴史教科書制度の改編方向と叙述内容の改善方案などが論議された。
第二に、日本の「歴史歪曲」の性格を根本的に再検討し、それに対して共同対応の態勢を取ろうとする試みを挙げることができる。
韓国・中国・日本が共同で南京と東京で開催した「歴史認識と東アジア平和フォーラム」、韓国と北朝鮮が平壌で開催した学術討論会、韓国・北朝鮮・中国・日本・ロシアの学者が参加したハルビン学術会議などがこの類型に該当する。その中でも、韓国・中国・日本の市民団体が「南京大虐殺」の現場で一緒に集まって日本の「歴史歪曲」を一つずつ批判し、今後力を合わせてこうした事態に対応していくと合意したことは、意義深いことであった。東京大会では懸念として浮上していた北朝鮮による日本人拉致問題をめぐる歴史認識、靖国神社参拝問題、ブッシュ政権と対米関係などの現実的トピックについて論議がなされた。
第三に、歴史認識をめぐる韓国と日本の相互理解を増進させようとする共同作業を挙げることができる。
この類型に該当する事例としては、韓国の歴史教科書研究会と日本の歴史教育研究会が「歴史研究の動向と歴史教科書の叙述」という大きな主題を掲げて数年間行ってきている「対話」が典型的なものであろう。この対話は今まで5年あまりの活動を整理する段階にきている。両研究会は目下、韓国と日本で共同して用いることができる教科書型の「歴史副教材」を開発している。韓国と日本は事前に合意した目次にしたがって、それぞれの研究者・教育者が執筆をすでに完了しており、目下合同討議を重ねながら修正・補完作業を行っている。人によってはその結果に対する評価は様々であろうが、韓国と日本の歴史関連団体が共通の歴史認識を目指して共同作業を試みたという点だけでも、その意味は大きいと言えよう。
第四に、韓国・日本・中国など東アジアの歴史認識を平和共存の方向に導いていこうとする動きを挙げることができる。
ソウルで開かれた「和解と反省のための東アジア歴史認識:韓・中・日の教科書と歴史認識の比較を中心に」というシンポジウム、南京と東京で開催された「歴史認識と東アジア平和フォーラム」などがこの類型に該当するだろう。前者では、過去の記憶をめぐる論争が日本でだけ起こっている特殊なものではなく、米国とソ連の覇権主義が衝突する「冷戦」の角逐の場となってきた東北アジア共通の現象として把握し、歴史教育と歴史教科書が自民族中心主義と自国優先主義を標榜しているナショナリズムから脱け出さなければならないという点が指摘された。後者では、東アジアの歴史認識の共有と市民連帯の必要性が訴えられ、韓国・中国・日本でともに用いることができる歴史共同教材の開発を推進することになった。この教材に関しては、現在のところ、目次の構成まで合意しており、主として東アジアの近現代史を扱うものになると言われている。この間、東アジア各国は自国の歴史を美化し、正当化しようとするのに一生懸命だった。こうした状況の中、東アジア三国の歴史研究者と歴史教育者がこれまでのありようを克服し、共生のための共同の歴史認識をつくっていくため努力することは望ましいことだと言えよう。
第五に、韓国・日本・中国など東アジア三国がヨーロッパ・米国など西洋諸国間における歴史認識・歴史教科書問題に取り組んで来た経験から教訓を得ようとする試みを挙げることができる。
韓国西洋史学会が開催した「記憶しておきたい過去、忘れてしまいたい過去:米国・イギリス・フランス・ドイツ・ロシアの歴史教科書の事例分析」と題したシンポジウム、韓国教育開発院が開催した「国家間相互理解増進のための教科書改善」と題したシンポジウム、日本教職員組合が開催した「アジアとの共生・連帯を展望する歴史教育の今後:国際教科書研究から学ぶ」と題したシンポジウムがこの類型に該当する。韓国西洋史学会が開催したシンポジウムでは、21世紀を戦争の世紀ではなく和解と共存の世紀としてつくっていくためには、「過去」、その中でも特に「忘れてしまいたい過去」を直視し、もうこれ以上間違いを犯さないための教訓がつまった倉庫として活用しなければならないという点が強調された。そのためには西洋諸国が国内外の「忘れてしまいたい過去」を忘れてしまうよりも、平和共存を実現していくためには、そこからどのように知恵を引き出すことができるのかを学ばなければならないということだ。韓国教育開発院が開催したシンポジウムでは、こうした点がもっと鮮明に掲げられた。教科書をめぐる国際対話は、諸国家・諸文化間の相互理解と相互協力を促進させる重要な手段である。韓国と日本などアジア諸国はヨーロッパ諸国が積み重ねてきた経験と知識及びノーハウを吸収することで、「歴史対話」を少しは効率的に推進していくことができるだろう。日本教職員組合が開催したシンポジウムもこれと同じような希望の下に行われた。
第六に、韓国と日本の間で生じた歴史認識と歴史教科書をめぐる問題をグローバルな視野から論議し、その特質を把握しようとする試みを挙げることができる。
韓国の歴史学会と米国の世界史学会が開催した「歴史の中の韓国と世界」という国際会議、ドイツ連邦政治教育センターによる東西コロキウム・ケルン日本文化会館・ドイツ日本研究所が共同で開催した「日本と韓国:共通の未来を目指すための課題と展望」というシンポジウムがこの類型に該当するだろう。特に、西洋人が多く参加した後者は格別な意味を有する。この会議では、ドイツでは、韓日関係に関する理解が歴史的経緯から生じた摩擦についての報道に焦点があたっているため和解が不可能な対立関係にあるかのように受け止める傾向が強いという点が指摘され、そうした摩擦の背後に隠れて見えない韓国と日本の間の交流の現実や歴史問題を克服するための努力をより重視し、韓日関係の当面の課題と未来の展望を考究するという点が今後の目標として掲げられた。この会議は、ドイツの視点を取り入れることで、韓日関係の現況と未来を多角的に検討する上で有益であった。また、この会議では、韓国と日本の過去と現在に関連する三つのテーマについて発表と質疑応答及び討論が行われ、韓国・日本・ドイツのそれぞれの視覚と論点が明らかになった。そして、会議を聞きにきた人たちは韓日関係・韓日問題についての知識と最新情報を得るだけでなく、今後進んで行かなければならない方向性についても考えることができた。ドイツ人パネリスト・司会者がヨーロッパにおける似たような事例を紹介してくれたおかげで、韓日関係を少しでも客観的な視点から見つめることができ、両国間で行われている交流の現況に対しても十分に認識することができるようになった。この会議が韓国でも日本でもないドイツで開催されたことにも大きな意義がある。ドイツはこれ以前にもユネスコなどを通じて韓国と日本の間の歴史問題の克服に関心を示したことがあったが、日本の「新しい歴史教科書事件」を契機に、今回再び、韓国と日本の専門家を呼び、論議の場を設けたことは並々ならぬ誠意であると評価することができよう。
最近韓国と日本は様々なチャンネルを通じて活発に「歴史対話」を行っている。その席には両国の歴史研究者・歴史教育者・市民は勿論のこと、中国・ヨーロッパ・米国の関係者も参加している。それゆえ、「対話」の外延は東アジアと世界にまで広がった。さらには「対話」の幅が広がり深まるばかりか、その内容と水準も飛躍的に高まった。今度もこうした状況が続くのであれば、歴史認識をめぐる韓国と日本の相互理解は驚くほど進展するだろうし、両国にとって宿命のように垂れ込めている歴史の影を取り払えるようになるかもしれない。想像を越えるほど活発な韓国と日本の間のヒト・モノ・情報の交流がこうした状況をさらに確固たるものにするだろうと期待することもできよう。
とはいうものの、韓国と日本の歴史認識に対する相互理解が「対話」を通じて一直線的に改善されるだろうとは思えない。未だ韓国と日本は相手側の歴史認識をお互いに疑い合い、心配し合っている。今年6月、ノムヒョン大統領が日本を訪問したとき、両国の首脳は主脳会談史上初めて「過去の重荷」について言及しなかった。だからといって、歴史に関心を有する韓国と日本の市民たちが主脳たちの行為に同じ次元で共感し、そのことを高く評価したというわけではない。むしろ、韓国民は、そうすることで軍事大国化の道を突き進む日本に免罪符を与えたのではないかと批判し、日本国民は心のどこかのしこりを捨てて、普通の国になるための絶好のチャンスをつかんだものと歓呼する雰囲気だった。それゆえ、歴史認識を通じた韓国と日本の相互理解は今後も長い間紆余曲折を経ながら、漸進的に増進していくものと思われる。ひょっとすると、こうした改善の道を進むよりも、両国は「不幸な過去」にしらんぷりしながら、記憶の中から消してしまおうとするかもしれない。そして、両国は「負の遺産」を隠蔽しながら、自由貿易協定(FTA)の模索など現実的な実利を追及することにだけ突き進むかもしれない。
こうした節目に、韓国と日本の歴史研究者と歴史教育者はどのように考え、どのように行動しなければならないのだろうか。今回のシンポジウムを通じて何かよい回答が示されることを期待してやまない。