ブラジル社会を揺り動かした  ベチンニョさん

 ブラジルの現在の社会運動を考えるとき、忘れてはならない人が、ベチンニョ(Herbeto de Souza)さんです。若くしてカトリック青年運動の指導者となり、ゴラール左翼政権の教育顧問などを務めましたが、六四年の軍事クーデタの後、地下活動を余儀なくされ、亡命。軍事政権が続く暗いブラジルでは、ベチンニョさんの帰国を待ちわびる歌がエリス・リジーナによって大ヒットとするなど、ブラジルの民主化運動のシンボル的な存在となりました。

 七九年に帰国後は、亡命中に計画を練ったNGO構想をもとにIBASE(ブラジル社会経済分析研究所)を創設します。さらに九〇年には、世界的なNGOの電子ネットワークであるAPC(進歩的コミュニケーション協会)の設立に貢献しています。

「社会を民主化するためにはまず情報を民主化しなければならない」という思想から、ベチンニョさんはブラジル政府が独占していた情報に挑み、調査・分析を加え、コンピュータネットワーク、ラジオ局、出版物を通して、民衆に伝えました。

 また九三年には、ブラジルで三千万人以上が飢餓に苦しんでいることを社会全体の問題として捉え、「飢餓に対決し、生命を守る市民権行動 ─Acao da Cidadania contra Fome e pela Vida ─」という運動を呼びかけました。これは、ブラジル社会すべてのセクターを視野に入れた空前の規模の運動で、市民運動団体のみならず政府や企業までが参加し、数百万人を巻き込む大きな動きを作り出しました。ベチンニョさんはこの活動ゆえに、ノーベル平和賞候補ともなりました。  こうした果敢な行動からは信じられないことですが、ベチンニョさんは幼少時から常に病気に悩まされてきました。子ども時代は結核で隔離されて育ち、その後も血友病に苦しみました。さらに、血友病の治療からエイズに感染し、毎日大量の薬を飲まなければ生きていけない状態にあって、ブラジルの社会問題に取り組んできたのです。エイズ患者への差別と闘うため、ブラジル最初のNGOを創設したのもベチンニョさんです。

 残念ながら九七年八月九日、六〇歳の生涯を閉じましたが、彼の思想は今でもブラジルの民衆運動の中に生きています。

Betinho
ベチンニョさん