理事長の川原さんと事務局長の佐藤さんに、AHIのいろんなことを聞いてみました。(文中のリンクをクリックすると用語解説が別ウィンドウに表示されます)


1.AHIの発足・保健について
 Q.AHIを作ろうと思ったのはなぜ?
 Q.AHIにとっての「保健」とは?
 Q.AHIという名前について

2.AHIの20年間の変遷
 Q.過去から現在に至るAHIの変化について
 Q.佐藤さんがみるAHIの変化
 Q.川原さんがみるAHIの変化

 Q.NGOだけではなく、行政からの研修生も来るようになったのはなぜ?

3.NGOとして、AHIのこれから
 Q.NGOとして伝えたいことは?

 Q.これからどういう形で進み、
  どういう方法で広めていくのか?

 Q.これからの国内活動の方向性

 Q.会員呼びかけの言葉は?


4.お二人の個人としての思い
 川原さんへ
 Q.なぜ医者になろうと思った?

 Q.医者とAHIとの両立
 Q.現在はどういう形で医師をしているの?

 Q.講演会はある?
 Q.川原さんにとってAHIとは?

 佐藤さんへ
 Q.なぜAHIで働くことを決めたの?

 お二人に
 Q.今後の夢

5.AHIの魅力、人づくり
 Q.若者たちの参加をどう感じている?

 Q.AHIの人づくりについて

2002/4 聞き手:アジぽんメンバー

〜AHIの発足・保健について〜

Q. AHIを作ろうと思ったのはなぜですか?

川原さん:
 1976年の秋、私は日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)から、ネパール中部の病院に、短期協力のために派遣されました。
 勤務し始めた夜のこと、ドアを叩く音がして出てみるとうずくまっている女性がいたのです。その女性はひどく苦しみながらそのままその場で亡くなってしまいました。付き添ってきた人に尋ねてみると、病院まで2日間歩いてやっと辿り着いたとのことでした。亡くなった女性のように、病院まで来ることができる人は、20%くらいしかいません。
 その病院で働くスタッフのうち私以外は全て白人でした。私が唯一のアジア人だったこともあって、ネパールの人々はとても親しくしてくれました。
 たった3ヶ月でしたが、私に与えた影響は大きく、帰国後も「またネパールに戻りたい」という想いを強くもちました。しかし、また外科医としてネパールに行くことにどれくらい意味があるのかを考えたとき、それではいけないのではないかと思ったのです。病院までとても遠く、病気がひどくなっても来られない80%くらいの人々のために何かをするべきではないか。また、私のように医療面の海外協力のために派遣された人たちの帰国後、日本にはその人たちを受け入れる場所がなかったので、いい病院を創りたいという想いもありました。
 ちょうどそのようなことを考えていた時、WHOアルマ・アタ宣言(1978年)によって、高い保健サービスよりも遠隔地などの状況に即した医療技術を提供していくべきだという考えが打ち出されたのです。それはとても良いチャンスでした。 私は、直接処置をする医師を提供するよりも、その現場で人々が健康に過ごせるように指導することができる、「人づくり」が必要だと気付いたのです。