2002年アフガン難民キャンプ訪問報告

難民女性の声反映を    田丸瑞穂(「ふぇみん」4月15日号掲載)

 アフガン難民問題に取り組む田丸さんが2月25日から約1週間、パキスタンのアフガニスタン難民キャンプを訪問。その報告をもらった。

 私が滞在したペシャワール近郊にあるヘワキャンプは、2000年から2001年にかけて起こったヤカオランの虐殺から逃げてきた人々が多く生活していた。何人もの女性たちが夫や親族をその事件で失っていた。私が出会った22歳の女性は、6ヶ月の子どもを亡くし夫はその時の傷が原因で2ヶ月前に死亡した。事件当日彼女は家族とともに山中に避難し子どもはそこで凍死したと語った。彼女たちの故郷は夫や家族の殺害という忌わしい思い出の地となってしまった。悲しい記憶が現在も彼女たちを苦しめるにも拘わらず多くの女性たちが故郷への帰還を切望していた。彼女たちは生まれ育った地で結婚し、農業等で生活していた。稼ぎ手である夫を亡くした女性たちが故郷に戻りたいと望むのは、単なる郷愁だけではなく異国の地では生活できないという経済的理由も大きい。しかし、彼女たちは治安の悪化を理由に帰国できないでいる。彼女たちの帰国を阻むのはタリバンだけではない。タリバンと戦ってきた、現在アフガニスタンの有力者として名を連ねる軍閥たちが彼女たちを恐怖に陥れている。
 夫の暴力におびえているという20歳の女性に会った。彼女は13歳で20歳年上の男性の2番目の妻として結婚した。現在その女性は、キャンプ内にある学校に通う以外外出を許されていない。「家を出ると夫以外の男性が妻を見る」からだという。夫の一方的な命令に女性は従わなければならず、そのため彼女は日常的に夫から暴力を受けている。私たちと会う約束も彼女が事前に夫の外出を確認して内密に行われた。彼女の夢は「教師になって自立して1人で生きること」。すでに両親は死亡し彼女が頼る親族はいない。たとえ彼女が教師になれたとしても夫は離婚を認めないだろう。難民としてパキスタンに逃れてきた女性は他の地へ移ることも難しい。その難民キャンプで学校を運営しているアフガニスタン女性の人権団体、アフガニスタン女性革命評議会(RAWA)のメンバーが言った。「夫が死ねばすべて解決する。しかし、夫は元気で彼女の夢の実現は難しい。彼女のような境遇の女性はたくさんいる」
 
 9月11日以降、日本国内でもアフガニスタンへの注目は高まった。しかしタリバンが去った後もアフガニスタンには多くの問題が山積しているのが現状だ。各国がこぞってアフガニスタン復興のために支援をするという。私が聞いた難民女性たちの声がそこに反映されているかどうか、非力ながらもその動向に注目していきたい。

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