2002年4月28日
4月28日は4月27日よりも忌わしい日

RAWA 2002年4月28日デモに際してのRAWAの声明

4月27日:1978年のこの日、アフガニスタンの親ソ政党である人民民主党(PDPA)がクーデターによって政権を掌握した。このクーデター以後、アフガニスタンは本格的な内戦に突入、翌年1979年12月末にソ連のアフガニスタンへの本格的な軍事侵攻をもたらした。4月27日は以後20年以上もの内戦の始まりを告げる象徴的な日付といえる
 4月28日:1992年4月28日に当時ソヴィエトに支援されていた共産党政権が崩壊し、ラバニーマスード派(イスラム協会)が首都カブールを陥落させた。アフガニスタンの長い内戦時代を通じて人々に最も大きな被害をもたらしたこの時期は西側にはモジャヒディンと伝えられたアフガン軍閥の支配時代でもある。そしてこの暗黒の期間が始まった4月28日をRAWAはブラックディと呼んでいる。


1992年にアフガニスタン女性革命同盟(RAWA) が"April 28 More Sinister Than April 27" というスローガンを最初に掲げたとき、原理主義者はその歯を剥き出しにしてわれわれを威嚇し、攻撃した。RAWAに屈辱を与えるためには手段をいとわず、口汚くののしった。しかし、RAWAはそのようなラバ二=マスードや、サヤーフ、グルバディン(ヘクマティアル)、ハリリらといったテロリストたちの攻撃にもひるまず立ち向かってきた。そして、裏切りや殺人が広まるにつれ、このスローガンの正しさは多くの人に理解されるようになった。傀儡政権の崩壊後、1992年から1996年にかけて政権をとっていた人々が、プロの殺人集団以外の何者でもなかったことが明るみに出たからである。そして、RAWAに対するテロリスト集団からの嫌がらせや威嚇などは次第に少なくなった。RAWAが多くの教育や体育関係の機関とともに今年のアフガンの正月(Nawroz) を企画したとき、テロリストたちは"Baheer" というペンネームを使い、Wahdat 新聞上で威嚇行為に出、また、さまざまな秘密裏の工作を用いて RAWA やその同志の芸術家やアスリートに対して嫌がらせをはかった。しかし、 この卑怯な手段は幸い誰にもまじめに取られることなく消え去った。 RAWAが、この日すでにプログラムに盛り込まれていたすばらしい音楽ショーを実行しなかったのは、これらの卑怯者の嫌がらせなどに関係なく、ナーリンでの悲劇的な地震が起こったためだということを付け加えておく。そして、このプログラムに参加した1万3千人の人々の存在自体が、原理主義者に対するアッパーキックであったといえるであろう。
カルザイ氏に権力が委譲されてから、 RAWA は北部同盟の犯罪者たちがこの政府の汚点となり、人々の政府に対する信頼を失わせる恐れについて警告してきた。またわれわれはカルザイ氏自身がこの北部同盟から距離をおき、特に身内を失った女性たちなどの人民によって北部同盟を断罪することによってしか安全で自由な国家をこの荒廃した国土に作ることはできないということも訴えてきた。
幸運なことには、RAWAだけでなく、カルザイ氏自身も北部同盟に囲まれる身でありながらこのように訴えている。
[4月21日、ハミッド・カルザイは、戦士たちの行為は一般の人々の生活を貶めていると述べた。彼は、先月のナーリンへの地震後の視察中に、人民にとって必要なのは救援物資ではなく安全だと述べた。 この地震に見舞われた地域にあっても、人々は 救援物資よりも平和と安全を希っている。」(AFP, 2002年4月22日).
言うまでもなく、RAWAの救援使節がすでにこの地域へ赴き、護衛と安全を求めるさらにショッキングで悲しい訴えを耳にしている。
これらのステートメントは何を置いてもRAWAの、ジハーディの犯罪者たちのグループが現在の政府の一部をなしている限り、完全な政府ではありえないという意見の傍証となるものである。9月11日以降、わが国はタリバンの狼たちを駆逐し自由になったのではあったが、その後には北部同盟の野良犬たちを招きいれてしまった。大評議会などでポストを占めている女性はみな原理主義者に肩入れするものばかりで、アフガンの大多数の女性を代表しているとはとてもいえない。彼女たちは、悪名高いギャングたちの危険な手先として働いており、安定した民主主義に基づく政府の樹立を妨げている。 カブールでの無知で野蛮な広報活動は、ラバニ=マスードの一味によるものであるし、RAWAの広報誌 Payam-e-Zan (女性のメッセージ) などのRAWAの刊行物を置いている書店への嫌がらせもこの一味によるものである。これは、民主主義において非常に基本的なものである、「言論の自由」を妨害しているものである。 アブドゥル=ラーマン博士の暗殺のような事件はいまだに軍や政府の上層部で起こっており、ファヒーム一味の秘密警察による、グルバディン(ヘクマティアル)の "Brother-in- Leadership" の戦士たちの逮捕は、むかしの宗教的犯罪団体の内輪もめに過ぎず、これらが現在の政府の不安定さを示すのに十分な証拠となっている。このような逮捕は、犯罪者たちを断罪してほしいという人民の希望とは別物である。グルバディン(ヘクマティアル)一味に対して下されている判決は、まったく同じ「ジハーディの兄弟分」であるラバニ、ファヒームなどの一味全員に対して下されなければ意味がないのである。
上述のことは、現在のアフガニスタン情勢は、これらの犯罪者が根こそぎ抹消されることなくしては永久に終わることなく、20年にわたる崩壊と危機に本当の自由を人々にもたらすことはできないことを示している。
ザヒル・シャーが帰国する前夜、「首長」ラバニとその「仲間たち」(ジャミアト<訳注:イスラム教会>の仲間たちによるワソックトの暗殺を参照Mujahid, 23rd of Dalwa 1367), 特に、Mihrabudeen Mustanの名を使ってフランスにいたエージェントは、ジャミアト(イスラム教会)の「王権復古」に反対していたと表明した。その発言をもってラバニのギャングたちは西側を懐柔するために西側の洋服に身を包んだだけでなく、彼らが「現代的」であることを証明するために「理論的」な懐柔策を駆使して王政復古の「古さ」をアピールしたのだった!
これらのことは軽蔑に値する。我々はいつも今まで長年言ってきたことを繰り返すだけだ。ラバニ氏、裏切りの「リーダーたち」、つまりグルバディン(ヘクマティアル)、サイヤフ、ハリリ、そしてその狼達よ、我々の人民はザヒル・シャーに群がるの病気の犬たちのほうが、あなたたちよりも好ましいと考えていますよ、と。
ザヒル・シャー自身、何度も王権復古の意思はないことを明らかにしている。しかし、もし万が一それが王権復古が起こったとしても、犯罪者たちはアフガニスタンの人々は、血なまぐさく、裏切りに満ち、腐敗しきった「首長国」よりも王制のほうを好むであろう。メディア担当者が「Umid」や、ラティフ・パドラム、アクラム・オスマン、ラナワード・ザイヤブたちをどんなに取り繕ったとしても。
我々の人民は、原理主義という鎖からの自由とアフガニスタンの再建は、まず第一にタリバンと北部同盟を一掃した上にはじまると考えている。もう4月27日と28日の恐怖は繰り返すことはない。
RAWAのデモなどの活動は パキスタンだけでなく、西側諸国でも行われる予定である。そして、4月27日と28日の恐怖がまったくなくなるその日まで、アフガニスタンの各地でも開催されるようになることを希望している。
アフガニスタン女性革命同盟(RAWA)
2002年4月28日

 

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