アフガン西部パシュトン人迫害の実態(2002.09.02更新)
「アフガニスタン・ヘラート 国内避難民における人権侵害調査」

2002年4月:「人権のための医師団(Physicians for Human Rights) 

訳者要約:アメリカ・ボストンに拠点を置く「人権のための医師団(Physicians for Human Rights)」は、2002年3月に、アフガン西部の難民キャンプでキャンプ地に避難してきた人たちがどのような人権侵害を受けてきたか、詳細な調査を実施した。暫定政権発足以後、多くのアフガン難民が国外から帰還を始めた一方で、アフガン国内では各地の軍閥・武装勢力が覇を競い、治安の悪化が相次いで報告されている。タリバンの大半がパシュトン人だったこともあり、パシュトン人が比較的少数派となる西部・北部ではパシュトン人全体が武装勢力の迫害のターゲットになっている。迫害の多くはパシュトン人であることをこじつけにした金品の強奪、土地没収といったもので、軍閥・武装勢力の私利私欲に基づくものが多い。
人権のための医師団が発表したこの調査レポートは、こうした迫害がパシュトン人に集中していること、援助物資が実際には北部西部の遠隔地に届かず、今なお食料を求めて国内避難民とならざる得ない実情を改めて明らかにしている。
※以下のレポートは右ページを全文訳したものです。 原文:http://www.phrusa.org/research/afghanistan/report_idp.html

要約
 この調査結果はアフガニスタン西部のパシュトン人の家族に対して迫害が幅広く行われているということを示している。武装した民兵(主としてウズベク人兵士)は主にパシュトン人の民間人に対して脅迫やゆすりを行ってきた。こうした迫害行為には殺人、殴打、銃撃、誘拐、集団的レイプ(gang rape)等々が含まれる。国際的な援助や人道援助が増えてきているにもかかわらず、調査結果からは食糧配給不足や緊急援助が必要となったことが西武アフガニスタンの人々が故郷の村々を離れてShaidayee国内避難民用キャンプにやってきた主な理由であることが判明している。アフガニスタンでは復興が最優先されているが、切迫している健康上の危機に彼らアフガン人をさらさないためには食料、清潔な水、家、ヘルスケアサービスと治安維持といった基本的需要が無視されてはならない。
この調査に協力して回答した人々からの報告によれば、全家族のうち8%の家族で、少なくとも一人以上が虐待行為を受けている。この数値はタジク人家族では3%となり、パシュトン人家族では14%となる。迫害はゴール(Ghor)、バジス(Baghdis)、ファリャブ(Faryab)州の10の地方の村々で生じた。虐待行為の68%はウズベク人部隊によるものである。このShaidayeeキャンプではパシュトン人に対する迫害が他の民族集団と比較して数の上で2倍から5倍も多く報告されている。いくつかの事例では(この聞き取り調査の)回答者は加害者を知っているケースがあり、加害者が主として民族的にはウズベク人であることは明白である。ある一つの事例ではウズベク人部隊の指揮官がパシュトン人家族への強奪行為に関与している。こうした事実から他のウズベク人指揮官も同様の迫害に共謀しているのではないか、という疑問が生じてくる。


序論
 2001年11月のタリバン政権が崩壊して、人々を苦しめてきた23年間の戦争と国際的な孤立、人権侵害が終わりになるという希望をアフガニスタンの人々に広がっている。ボン協定、暫定政権樹立、将来の民主的改革の可能性、国際治安維持部隊のカブール駐留、といった事柄は新生アフガニスタンを、そしてアフガニスタンへの国際的な支援と共同行動を予告している。しかし、異なる派閥から構成される武装勢力は民族グループの民間人に対して人権侵害行為を続けてきている。これは、特に国際的なあるいは現地の治安維持部隊がほとんど存在していない地域で特に際立っている。このレポートの調査結果から、地元のウズベク人からなるアフガン人武装勢力が、とりわけ西部地方のパシュトン人中心の村々でパシュトン人を体系的に迫害してきたように見える。調査結果は同時に人々が故郷から逃れて人道援助を求めてShaidayeeキャンプ地にやってきた主な理由が食料と緊急援助が彼らの地元の村々では手に入らなかったということを示している。
2002年4月、「人権のための医師団(PHR)」はアフガニスタン・ヘラートのShaidayeeキャンプ地において、国内避難民509家族を調査した。調査によってパシュトン人家族は他の民族と比較して2〜5倍も多く人権侵害の犠牲者となっていることが明らかになった。どれほどの迫害が地元指揮官によって直接指示されたのものか不明であるが、パシュトン人に対する迫害は指揮官達や現地当局が気がつくにはは十分なものであった。にもかかわらず秩序回復に手を打ったり、パシュトン人迫害を止めさせる、といったことはほとんどなされていない。パシュトン民族アフガン人はアフガン全体では多数派民族であるが、タリバン政権と(同一民族であるという点で:訳注)関連があるパシュトン人は、多くの少数派民族、特にウズベク人、ハザラ人の男性、女性、子供達に対する迫害の罪で有罪視された。今や武装勢力と同様に、個人の中にも報復としてパシュトン人民間人に敵対する行動に出る者が出てきているものとと思われる。あるいは迫害の中には、地域で一番弱い者達を見つけ、強奪しようとする単に機会便乗的な攻撃もあるかもしれない。しかし加害者の動機が何であれ非武装のパシュトン人家族に対する犯罪は人権侵害であって、この犯罪は発展への険しい道のりを進んでいるこの国で、民族間の緊張をさらに高めることにつながる。

 

背景/調査目的
北部、西部アフガニスタンの地方や州、村々では支配的な勢力として、主要な三つの民族の党派が存在する。こうした党派は武装勢力によって支援を受けている。ウズベク人の「イスラム国民運動(Junbish-iI Milly-yi Islam)、タジク人の「イスラム協会(Jamiat-e-islami)、ハザラ人のイスラム統一党(Hizb-I Wahdet)である。同様にこれらの地域ではどの党派勢力にも属さないウズベク人、タジク人、ハザラ人の武装勢力が存在する。北部・西部両地区の民間人はNGOや国連職員へ彼らの故郷の地で人権侵害があったことを報告してきた。こうした迫害にはレイプ、いやがらせ、ゆすり、土地の没収、殺人、誘拐、殴打、盗み、脅迫といったものが含まれる。一般市民による報告によればこうした暴力行為の大半はパシュトン人に対する報復として行われたという。パシュトン人はタリバン体制と最も協力関係にあった民族グループである。
ヒューマン・ライツ・ウォッチの文書によると、最近になってアフガンの暫定政権は北部のパシュトン人に対する民族的迫害に対して独立した調査委員会に調査させることを約束したという。しかしアフガン北部・西部のパシュトン人に対する暴力に取り組むこの委員会の実質的な能力は、この地域の地元指揮官達の権力と影響力によって制限されてきた。地元のパシュトン人迫害に加担したことが報告された指揮官を解任した場合ですら、そのような迫害からパシュトン人村民を保護するために送られた別の指揮官の監視がありながら、暴力行為は継続した。このことはとりわけファリャブ(Faryab)州に目立っている。
一般市民を守る処置をとったにもかかわらず、この3ヶ月間の間、大規模な国内避難民の波が、アフガン西部のヘラート州に流れ込んできた。避難民はゴール(Ghor)州、バジス(Baghdis)州、ファリャブ(Faryab)州、ファラ(Farah)州、バルフ(balkh)州、から来て、ヘラート郊外のShaidayeeキャンプに入植した。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)によると、国内避難民の大半は、彼らが非難した理由は食糧配給、緊急援助を受ける必要があったためだと報告しているという。他の人々、特にパシュトン人は西部地区の多くの州のパシュトン人の村で迫害があったことも報告している。
こうした一連の報告をうけて、人権のための医師団はアムウイッツ博士(Lynn Amowitz: M.D., M.S.P.H., PHR's Fireman Health and Human Rights Fellow)を2002年4月にアフガン西部へ送り、最近ヘラート州へ到着した国内避難民の出身地である西部の村々で行われたとされている人権侵害を科学的に調査させた。アムウイッツ博士にとってこの地への旅行はこれで7回目になる。ヘラートで彼女は48人の地元の人間からなる調査団を編成した。調査団はShaidayeeキャンプへ最近到着した国内避難民全体の包括的な調査をやり遂げた。人権のための医師団は出身地で広く行われたとされている人権侵害を評価するために住民を基にした調査を行った。人権のための医師団は調査の中であがってきた迫害の個々の体験について見識を得るために、調査された迫害の事例の中から選び出して、より詳細な聞き取り(事例に関する証言)を行った。

 

調査手法について
・Shaidayee キャンプ場
Shaidayee キャンプはもともとUNHCRによって1996年10月に開設され、2002年3月27日現在、4,588家族(25,149人)がこのキャンプに登録されている。調査時点(2002年3月29日)で551家族が「新規到着者」(3ヶ月以内に到着した人々)がShaidayeeキャンプ地に住んでいた。2002年2月にこのキャンプ地の一区画が新規到着者達のために作られた。この地方の他の国内避難民用キャンプ地、Mazlack、Rawza Baghキャンプ場が過密になったためである。このShaidayeeキャンプ場はKaruch、Obeh、Chesht-E-Sharifといったヘラート州東部の地方へとつながる主要幹線道路からは離れたところにあり、自然の水源の無い砂漠の真ん中に位置する。水は井戸から手動ポンプでくみ上げられ、適切な塩素処理をされたものが供給されている。大人は伝統的な穴を掘って作った便所を使用しているが、子供達はキャンプ地周辺にある、伝統的な家作りのために土を掘り取られたその跡地の穴で用をたしている。国連IOM(国際移住機関)がキャンプ地の管理に携わっている。「国境無き医師団(Medecins sans Frontieres)」が新規到着者の最初の健康診断やキャンプ地住民の健康管理を支援している。保安面では地元の軍閥指揮官であるイスマイリ ハーンが、キャンプ地に面した道路の両端にチェックポイントを設けて治安維持に当たっている。より古参の国内避難民達の地区には日干しレンガで作られた伝統的な家もある。新しく到着した者達はIOM標準の大きな白いテントを渡されてきた。このテントは前と後ろの両端がジッパーで開けられるようになっている。全ての住居(土壁作りかテント)は格子状に作られた区画上にあり、秩序よく配置されている。食料、非食料品の配給センターはキャンプ地全体に散らばっていて、砂利道を通って簡単に行くことができる。キャンプ地正面のメインロードにはバス停があり、ヘラート市内、あるいは他の地方と行き来するために用いられる。避難民住居に面した道路沿いにバザールが設営され、そこでは果物、野菜、キャンディー音楽カセット、服、その他さまざまな品物が売られている。

・調査対象について
人権のための医師団(PHR)の調査対象は家族全体の経験について最も正確な情報を提供しうる一人の男性・女性の世帯主で、3ヶ月以内にShaidayeeキャンプ地に到着した人を対象とする。対象のサンプリングについて
Shaidayeeキャンプ場の新規到着社用区画に建てられている全551のテントが調査された。新規到着者用区画はこのキャンプ地の中央道路から最も離れた区画であって、ちょうど低い砂山の山脈の足元に位置する。IOM職員がこの区域を特定する際に援助をしてくれたうえ、サンプリング調査が終わるまで聞き取りをした地域に立ち会っていてくれた。

・調査の手段について
調査に用いられたの手段は人権のための医師団(PHR)によって開発されたものである。質問の範囲には人口統計、出身地域を離れた理由、家族構成、人権侵害の体験、加害者に関する情報、そして定性的なインタビューを含んでいる。
人権侵害の経験に関して言えば、回答者に対して、回答者自身やその家族の誰かが殺されたか、あるいは殴打、銃撃、レイプ、集団的レイプ、強制的な脱衣や着ているものを剥ぎ取られたか、24時間以下の拘束、あるいは24時間以上の拘束を受けたか、または家族の誰かが行方不明になったか、といった質問を行う。いずれの迫害についても回答者はいつ、どこで迫害を受けたか、迫害の原因、加害者に関する情報、加害者が虐待の間に何を言ったか、回答者が加害者を知っているのであれば加害者の民族が何か、といった質問がなされた。調査は英語で書かれ、ダリ語に翻訳された。ダリ語はアフガニスタンの混成共通語となっており、そしてこのダリ語から英語に翻訳された。内容の妥当性を確保するために、人権、そして医療の(地元地域と国際的な)専門家がこの手法を再調査した。インタビューについて
聞き取り調査は人権のための医師団が監督し、訓練した48人の地元女性のインタビュアーと4人の調整役メンバーによって行われた。アフガン人女性をインタビュアーに採用することで女性の回答者を調査対象に組み入れることが可能となった。この伝統的社会では男性が個人的に女性に対してインタビューすることは許可されない。(インタビュアーの:訳注)訓練は教室での講義とロールプレイ指導の組み合わせで行い、さらに実地に際しての監督もその後に行った。
全てのインタビューは2002年3月29日に行われた。インタビューは匿名であり、おおよそ10分から20分程度のもので、可能な限り最もプライベートな場所・状況で行われた。調査用紙は記録の完全・正確を期して調査者自身によってインタビュー後に見直され、そのあと当日の最後に実地監督者によって見直された。調査対象者の保護策について
調査は臨床医学、公衆衛生、そして国際的な人権調査の専門家達を含む個人を含む特別に作ったグループによって見直しを受け、承認された。加えて調査は国連職員とキャンプ監督官、そして調査が行われた全ての地元コミュニティーの指導者から許可を得た。
調査は2000年に改訂されたヘルシンキ宣言に沿っている。全調査対象者の身元は調査対象者の保護と秘密保持、そして潜在的な危険を減らすために匿名となっている。全ての調査参加者に対して、口頭で説明を行ったうえでの同意を取っている。

・統計分析について
データは内容分析のためにデータベースに入力され、定量的なデータはSTATA統計ソフトを用いて分析が行われた。
(以下統計学的な説明と思われますが訳出が難しいため省略させていただきます。原文は下記となります)
For 2x2 cross tabulations containing cells with expected frequencies of less than 5, statistical significance was determined using Fisher's exact test; Yates' corrected chi square was used for all others. Analysis of variance was used for statistical comparison of means and the Kruskal-Wallis test used for comparison of medians. For all statistical determinations, significance levels will be established at p<0.05.


調査結果

人口統計について
調査対象となった551戸のうち39戸(7%)は調査対象に含めるためには不適格であった(調査対象は3ヶ月以内にキャンプ地に到着した人々に限定されていた)残りの512戸のうち、509戸(回答率:99%)のインタビューが完全に行われた。調査を行った家族のうち3戸(0.4%)は、2回の訪問で、回答者となる者が不在のため調査が行われなかった。抽出された509戸で暮らしている全家族の総員数は5,526人である。
回答者達の特徴は表1にて表す。回答者の平均年齢は35歳である。回答者の52%が女性で、48%が男性である。78%の回答者は既婚者であり、16%が夫を亡くした女性、25%が未婚者で、1%が別居もしくは離婚した者である。パシュトン人(45%)、タジク人(40%)は最も一般的な民族であったと報告されているが、アイマク人(Ayamaq)、Jamshidy人、ウズベク人(Uzbek)、ティモリ人(Timori)、Arabic人、そしてFiros Kuhy人も報告されている(人数表1)。キャンプ地に来てからの日数は平均で17日であるが、避難民の大半はキャンプ地に到着する平均45日前に故郷の村々を出発している。避難民の多くの出身地は、ゴール(Ghor)34%、バジス(Baghdis)33%、ファリャブ(Faryab)27%となっており、これにファラ(Farah)、ヘラート、ニムルズ(Nimruz)、そしてバルフ(Balkh)の各州が続く。
表1 
Table 1: アフガニスタン・ヘラート・Shaidayee国内避難民キャンプに最近到着した人々のうちの回答者の特徴

聞き取り調査の対象となった人数
総数=509
最近到着した国内避難民
平均年齢±
(年齢範囲)
35 ±0.57
(14〜90歳)
性別(総数=501)
xx女性
xx男性

262(52%)
239(48%)
既婚/未婚別(総数=504)
 既婚者
 寡婦
 未婚者
 離婚者/別居中

392(78%)
81(16%)
25(5%)
6(1%)

民族(総数=507)
 パシュトン人
 タジク人
 アイマク人
 Jamshidy
 ウズベク人
 Timoni
 Arabic
 Firos Kuhy

 


231(45%)
202(40%)
41(8%)
15(3%)
5(1%)
6(1%)
6(1%)
1(0.2%)
キャンプ地での平均滞在日数(日数範囲)

17日(1〜90日)

出身地を離れてからの平均日数(日数範囲) 48日(1〜730)
出身地方
 ゴール(Ghor)
 バジス(Baghdis)
 ファリャブ(Faryab)
 ファラ(Farah)
 ヘラート(Herat)
 ニムルズ(Nimruz)
 バルフ(Balkh)


172(34%)
170(33%)
138(27%)
21(4%)
4(0.8%)
2(0.4%)
2(0.4%)

※Values may not add up to 100% due to rounding

人数表1

 

新規到着者達はこの国内避難民用キャンプにやってきた理由を評価するために質問を受けた。この国内避難民用キャンプに来た第一の理由で最も一般的なものはその州で食料配布がなかったこと(77%)、ウズベク人軍隊によって土地が没収されたこと(6%)、一家が略奪を受け、貴重品が奪われたこと(6%)である。このあとに以下のような理由が続く。緊急の援助を必要としたこと(4%)、干ばつ(4%)、武装勢力によって去ることを矯正されたこと(0.4%)、身体的な安全に不安を感じたこと(0.4%)、そして強奪(0.2%)である。
このキャンプに来た第二の理由として最も一般的なものには、緊急の援助を必要としたこと(56%)、雇用機会が無いこと(15%)、ウズベク人軍隊によって土地が没収されたこと(8%)、そして一家が略奪を受け貴重品を奪われたこと(8%)といったものを含んでいた。残りの第二理由にはその州では食料配布が無かったこと(6%)、干ばつ(2%)、身体的な安全に不安を感じたこと(2%)、地域で戦闘があったこと(1%)、医療施設が無いこと(1%)、そしてハザラ人軍隊によって土地が奪われたこと(0.5%)といった理由があげられた。
表2:Shaidayeeキャンプ地に来た理由

キャンプ地に来た理由 人数(新規到着した避難民)
(%)*
第一の理由,総数=499
 出身地では食料配給がなかったため
 ウズベク人軍隊によって土地を没収されたため
 家が略奪にあい、貴重品が奪われたため
 緊急の援助が必要だったため
 干ばつ
 タジク人軍隊によって土地が没収されたため
 地域で戦闘があったため
 武装勢力によって立ち退きを強制されたため
 身体的な危険を感じたため
 恐喝されたため

386 (77%)
36 (6%)
28 (6%)
20 (4%)
22 (4%)
3 (0.6%)
3 (0.6%)
2 (0.4%)
2 (0.4%)
1 (0.2%)
第二の理由 ,総数=219
 緊急の援助が必要だったため
 干ばつ
 ウズベク人軍隊によって土地を没収されたため
 家が略奪にあい、貴重品が奪われたため
 出身地では食料配給がなかったため
 干ばつ
 身体的な危険を感じたため
 地域で戦闘があったため
 医療施設が無かったため
 ハザラ人軍隊によって土地を没収されたため

122 (56%)
34 (15%)
17 (8%)
17 (8%)
14 (6%)
5 (2%)
4 (2%)
3 (1%)
2 (1%)
1 (0.5%)

 


・迫害について

伝えられた迫害の特徴はテーブル3に示す。迫害行為を報告した世帯のうち77%(43戸中33戸)はパシュトン人であった。(人数表2)。全体では8%の世帯が一人または一人以上の家族のメンバーが迫害が受けたことを報告した。迫害を受けたパシュトン人世帯(14%)は全世帯の迫害を受けた比率と比較して倍近くとなっており、タジク人世帯と比較するとその率は5倍となる。
迫害は家族の男性メンバーであることが最も多く(88%)、その平均年齢は29歳である。迫害は第一に故郷の村で発生しており(52%)、ついでShaidayeeキャンプに移動途中(19%)となっている。こうした迫害には殺人(46%)、爆発物、銃撃による負傷(25%)、殴打(23%)、そして行方不明(4%)などが含まれる。最も多い迫害の理由は「民族的なもの」(44%)であるが、多くはその理由が特定できなかった(23%)。あるいはその他(11%)をあげた。ウズベク人軍隊は加害者としてリスト上に最も多く登場する(75%)(人数表3参照のこと)。迫害が報告された地方と州については表4に挙げる。
表3:避難民家族が報告した迫害の特色

特色 報告されている迫害
総数=52
(%)
調査対象となった全家族の中で1人かそれ以上が迫害を受けた家族の数
( 対象家族の総数=509)
43 (8%)
パシュトン人家族のうち、1人かそれ以上が迫害を受けた家族の数( 対象家族の総数=231) 33 (14%)
タジク人家族のうち、1人かそれ以上が迫害を受けた家族の数, ( 対象家族の総数=202) 6 (3%)
迫害を受けた家族のメンバー
息子
世帯主
兄弟
父親
その他の親類
妻e

母親

12 (23%)
14 (27%)
10 (19%)
6 (11%)
5 (10%)
3 (6%)
1 (2%)
1 (2%)
平均年齢 SE, (年齢範囲) 29 ± 2.6, (2-80)
性別
男性
女性

46(88%)
6 (12%)
迫害を受けた場所
故郷の村
Shaidayeeキャンプ地への移動途中
別の土地への移動途中
Shaidayeeキャンプ地内
検問所(チェックポイント)
不明

27 (52)
10 (19)
6 (11)
4 (7)
4 (7)
1 (2)
迫害の種類
殺害
砲撃や銃撃による負傷
殴打
行方不明(訳注:誘拐)
集団的レイプ

24 (46%)
13 (25%)
12 (23%)
2 (4%)
1 (2%)
迫害の理由
民族
不明
戦闘員であるという非難
その他(未分類)
徴兵の強制を拒否したため

23 (44%)
12 (23%)
7(14%)
6 (11%)
4 (8%)

 

人数表2:迫害を受けた家族の民族別構成比


人数表3:迫害数の加害者集団別の構成比


表4:報告された迫害が発生した州と地方

地方
ゴール(Ghor) Sharek
Chaqcharan
Tagaw
Tular

バジス(Baghdis)

Ghurmach
Jawand
Qalaenaw
ファリャブ(Faryab) Qaisar
Almar
Shirintagab
Dualatabad

 

 

証言
調査で報告された個々の迫害の経験について識見を得るために人権のための医師団はさらに詳細に、迫害を報告した調査対象者達に内容に関する質問(事例証言)を行った。協力する意図のある回答者に対してもっと詳しい迫害の経緯を調査者、通訳に伝える機会が用意された。こうした定性的な調査のいずれの場合でもインタビューは記録に取られ、可能であれば回答者の一語一語が厳密に彼らの個々の経験を表現するものとして記録に用いられた。これより下記に挙げる事例は殺害、略奪、性的攻撃、その他の数々の迫害の例である。

 

【殺人】

ファリャブ(Faryab)州−Qaisar地方−Sinshtak村
24歳パシュトン人男性
私の弟は15か16歳でした。彼は農夫で最近結婚したばかりでした。彼は小柄であごヒゲがなく、畑を耕して暮らしていました。アメリカが爆撃をしている時にウズベク人兵士が彼に接近しました。たくさんの目撃者がいて、彼らはそのウズベク人兵士達が弟のことをタリバン、またはアルカイダだとして非難していたと私に語りました。この攻撃を見た人々は彼らが弟を死ぬまで銃で殴り、蹴っていたと言いました。彼らは弟が殴られるのを見て逃げ出し、そして戻ってきた時に弟が死んでいるのを見つけました。私達は恐ろしくて彼の遺体を運んで埋葬することができませんでした。私は彼を野原に残してここに来なければならなかったのです。
私も農夫で、一人の妻と一人の幼い子供がいます。私は5,6ヶ月前にウズベク人兵士に略奪を受けたことが理由でここにやってきました。この略奪とほぼ同じ時期に私の弟がg殺されたのです。彼らは全てを取り上げました。私達のラクダ、ロバ、お金をです。私は40万から50万アフガニ(14〜18ドル)しか持っていませんでしたが、彼らはその全額を取り上げました。毎日彼らは手紙を書いてよこし、私達が所持金全額を支払った後で1万アフガニを払えと言いました。私達は手紙が来るごとにその支払いのために身の回りのものを売り払わねばなりませんでした。時には彼らは私たちの家に金を求めてやって来ることもありました。私達は彼らに金を払って、同様に彼らのために昼食を作らねばなりませんでした。彼らは食事を出されて金を受け取るまで私達の家の中に座り込むのです。私が家を出たときですが、弟が殺された後にとても急いで出てきたので手紙を持っていません。その時私は兵士に支払う金をもう持っていなかったのです。私はその地域の兵士達を全員知っています。指揮官はSachyです。そして私達の家に金を厚めにやって来た男はFatollahと呼ばれていました。村の誰もが兵士達を知っていましたがそれでも兵士達は全てを取り上げました。

ファリャブ(Faryab)州−Chilgazia地方−Narkarkhana村
パシュトン人女性
私は30〜35歳になりますが、確かな年齢はわかりません。夫と結婚した時、私は10歳前後で、今は15から26歳の子供が8人います。ウズベク人兵士が私達の村にやって来て私の夫を殴り、夫に金を支払わせました。彼は金を持っていないと言ったので彼らは夫を死ぬまで殴りました。私は起こったことを見ていました。私の見知らぬ7人か8人のウズベク人兵士達は私達の村にやって来ると私達の家に入り込みました。彼らは夫を銃、足、棒で殴りました。子供達も彼らが父親を殴るのを見て逃げ出しました。私は彼らにお金を持っていないのだと言いました。どこに行ってあなた達に払う金を手に入れればよいというのですか、私の夫を殴らないでくださいと。彼らはファルシー語をしゃべっていたので私には彼らが何を言っているのかわかりませんでした。夫が死んだ後で、彼らは立ち去り私や子供達には何もしませんでした。
大変な距離を歩いてここにたどり着いたので、私の足は腫れて、痛んでしまいました。彼らは私の夫を奪い、私の家畜を取り上げてしまったので、残されたものは何一つ無く、私は離れざるえませんでした。私は歩いてやってきましたがバジス(Baghdis)でいくらかの金を借りてトラックでここに来ました。


ファリャブ(Faryab)州−Qaisar地方のクーチー族遊牧民
60歳パシュトン人、既婚者、子供3人
私の弟は3人甥がとても押さないときに死んでしまったので、彼が死んでから以後は私が彼らの世話をして彼らの父親となりました。3ヶ月前のことです。この3人の甥全員が消えてしまいました。一人は私のところに運び込まれてきましたが、彼の頭(額の部分)には一発の銃弾の穴が開いてました。甥達がいっしょに歩いているところを一人の頭を誰かが撃ったのです。死んで発見されたその一人の甥は12歳でした。20歳、30歳の甥は行方不明です。私はだれかがおきたことを見ていないかと、彼らを探すためにバザールに行きましたが、人々は彼らが連れ去られたとしか言いませんでした。誰も彼らを連れ去ったものが何者なのか、どんなことを見たのか私に言うことができませんでした。私は誰が甥たちを殺したのか知りません。甥達は悪いことを何もやっていなかったので、私にはなぜ彼らが殺されねばならなかったのかわからないのです。私はここに空腹と働けないためにやってきました。援助を売るためにやってきましたが、私は土地も、羊も持ってないのでゆっくり(1ヶ月)かかってここに来ました。

ファリャブ(Faryab)州−Shirintigab地方−Shourdia村
25歳、パシュトン人、女性、子供5人
私の夫はイランで働き、お金もありました。私達は十分な生活をしていて、何も不足していませんでした。夫は店主をしていて、毎日午後7時まで店にいました。1ヶ月前、夜店じまいする前ごろにウズベク人兵士がやってきて店に入り、彼を店から連れ去って、自宅につれてきました。彼らは私達の羊を取り上げようとしました。私はコーランを持ってきて言いました、OK、羊を持ってゆきなさい、けれども私の夫を殺さないでくれ。彼らは聖なるコーランを押しやり、羊を取り上げて私の夫に銃を撃ちました。夫は何もしていないのに、彼らは夫に銃を撃って殺したのです。彼はほんの40歳でした。私達は夫の遺体を持って行って埋葬することができませんでした。私は子供を連れて逃げなければなりませんでした。私は恐ろしかったのです。ほかの村人も同じように逃げ出していたので、彼らと一緒に出発しました。最も年長の私の息子は11歳になります。子供達は2、3夜泣いていました。夫がいないのなら私の人生に何の意味があるというのでしょうか。夫がいなくなり私は寂しさを感じています。彼は良い人でした。私は12歳のとき彼と結婚しました。私は2番目の妻です。もう一方の妻は私より年長で、彼女の子供達と一緒にファリャブにいます。私はお金が無いので、そこへ行って彼らをここに連れてくることができません。

ファリャブ州−Shirintagab地方−Jaloya村
15歳、パシュトン人、男性
私達(6人家族)は一週間前にこのShaidayeeキャンプにやってきました。その理由は私達には何も無く、空腹だったからです。私達はトルクメニスタンとの国境近くからTorgomdyまで歩き、それからトラックに乗るお金を借りてここに来ました。村で私達は店と羊、家畜を持っていました。ある日(1ヵ月半ほど前)、私の兄が自宅から誘拐されました。ドスタムの軍隊の4人の人々が早朝の祈りの時間に私達の家にやって来て、私の兄を連れ去ったのです。彼らは兄と私達の家畜を全て取ってゆきました。私は、兄が戻って来て家畜を返せと要求するのを恐れて、彼らは兄を殺してしまったのだと思います。(回答者泣く) 2日後、私達は兄の遺体をみつけました。額と胸に3つの穴があいてました。兄は30歳で亡くなりました。私達は立ち去る前に彼を埋葬しましたが、誰にも墓守を頼むことなく彼を村に残してきてしまいました。


【集団的レイプ】
ファリャブ(Faryab)州−Dualat地方−Shurdaria村
パシュトン人男性

私には2歳、4歳、8歳の3人の子供がいます。爆撃とタリバンが去った後にウズベク人が支配しようとやってきました。彼らは銃撃を始めました。彼らは村に来ると家々に入り、村の男達全員を家から蹴り出して別の場所に追いやりました。私達はその夜、自分達の家に入れず、砂漠で一晩を過ごさなければなりませんでした。私達の女性と子供は彼らだけで家に取り残されました。私達が自分達の女性・子供を取り戻せなかったので、彼らは村の女性全員をレイプしました。村の7人の女性達がレイプされました・・・私の妻もそのうちの一人です。子供達は家にいて、自分の母親が襲われるのを聞いていました。兵士達は子供達を一晩中別の部屋に入れておき、子供らが私に言うには子供らは母親が泣き叫ぶ声を聞いたというのです。彼らは家に一晩中いました。兵士が去り、私が家に戻ってきた後に、妻は私に3人の男達が家に入ってきてレイプしたと話しました。私は恥と、コミュニティへの恐れも感じていますが、妻は無実なので話せることが何もありません。私は妻に対する態度を変えてきませんでした。妻はとてもつらく感じ、殺されてしまったほうがましだったと言い続けています。私達の仲は親密なままですが、彼女が傷ついているとだけは言えます。妻は病院にいて、彼女の母親が付き添っています。彼らはこのキャンプでは彼女の助けとなるような薬を手に入れられません。
このことを話すのは容易なことではないです。このキャンプ
の人たちも含めて私は誰にもこのことを話したことはありま
せん。私はあなた方に話をしましたが、その理由はこんなことを止めるために力になる人々へ私の声を届けてくれるということなのです。世界はパシュトン人に何が起きているのか知るべきです。彼ら(兵士達)は全てを奪いました。私の妻、私の名誉、私に残されたものは何もありません。人々は知るべきです。

 

結論
この調査の結果が指し示していることは、アフガニスタン西部のパシュトン人家族に対して広く迫害が加えられていることである。武装勢力(主にウズベク人部隊)が主としてパシュトン人に対して脅迫、略奪、といった迫害を行っており、こうした迫害行為には殺人、殴打、銃撃、行方不明、集団的レイプなどが含まれる。調査結果からはまた、国際援助が増えたにもかかわらず、食糧配給の不足、緊急援助の不足がアフガン西武の人々が故郷の村々を離れてShaidayee国内避難民キャンプにやってきた主な理由となっていることが明らかである。アフガニスタンでは復興が最優先されているが、切迫している健康上の危機に彼らアフガン人をさらさないためには食料、清潔な水、家、ヘルスケアサービスと治安維持といった基本的需要が無視されてはならない。
この調査に協力して回答した人々からの報告によれば、全家族のうち8%の家族で、少なくとも一人以上が虐待行為を受けている。この数値はタジク人家族では3%となり、パシュトン人家族では14%となる。迫害はゴール(Ghor)、バジス(Baghdis)、ファリャブ(Faryab)州の10の地方の村々で生じた。虐待行為の68%はウズベク人部隊によるものである。このShaidayeeキャンプではパシュトン人に対する迫害が他の民族集団と比較して数の上で2倍から5倍も多く報告されている。いくつかの事例では(この聞き取り調査の)回答者は加害者を知っているケースがあり、加害者が主として民族的にはウズベク人であることは明白である。ある一つの事例ではウズベク人部隊の指揮官がパシュトン人家族への強奪行為に関与している。こうした事実から他のウズベク人指揮官も同様の迫害に共謀しているのではないか、という疑問が生じてくる。
アフガン人はUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)にとってこの20年間連続して単独では最大の難民件数を保持したままである。最近の数値でも500万人がアフガン国外に残っている。300万人がイラン、200万人がパキスタンに、そしてもっと少数の人数が他の隣国に避難している。2002年3月1日より、40万人以上の難民がパキスタン・イランからアフガニスタンへUNHCRとパキスタン・イランから協力を得たたアフガン暫定政権の援助を受けて自発的に帰還した。これに加えて国内避難民の数は120任を超えるものと予測されているが、このうち3万人だけが故郷の村へ帰還した。アフガニスタン内の状況が変化するにつれ、難民が出身地の村々の人道的状況について何も知らされていないような場合ですら、難民達は(滞在先の)隣国から帰還するよう、強い圧力を受けることになった。このように大きな難民の移動は国内避難民の問題をより大きくする可能性がある。干ばつが続き、伝えられるところでは多くの地域では食料不足となっており、全31州のうち23州以上の州では医療機関はきわめて不適切なものとどまっている。このような状況で帰還難民の巨大な流れが押し寄せれば、人道的状況は国連や援助団体にとってきわめて難しいものとなるだろう。そして最も被害を受けやすい人々、特に女性を、健康面で破滅的な結果をもたらすような危険にさらすことになるであろう。例えばアフガニスタンの妊婦死亡率は世界で最も高いものの一つであるが、こうした死亡率が上昇するといった危険に女性達を置くことになるかもしれない。

 

勧告

  1. アメリカ政府、国際社会、そして国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)は、アフガン暫定政権が求めている国際治安支援部隊(ISAF)のカブール外への駐留拡大、特に民族的な人権侵害が発生しやすい地域への駐留拡大について支援を行うべきである。
  2. 人道援助機関(国連、国際的組織、NGO)はヘラート、ファリャブ、ゴール、バジス、ファラ、そしてバルフ州といった地方での適切な食糧配給、必要最小限の緊急な援助と人道支援を国内雛民の帰還に優先して保障するべきである。
  3. 国連と国際機関、NGOは暫定政権職員、地方の指導者と軍隊に対して、全ての迫害と脅迫について取り上げてこれをやめさせるよう会合を持つべきである。加えて人道援助提供と、復旧事業に参加している全ての団体は帰還中の難民、国内避難民に対するあらゆる人権侵害について監視・報告を行うようUNHCR事務局に働きかけるべきである。国内避難民であろうと、難民であろうと帰還したアフガン民間人に対する迫害は、国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)へ報告されるべきである。
  4. 加害者達は迫害の責任ゆえに拘束されるべきである
  5. 国際社会は、ボン合意で定められた人権委員会の編成を保障し、国際的な基準に合致するような法の支配を確立するよう、地方の指導者と暫定政権に対して働きかけるべきである。


 

このページのトップへ  Top pageへ