アルカイダ捜索により高まる反米感情
ガーディアン 2002.10.8 http://www.guardian.co.uk/afghanistan/story/0,1284,806525,00.html
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米軍の軍事作戦が始まってから1年がたつが、この1周年の最後のレポートの中で特派員は米軍の軍事プレゼンスに対して怒りが高まっていることを伝えている。

 

 その夜、アメリカ軍のヘリがアブ・キイル(Aab khiel)村周辺に広がる乾いたトウモロコシ畑に着陸した。数分以内に数十人の兵士達が小さな泥と木で作られた家々からなる小さな集落を取り囲んで一軒一軒づつ家々を調べ始めた。
「彼らは私のうちにやってくるとドアのノックもしないで、ただ力ずくで押し入ってきた。」28歳、村の若い農夫であるカリムラ(Qarimullah)は先週の襲撃を思い出しながら語った。「彼らはドアのカギや裏部屋を壊し、私のカメラを取り上げ、私達の衣服を全部床に投げ出した。彼らはアルカイダを探している、と言っていたがなぜ私のうちにこのようなやりかたでやってきたのか。こんなことは正しくない。」
アメリカが不屈の自由作戦をアフガニスタンで開始してから1年が経つ。当初アメリカは広く歓迎されていた。ついに西側社会が20年にわたって軍閥に支配され、旱魃に打ちのめされたこの国に平和をもたらし、国の再建を約束していたのだ。
しかしアフガニスタン人は数千人のアメリカ軍部隊に対して、少しずつ怒りを募らせている。ことに最南部のパシュトン人の地域で怒りが高まっている。この地域ではアメリカは孤立しがちで、しかもこの地域はかつてタリバンの出身地があり、彼らの強固な砦となっていた。勢力を誇る軍閥指揮官達を含め、多くのアフガン人は米軍が出て行くことを望んでいる。
米軍のパトロールに対する不満はここ一ヶ月の間に南東部、ことにホスト、ガルデズ州の村々で非常に強くなった。彼らは兵士達が衛星電話やパスポート、家や車の登録証、果ては家族の写真までも没収していったと語る。
先週、アブ・キイル村ではだれも逮捕されず、アルカイダの痕跡も発見されなかった。作戦が成し遂げたのは村人達がアメリカ軍の存在に敵意を駆り立てた、という点だけであった。
「米軍は、私の衛星電話を取り上げて、バグラムの基地へ持って行った」村に住み、貿易業を営むウラーさんは語った。「彼らは私に電話を返すと言ったが、何の受取証もくれなかったし、今でも返してもらってない。アメリカ人は電話をオサマ・ビン・ラディンやアラブ人と連絡するために使ってるのだろう、と言ったが、そんなことはない」
さらに東のパキスタン国境に近い地域の話だ。ワリ・バドゥシャ(Wali Badsha)はアメリカのパトロールに同行していたアフガン人兵士達が45000パキスタンルピーを彼の家から盗んでいったありさまを語ってくれた。彼の家はKagow村である。
「彼らは私達の蓄えをしまっておいた4つの箱を没収した。彼らは箱は投げ返してきたが、金は取り上げたままだった。私はアメリカ人のところに行って抗議したがいまだに金を返してもらってない」【ロシア人のように・・・】
こうした最近の非難の声はホスト州政府や、ハミド・カルザイ大統領のアフガン政府を代表する政府高官、ムハンムド・ハーン・ガルバズ(Mohammad Khan Gulbaz)のもとにも届き始めた。ガルバズは米軍駐留を公式に支持する旨を大げさに語りながらも、そのいらだちは明らかだった。
「アメリカ人はうまいやりかたをしていない。こんなことが続けば人々はアメリカ人をロシア人と同様に見るようになる。」と彼は語った。
ホスト州は1980年代のソビエト占領期に最もムジャヒディンの抵抗が激しかった地域である。「私はアメリカ人と10回以上の話し合いの場をもってこのようなことを続けるべきではない、と説明してきた。しかし彼らは耳を貸さなかった。ホスト州の人々は信仰心が厚い人々だ。彼らをこのように苦しめることがあってはならないのだ」
彼はこの問題が第82空挺師団がホスト州、ガルデズ州に投入されて襲撃とパトロール任務についてから始まったと見ている。それまではこの任務は高度に訓練された米軍特殊部隊によって遂行されていた。何人かの特殊部隊兵士が個人的にではあるが、第82空挺師団の襲撃に対して配慮や気配りの足りないものだと批判してきた。
公式には軍は問題があることを認めていない。
南東部地域を軍の作戦地域の対象とすることには正当な理由がある。つまりこの地域ではタリバンに対して最も強い支援があり、タリバンやアルカイダの訓練基地が置かれてきた。そうした訓練基地の中には1998年に米軍が巡航ミサイルで攻撃したものもある。そして2002年3月にはガルデズ郊外で1ヶ月にわたるタリバン、アルカイダ兵士の掃討戦を行い、米軍兵士からたくさんの犠牲者が出た。
バグラム軍指揮所のスティーブ少佐・報道官は第82空挺師団の行動について内部調査が行われたことを認めたが、違法行為を裏付ける証拠は何も見つからなかったと語った。彼は特殊部隊から出た批判を「内部のライバル争い」として退けた。

【荒廃】
「我々は、兵がアフガンの人々に敬意を表することを望んでいるし、現にそうしていると期待している」と彼は語った。「もし何か不満が出ているのなら、我々はそれを調査するつもりだ。」
ホスト州のような地域で村人の間に憤慨が高まっていることを理解するために援助団体を使って調査することなどたいしたコストはかからない。カブールから南東部に向けてガルデズにいたるまで舗装道路が通っているのだから。そこから先の100マイルは、穴だらけの道を走る背骨が折れるような5時間のドライブが必要となる。100マイル先に着くまで、その途中には一つの学校も、病院も存在しない。かつては有名であったホスト州の材木工業は崩壊している。
4.5億ドルの復興援助が約束されたが、今までこの地域には1セントの援助資金も費やされてこなかった。伝統的な信仰が強く、非常に独立心の強い彼らパシュトン人に対して、他のどこよりも彼らの心を得る努力が求められているにもかかわらずだ。
「アメリカはアフガニスタンに来てアルカイダを追い出したが、今となって我々に何の援助もしないというならば、彼らはこの地を去るべきだ」とバシャ・カーン・ザドラン(Bacha Khan Zadran)は言う。彼はホスト州に拠点を置くかつてのムジャヒィデン指揮官で、今では中央政権に反逆している軍閥である。
彼やそのほかのパシュトン人たちはカブールの親西側政権に対して強く憤慨している。カブール政権は彼らに敵対する片寄った勢力で占められているとみなされているのだ。
6月に開かれたロヤジルガ、国民大集会で新政権のメンバーが決定されたが、このロヤジルガが北部同盟に片寄った政権の構成を修正することはできなかった。北部同盟はおおむね北部出身のタジク人指揮官から構成されており、彼らは昨年2001年11月にタリバンが逃走した後に首都を支配した。パシュトン人は自分達パシュトン人こそが国の支配者なのだ、とみなす傾向があり、現政権にほとんど彼らパシュトン人が影響力を持っていないことに不満がある。
「政府はある民族の集団に奉仕しているだけだ。」とザルダンはパキスタン国境近くの山々の中に隠された場所で語った。彼はこの地で衛星電話を使って指揮を執っている。この1年間の間に彼はガルデズとホストで親政府側の軍閥指揮官達との戦いを続けてきた。先月、彼が失地回復を試みたときにはホスト州では最低でも15人が殺され、50人が負傷した。「ホストではもっとたくさんの戦いが起こるでしょう。なぜならここでは政府が大きな問題を抱えているからです。」と彼は言った。
ワシントンはカブール政権を支援しているが、米軍はザルダンの兵士達600人を南東部のパトロール支援のために雇い入れて武装させ、給料を支払ってきた。
米国、イギリス、国連はモハンムド・ファヒム国防相のもとで北部同盟がカブール政権での権力地盤を固めることを許してきた。ファヒムは今年はじめ、陸軍軍最高指揮官に自薦により着任している。
多民族から構成される国軍創設の計画がしぼみ、陸軍指揮官であるファヒム自身のタジク人軍隊が実質的な力を持つようになっている。このファヒムの軍勢は大半がパンジシール渓谷出身である。
カルザイはパシュトン人だが、このファヒムの動きに合わせるようにますますその力を失いつつある。今年はじめ、カルザイはタジク人のボディガードを米軍特殊部隊兵士と取り替えたが、先月にはタリバン残党の仕業とされる危ういところで暗殺を逃れる有様である。
2週間前、カブールの日刊紙でファヒムのパンジシール一派の声を代表するとされる「Payame Mujahid Weekly」はカルザイをはっきりと批判し、「政策を改めるよう」呼びかけた。
西側高官の多くが北部同盟が優勢になれば力の不均衡が生じることをひそかに認める。「ロヤジルガは本当の意味でのチャンスを逃してしまった。西側はその役割の面で安全策に走りすぎた」と10年以上アフガニスタンでの経験を持つある援助団体職員は語る。「パンジシール派の国家運営は長続きするものにならないでしょう。今となっては私にはこの後の10年に戦争が起こさない道があるようには思えません」膨れ上がりつつあるパシュトン人たちの怒りが表面化するまではまだ時間があるかもしれない。アフガンの南半分の諸部族を統一するようなパシュトン人リーダーがはっきりしていないのだ。タリバンよりも穏健なイスラム主義者の指導者達の連合がそうした役割を担うようになるかもしれないと信じる人々もいる。
パキスタン国境をまたいだパシュトン人の自然な同盟関係が常に続いてきたが、南部での反乱がアフガニスタンを二分してしまう危険が現在もある。
「アフガニスタンでは全てが悪い方向に向かっている。私達は国を分割してしまうような方向に進んでいる。」とパキスタン人で引退した情報将校であるサルマン・アハマド(Salman Ahmad)は語った。250年の間、タジク人は権力の座についてこなかった。そしてこの10ヶ月間彼らはカブールでの地位を固めてきた。こうした全てのことが歴史と文化に逆行して進んでいる。
アブ・キイル(Aab Khiel)村では、村民達がタリバン支配の栄光の日々について語り始めている。西側諸国がいまだにアフガニスタンの救世主だと信じる者はいない。


 

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