カルザイ政権発足から1年・・・何が変わったのか?
Bulletin of the Atomic Scientists(Volume: 59, Issue:2, March/April 2003): Afghanistan : The more it changes....
http://www.thebulletin.org/issues/2003/ma03/ma03nasir.html

治安、ケシ栽培、政権内部の対立とカルザイ政権の抱える多くの問題点を総括する記事。執筆者はパキスタン人ジャーナリスト。現記事は2003年4月となります。

Bulletin of the Atomic Scientists 2003年3/4月号

アフガン暫定政府を率いるハミド・カルザイはうまくやっている、とする人もいる。外国の要人が頻繁に訪問し、援助プロジェクトも続いているし、カブールの通りにはドイツ企業によって街灯が設置された。日本は住宅建設をしており、アフガン国軍の創設も軌道に乗っている。タリバンとアルカイダのネットワークは崩壊して、そのリーダーたちは消え去った。9月11日からほぼ11ヶ月間のあいだ、アフガニスタンは順風万帆の船出をしてきた、と言えるかもしれない。

しかしこうした図式と異なるもう一つの見方もある。カルザイは昨年9月にはすんでのところで暗殺されてしまうところだった。著名なパシュトン人指導者であった副首相のハジ・カディールは2002年6月6日に身元不明の暗殺者によって殺害されてしまった。航空相のハジ・アブドル・ラーマンは2002年2月14日に、メッカ渡航の計画が台無しになって怒りにかられた巡礼者によって殺害された。首都の外では軍閥の支配が行き渡っており、農村部ではケシ栽培が止められないどころかその生産高は史上最高の水準に達しようとしている。今やアフガン各地に新しい工場が建設され、この工場から上質のヘロインがヨーロッパやアメリカへと輸出されている。米軍部隊や軍事施設、空軍基地に対するヒットエンドラン攻撃は日常茶飯事となっている。結局のところこうしたこと全てを考え合わせると、国際社会から政治的支援を受けてきたにもかかわらず、ハミド・カルザイ大統領はカブールを越えてその権力を拡大することができなかったといえる。

●ケシ栽培
今ではアフガン全土で農民達がケシを自由に栽培している。主要な報告によると、輸送が簡単なヘロインを数百キロ単位で生産できる高レベルの工場が東部でも、北部、南部でも建設されてきた。1990年末、ムラー・オマル(訳注:タリバン政権の最高指導者)はタリバン支配地域でのケシ栽培を禁止したが、この時期ですら北部のバダフシャン州やパンジシール渓谷ではケシ栽培が続いていた。この二つの地方はブルハディン・ラバニやアハマド・マスードがそれぞれ支配していた地域である。ヘロイン生産が再開され、米国やヨーロッパへ再び麻薬が流入する危険も非常に高まることになった。アフガニスタンの麻薬マフィアは生き残りに成功しただけではなく、外部世界との接触や経済的な資源を保ち、ヘロインを海外へ密輸出する能力を温存していたようだ。

無法状態と無力な中央政府がヘロインシンジケート復活の主たる原因となっている。国際治安維持軍、アメリカの特殊部隊もケシ栽培やヘロイン製造を阻止する任務についていない。イギリスが2億2000万ドルをかけて行った反ケシキャンペーンもたいした効果をあげていない。そして麻薬マフィアは地元の軍閥を支援している。


ロンドンのオブザーバ誌によるとヘロイン精製に使われる高精度の機材と特殊な化学薬品はカブールですら自由に出回っており、ヘロイン取引に都合をつける人間を誰でも簡単に見つけることができるという。また史上に出回っているさまざまな品質のヘロインとその値段を即答できる者がいとも簡単に見つかる。ブラウン・ヘロインは最も品質の低いとされるヘロインだが、これはタバコに混ぜて用いられ、その値段は推定でキロ当たり700ドルである。静脈注射用の液状ヘロインの値段はこれよりもキロ当たり7万ドル高い。

忘れてはならないことだが、ケシ栽培をしている農民は好き好んでヘロイン生産者になっているわけではない。破壊的な戦争によって、アフガニスタンの農業は壊滅してしまったのだ。アフガン農民にとってきちんとした灌漑システムや機械化された農業、高品質な種子、肥料といったものを利用できるなどということは想像もつかないことだ。ケシはこのような状況のもとでもそれ相応の納得できる収入をもたらす、数少ない作物なのだ。

アジア開発銀行が音頭をとった多数の援助団体による調査プロジェクトが終わったばかりだが、この調査結果によるとアフガニスタンの荒廃しきった農業インフラを再建し、アフガニスタンの天然資源を保存するためには推定で向こう2年間に1億9千500万ドルが必要となるだろうとのことだ。この最終報告書(草稿)では地域の共同体をベースにした経済発展をコンサルタントするという手法を提言している。灌漑施設は数十年にわたり戦争が続き、修繕されること無く放置されてきたが、それまでは換金作物の生産に役立っていた。この報告書はこうした灌漑施設を再建することを強調されている。また報告書は乾燥した土地に適用される近代的な農業技術を用いて、国民の最低半数に必要な穀物需要を満たすことも提案されている。その際、農産物の販売、種子や肥料、農業機械、農薬、家畜に与えられる薬品を供給すること、こうしたことのいずれも私企業部門(プライベートセクター)が主導的な役割を発揮するとみなされている。
報告書はまたアフガン人の85%が直接農業に依存している点を指摘している。農村部は長年にわたる紛争とここ最近の旱魃により大きな被害を受けてきた。こうした災厄によって天然資源は持続不可能なやりかたで利用されつくし、様々な社会組織がばらばらに分解されてしまい、地域のコミュニティと家族の資産が失われてきた。

農産物の生産高は過去10年の間に劇的に急落した。非灌漑地域の穀物生産量は1ヘクタールあたり0.6トンであるが、この値は潜在的な生産能力をはるかに下回っている。家畜はかつて余剰分40%が輸出されて、主要な現金収入源となっていたが、その生産量は推定で半分程度にまで減ってしまった。アフガニスタンは山国であるが、その脆弱な森林は旱魃に加えて不法伐採と地元の人々がタキギのために刈り取るために消耗しつくし、山々は惨憺たる有様となってしまった。


●権力争い
ハジ・アブドル・カディール暗殺事件は民族間の紛争が継続しており、暫定政権が無力であることを証明するに十分な事件であった。ナンガルハル州の新しい州知事Hiji Deen Mohammadとその兄でもある元副首相は、カブールには決して行かないと宣言した。彼らの兄弟であるハジ・カディールがカルザイに招かれてカブールに行った結果、暗殺されてしまったこと、このことから首都が背後に潜むものたちによって支配されており、自分達も同様の憂き目にあうことが証明されているからだと、理由を挙げている。

カディールは影響力の強いジハディ(訳注:対ソ連ゲリラグループの総称)の指導者であった。彼は1980年から1990年初頭までビン・ラディンと親密な関係を持っていた。私は彼にビンラディンが今どこにいるのかを尋ねたが彼は笑って彼がどこにいるのかは誰も知らないと答えたものだ。
カディール暗殺事件はいまだに解決していないが、彼がパシュトン人に人気があると同時に他の民族グループとも密接な関係を持つ指導者として急速に台頭してきたことが暗殺の原因だとする筋もある。麻薬貴族が暗殺犯だとする向きもある。いずれの説にせよ彼が死んだことでハミド・カルザイはさらに孤立することになった。大半のアフガン人、とりわけパシュトン人はカルザイが単なるアメリカの傀儡であると信じている。

タジク人とタジク人が支配する暫定政権はパシュトン人の目からは非常に疑わしいものに映る。統一戦線(訳注:故マスードが率いる北部同盟の自称)の政治部門を率いるユヌス・カノイはジャララバードへカルザイの使節として乗り込み、カディールの葬儀に出席した。しかしユヌス・カノイのこの努力によっても暫定政権が信用できないものだとする見方がパシュトン人の間にますます強くなることは防げなかった。

●軍隊
国軍創設はもう一つの頭痛の種となっている。
国の安定のためには国軍が必要である。現在創設の最中ではあるが、発表されている軍隊の民族構成に対しては警官隊の民族構成と同様に不満の声がある。多くの報告が指摘するところによると、国防相のモハメド・ファヒム将軍は自分に近い腹心の者だけを軍の主要な地位に指名してきた。そしてこのことがカルザイとファヒムの間の対立の火種となっている。ファヒムはまたロシアから供与されている武器と弾薬をライバル達から自分の地位を守るために使用していると広く信じられている。つまりアフガン北部ではラシッド・ドスタム率いるウズベク人グループに対抗して自分の軍事的地位を守り、いまだにファヒムやかのイ、アブドラ・アブドラ外相といった面々の軍門に下ろうとしないブルバディン・ラバニ元大統領の力を削ぐために使用していると思われている。このラバニ元大統領はバダフシャン州を支配している。こうして軍事力を固めることでいっそうタジク人のカブール支配が容易になっている。


軍の創設には初年度だけで2億9000万ドルのコストがかかると見込まれている。アメリカの努力は現時点では希望的観測に過ぎない。アメリカは他国政府に寄付を要請するだけでなく、月々の支払いが30ドルであるアフガン兵士に対する訓練も要請している。アメリカの特殊部隊によって訓練を受けた最初の大隊は7月に訓練を終え、今ではフランスのインストラクターが同様の訓練に従事している。
その一方でアフガニスタンの軍閥は互いに不信を強めて競合している。彼らの権力の源は雇っている私兵達である。彼らは戦闘もしないで服従しそうにはみえない。20万もの武装した民兵の前にしていったい国軍がどのようにその影響力を行使するのか見当もつかない。
警官隊の創設は軍の創設と比べればずっと容易である。カノイはこの7月まで内相であったが、在任期間に800人の警官を雇ってきた。そのうち600人はタジク人、80人がウズベク人、60人がパシュトン人となっており、残りがハザラ人とその他の民族集団から構成されている。このことからわかるのはカブールの警官隊はタジク人に多数を占められているということだ。今ではカノイはカルザイの治安関連のアドバイザーとなっており、実質的にはあらゆる法の強制的な執行力を持ち、情報機関を統括している。タグ・モハメド・ヴァルディク(Tag Mohammad Verdik)が新しい内相ではあるものの、彼は治安にかかわる事柄に関してはなんらの役割も果たしておらず、ほとんど操り人形に近い。カルザイが内務省の保安要員を使わず、アメリカが提供した要人警護用の要員を使った理由はここにある。


●ゲリラ戦?
シャバナマ(shabnama)の流布は常にアフガン国内の抵抗運動を特徴付けていた。シャバナマとはペルシャ語で「夜に配られる伝言」を意味する。伝統的にメッセージは手書きのパシュトー語またはダリ語のポスターの形で配られる。このポスターを通して敵に関することやまもなくはじめる戦略について、ジハードへの参加を促す秘密のメッセージが伝えられた。

パシュトンベルト(訳注:アフガニスタンの南部に広がるパシュトン人居住地域)ではほとんどどこでもこのシャバナムが毎日のように配布された。あるシャバナムは言う。「神の栄光により、ジハードが再び始まった。敵は逃げつつある。士気を高く保ち、侵略者とその手先どもと戦う準備をしなさい。そしてあなたの兄弟にも神聖なる主張を受け入れるよう勧めなさい」

シャバナムはメッセージの性格により短文である場合もあれば、長文であることもある。タリバンの司令官が隠れ家から最後のメッセージを配布したと信じられているし、グルバディン・ヘクマティアル率いるイスラム党(Hizb-i-Islami)もそうしたメッセージ配布の活動で知られていた。タリバンとイスラム党が手を組んで米軍駐屯に対して抵抗運動をを仕掛ける準備をしていることは広く報じられている。あるかつてのジハディ指導者が言うには、彼らタリバンとイスラム党がおのおの自派から6人から8人を出して戦時合同委員会を作り、ヘクマティアルが直接ゲリラ戦の指揮を執ることに合意したという。ヘクマティアルが指揮を執るのはタリバンが技術的に十分な訓練を受けていないことが理由だ。

●総選挙

2001年11月5日、アフガン各勢力はドイツでボン合意に調印した。このボン合意では暫定政権に関して2004年に総選挙を行うことが求められている。しかし既にこの最終期限には間に合いそうもないように思われる。

まず第一に一つの政治的政党が存在していない。仮に武装した兵士や軍閥達が政党に姿を変えたとしても、やはり銃が再び決定的な役割を果たすことになるであろう。暫定政権に加わっている著名なリーダーの多くはファヒム将軍からドスタム、イスマイル・ハーン(訳注:西部ヘラート州の知事)にいたるまで、あるいはハザラ人、グル・アガ(訳注:南部カンダハル州の知事)からその他の者も含めて、彼らは全てまず第一に戦闘指揮官(militia commanders)である。彼らの政治的方向性など無いに等しい。ユヌス・カノイとアブドラ・アブドラは政治家に鞍替えするかもしれない。しかしファヒム将軍は統一戦線の中でも最も強い権力を持つ指導者として留まるであろう。カルザイは政治家として登場してきたが、アメリカの支えなしには地位を保つことなどできない。前国王は多少の政治的支持を勝ち得るかもしれない。

約束されていた経済支援がゆっくりと流れ込んできたが、国外難民と国内避難民の大半が社会参加することはほとんど不可能に見える。ことに今では国連の難民援助機関は難民の帰還を思いとどまらせようとしている。数百万人が不在生までどのようにして真の代表を選ぶことなどできようか?
パキスタンはアフガンに置ける自国の利害が損なわれることがないようにアメリカが暫定政権を樹立しようとする努力を熱心に支持してきた。しかしパキスタンは統一戦線(とその反パキスタンの姿勢)が暫定政権の中で重要な役割を占めるにつれ、アメリカが約束を反故にしたように感じている。
アメリカのパキスタンに対する行動、とりわけアフガン国境沿いでの活動、パキスタンのムシャラフ大統領にとっても問題の種となった。統一戦線が選挙後も優勢であれば、もっと大きな問題になる可能性がある。昨年12月アフガンと国境を接する5カ国が友好条約とアフガンの内政に対する不干渉条約に調印した。しかしアフガニスタンはこうした国々にとって経済的・戦略的重要性が非常に大きく、その事実を考慮するとこれらの国々がアフガンへの介入を自制できるかどうか、大いに疑問である。


●人口調査の必要性
タリバン崩壊後から国際社会はアフガニスタン国内で多大の努力を重ねてきた。しかし人口調査の必要性は無視されてきている。

数多くの民族集団の割合はどの町でもどの通りでも議論の的だ。パシュトン人はとりわけこのテーマに敏感になっている。彼らは人口の50%を占めていると信じているが、他の民族グループ、ことに権力の座についたタジク人とウズベク人はパシュトン人の総数は40%以下であると主張している。

信頼できる人口調査は1963年を最後に行われていない。当時の総人口は1600万人であった。現在の総人口を2000万人とする者もいるが、各民族集団に関しては信頼できる情報が無いため政治的な安定などはこの先もほとんど夢のままであろう。パシュトン人は250年間の間この国を支配してきており、彼らは自民族が少数派に転落するなどという考えを受け入れることはなさそうだ。


地域によっては内戦が勃発しているところもある。ラシッド・ドスタムとタジク人の戦闘指揮官モハメド・アタが対立している一方、パクティカ州でカルザイに任命された新知事はBadshah Khanとこの地の支配権を巡り戦っている。こうした紛争で数百人に上る人々が殺害されたと報じられている。

事実上、アフガニスタンの軍閥の古株はこの国の新しい支配者となっている。彼らが重要な存在であることは米軍部隊が彼ら軍閥の積極的な参加なしには対アルカイダ作戦を遂行できないことからも明白である。軍閥は単にアメリカを手助けしているだけではない。アメリカがアフガニスタンに軍事的プレゼンスを維持し続ける限り軍閥が作戦を指揮し、その役割は今後も決定的に重要なものとなるであろう。タリバンが再結集し、ヒットエンドランの攻撃回数が増えるほど軍閥の重要性も高くなる。国家が誇る情報収集用の機材の代わりにアメリカは諜報活動を軍閥に依存しているのだ。結果として軍閥が豊かになればなるほど中央政府の力は衰えることになる。

アメリカとイギリスは軍閥からカルザイ政権に対する支持を取り付けるために彼らに支払いをしてきた。しかし政府自体への金の流れはお粗末なまでにゆっくりとしており、建設や援助活動もスローダウンしてきている。

アルカイダ殲滅作戦のために軍閥に支払われた金はこれまた別の話だ。例えばある報告によると軍閥のBadshah Khan 一人に40万ドルが支払われたという。その名目はBadshah Khan の部下の兵士をパキスタン国境沿いでパトロールと捜索ができるよう訓練することであった。指揮官のHazrat Allはアフガン東部で最も高い報酬を得た軍閥の一人である。その一方で統一戦線のリーダー達もアメリカに加えてロシア、インドからも支払いを受けているようだ。

間違いだらけの情報と現地での軍閥同士の対立関係によって民間人の犠牲者が出てしまったが、カルザイ政権とアメリカの間に不穏な空気としこりが残っている主たる要因がこの問題である。2002年7月1日、ウルズガン州での誤った作戦行動で200人近くの人々が殺害された。この作戦はムラー・オマル(訳注:タリバンの最高指導者)とコンタクトを取ろうとしていたムラーの兄弟を捕まえようとした作戦であったと信じられている。作戦によりとりわけカルザイから否定的な反応を呼び起こすことになった。ウルズガン州はカルザイの支持基盤であったのだ。


●代理戦争の地
数十年の間、アフガンの地では近代史上、最大級の代理戦争が戦われた。戦争によりこの不幸な国はカオス状態に導かれることになった。アフガンの共産政権が崩壊した後、パキスタン、イラン、中国、インド、そしてロシアが主要なプレイヤーとなった。しかし9月11日以降はアメリカが最も強い影響力を行使してきた。

中国がタリバンと統一戦線の双方同時に外交関係を保ち、密かに活動していた一方で、パキスタン、イラン、ロシアとインドの各国はアフガニスタンに非常に強い利害関係を持ってきた。確かに中国はタリバン政権を外交上承認していなかったが、タリバン寄りであることは明白になりつつあった。中国のパキスタン前大使、Lu Shulinはムラー・オマルとカンダハルで会談した数少ない外国人の一人であった。中国は採鉱や水力発電、通信、農業分野のプロジェクトに投資してきた。

ロシア、イラン、インドはタリバン政権崩壊前に統一戦線に大量の経済的・軍事的援助を投入していた。その一方でパキスタンだけがタリバンを支援していた。いくぶん躊躇した後に中国はタリバンとの関係を持つことにしたが、外交関係が成就する前にタリバン政権は崩壊してしまったのだった。アフガニスタンの主要な地方では中国製の地雷が発見されるが、この地雷は内戦期にばら撒かれたものであると思われる。この事実は中国が相互に戦いあう武装集団に軍事援助を与えていたことを示している。
中国は再び静かにことを見守っている。パキスタンはますます増大する統一戦線の影響力に対抗する新しい友人を見つけている最中だ。驚くべきことだが、アメリカとイランの両国が統一戦線にとってともに信頼できる支援者であり、同時に統一戦線はロシアとインドからも最大級の援助を受け取っているのだ。

●ザヒル・シャー元国王

ザヒル・シャー国王は国を統治するには年をとりすぎている。そしてボン合意とロヤジルガにおいてもザヒルシャーはいかなある役割も与えられなかった。四半世紀の後に彼は故国に帰還したわけだが、年老いた国王はローマにいた時と同様に自分が無力であり、偶像にすぎないと感じている。彼はアメリカが彼自身と関係者が将来アフガニスタンで何らかの役割を果たす異なると保障され、初めて帰還した。その間にカルザイと統一戦線が権力の座についてしまった。
ザヒル・シャーは無視されてきたし、彼のカブールにおける存在感は実質的に小さいものだった。しかし1年以上たって彼はアメリカや北部同盟の優位性に喪失感を感じている現地のパシュトン人にとって重要なものとなってきた。ザヒル・シャーはその父はパシュトン人に、母はタジク人であるが、カルザイが期待にこたえてこなかったと感じるパシュトン人に好感を持たれている。


アメリカも同様にカルザイを考え直し始めているように見える。政治分野において彼が失敗を重ね、法や秩序の回復といった点では状況が悪化し、アフガン東部・南部でのアメリカのタリバンに対する軍事行動は失敗し、カルザイが統一戦線に従属したままであるからだ。ザヒルシャーとアメリカの会談が何度か開かれた。ザヒルシャーは孫のムスタファの役割を高めようとしている。このムスタファはイタリア人を母としているが、若くきちんとした教育を受けており、国際政治のダイナミクスを理解している人間である。アフガニスタンでは彼の重要性は増大しつつある。しかし彼は複雑なアフガンの部族的価値観に精通していない。このことは重大な欠点となっている。このアフガニスタンで最も深刻な民族間、異なる言語を使う集団の間の亀裂に対して深い洞察が無いようでは、広範な支持を得ることは難しいだろう。にもかかわらず、カルザイと統一戦線はこのムスタファを暫定政権大統領とし、国王に近い親類筋のAbd-us-starを外相とする体制に置き換えられるべきだとする考えがカブール・ワシントンの双方に存在する。


●援助
2002年1月、東京でアフガニスタンの復興支援を巡って国際会議が開かれた。61カ国と世界銀行は2002年に18億ドルの援助を約束したがつぎ込まれたのは8億9000万ドルだけであり、カルザイ政権に直接手渡されたのは9000万ドルだけであった。残りの資金は援助団体に提供された。財政的支援の配分は政治的な事柄である。もしアフガン政府が官庁を機能させるに十分な資金を持っていないなら、公共機関はいったいどのように動けばよいというのか?今や資金に恵まれたNGOと援助団体が政府に代わる強力な機関になりつつある。

タリバンの支配時期にはNGOの役割は極めて限定されていたが、タリバン政権も同じ問題に直面していた。私はタリバンの外務省高官が月に30ドル相当の給与を受け取っていたことを覚えている。カブールの国際援助団体の職員には月に75ドルが支払われていた。タリバンはバランスの崩れた給与によって彼らの影響力が失われてしまうことを恐れていた。
アフガン人は昨年12月に開かれた追加支援の発表が行われる2度目のボン会議を当てにしていた。しかし実際にはその会議は一般的な状況を再確認し、アフガニスタン再建は2003年の主要な焦点になるであろうことを宣言しただけであった。、昨年から援助の寄付のピッチは落ちている。主要な7つの分野、つまり帰還難民、国内避難民、食糧危機、栄養失調、住居、治安と少数民族、全般的な治安問題と法による支配、公共機関、健康と教育、といった問題に対処するためにはさらなる援助が必要になっているにもかかわらずだ。こうしたリストには他の公共輸送機関、天然資源管理、文化的・情報宣伝活動、都市計画などなどの問題は含まれていない。


1月6日、国連の難民援助機関はアフガニスタンがまだ安全ではなく、旱魃が続き職も少なく、保健関連の施設もほとんど無い上、安全な水の確保をはじめとする公衆衛生上の問題が広がっているが故に海外に残留している難民は帰国すべきではないと発表した。その当時で200万人以上の難民が昨年中にパキスタンやイラクから帰還していたが、援助機関の予測ではさらに150万人が今年帰国するという。

国連と世銀は20年に及ぶ戦争の結果アフガニスタンは再建のために膨大な援助を必要としていると計算している。2002年1月のアフガニスタンへの援助パッケージを主要なドナー団体が計画する会議で国連と世銀は調査結果を発表した。

「我々の推定は不確かなものだがアフガニスタンは向こう5年間に90億ドルを必要とするだろう。」と国連開発計画のマーク・モロク・ブラウン長官は語った。試算では治安の維持にかかるコストは含まれていない。EU、日本、サウジアラビアをドナー団体は膨大な長期にわたる援助に貢献する、と語ったがこれらの寄付は暫定政権が平和維持できるか否かにかかっている。

40カ国の代表と多くのNGOが参加した先の会議では道路や橋の建設、破壊された農業部門を再活性化するといった再建資金を調達する信託基金を作ることが決定された。会議は2000万ドルがアフガン政府用の資金に当てられることを最初に承認した。こうしたアフガン政府用の資金は主に官庁職員やオフィスの備品にあてられる。

人道援助は2001年12月にアフガンの軍閥各派が暫定政権を承認するとすぐにアフガニスタンに到着し始めた。
しかしドナーの大半は基金が浪費されたり誤った使い方をしないようにもっと援助活動が調整されなければならないと語る。


●黙殺の危険
アメリカは戦いを率いてアフガニスタンを変えてしまった。しかしそのアメリカはアフガニスタンに興味を少しづつ失いつつある。このことは重大な結果をもたらしかねないことだ。問題になっているアメリカの対イラク戦争が進行すればアフガニスタンを引き続き変えていくために必要な時間、資金、熱意といったものは小さくなってしまうかもしれない。そしておそらくこの国がまさしくソビエト崩壊後の時に受けた扱いと同じように見捨てられて、タリバンをつぶしたことのみに後日賠償がされるだけかもしれない。


既に援助が不足しており、この冬は昨年よりも厳しくなると思われる。10万もの国内避難民と隣国からの帰還難民は住む家や食料、医薬品にも事欠いている。アフガニスタンで活動中のNGOは援助を求めて叫び声をあげているが、約束された援助の大半はいまだに届いていない。個人や政府レベルでの基金もこのままでは底を尽いてしまうと不安の声が上がっている。


Sohail Abdul Nasirはイスラマバードのパキスタン人ジャーナリストでウルドゥ語の日刊紙、Nawa-i-Waqtで外交政策と安全保障問題について執筆している。


 

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