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01.4.8
The Tront Star
By Martin Regg Cohn
パキスタンキャンプに囚われて...国連援助をカットされた難民キャンプ
ジャロザイ、パキスタン
彼らはプラスチックシートの下に身を寄せあい、毎日最低でも1家族は子供を亡くしている。資金不足や、設備が手に入らないことが理由ではない。理由はパキスタンが彼らを一つの例証としたいがためである。6ヶ月間の間、何千家族もが隣国アフガニスタンを脅かしている飢饉と戦闘から逃げてくるが、彼らは”プラスティック・シティ”として知られるこのキャンプでが行き止まりであることを知る以外になすすべはない。今やパキスタンはこれ以上の難民を保護することを拒んでいる。
最初パキスタン当局は国境を封鎖した。そして絶望した難民達がひそかに国境を越えて流れ込むことを阻止することに失敗すると、軍事政権(訳注:パキスタンの)はこうした難民達が存在しないと偽った。パキスタンに流れ込んできたアフガン難民の数は昨年秋から25万を超える。
今日、8万人が墓地に面した吹きさらしの埃っぽい野原、ここペシャワールの南西30キロの地にぎっしりと詰め込まれている。むさ苦しいこの地に水は無い。
そして雨が降ると、フィルムのように薄手のテントは押し流され、便所が水で溢れかえり、埃が泥の海となって、人々のびしょ濡れの所有品を飲み込んだ。堆積物は墓地にまで流れ込んだ。
ジャロザイがユニークな点は、その悲惨さの度合いが偶然の産物ではなく、計画の一部であるという点にある。パキスタン当局はいまだにパキスタンに避難しようとしているさらに数千の難民達へのメッセージとしてジャロザイの人々の状況を活用するために、ジャロザイの人々を故意に法的に無視できる状態に置き続けている。公式には彼らジャロザイの難民達は何者か規定されていない。彼らは公的に難民としての資格、及び保護を拒否され、国連の救援がカットされている。
パキスタンの国境沿いの町々では他の大勢の難民達が脅かされている。彼らアフガン人は頻繁に公的な書類無しで駆り集められ、国外追放されてきた。旧来の移住者たち(訳注:アフガンからの)も政府が土地を私企業の不動産事業者へ提供することによって、土地から追い払われる脅威にさらされている。
「こうした人々はパキスタンを緑溢れる地と考えるが、私たちは彼らを思いとどまらせたいのです」とパキスタン軍政府のMoinuddin Haider内相は語った。「私たちの国は貧しく、すでに莫大な負担となっており、私たちの国単独ではこの負担を負うことはできないのです。」アフガンの20年にわたる争乱によってパキスタンには長期にわたって難民が流入したが、この長期にわたる難民達への長期にわたる資金提供は尽き果ててしまい、パキスタンはジャロザイに値を付けようとしている。
パキスタンはいわゆる”ドナー疲れ”に対して抗議してきたが、国連はこれに対して数百万ドルを新たに到着した難民用に準備したと主張して、パキスタン軍政府に緊急援助することを嘆願してきた。いまだ、地方政府当局は共同行動を取ることを拒否している。ジャロザイの8万人はパキスタンにとって有力な切り札となっているのだ。
「子供たちが無意味に死んでゆく。」UNCHRの報道官であるKris Janowskiは語る。国連のアナン事務総長でさえどうすることもできない。アナンは先月パキスタンを訪れたが、彼が個人的に要請したにもかかわらず、キャンプに行くことを拒否された。
国連は内戦による戦闘が激しくなる一方で、今生きている人々の記憶の限りでは過去最悪といわれる干ばつがさらにアフガンの100万人以上の人々に深刻な影響を与えると警告を発している。過去数ヶ月で50万のアフガン人が食料を求めて国境沿いに、あるいはパキスタン国境を越えて流れ込んできた。国連職員は1月に本当の難民の実数を把握し、国連の主張を実証するためにジャロザイの人々を仕切りで(外部と)隔離しようとした。しかし、保護を受けようとする膨大な数の人々を調査する最初の段階で国連職員はパキスタンから調査を中止させられた。
そして難民達は衰弱を続けている。何千もの間に合わせのテントが雨によって壊され、人々は近隣のモスクへの避難を余儀なくされた。「我々がどのように生活しているか見てください、我々のテントの様子を」年老いた一人の女性が、近くを通りかかった外国人を見て大声で泣き叫んだ。「お金さえあれば、こんな生活をするよりもアフガンに戻って死にたい」Mir
Rahmatullah(43歳)はジャロザイの入り口近くのテント群の一つの中で語った。彼は家族が死ぬことを避けるためにアフガンから避難してきた。しかし、ここに到着して間もなく彼の8歳の息子は病気で医療を受けることができなかったために死ぬこととなった。その子、Liakatは下痢と嘔吐におそわれ、36時間後に亡くなった。医療も水も、適切な衛生設備も無く、少年はここで何百もの避けることが可能な犠牲者の一人となった、とパキスタン当局が認めた数人の外国の援助団体職員が言った。
「ここの人々に未来は無い」Auyb Afridi医師は母親になったばかりの女性達と栄養不良の幼児の列を移動診療所で見ながら語った。その診療所は「国境無き医師団(MSF)」の医師達の緊急援助で用意されたものである。子供たちの多くは健康体の70%の体重で食料補給を必要としている。不潔な手で食事を取るため1日1名は犠牲となる、とAfrid医師の同僚であるAssad
Menapal医師は言う。
Rahmatullahにとって彼の子の死は最後の屈辱でしかない。子供の死に先立つこのような日々の最初の日に、パキスタン国境警備隊は彼と彼の家族を殴り、国境を通す際に賄賂を要求した。彼は最初、1980年代にソビエトの侵略によるコミュニストのアフガン占領と戦った英雄的なモジャヒディンとしてパキスタンに入ったが、この時との対照的な違いに驚いている。今日でもアフガンは不安定なままであり、パキスタンに支援されたタリバン政権が反タリバン派と対立していつまでも内戦を続けており、これにより彼は再度避難せざる得なかった。「以前は我々は何の問題も無かった。」Rahmatullahは思い起こす。「我々は食料と薬と配給、テント、医療、を受け取った。そして銃も。」しかし今回は手を広げて迎えられる代わりに拒否されることになった。「国境を越えて以来、パキスタン政府は我々に棍棒を見せつけている」と彼は言う。「私には何故なのか理解できない。前は我々は武器をおおっぴらに持っていても歓迎されたのに、今は侵入者として脅されている。」
パキスタンはそうした疑問は状況の変化によって生まれるものだ、という。政府が言うには既に2百万人を越えるアフガン難民を国内に抱え、パキスタンのように貧しい国家にはそのような期限の無い重荷を担うだけの資源は存在しない、と論じる。
しかし国連はパキスタンの強硬な姿勢に対して明確に怒りを表し、難民数は130万人近くであり、世界は救援を続ける意思を持っている、と指摘する。国連職員は難民を質にして約束を取り付けるようなことは不可能であり、またパキスタンは近隣諸国の中で権力政治をもてあそんでタリバン支援しており、隣国で続く不安定な状態に対して最低でも倫理的な責任を持っている、と論じた。
内戦によって多くの人々が田畑を捨てて、アフガン国内で一時的に避難場所を求めて逃げることを強いられた。しかしこれに続いて、干ばつによる状況の悪化、食料不足や占領地域におけるタリバンの焦土作戦といったことが人々に対して国内で食料を入手することを諦めさせてしまった。「紛争が第一の原因であり、干ばつが彼らの多くをさらに遠くへと追い立てた」とパキスタンのUNHCR報道官のYusuf
Hasanは言う。「何千人もの人々が毎月やってきている。彼らはひそかにやってきて、ジャロザイのような場所に静かに現れる。」適切な支援が無ければ、アフガン人はパキスタンの新しい下層階級となり、物乞いかゴミ漁りに身をやつすしかない。しかしパキスタンはジャロザイで最後の手に出ることを決意した。
「恒久的なキャンプとはアフガン国内での恒久的な居住地での恒久的な住宅を意味する。」とHaider外相は説明する。だからキャンプ地が根を下ろすことはできず、彼は難民に帰国をせきたてて、難民達のもはや生きてゆくことができない、という嘆願を排除する。「私はカブールに行ってきたし、カンダハルにも行った。」彼はイスラマバードの執務室で茶を飲みながら語る。「そこでの生活は世界のどこと比較してもごく普通なものだ。(アフガン)政府は有能だ。我々はかの地が十分に平和であることを確信している。」彼の強硬路線は自由主義者達、(難民の)救援プロセスが致命的に弱体化してしまうことを恐れている人々の怒りを買った。こうした人々は、軍事的な干渉と情報機関による介入によって国を破壊されてきた人々に対してパキスタンは道義的な義務を持つ、と考えている。「パキスタンはこの責任から逃れることはできないのです。何故ならアフガニスタンにおいては重要な地域的役割を果たしているからです。」とHuman
Rights Commission of Pakistan の総裁であるAfrasiab Khattakは言う。「全員を救援することができないことは知っている。しかし彼ら(アフガン人)はこの国にいて、かつ彼らは人間なのです。私たちは人道的なアプローチをしなければならない。」
ジャロザイの人々にとって選択肢は無い。世界が彼らを支援するか、彼らが死ぬのを見るか、どちらにしてもである。「人々が左、右、真中で死んでゆく」カブール北部のPaghmanから来た麦を栽培していた農民である38歳のIsmail
Khanは言う。「全てアラーの手の内にある」Khanは冷静にプラスチックシートのテントの下で言う。その間に合わせのテントには子供たちがおり、ハエが群れをなしている。「私たちの命は一本の細い線です。私たちの生き死にはもはや私たちの手に無い。私は政府が私たちをこのままにしておくか、助けるのか知らない。」Khanもまたかつては彼の子供らがいつかより良い生活をすることを想像しながらソヴィエトの占領に抵抗して戦ったことがある。今や彼は何も所有していない。「私の家はロシア人に破壊され、畑は干ばつで駄目になった。」と彼は説明する。
難民達の状況を尋ねると、Haider外相は状況を緩和する安心材料を提示した。彼は衛生設備と生活環境は前進するだろうと見ている。「私はもちろん管理者に話すことはできる。」彼はうちとけた感じで語った。「確かに私は彼に、(難民の)保護するよう保証せよ、と言うことはできるのです。」
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