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この街の鼓動
10月29日から11月2日まで5日間にわたって、朝日新聞京都版の地域欄に西陣に関する連載が掲載された。 その初回の冒頭部分で、力織機が奏でる音を「鼓動のよう」と表現していた。
「ガッシャガッシャ」とリズミカルに刻まれる音は、この街に絶えず鳴り響いてきた。ジャガードから指示を受けた織機が縦糸に横糸を一本一本通し、織り成していく。こうしてつくられた織物で、私たちは生計を立ててきたのだ。
まさに命の音、「鼓動」である。

明治にジャガードの織機が導入されてから、この街にはこの音が響き渡ってきた。車の騒音もほとんどなかった時代に、さぞかしうるさかったことだろう。隣り近所でもうっとおしがられたのではないか、と推測できる。

私の父親は月曜から土曜まで、毎日朝の8時から夜の8時まで織機を動かす。毎日規則正しい。「近所迷惑になるから」と稼働時間は厳守する。機屋に住む私達は織機の音で時間を知ることができる。
機屋で育った私は機音のなかで生きてきた。
姉は言っていた。「小さいころ、日曜が大嫌いやってん。機の音がせぇへんから。」 その音がないと寂しいのだ。姉も私も音楽がないと寂しいのはそこからきているのかもしれない。

西陣以外から来られた方とまちあるきをしていると、みな、機の音に敏感だ。自分にとっては生活の中にある、あたりまえの音だったが、実は他にはない貴重な文化であることに気付かされる。
しばらく前、私の自宅の工場のを通りかかった学生さんが「織機の音を録音させてほしい」と訪ねてきたそうだ。その方は音を題材に作品を作っているとのこと。
機の音はアートにも活用される。
町家などの建物を「見る」だけでなく、「聞く」で西陣を感じることもできる。

西陣のおっちゃんはえてして声がでかい。私の父もその一人だ。
織機の音の中では、人の声はほとんど聞こえない。耳元で大声で短い言葉を話すとやっとわかる程度だ。話をするためには、織機を止めなければならないが、織機を止めたら仕事が止まってしまう。生産性を求めて導入された力織機を止めては意味がない。工場では、人が話す時はいつも大声だ。一日中そんな中にいるのだから、声が大きくなるのは当然のこと。
「おっちゃんの声が大きい」こと、れっきとした西陣の文化である。

しかし、機屋は減った。町を歩いていて、「ガッシャガッシャ」が聞こえることも珍しい。
織物不況や中国への生産移転で西陣で織ることがますます難しくなってきている。この業界も経費削減のため、工賃は少ない。とても生計を立てられるような収入は得られない。私の母親が「機屋なんか今どき継がすもんちゃう!」と言うのも理解できる。

たかが音だが、この音こそが人々の暮らしと文化を育んできた。世代を越えて。
この鼓動を止ませてなるものか。
この音が絶えた時、西陣は死ぬ。
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2002.11.2.