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「西陣織プロジェクト」から始まる
ものづくり塾の職人列伝W/Gの活動のなかで、「西陣織プロジェクト」と称して新しいシリーズ企画をたてた。 両親が西陣織をやっているにも関わらず、その製作工程や業界知識を自分が知らないのは前から恥ずかしいことと思っていたし、また、ものづくり塾を通して、不況の西陣になにかすることはできないか、と思っていた。しかし、何をどうするべきなのか?現場の人たちはどんな思いでやっているのか?何が問題なのか?理論的にはわかっていても、核心のことはわかっていないような気がした。 その歴史を知り、それを踏まえて、これからどうあるべきかを探っていかなけばならない。それを自分が勉強する場としても必要だと思ったし、ものづくり塾の活動として、西陣がこんな状況であることを多くの方にそれを知ってもらい、みんなでそれを変えて行く大きな力にするべく、このプロジェクトを立ち上げた。

そもそも、私がものづくり塾での活動に参画するきっかけになったのは、不況に苦しむ西陣になにか自分の手でできることはないか?ということだった。 (詳しくは「つれづれその10 西陣織と私(2000.5.17.)」で書いています。) でも、自分にはどうすればいいのかわからなかったし、ものづくり塾にそれだけの力があるとも思えなかったので、これといった手を打つことができないでいた。

ものづくり塾の今までの活動の中で、断片的にはいろいろと話は聞いた。 でも、当事者ではない自分たちになにができるだろうか?実際に西陣で仕事をされてる方からすれば、「その気持ちは嬉しいが、いったい君たちに何ができるの?どうしてくれるの?」という感じではないか、と思った。 それならまだましだが、今の西陣の問題すら認識していないひとたちが年配の方には多いそうだという。

先日、Savage Blueの吉川さん主催のバーベキューに参加させていただいた。BR> ボランティアでものづくり塾の活動をしている、と話すと、「こんな西陣を救おうと思ってくれるひとがいるなんて、嬉しい。しかも、ボランティアで。」と言われた。自己紹介でものづくり塾で活動をしている思いを話すと、多くの方が共感してくださっているようだった。みなさんの期待は小さくないことを感じた。

酒を飲みながら、その中で話をしていると、年配の方はやはり昔ながらの固定観念に縛られているところが多いようだった。でも、新しいことをしたい!とおっしゃる私と同世代の方は、熱い思いを持っているのだが、「それは親父のやってきたことを否定することになる...」と辛そうに話してられた。その話を聞いていて、私はその壁をどうにか乗り越えて、一緒に新しいシステムを作っていきたいと思った。

「西陣のこの技術はなくしてはいけないものと思う。」と会社の上司に話した。すると、「減っては行くけど、なくならないよ。おれの実家は時計屋をやっている。自分は継がないけど、時計屋はなくならない。」とあっさり言われた。たしかにそうだ。でも、なくならなければいいのか?優れた技術を持っているひとたちが、まだまだ力があるのに、仕事がなくなって、それを生かせないままでいてもいいのか?自分はそうではないと思う。地域づくりは、その地域に住むひとたちの気持ちを高揚させることから始まる。西陣には、生き生きとした町であってほしいと思う。西陣織に従事するひとが誇りを持って生き生きと仕事をして欲しいと思う。

西陣織の織機で一般に使用されているジャガードとは、もともと、フランスのリヨンという町から輸入されたものである。リヨンも、西陣と同じように、繊維工業の町である。じゃぁ、リヨンも不況に立たされているか?というと、そうではない。リヨンは、その繊維の特質を生かした新しい繊維工業の町に生まれ変わったという。きっと、西陣にも明日はある。
西陣の明日は西陣に住む私たちの手で創っていかなければならない。待っていても誰も救ってくれるはずもない。

そのためには、まず、自分が西陣織のことを客観的な立場で、正確に把握することが必要不可欠である。西陣織プロジェクトはまさに、その第一歩である。
西陣織プロジェクトは意気揚々と発進する。
▼INDEXへ 2000.11.26.