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職人の瞳
今年も西陣夢まつりの季節が巡ってきた。
そして、今年も私はビジターのみなさんを公開工房にお連れするというをミニツアーを実施した。
今年は西陣分校としての取り組みが定着したのか、10数名もの方が参加して下さり、3班に分かれての見学ツアーとなった。

ほとんど西陣織がどのようにしてできているのかを知らないツアー参加者たちは、職人さんたちの技に 「へぇ〜」と驚嘆するばかりであった。

一瞬で調合した染料で参加者の衣服とまったく同じ色に糸を染め上げる糸染職人、
紋図を見ながら紋紙にものすごいスピードで穴を開けていく紋彫職人、
100本近くの経糸を数百メートルにわたって正確に引き揃える整経職人...

誇らしげにみずからの仕事について語り、その技を披露する職人たちの瞳は輝いていた。
今の私たちにはないかもしれない仕事への誇りがそこには溢れ出ていた。
彼らにとっては、仕事 = 暮らし = 自分そのもの なのだ。

西陣という街には、そんな人たちがひしめき合う。
それぞれの職人連携し合い、まちぐるみでひとつのものづくりをしているという気風の高さが今も確かにある。

糸染職人の方が、ご自分の技を説明される際、「私が父から教わったのは...」という接頭辞がつく。
世襲制というのは、究極的に親密な人間関係の上に成り立つ技術の伝承の場なのだ。

そして更に話していると、私の曾祖父の代は一緒に仕事をしていたとか、母の子供時代を知っているとか、近所の顔見知りであったりする。
歴史が蓄積してきた重みは今見えている以上に深い。

そんな西陣夢まつりの公開工房は年々減少し、今年で20件あまりとなった。
つい3年ほど前まで、2倍ほどあったのに。
現在公開されている工房も後継ぎのおられないところがほとんどだ。
10年後にはほどんと見られなくなるだろう。
こうして公開してくださる職人さん方に感謝しつつ、その感動を今年も味わう。

最後に、松尾弘子氏の写真集「京・西陣」の一節。
西陣の強さの一因は、その複雑多岐な分業体制にある。織元の注文通りひたすら糸を染める人、日がな一日糸を繰る人、経糸を引きそろえる人、紋織りの装置ジャガードを準備する人、多くの人の手で用意された糸と装置を使って、毎日機を織る人。西陣という名の物創り集団は、自らの与り知らぬところで、低い屋並のそこかしご、弁柄格子の間と路地の間を行きかい、一本の帯一枚のきものが誕生していく。 人々は、仕事をした分だけの収入を得ることができる。西陣織の付加価値にくらべ、人々の手にする収入は十分ではないが、それぞれが腕をもち、老若男女を問わず西陣に住み、「糸」に関わる仕事ができれば、生計をたてることができるのだ。そして、この分業体制こそが西陣織の質を堅持し得た理由ではないだろうか?各部分の人々が、自らの仕事にひたすら精を出す。一つ一つの部分の質の強さが、そのまま製品のクオリティの高さとなった。
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2003.10.21.