From: 辺野古命を守る会 <henoko@f5.dion.ne.jp>
Date: Wed, 15 Jun 2005 07:19:43 +0900
Subject: [keystone 10953] 阻止行動日誌419日目。富田晋。水陸両用戦車から赤い箱を回収〜ひめゆりの証言を「退屈」と問題に出した青山学院大学
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6月10日(金)
・台風の影響なのか、水陸両用戦車の沈没のためか作業はありませんでした。

台風の影響の高波もじょじょに収まりつつあり、作業があると判断し、今日は午前6時30分から海上へと出ていました。

〜海上の様子〜
今日の午前8時頃米軍の黒いゴムボートがキャンプシュワブの浜辺から出港、水陸両用戦車が置かれている場所へと向かいました。
阻止行動のためにヤグラで座り込みをしていたこちらのメンバーが何人かで監視に出ます。
黒いゴムボートには米兵が10名ほどが乗っており、現場に着くと2名が潜りました。

2名はゴムボートが上がってくると30p四方の「赤い箱」を引き揚げていました。軍隊に詳しい人の話では、「赤い」色で塗られているものは軍隊では基本的には「危険」なものを指すということでした。
新聞報道では、「爆発物に使う起爆剤が入っていたのではないか。」ということでした。

現段階では米軍は未だ水陸両用戦車の引き揚げ作業には入っていません。
そして沈んだ戦車からの油漏れが次第にひどくなっています。沈んでいる場所はあたり一面から油のにおいがひどく気分が悪くなります。
米軍は「油を中和する化学剤を使っている。」としていますが、現場は良くなるどころかドンドン悪化しています。

〜水陸両用戦車の説明(私が知っている範囲で。)〜
現在、キャンプシュワブで使われている水陸両用戦車は基本がベトナム戦争時に作られたそうです。基が30年も40年も前のものに改良を加え、カスタマイズして現在も使われているようです。
水陸両用戦車の名の通り「水」「陸」どちらも行ける戦車です。
ベトナム戦争の時には川をさかのぼり、ジャングルを焼き払うために使われていたということも聞きました。
戦車は「司令機」と「攻撃機」に分かれています。
「司令機」は主に電波系統をつかさどっているようで機体からはたくさんのワイヤーが飛び出ているのが見えます。
「攻撃機」は砲台が機体の上部に取り付けられています。向かって左にあるのが機関銃で、向かって右にあるのが「機関砲」です。「機関砲」は恐ろしい兵器で約10秒間の間に爆弾が何百発と発射され、あたり一面を焦土と化します。
実践の場合には戦車の外壁に装甲板を取り付けています。フィリィピンに演習に行く際は装甲板を取り付けているのをこの目で確認しています。

水陸両用戦車は水中を走る場合にキャタピラを高速回転させ、浮力をつけ、キャタピラの後ろに付けられている大型のスクリューによって進んでいます。この高速回転させているキャタピラによってジュゴンが食べる海草、そしてサンゴ礁が破壊されつづけています。
辺野古で水陸両用戦車が沈んだのは今回が初めてではなく、年に一度はあり、演習の度に故障車が出る始末でした。今までどれだけ辺野古の人間がアピールしたとしても闇に葬られてきたものが今回これだけ大きく取り上げられているのは辺野古の阻止行動の成果といわざるを得ません。
水陸両用戦車が沈没した場所を潜って写真を撮ったというのも始めてのことかもしれません。

しかし、宜野座の民間海域を犯し、そのことに何の原因究明もせずに行った演習で戦車を沈没させ、辺野古の海を破壊することが何よりも許せません。この舐めきった米軍のやり方に憤りを感じずにはいられません。

〜ひめゆりの証言を「退屈」と問題に出した青山学院大学〜
6月9日のタイムスの報道にこんな題名で書かれていました。"ひめゆりの証言「退屈」/東京の私立高入試問題"と。
英語の入試問題の中の「修学旅行で沖縄に来た生徒」の感想文を読んで、設問に答える形でした。中身は以下。

" 英文の中で、「生徒」は壕に入って暗闇を体験した後、ひめゆり平和祈念資料館で語り部の証言を聞く。「正直に言うと彼女の証言は退屈で、私は飽きてしまった。彼女が話せば話すほど、洞窟で受けた強い印象を忘れてしまった」と記した。

 さらに、「彼女は繰り返し、いろんな場所でこの証言をしてきて、話し方が上手になり過ぎていた」などと“論評”。設問では、「生徒」がなぜ語り部の話を気に入らなかったのかを問い、選択肢から正解として「彼女の話し方が好きではなかったから」を選ばせるようになっている。 "

ことことが何を意味しているのか本気で考えなければなりません。
辺野古はこの8年間沢山の人達が全国から来ました。そのほとんどが「平和学習」という形でした。
平和学習は確かに大事なことです。でも沖縄に住む人々が望んでいることでは決してなく、「なぜ沖縄が平和学習=闘いの教材とされなければならないのか」という風に私も沖縄の人々から言われ、そしてそう思います。
「平和を学び、政府の、権力というものの理不尽を知り、怒りを知る。そしてこの世界を変えることを学び、実践と共に歩んでいく。」と伊江島わびあいの里、謝花さんから教えられました。
実践がなく、ただ「学ぶ」だけならば意味がないと教わったのです。
辺野古と共に生き、闘って勝つのではなく、「知っている」ことを振りかざしていたらその人のことを辺野古の仲間達は「仲間」とは認められないということにならざるを得ません。

さらに今回の青山学院高等学部が行ったことはそのことを思って闘っている人達のことさえも踏み潰していることです。
それが作る会教科書が目指す所です。
そして作る会教科書の検定を通した国の目指す所です。
戦争をする国なろうとしていることがこれ一つをとっても明らかなことです。許せません。

ひめゆりのおばぁ達や韓国の元従軍慰安婦のハルモニ達に謝罪もしていない政府がこういったことを首相の靖国参拝を許すことで戦争に突き進んでいます。
私たちはそれを許してはいない。この国を変えるために辺野古で行動を続けていることを言います。声をあげつづけましょう。