From: 辺野古命を守る会 <henoko@f5.dion.ne.jp>
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Date: Sat, 26 Mar 2005 23:50:09 +0900
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Subject: [keystone 10554] 阻止行動日誌340日。富田晋。
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3月24日(木)日誌の更新が遅れていて申し訳ありません!!多忙のためご理解ください。
・防衛施設局による違法な強行調査を阻止しています。

21日(月)
スパット台船が突入したこともあり、月曜日の公休日の作業もありえると辺野古はいつも通り多くの人達が集まりました。
幸い作業はなく、みんなで平島(辺野古にある孤島)に遊びに行くことに。
あまりにバカンス的な雰囲気のためみんな口々に「ここ辺野古??」と話していました。
一日中平島をみんなで探検。午前中は島の周りを海から泳いでグルッと一周。洞窟があったり、白い砂浜がある反対側に出たり、音楽を聴きながら過ごしました。
午後は島を陸から探検。ジャングルの中を草をわけながら入り小さいころに探検していたのを思い出します。
少し驚いたのはいつも作業船でやってくるパシィフィックのダイバーも島に遊びにきていました。
お互い、基地建設などなければ楽しく色々なことを教えあいながら生活していけることを実感する出来事でした。
一日中遊んで久しぶりに遊びつかれて陸に戻りました。
「なんか、気持ちいい汗かいているよねー。」と言いながら。

22日(火)
防衛施設局はいつも通り作業船を海上に出します。
私達も各ヤグラに座り込み阻止行動を行いました。

・パシィフィック担当の第一、第三では。
作業船は写真撮影をヤグラの回りから行いましたが、その他の作業を私達が一切阻止しています。

・サンコーコンサルタント担当の第二、第五では。
安全灯の確認のために作業員が上がりましたが、午前、午後共に全ての作業を阻止しています。

スパット台船を止めたことにより今日は防衛施設局から要求もほとんどなく静かな一日でした。

23日(水)
海上では40名以上の人達が座り込みを行いました。

パシィフィック担当の第一、第三では。
第一では、ヤグラの周りからの写真撮影だけでした。
第三では、機材の雨よけのブルーシートの掛けなおしと機材の写真撮影をこちらが了解し、行っただけで作業の一切をとめています。

サンコーコンサルタント担当の第二、第五では。
第二、第五共に安全のための赤い旗をこちらの了解のもとでなおしただけで他の作業の一切をとめています。

この日、辺野古に約五ヶ月間一緒に頑張っていた男性が地元に帰るということで名護で送別会が行われました。
多くの人達が辺野古を訪れ、辺野古を去っていく。
その中で私も色々なことを学ばされています。
この間は全国から本当に私と同世代が多く来ました。寝食を共にして毎日海上に出、闘って日が暮れて、夜は色々なことを語り合います。
明日をどう生きるのか、何を作るのか私たちは辺野古で学んでいます。
大和から来た同世代の仲間達は辺野古に関わって顔つきを変えて帰っていく。私は生意気ながらそれを目の当たりにして一番喜んでいます。
人の成長はいつもこの世界の素晴らしさや可能性を教えてくれます。
今回帰った彼も辺野古に多くの希望を与えて帰っていきました。
送別会の時に彼は「僕は辺野古に来た当初どう関わっていいのか悩み煮つまっていました。でも祐治さんが言ってくれました。”現場で楽しくやりなさい。貧乏人には貧乏人なりの闘い方がある。”僕はそのことを本当に・・・ありがとうございました。」涙ながらに語っていました。
でも感極まっていたのは私の方です。
帰った彼は最初、水が恐くて海上に出ることをためらっていました。でもカヌーを出して、ヤグラが建ちはじめたころから泳ぐ練習をして、スパット台船に登り私たちと一緒に阻止してきました。
彼は紛れも無く辺野古で歴史を作った一人です。ただ、歴史がそれぞれを必要とする場所は違います。
彼はまた自分のこれから生きる場所でやるべきことがありかえっていきました。
辺野古は彼を祝福します。私も彼を祝福します。いつの日かこの世界が私たちの次の世代の人達にとって差別のない、戦争のない世界に変えるために共にこれからも生きていきたい。
これはこれから帰る人、残る人全ての人に対する私なりの思いです。