From: "辺野古命を守る会" <henoko@f5.dion.ne.jp>
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Date: Wed, 20 Oct 2004 11:59:12 +0900

Subject: [keystone 9694] 阻止行動182日日誌。ジュゴンの家4周年。私の原点。
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10月17日(日)
・防衛施設局による違法な強行調査は行われませんでした。

町村外務大臣が普天間および沖縄国際大学そして辺野古を視察していきました。町村
外相の言葉を聞いて怒りを感じる方が多くいたと思います。
町村外相は沖縄国際大学のヘリ墜落事件に対して「操縦士の操縦は被害を最小限にし
た見事なものだ」と賞賛しています。その後、沖縄からの怒りの言葉に「失言」と言
葉をにごしています。
この発言は沖縄への差別そのものです。町村外相は政府の考えを明らかにしました。
辺野古に関しても「早期の着工、工期の短縮が望ましい」としています。

沖縄を視察するにあたり外相は防衛施設局の説明を聞き、沖縄の人々の言葉を一つも
聞かずに帰っていきました。
座り込みではこの新聞報道を見て、外相の理不尽で差別的な態度に怒りで声を震わ
し、「本当にどうしようもない政府だ」と呆れる声もありました。

町村外相の発言の中で辺野古視察時に「工期短縮をしても大変だろう」などと言う発
言がありましたが、基地建設に何の確信も待てていない政府の意向そのものです。阻
止行動について現場の記者からつっこまれると言葉を濁らすだけで終わったとか。

座り込みはだんだんと台風23号の影響で風が強まり、テントがきしむ音が聞こえま
す。
名護市民の方がコーヒーをポットに作って持ってきてくれ「名護市民が座り込まない
でどうする」と言って駆けつけてくれたりもしました。
炊事場の人達から天ぷらが振舞われ、にぎわっていました。

今日は座り込みが終わった後、名護のリサイクルショップ「ジュゴンの家」(ホーム
ページアドレス:http://dugong2003.fc2web.com/)の4周年記念ライブに参加しまし
た。

ジュゴンの家は私が4年前に沖縄の土を初めて踏んだ時に立ち上がり、私が1年間店
長をした場所です。今は現店長のうららちゃんに引き継がれ4周年を迎えるまでにな
りました。座り込みの人達は「えっ!四周年。七周年じゃなかったかな。」と言われ
たりもしました。
私も4年前が昨日のようにも思え、10年も前にも感じます。それだけこの4年間が
私にとって濃密な時間だったことを感じさせます。
私は4年前16歳で高校生をしていました。学校の先生と折り合いがつかなく、学校
を辞め、これからをどうしようか考えていた時でした。
母親が運営している東京のリサイクルショップ「オープンスペース街」
(http://www1.plala.or.jp/akahane/machi-index.html)は私にとってかけがえない場
所です。「街」の人達が「ジュゴンの家」を立ち上げると聞き、私はすがる思いで沖
縄に行ったのを覚えています。
その時の自分は今思い出しても恥じるほど沖縄のことを知らずにいました。初めて沖
縄を見た時の衝撃は今も続いています。広大な米軍基地、爆音が鳴り響く校庭、沖縄
戦。米、日の世界戦略の中に位置づけられた沖縄は「キーストーン」として沖縄戦が
終わっていないことをその差別と共に私に突きつけました。
それから多くの出会いがありました。「ジュゴンの家」の店長という役割を通して名
護の人々に出会い、沖縄の世界の平和を願う人たちと出会いました。私の中で大きく
変わっていった物、それは「生き方」です。誇りを持ち、人として生きる意味を沖縄
の人々は語りました。私はそれを学んできました。

半年が立った頃。
東恩納琢磨さんに連れられ、ジュゴンの目視調査に関わりました。必然なのか偶然な
のか私はそこでジュゴンを見ることとなります。今でも忘れない、ジュゴンが3頭で
海を泳ぐ姿。
それを自分の中だけにとどめてはいけない。一念発起して「ジュゴンの海の家」を立
ち上げました。「海の家」と言っても浜辺にジュゴンに見立てたテントを張り、
「ジュゴンの海の家」という旗を立てて毎日浜掃除をしていたというものです。
またそこで多くの出会いがありました。名護の八年間(基地建設問題が立ち上がった
のが8年前)の中で苦しみ、「賛成」せざるを得なくなった人々や「反対」を誇り高
く続けてきた人達と出会いました。現実を知り、辺野古へと走りました。
「命を守る会」と出会ったのは私が沖縄に来て1年と半年が過ぎた頃です。
毎日通いました。朝は瀬嵩で「海の家」をし、午後は辺野古へと行くという生活が続
きました。
そんな生活が2週間が立った頃、命を守る会のおばぁがこんな話しを私にしました。
「晋、"森"って何か知っているか。」おばぁ。「"森"?緑があって木が生えていて、
沖縄には西表山猫とかヤンバルクイナが住んでいますよね。」私。「そぉねぇ。"木
"って言うのは根を張って生きているでしょう。人間もおんなし。自分の好きな場
所、好きな人がいる所に根を張って生きていこうとする。"木"っていうのは人の手本
みたいなもんさね。でも人間は愚かしいよ、そんな木をバッサバッサ切り倒していく
でしょう。でもねぇ晋。木は負けないでしっかり根を張ろうとする。そこに木一本で
も種一つでも残せたら森に還る可能性を持っている。そうやって闘っている。わっ
たーもおんなしさぁ。この辺野古にガジュマルのきぃのように根を張っている。も
う、70、80歳になるから。そこに種一つでも木一本でも残せたら基地建設はわっ
たーたーの勝ちさぁ。」おばぁは語りました。
私は基地を沖縄に押し付けてきた人間として「基地建設」をとめようと考えました。
そのことによって戦争や差別はなくなっていく。いつかキャンプシュワブのフェンス
の向こう側で出会ってきた多くの差別された人達と共に差別のなくなった地で泡盛を
酌み交わして三線を弾いて語り合いたい。
でも、何が出来るだろうか。
仕事もしたことがない。生活の知恵だってない。何が出来るだろうか。おばぁの話し
を聞いて自分の出来ることが見えました。「この体を張る」ことだと。
「種」や「木一本」が自分だとしたら、そこから始めよう、何かが変わるはずだと。
私は沖縄と共に生きることを決めました。向き合っていくことを決めました。

その日から2年。
この国と立ち向かうために自分と向き合い生きてきました。
今から1年前の四月八日(現在の調査が始まる一年前)、国は「基地建設のためのボー
リング調査、それに伴う事前調査」を行うために辺野古へと乗り込んできました。午
前6時30分辺野古漁港に突然電話で呼び出された私は原付ですっ飛ばして辺野古へ
と向かいました。そには防衛施設局員と業者、警察が大勢いました。
一人で立っていたのは命を守る会代表の金城祐治さんでした。現場にその時間にいた
のはたったの六名。祐治さんと共に防衛施設局の前に立ちはだかります。
「何をしにきたのか」祐治さん。
「調査だ」防衛施設局田納広報部長。
「私は辺野古区の人間である。あなた方は私たち辺野古区民に対し説明をする義務が
ある。今すぐ資料を提示し私に説明をしなさい。」祐治さん。
防衛施設局員数名が私たちの前に立ちはだかりました。この八年間一度も説明は行わ
れなかった。そしてその時も。
現場に6名しかいなかった現実。資材が船に積まれ、調査のために出て行く。何も出
来ない。何も出来なかった。
今年の4月19日は1年前の4月8日たった6人からの出発でした。
その日からそれぞれが必死になって状況を変えるために動き出しました。「土曜日浜
集会」が出来たのもその時です。土曜日に沖縄各地から人が集まり、辺野古について
話し合われました。そしてそこで「カヌー隊」が出来ます。毎週カヌーを練習し、鍛
錬をつんできました。私は船の免許を取りました。平良夏芽さんは船を買いました。
4月19日、私と祐治さんは3日前から泊まりこみをしていましたが、その日の午前
4時30分命を守る会事務所のドアを開けるとすでに50名が集まり、しばらくして
200名にまでなりました。沖縄の怒りはたった一年間で全てを覆したのです。
午前5時、防衛施設局が漁港へと入り資材を下ろしはじめました。それを体を張って
止めます。一年前の答えがそこにありました。
「今日はやめる」と約束した防衛施設局は卑怯にもまた乗り込んできました。しか
し、それをまたも止めました。
その日から座り込みが続けられています。
県民世論は八割が基地建設に反対するという結果を持ち、基地反対を掲げて糸数恵子
さんが衆議院議員へと当選しました。
おばぁが言ったことば。「たった一人でもそこに立っていたら基地建設はわったー達
の勝ちさぁ」
それは現実のものとなりました。

それからもう180日間が過ぎました。
私は負けない。今、ここにこの国が変わる大きな力が生まれた。そのことに何の不
安、不満があるでしょうか。私達の前に希望だけが横たわっています。
イラクに爆弾を落とさせない現実を、パレスチナに侵略のない日を、アフガニスタン
に平和を、インドネシア、フィリィピンに虐殺のない日を、沖縄に基地がなくなる日
を、どんな差別もなくなる日を。戦争を終わらせるためにこの国を変える。そのため
に生まれた大きな力。それが私達にはある。
魂の声は歴史を繋ぎ、殺された名もない多くの抵抗してきた人々の怒りが私達に希望
を与えました。
もう負けない。私達の代で差別はなくしてみせる。海に船を出して止める。カヌーを
出して止める。ゲートに立って止める。それが真実です。
一本の木から始まった闘いは大きな森になっていきます。一本一本が心に大きな炎を
燃やして立っています。それが歴史を作る力、時代を変える力。基地建設はさせな
い。