X-Original-To: kaymaru@jca.apc.org
From: "辺野古命を守る会" <henoko@f5.dion.ne.jp>
To: <"Undisclosed-Recipient:;;"@mx-list.jca.ne.jp>
Date: Tue, 13 Jul 2004 19:06:25 +0900

Subject: [keystone 8969] 阻止行動86日目
X-BeenThere: keystone@list.jca.apc.org

      7月13日(火)
      ・防衛施設局が午後3時30分に来ました。

      今日の午前中には「基地建設反対」を掲げて参議院に当選した糸数慶子さんが
座り込みにこられていました。
      急遽、おばぁ達に集まってもらいました。おばぁ達が着くと手厚い握手を交わ
し、手を握り合ったまま話をしていました。
      議員になってすぐに座り込みに来てくれたのは糸数慶子さんぐらいでしょう
か。とてもうれしく感じました。また、おばぁ達の顔も晴れやかでした。

      選挙によって民意を示したにもかかわらず午後3時30分、防衛施設局は来ま
した。
      内容は「選挙があろうがなかろうが、私達は基地建設を進めていく」というも
の。国策だからなのか!国策、国益のためだったら人を犠牲にしていいなんてルール
を一体誰が作ったんだ!!怒りだけがこみ上げてきます。
      92歳のヨシおばぁが言っていた。「わったーたーは本質的にはまだ勝ってい
ない!」と。まだ闘いは続く。つなげあい、つながりあい今まで以上に強い関係とし
てこの国に対して向き合わなければなりません。

      大和の街頭でビラを配ってらっしゃる方たちのビラを見たという方からメール
が2,3件ありました。うれしいことです。本当にその苦労が実っていることを祝福
したいと思います。確実な広がりを見せています。そういう繋がった人達に「辺野古
の人達、頑張ってください」ではなくて、「自分たちががんばる」というつなげかた
が出来たらと思います。地道な関係作りが必要になっていることをとても感じます。

      宜野湾の伊波市長は「普天間基地の早期返還」を求めてアメリカに行っていま
す。今日、一回目の交渉があったとテレビ報道がされています。
      普天間基地は5年〜7年の間に返還する、と橋本元首相とモンデール駐日大使
が決めたはずです。すでに8年がたっています。怒りがこみ上げるばかりです。
      「普天間返還は辺野古移設が成功しないとされない」と言うようなことを言っ
ている人がいましたが、そうではありません。普天間基地が本当に返還されるという
ことは辺野古の基地建設がなくなっているということなのです。
      「基地がなくなれば雇用がなくなる」という話がよくあります。ちょっと北谷
は企業色が強いということがあり、沖縄らしくなく、好きではありませんが、しかし
例としてあげるなら、北谷町は基地返還が行われた結果10000人の雇用が生まれ
ました。
      今の嘉手納基地は成田空港の4倍の大きさがあって従業員はたったの2500
名。嘉手納弾薬庫はさらにその4倍の面積を持っていながら弾薬庫である限り従業員
は軍事秘密のため雇えない。
      街頭で「基地がなくなったら雇用もなくなる」なんていわれたらこのことを言
わなければなりません。同時に基地をなくしていく意義も言っていけたらと思いま
す。
      そんな基地です。「基地があって栄えた街はない」伊波市長と共に座り込みを
頑張っていきたいと考えます。

      ※注意情報
      この間に「ボーリングに使われる資材」が置かれている中城湾港に動きがある
ようです。「やぐらの組み立ての練習をしていた」という情報がありました。緊張が
走っています。集まりが悪く感じます。
      防衛施設局は人が少なければやるという姿勢は変えていません。来られる方は
辺野古へ!!!

      那覇・一人で看板を持って基地建設中止を訴えているかんきちさんは。
      21回目
      「今日は辺野古か名護に行き選挙結果をみんなと聞きたかった…が
      結局いつも通り夕方那覇でビラまきした。
      東京からの観光客からビラをくださいといわれいろいろ話をした。友達から辺
野古に行けと言われたが行けなかったが那覇で辺野古の看板を見たから声をかけてみ
たそうです。東京で頑張っている人がいれば沖縄に来る観光客の意識も変わるはず。
      みんなで新基地中止!」

      22回目
      「今日のへのこは本当に楽しかった。
      那覇に帰っていつも通りビラまきした。現実は厳しいもんだ。他のビラまきと
重なり誰も取りゃしない。
      自分の土地での運動は厳しいもんだ…」