2004年5月10日

那覇防衛施設局長 岡崎 匠 殿

                       基地の県内移設に反対する県民会議
                        共同代表 山内 徳信
                             佐久川 政一
                             中村 文子


         名護市辺野古海域ボーリング調査に関する公開質問状


 私達沖縄は去る沖縄戦で住民の4人に1人に当たる約15万人の尊い生命を失った。以後米軍政下に置かれ、土地は強制収用され、また米兵による数多くの犯罪・事件により、人権と人間としての尊厳を奪われて生きてきた。

 1972年の施政権の返還後も日米安保条約と地位協定さらには米軍用地特措法によって、基地の過重負担を強いられた。1995年9月、3人の海兵隊員による少女暴行事件に怒り、老若男女10万人(先島を含む)が集まり日米政府の責任を追及した。日米政府は5年ないし7年以内の普天間基地の返還を公約したが、最終的には名護市辺野古沖への移設となった。名護市民は「一番危険な基地を名護に持ってくるのは許せない」として、住民投票によってきっぱりと「基地NO!」を日米政府につきつけた。

 ところが日本政府はあくまで辺野古に固執して稲嶺知事をして「県外移設は困難なので、ベターで現実的選択として容認する」と言わしめたのである。普天間基地代替施設協議会は2002年7月に、辺野古沖のリーフ上に、184haの海上基地を建設するとする基本計画を決定した。その後護岸部分が加わり207haとなり、新たに31haの作業ヤードが浮上した。2003年4月から環境影響評価法による「方法書」の作成と平行して、護岸構造の検討並びに「現地技術調査」(地形・地質・気象・海象調査)を開始し、11月17日にはジュゴン等に関する覆面専門家からボーリング調査に関するOKをとった上、沖縄県に「公共用財産使用協議書」を提出した。

 沖縄県は独自に9人の専門家から意見を聴取し検討したが、それを生かすことなく、4月7日に「同意書」を提出した。那覇防衛施設局は県の専門家には歯牙にもかけず16日には事業着手届けを出し、19日にはボーリング調査を強行してきた。
 
 このように沖縄戦から今日までの沖縄の基地過重負担の歴史と今回の海上基地建設強行、そして米軍基地をめぐる最近の新たな情勢に踏まえ、日本政府と那覇防衛施設局に以下のことを質問し要求する。

  1.  21世紀は環境の時代である。今回のボーリング調査はそのことに逆行することになるがどう認識しているか。
  2. ボーリングを含む「現地技術調査」等について、那覇防衛施設局は一度として住民説明会を開催することなく調査を強行しようとしている。よって直ちに公開の住民説明会を開催することを要求する。その説明会において、@ボーリング調査の理由・根拠、A63箇所のボーリングがジュゴンやサンゴ等に影響を与えないとする根拠等を示すこと。
  3. ボーリング調査に際し、県が委嘱した専門家の意見書の受け取りを拒否し無視したのは何故か。
  4. 今回行われようとしているボーリング調査が実施されればジュゴンに大きなダメージを与え、さんご礁、海草・藻場等の豊かな辺野古の海を破壊することにつながり、政府自ら策定した環境影響評価書にももとることになると思われるがどうか
  5. 小泉首相は国会答弁で「住民の理解を得て進めたい」と答弁しているが、発言の趣旨をどう理解し受止めているか。また4月23日の那覇防衛施設局への要請の席上、担当官から「住民の頭越しには行わない」旨の回答があったが、そのことをどう保証し担保するか。
  6. 住民説明会の開催等、住民合意を得るための充分な努力が果たされるまで、辺野古漁港の作業ヤードを撤去すべきと思うがどうか。
  7. 沖縄の59年間にわたる基地の過重負担を軽減するため、米国の海外基地の抜本的見直しをまたとない好機とし、普天間基地の即時返還と海上基地建設計画の断念を日米交渉で実現すること。