軍事基地は戦争のためのもの
そして
米軍基地のある所では劣化ウラン弾が使われている

劣化ウラン研究会:伊藤政子

「梅香里(メヒャンニ)国際射爆場」ー韓国でー
 今、韓国の米軍射爆場とそれに反対する韓国の人々を描いた「梅香里」というドキュメンタリー映画が全国で上映されています。これは、大分/湯布院と沖縄の人々が、同じ米軍基地を持つ韓国の人々と結んで完成した、西山正啓監督の撮影による素晴らしい映画です。
 冒頭から、韓国駐留米兵による韓国人女性への暴行・殺人事件に対する韓国の人々の激しい怒りと抗議が映し出され、沖縄で頻発する事件が重なって見えます。この映画を作ろうと考えた基地の街である湯布院や沖縄の人々と、梅香里の人々の同じメッセージ「軍事暴力に国境はない」という思いが強烈に伝わってきます。 この映画の素晴らしさは、そのメッセージを居丈高に主張するのではなく、そこに暮らす人々を淡々と暖かく描いていることにつきると思います。漁民たちが、実射訓練が休みになる日に、本来とても良い漁場だった梅香里で牡蠣をとってきますが、その収穫の海産物が本当においしそうなのです。貝や魚を焼いているシーンなど、映像の煙なのに匂いまでただよってくるような気さえします。見た人たちが一様に「私も食べたい!」と言う程です。くり返される米軍の実射訓練によって島の形が変わる程、漁場が荒らされていること、米軍の演習訓練の休みの時にしか漁場にでられないことなどが、心から悔しく思えます。
 でも、この梅香里米軍射爆場でも、劣化ウラン弾の薬莢が発見されています。もと米軍兵士が、薬莢の刻印から「劣化ウラン弾のものである」と証言しています。  あのおいしそうな貝類が、そして、ただそこで暮らし続けていただけの人々が、劣化ウラン弾によって汚染されているかも知れないと考えると、哀しさや悔しさもない混じって、ぞっとします。
 韓国には、駐韓米軍所有の劣化ウラン弾が約5万発保管されているといわれています。
 2001年の2月には韓国の国会議員がこれらのことを発表しましたが、米軍当局は薬莢についても「劣化ウラン弾のものではない」と否定し、保有についても明確な答弁を避けています。
 日本の沖縄/鳥島の劣化ウラン弾「誤射」事件以後、日本国内の劣化ウラン弾はすべて韓国に移送されたかのように語られています。確かに、あの後から韓国での劣化ウラン弾は確実に配備増があったようだし、劣化ウラン弾を使用した訓練もくり返されているようすです。韓国の基地反対運動の人々からは「日本が拒否した物が韓国に押し付けられた」とくり返し語られています。けれど現実には「移管」を表明したのは海軍の分だけで、海軍は日本寄航の物だけでなく、すべての旗艦からの劣化ウラン弾撤去をすでに公表しています。沖縄駐留空軍は嘉手納/沖縄の弾薬庫にいまだ劣化ウラン弾を保管し続けていることを2000年5月に認めています。日本にも劣化ウラン弾は残されているままです。
 つまり、米軍は日韓両国の基地だけをとっても、総量としての劣化ウラン弾の配備増に成功たと言えるのではないでしょうか。

米軍撤退のひとつのきっかけープエルトリコでー
 2001年6月米国自治領プエルトリコでは、1941年からビエケス島で続けられていた米軍の爆弾投下などの軍事演習を2003年5月までに中止させることに成功しました。けれど悔しいことに、昨年9月11日のいわゆる同時多発テロ以降アメリカ政府は、軍事予算の大幅な増額にも成功し、どこの国に対しても思いのままに軍事力を行使できるようにと国内の世論をまとめきってしまったかのようです。戦争を起こしたければいかなる軍事施設も縮小したくないのは当然です。米国議会の軍隊協議委員会は、今年の1月に予定されていたビエケスの住民投票をキャンセルし海軍がビエケスから撤退するとしていた日付(2003年5月)を削除すると発表しました。何ということでしょう。
 それでも、私たちはそれまでのプエルトリコの人々から学ぶことが沢山あると思います。
 プエルトリコでは、以前から基地反対の運動はありましたが1999年4月に米軍機の誤爆により住民が死亡したことで自治領政府や議会も一体となった反対運動が燃え上がって、米軍はビエケスからの撤退を余儀なくされたのです。
 この反対運動の力強い支援者のひとりに、アメリカ人のダグ・ロッキー博士がいます。彼は、アメリカ軍内部で湾岸戦争で劣化ウラン弾に汚染された戦車から劣化ウラン弾の影響調査や汚染除去について実践を続けていた科学者です。
 ビエケスでは、1999年2月に米軍による劣化ウラン弾(少なくとも258発)の使用が確認されました。米軍のコソボへの攻撃の出撃訓練時に、海軍が使いました。海軍の兵士が「ビエケスでは、何年間もの間劣化ウラン弾が訓練に使用されてきたけれど住民に証拠をつかまれたのはこれが初めてだ」と報告しています。
 ダグ・ロッキーは、1999年3月に公式報告からこの事件について聞くとすぐに「この行動は国防省指令と連邦法の故意の違反であると合衆国原子力規制委員会よって実証される」として、 ビエケス島におけるすべての爆撃演習を停止し、さらにすべての汚染をきれいにして個人に医療を提供することを海軍に要請します。また、海軍での劣化ウラン弾の使用は禁止されるがすでにビエケスに発射された弾丸の除去をするようにとも提案します。また自分の所属する陸軍のACERT(劣化ウランまたは放射性物質に汚染された装置処理班)をビエケスに派遣するよう陸軍にも働きかけるのですが、ことごとく拒否されます。付記すれば、彼は沖縄での事件後も同様の働きかけを軍内部でしていますが、やはり同様に拒否をされています。
 ダグ・ロッキー自身の軍や米政府への働きかけは実を結んでいませんが、加害の側の米国の軍人としてビエケスにおける劣化ウラン弾使用の問題を声高に訴え続けたことが、ビエケスでの基地反対運動に力を与えたことをご紹介します。
 ダグ・ロッキーは、「米国防省は、どんな反対運動があっても劣化ウラン兵器を使い続けるつもりであって、また劣化ウラン兵器使用によるいかなる健康や環境への結果も否定し続け、彼らの責任ではないと言いつのる方針だ」と批判しています。
 劣化ウラン弾は、核兵器などの大量殺りく兵器とは違う「通常弾」として米軍では扱われています。


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