news-button.gif (992 バイト) 22 ノーム・チョムスキーさんの9・11テロ事件についてのコメントの和訳 (2001/09/15掲載)

 アメリカの「Z-net」のマイケル・アルバートさんからは、今回のテロ事件に関して、一般のマスコミではほとんど無視されているアメリカの反戦運動側からのさまざまな声明や反響が流されています。そのうちの一つ、著名な言語学者で一貫した反戦活動家であるノーム・チョムスキー(Noam Chomsky)さんのコメントを、 拙訳ですが日本語に訳してみました。事件発生直後のとりあえずのコメントとのことですが、重要な視点がいくつも含まれていますので。

 この訳文がメーリングリスト「parcml」に転載されたところ、タイ在住の土井さんから、訳文の一部についての改善ご意見をいただきました。それも一部取り入れさせていただいた訳文を以下に掲載します。土井さん、ありがとうございました。  (吉川勇一)

  チョムスキーのメモ

  たった今あなたのメッセージを受けとりました。(訳者注――Z-net担当者からの意見を求める依頼のメッセージのこと)とりあえずのご返事です。

 今日の攻撃は大変な残虐行為でした。ですが、犠牲者の数に関して言えば、これまでの多くの残虐行為での犠牲者数のレベルに及びません。たとえば、まったく信用できない口実のもとで行なわれたクリントンによるスーダンの爆撃です。それはスーダンの薬品供給能力の半分を破壊し、おそらく何万という人びと(正確な数は誰にもわかっていないのです。というのは、アメリカが国連の調査を阻止したからであり、またそれを追求しようとするものがだれもいないからです)を殺害したのでした。それよりももっとずっとひどいケースについては言うまでもないでしょう。そのことは容易に頭に浮かぶことです。(訳者注――ベトナム戦争のことか)けれども、今度の事件が恐ろしい犯罪であったことには疑問の余地がありません。いつもそうなのですが、主要な犠牲者は、ビルの用務員、秘書、消防士、などなどの勤労者でした。事態は、パレスチナ人をはじめ、その他の貧しい虐げられた人びとに対する決定的な打撃になりそうな様相です。 また、同時に、実に厳しい安全管理を生み出し、その結果として市民的諸権利と米国内での自由への侵害がもたらされる高い可能性があります。

今度の事態は、「ミサイル防衛」なる構想が、いかに愚かであるかを劇的に示しています。 すでにこれまでも明白だったことであり、戦略分析家たちによって繰り返し指摘されてきたことなのですが、もし誰かが、大量破壊兵器の使用も含め、アメリカに甚大な損害を与えようと望むとしても、ミサイル攻撃をかけて、その結果、確実に自分たち自身の破滅を直ちにもたらすようなことをする可能性はほとんどありません。そもそもからして、どうにも阻止が不可能な、もっと容易な方法がいくらでもあるのですから。それにもかかわらず、今日の事件は、こうしたミサイル防衛のシステムを開発して、それを実用化しようとするプレッシャーを増すために利用されることになるでしょう。「防衛」は宇宙の軍事化計画にとっては薄弱な口実ですが、巧みな宣伝力をもってすれば、極めて脆弱な論議であってさえも、脅えている大衆の間にはそれなりの重みをもつことになるでしょう。

  要するに、今度の犯罪行為は、頑固な好戦的愛国主義右派勢力、自分たちの支配圏をコントロールするために武力を使おうと望んでいる者たちにとっての贈り物になっています。すなわち、それはこれからありそうなアメリカの行動と、そしてそれが引き金となって起こりそうなこと――おそらく、今度の攻撃と同じような、あるいはそれよりももっとひどく、回数も多い攻撃――から目をそらさせることにさえなろうとしているのです。これからの見通しは、今回の最近の悲惨な事態以前に予想されていたものよりも、はるかにずっと険悪なものとなっているのです。

(以下が最初の訳文では脱落していましたので、追加します。09/17)

 対応の仕方については、選択肢があります。当然のことながら、恐怖心を表明することもできますし、いったい何がこの犯罪に導いたのかを理解しようと努力すること、すなわち、加害者と目される人びとの心の中に入ってゆくという努力をすることもできます。 もし後者の道を選択するならば、ロバート・フィスクの言葉に耳を傾けるのが何よりだと私は思います。

 フィスクは、この地域の事情について、直接の知識と深い洞察力をもっており、その優れた報告は、何年を経てもまだ比肩しうるものがありません。「虐げられ、辱められた人びとの行なうひどい行為と恐るべき残酷さ」についてのべた文章の中で、フィスクはこう書いています。「これから、全世界は、民主主義対テロルという戦争を信じるように求められるのだろうが、これは決してそんなものではない。それは、パレスチナ人の家々を粉砕するアメリカのミサイルに関することでもあり、1996年にレバノンの救急車に向けてミサイルを発射したアメリカのヘリコプターに関することでもあり、さらにまた、カナと呼ばれる村に発射され、そこを粉砕したアメリカの砲弾についてであり、そして、アメリカのイスラエル支持者によって雇われ、制服を着せられ、通過する難民キャンプでつぎつぎと人びとを切り刻み、婦女暴行と殺人と続けるレバノン人民兵についてのことでもあるのだ。」と。

 そして、フィスクのあげたものよりもはるかに多くのことがまだあるのです。ここで、私たちにはふたたび選択の余地があります。すなわち、理解しようと努力することもできますし、あるいはそうすることを拒否して、今後の事態がさらに悪化する可能性を増すのに力を貸すこともできるのです。

 ノーム・ チョムスキー  (吉川勇一訳)