<沖縄県第三準備書面> 第四 米軍基地の実態と被害


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  一 米軍基地の概況
   沖縄には、一九九四年三月末現在、県下五三市町村のうち二五市町村にわたっ
  て四二施設、二万四五二六ヘクタ−ルの米軍基地が存在しており、県土面積の一
  〇・八パ−セントを占めている。
   沖縄県は、復帰後、常に、基地の整理縮小と跡地利用を重点施策に掲げて施策
  を進めてきており、また、日米両政府に対しても、これまで、基地の整理縮小を
  いくどとなく要請して来ている。
   しかし、沖縄の基地の整理・縮小については、日米両政府ともその必要性を認
  めながら、実際は、遅々として進んでいない。
   それに比して、本土においてはいわゆる関東計画等による整理・縮小が着実に
  進展して来ている。実際に復帰時から現在までの施設の返還状況を本土と比較す
  ると、次の通りである。

   米軍専用施設の返還状況(施設面積)
     一九七二年五月一五日(本土は、一九七二年三月末)
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      本土 一万九六九九ヘクタール
      沖縄 二万七八五〇ヘクタール
     一九九四年三月末(本土は、一九九四年一月一日)
      本土 八〇六〇ヘクタール(五九・一パーセント減少)
      沖縄 二万三七三九ヘクタール(一四・九パーセント減少)

   以上により、基地の整理縮小について、沖縄が本土に比べて、著しく立ち遅れ
  た取扱いを受けていることが明白である。
  1 在沖米軍施設の全国比率
    一九九四年三月末現在の米軍基地の状況を全国(本土の米軍基地については、
   一九九四年一月一日現在)と比べてみると、沖縄の米軍基地面積は、全国の米
   軍基地面積の二四・九パーセントに相当し、北海道の三四・七パーセントに次
   いで大きな面積を占めている。中でも米軍が常時使用できる専用施設に限って
   みると実に全国の七四・七パーセントが、国土面積のわずか〇・六パーセント
   しかない沖縄県に集中しており、他の都道府県に比べて過重な基地の負担を強
   いられている。
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    他の都道府県の面積に占める米軍基地の割合をみると、沖縄県の一〇・八パー
   セントに対し、静岡県一・二パーセント、山梨県一・一パーセントが一パーセ
   ント台であるほかは、他は一パーセントにも満たない状況であり、また、国土
   面積に占める米軍基地の割合は〇・二六パーセントである。
    沖縄県においては米軍基地面積の九六・八パーセントが専用施設であるのに
   対し、他の都道府県においては、米軍専用施設は米軍基地面積の一〇・九パー
   セントに過ぎず、大半は自衛隊施設等を米軍が一時的に使用する形態となって
   いる。
  2 所有形態
    一九九四年三月末現在における沖縄県の米軍基地の所有形態をみると、私有
   地が三二・七パーセント、市町村有地が三〇・五パーセント、県有地が三・六
   パーセントと、全体の六六・八パーセントが民公有地となっており、国有地は
   三三・二パーセントである。
    これは、本土の米軍基地面積の八七パーセントが国有地で、民公有地は一三
   パーセントに過ぎないのに比べると、大きな特徴である。本土の米軍基地の大
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   半が戦前の旧日本軍の基地をそのまま使用してきたのに対し、沖縄県の米軍基
   地は、旧日本軍の基地の使用に止まらず、米軍による民公有地の新規接収が各
   地で行われた背景の違いを表している。
  3 用途別使用状況
    一九九四年三月末現在の沖縄県の米軍基地の用途状況をみると、「演習場」
   が施設数、面積とも多く、一七施設、一万六八五四ヘクタール(全基地面積の
   六八・七パーセント)となっている。
    この「演習場」施設には、県内の米軍基地で最大の面積を有する「北部訓練
   場」をはじめ、実弾射撃訓練に使用される「キャンプ・シュワブ」や「キャン
   プ・ハンセン」、パラシュート降下訓練が行われる「読谷補助飛行場」、部隊
   の上陸訓練が行われる「金武ブルービーチ訓練場」「金武レッドビーチ訓練場」
   などのほか、南部地区や八重山地区(尖閣諸島)の離島に存在する射爆撃場等
   がある。
    次に面積が大きいのは、「倉庫」で、三施設、三二八〇ヘクタール(全基地
   面積の一三・四パーセント)を占めている。
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    この施設には、各軍が必要とする弾薬の総合貯蔵・補給施設として重要な役
   割を果たしている「嘉手納弾薬庫地区」や「辺野古弾薬庫」の二つの弾薬庫の
   ほか、在日米軍の中でも主要な兵站基地となっている「牧港補給地区」がある
   が、「嘉手納弾薬庫地区」だけで「倉庫」施設の面積の八七・九パーセントを
   占めている。
    三番目に面積が大きいのが「飛行場」施設で、「嘉手納飛行場」と「普天間
   飛行場」の二施設、二四七九ヘクタールである。この両施設はいずれも中部地
   区に存在し、しかもそれぞれ空軍及び海兵隊の中枢基地となっているものであ
   る。
    このほか、沖縄県の米軍基地には、「キャンプ瑞慶覧」や「キャンプ・コー
   トニー」等の「兵舎」施設が五施設、九五四ヘクタール、「象の檻」と呼ばれ
   る施設を有し、軍事通信の傍受をしていると言われている「楚辺通信所」、陸
   軍特殊部隊(グリーンベレー)が配備されている「トリイ通信施設」等の「通
   信施設」が七施設、四四七ヘクタール存在する。
    また、第七艦隊の兵站支援港で原子力潜水艦の寄港地としても重要な役割を
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   果たしている「ホワイト・ビーチ地区」や湾岸戦争の際の軍事物資の積み出し
   港として使用された「那覇港湾施設」等の「港湾」施設が三施設、二一八ヘク
   タール、軍病院が置かれている「医療」施設が一施設、一〇八ヘクタールとなっ
   ているほか、事務所(工兵隊事務所)が一施設、四ヘクタール、明確な用途区
   分ができない「奥間レストセンター」や「陸軍貯油施設」等の「その他施設」
   が三施設、一八二ヘクタールとなっている。
  4 米軍訓練水域及び空域
    一九九五年一一月末現在、沖縄周辺には、米軍の訓練のための水域二九箇所
   及び空域一五箇所が設定されている。
    訓練水域については、常時立入り禁止、使用期間中立入り禁止、船舶の停泊、
   係留投錨、潜水及び網漁業並びにその他すべての継続的行為の禁止等の制限・
   禁止が行われている。
    訓練空域については、那覇空港の場合、発着する航空機を管制するための空
   域が、半径五陸マイル(約八キロメートル)高度二〇〇〇フィ−ト(六〇〇メー
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   トル)未満に制限されているため、通常の空域より、半径で一キロメートル、
   高度で三〇〇メートルも狭められている。このため、民間機は低空飛行を余儀
   なくされ、飛行にあたってのパイロットの精神的プレッシャーは大きいものが
   あるといわれている。
  5 軍別状況
    一九九五年三月末現在、沖縄県に存在する米軍基地を軍別の管理形態によっ
   て区別すると、海兵隊、空軍、海軍及び陸軍となるが、これらの単独管理施設
   のほかに、二以上の軍が共用している施設もある。
 (一) 海兵隊
     海兵隊は施設数、施設面積とも最も大きく、一九九四年三月末現在、二〇
    施設、一万八四九〇ヘクタール(全基地面積の七五・四パーセント)を占め
    ており、軍人数も一九九四年一二月末現在、在沖米軍の総兵員数の六一・一
    パーセント(一万七七三三人)が海兵隊員となっている。海兵隊には、「キャ
    ンプ・コートニー」にある第三海兵機動展開部隊の下に、第三海兵師団が同
    じく「キャンプ・コートニー」に配置され、その他に、第一海兵航空団が
    「キャンプ瑞慶覧」に、また、第三部隊戦務支援隊が「牧港補給地区」に置
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    かれている。
 (二) 空 軍
     空軍は、一九九四年三月末現在、八施設、二一六五ヘクタールで全基地面
    積の八・八パーセントとなっている。これに対し、軍人数は、一九九四年一
    二月末現在で、総兵員数の二五・八パーセント(七四八三人)と約四分の一
    を占めており、海兵隊と並び在沖米軍の主力となっている。
     空軍は、横田基地に司令部を置く第五空軍司令部の指揮監督下に、第一八
    航空団が嘉手納飛行場に配置され、同航空団の指揮下には、第一八支援群等
    が配置されている。
 (三) 海 軍
     海軍は、一九九四年三月末現在、七施設、三七四ヘクタールを有し、全基
    地面積の一・五パーセントとなっている。また、軍人数は一九九四年九月末
    現在、二九一七人で、総兵員数の一〇・一パーセントである。嘉手納飛行場
    内に沖縄艦隊基地隊/嘉手納海軍航空施設隊があり、その他、沖縄航空哨戒
    群等が配置されている。
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 (四) 陸 軍
     陸軍は、一九九四年三月末現在、四施設、三八六ヘクタ−ルで、全基地面
    積の一・六パーセントである。また、軍人数は、一九九四年一二月末現在、
    八八七人で、全兵員数の三・一パーセントである。陸軍は、トリイ通信施設
    に第一〇地域支援群を置く他、第一特殊部隊群(空挺)第一大隊等が配置さ
    れている。

 二 米軍の演習・訓練及び事件・事故の状況
  1 演習・訓練の概要
    一九五二年一二月の日米合同委員会合意、一九七二年六月一五日の防衛施設
   庁告示第一二号等に基づく、那覇防衛施設局からの演習通報によると、米軍の
   演習・訓練は、水域、空域及び陸域において、恒常的に行われている。
    各水域においては、水対空、水対水、空対空各射撃訓練及び空対水射爆撃訓
   練、空対地模擬計器飛行訓練、船舶の係留、その他一般演習等が行われている。
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    陸域においては、キャンプ・シュワブ、キャンプ・ハンセンにおいて、一般
   演習、小銃射撃、実弾射撃、廃弾処理、爆破訓練が、北部訓練場、金武レッド
   ビーチ訓練場、金武ブルービーチ訓練場、ギンバル訓練場、読谷補助飛行場等
   で一般演習が恒常的に行われている。
  2 県道一〇四号線越え実弾砲撃演習実施状況
    キャンプ・ハンセン演習場における第三海兵師団第一二海兵連隊による県道
   一〇四号線越実弾砲撃演習は、一九七三年三月三〇日の第一回から数えて一九
   九五年一一月末までに一六三回実施されている。最近の演習においては、三日
   間で六〇〇発の一五五ミリりゅう弾砲が発射された。
    県道を封鎖して行われる実弾演習は、演習場に近接して住宅、学校、病院等
   が位置し、また、着弾地の背後は県内随一の海浜リゾート地域(恩納村)であ
   り、危険である。
  3 パラシュ−ト降下訓練実施状況
    読谷補助飛行場におけるパラシュート降下訓練は、一九七九年一一月六日以
   降一九九五年一一月末までに一八二回実施されている。最近の訓練においては、
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   二日間連続で、一七九人が降下訓練を行っている。
    一九九五年一一月までに、二九件もの事故が発生しており、ほとんどが施設
   外降下である。復帰前には、一九五〇年の燃料タンク落下による少女圧死、一
   九六五年のトレーラー落下による少女圧死等悲惨な事故も発生した。その後も
   提供施設外の農耕地や民家等に落下する事故が起きており、地域の住民生活に
   不安を与えている。
  4 原子力軍艦寄港状況
    勝連半島の最先端に位置するホワイト・ビーチ地区は、神奈川県横須賀基地、
   長崎県佐世保基地とともに原子力軍艦の寄港地である。沖縄県における復帰後
   の原子力軍艦の寄港状況は、一九七二年六月、原潜フラッシャーの寄港以来、
   一九九五年一一月末現在で一〇七回を数える。とりわけ、一九九三年から一九
   九四年の二年間で、三五回の寄港を数え、一九九四年は過去最高の一八回を記
   録した。
    一九八〇年三月のロングビーチ(巡洋艦)の寄港時においては、晴天時の平
   均値を上回る放射能が検出され、当該海域及び周辺海域の魚介類が売れなくな
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   るなど地域住民に大きな不安と被害を与えた。
  5 事件・事故
 (一) 復帰後の米軍航空機事故等
     一九七二年五月の復帰以降一九九五年一一月末までに航空機関連事故は、
    一二一件発生しており、そのうち固定翼機が六三件、ヘリコプターが五八件
    である。
     これを、態様別でみると、墜落事故三六件、空中接触事故一件、移動中損
    壊二件、部品落下事故二一件、着陸失敗一四件、低空飛行一件、火炎噴射一
    件、緊急着陸四五件となっている。
     また、発生場所でみると、基地内三七件、基地外八四件である。基地外に
    ついては、住宅付近一五件、民間空港一六件、畑等一三件、空地その他一二
    件、海上二八件である。
     最近の航空機墜落事故は、次の通りである。
     一九九四年四月四日のF―一五墜落炎上事故
                (嘉手納弾薬庫地区内の黙認耕作地)
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     一九九四年四月六日のCH―四六墜落・機体大破事故
                (普天間飛行場内の滑走路)
     一九九四年八月一七日のAV―八Bハリアー攻撃機墜落事故
                (粟国島近海)
     一九九四年一一月一六日のUH一―Nヘリコプター墜落事故
                (キャンプ・シュワブ内)
     一九九五年九月一日のAV―八Bハリアー攻撃機墜落事故
                (鳥島近海)
     一九九五年一〇月一八日のF―一五C戦闘機墜落事故
                (沖縄本島南南東海上一〇五キロメートル)
     一九九五年一〇月一八日のF−一五C戦闘機墜落事故について、沖縄県議
    会は、一一月三〇日に臨時議会を開催し、F−一五イーグル戦闘機墜落事故
    に対する意見書・抗議決議を全会一致で可決している。同決議は、「現場海
    域は、米軍の訓練水域外で、県内外のマグロはえ縄漁やソデイカ漁の好漁場
    となっており、一歩間違えばこれら漁業操業者を直撃して大参事を引き起こ
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    しかねない」と指摘した上で、 (1)事故原因の徹底究明と調査結果の公表
     (2)原因究明までの間のF−一五イーグル戦闘機の訓練中止 (3)基地の整理
    縮小を求めている。
     同意見書は、村山首相、外務大臣等の日本政府要路あて、同決議は駐日米
    国大使館、在日米軍司令部等の米国政府あてとなっている。
     本件については、県議会の代表が直接要請・抗議活動を行った。
     また、沖縄市、浦添市、嘉手納町等県内市町村議会においても同様に意見
    書・抗議決議が採択された。
     なお、一九九五年九月三日付けの地元紙の社説が、「これまでのところ、
    幸いというか、偶然というべきか、民間地域への墜落事故には至っていない。
    しかし、児童ら死者一七人、負傷者一二〇人余の犠牲者が出た一九五九年六
    月の石川市宮森小学校への米軍ジェット機墜落事故の再現がないとの保障は
    ない。それどころか、いつ、私たちの頭上に墜落、爆発炎上してもおかしく
    ない状況―と指摘、警鐘を鳴らす専門家は多い。」と、警告している。
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 (二) 米軍構成員等による刑事事件について
     沖縄県警察本部の犯罪検挙状況に関する資料によれば、一九七二年五月か
    ら一九九五年八月末までの米軍人・軍属等による事件の検挙件数は、合計で
    四七一六件であり、全刑法犯(件数)の約二パーセントを占めている。また、
    犯罪検挙人数は、合計で四五九三人であり、全刑法犯(人数)の約六パーセ
    ントを占めている。
     復帰後の、米兵による民間人殺害事件に限っても、一九九五年一一月末現
    在、一二件発生している。二年に一件を越える発生状況である。
     近年の事件では、一九九三年二月の海軍兵による強姦致傷事件、同年四月
    の金武町における海兵隊員による殺人事件、一九九四年七月の海軍兵による
    強盗事件、一九九五年五月の海兵隊員による日本人女性殺害事件があり、最
    近(一九九五年九月)の在沖米兵三人による拉致及び暴行事件がある。
     このような凶悪事件の発生は、基地と隣り合わせの生活を余儀なくされて
    いる地域住民に大きな衝撃を与え、不安を招いている。

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 三 環境破壊
  1 自然環境の破壊
 (一) 水質汚濁
     米軍基地に起因する水質汚濁事例は、沖縄県が確認しただけでも、復帰後、
    一九九四年三月までに六五回発生しており、し尿処理施設の汚水や油脂類等
    の漏出による河川・海域の水質汚染をもたらしている。
     基地の中でも、特に嘉手納飛行場からの油脂類等の汚染事例が多く、復帰
    後、一九九五年一一月末現在、一六回も発生している。県民の飲料水を採取
    している比謝川が嘉手納飛行場に隣接して流れており、また、飲料用地下水
    の取水井戸も同基地内に存在することから、度重なる油脂燃料類の流出は、
    環境の汚染はもとより県民の健康管理の面からも問題である。
 (二) 土壌汚染
     一九九四年一月にマスコミを通じて、嘉手納飛行場内において一九八六年
    と一九八八年にPCB漏出事故が発生していたことが公表されるまで、米軍
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    側はこの大きな事故について、県や関係市町村に報告せず、秘密裡に処理し
    ようとした事実があった。また、PCB汚染物資を撤去する際、PCB入り
    トランクが野積み状態で保管されているのが確認されるなど、米軍の有毒物
    質の管理方法の問題が指摘された。
     最近返還されたフィリピンのクラーク、スービック両基地においても、当
    初、環境汚染はないとのことであったが、米軍撤退後の環境団体の調査によっ
    て、両基地とも石油精製物質や重金属などの化学物質で汚染されているとの
    報道があった。
     また、米国内での基地の閉鎖後、民間施設としての転用が期待通り進展し
    ないのは、閉鎖された基地の環境が汚染され、その復元に莫大な費用と長期
    間を要するためであると言われている。
 (三) 原野火災及び赤土汚染
     度重なる実弾演習により、キャンプ・ハンセン内の着弾地周辺は広範囲に
    わたって緑が失われ、無惨にも山肌をむき出しており、環境保全の面からも、
    自然の破壊は由々しい問題である。
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     また、同キャンプ内のレンジで実弾を使用した射撃演習が日常的に実施さ
    れるため、発火性の高い照明弾や曳光弾から着弾地内の雑草に引火すること
    があり、原野火災が度々発生し、一九七二年五月から一九九五年一一月末ま
    でに一一七件の火災が発生し、一三二四ヘクタールが延焼した。
     一五五ミリりゅう弾砲による山肌の崩壊や、発火性の強い曳光弾による山
    林火災は、演習場内の緑を失わせることにより、赤土流出による河川や海域
    汚染の原因ともなっている。
     キャンプ・ハンセン内を流れる河川からの赤土流出は、ほとんどが米軍基
    地内の演習によるものであり、一九九三年八月の大雨時に採水して調査した
    ところ、キャンプ・ハンセンを流れる三河川で一リットル当たり六九四ミリ
    グラム、二六七ミリグラム、五〇九ミリグラムの赤土流出が確認された。一
    九八八年に、沖縄県環境保健部が降雨時直後に一四五河川で行った調査での
    平均値一リットル当たり八〇ミリグラムと比較すると、キャンプ・ハンセン
    内を流れる河川は、かなり濁っており、一見して赤土による底質の汚れがわ
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    かる近隣海域の汚染の原因の一つとなっている。
  2 騒音公害等
    米軍による演習が周辺地域に与える影響は多岐にわたっているが、なかでも
   住宅地域に囲まれた嘉手納及び普天間飛行場では、昼夜を問わず、日常的に発
   生する航空機による騒音は広範囲にわたり、一一市町村の約四七万人(沖縄県
   人口の約三七パーセント)の周辺住民の生活環境に大きな影響を及ぼしている。
    嘉手納飛行場においては、常駐機に加えて空母艦載機や国内外から飛来する
   航空機によるタッチ・アンド・ゴーなどの飛行訓練のほか、エンジン調整が絶
   え間なく行われ、同飛行場に隣接する地域住民は、その騒音により、精神的、
   身体的被害ならびに生活環境が著しく損なわれている。
    また、普天間飛行場においては、航空機の離着陸等、とりわけ、ヘリコプター
   の飛行場及び住宅地域上空での旋回訓練は間断なく騒音を発生させている。地
   上においてはエンジン調整音が長時間に及び、騒音による被害は、精神的、身
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   体的ならびに生活環境の面からも看過できないものとなっている。
    このような現状に鑑みて、毎年、沖縄県は、関係市町村と協力して、嘉手納
   飛行場周辺では二三地点、普天間飛行場周辺では一二地点で騒音の測定を行っ
   ている。一九九四年度の測定の結果、嘉手納飛行場周辺においては、二三測定
   地点中九地点(三九パーセント)で、普天間飛行場周辺では、一二地点中九地
   点(七五パーセント)で、環境基準を上回っている。
    特に、嘉手納飛行場周辺では、通常訓練によって、騒音禍を強いられている
   にもかかわらず、臨時的に行われるローリー演習(現地運用態勢)、ORI演
   習(行動態様監察)の演習期間中の騒音は一段と激しく、日常生活の会話や安
   眠はもとより、疲労の加重、聴力の減退、授業の中断、電話の中断、テレビ・
   ラジオの視聴困難等、その身体的、精神的ダメージは著しく、飛行場が住宅地
   域や市街地に隣接して存在するため、航空機から発生する騒音は周辺住民に甚
   大な悪影響を与え、日常生活に大きな障害となっている。
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 四 振興開発の阻害
  1 振興開発と米軍基地
    一九九二年九月に国において策定された第三次沖縄振興開発計画では、沖縄
   の米軍施設・区域について「そのほとんどが人口、産業が集積している沖縄本
   島に集中し、高密度な状況にあり、この広大な米軍施設・区域は、土地利用上
   大きな制約となっているほか、県民生活に様々な影響を及ぼしている。」とい
   う認識の下、「米軍施設・区域の整理縮小と跡地の有効利用について、米軍施
   設・区域をできるだけ早期に整理縮小する。」と県土利用の基本方向を明らか
   にしている。さらに、「返還される米軍施設・区域に関しては、地元の跡地利
   用に関する計画をも考慮しつつ、可能な限り速やかな返還に努める。」として、
   「返還跡地の利用に当たっては、生活環境や都市基盤の整備、産業の振興、自
   然環境の保全等に資するよう、地元の跡地利用に関する計画を尊重しつつ、そ
   の有効利用を図るための諸施策を推進する。」としている。
    このように、沖縄振興開発計画においては、本県における米軍の施設及び区
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   域の大半が、本県の地域開発上重要な地域に存在しているため、地域の振興開
   発及び県土の均衡ある発展を図る上で大きな制約となっていることを自明のこ
   ととしている。
    具体的には、 (1)都市再開発や環境整備を推進する上の障害 (2)道路交通体
   系整備上の障害 (3)住宅や公園整備上の障害 (4)企業誘致や工業誘致の対象と
   なる工業用地の確保の障害 (5)農業の衰退や荒廃の原因であると同時に農業振
   興上の障害 (6)自然公園や自然環境保全施策上の障害等である。
  2 市町村の振興開発の阻害
    一九九四年三月末現在、米軍基地は、県内二五市町村に所在し、当該市町村
   の振興開発を著しく阻害している。以下四市町村の実例を示すことにする。
 (一) 那覇市の場合
    イ 軍用地の概況
      一九九五年一一月末現在、那覇市には、米陸軍の那覇港湾施設、米空軍
     の嘉手納飛行場施設の一部がある。
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      同市の面積(約三八七三ヘクタール)の一・五パーセント(約五八ヘク
     タール)を占めている。
    ロ 那覇港湾施設用地の特徴
      那覇港湾施設は、同市にある米軍基地の約九九・一パーセントを占めて
     いる。同港湾施設は、沖縄県の表玄関である那覇空港と隣接し、また、年々
     増大の一途をたどる那覇港の重要な一角であることから、早期全面返還が
     求められている。
      同港湾施設には、国道五八号と国道三三二号が隣接し、県道七号線の起
     点ともなっており、その地理的重要性は、ますます大きくなってきている。
     それに加えて、県都である那覇市の都心部にも近いという好立地条件も備
     えている。このことは、周辺における観光産業を含めての経済、住宅等へ
     の土地利用転換に呼応するとともに、港湾機能の強化など新たな展開が十
     分に可能な地域である。
      また、年々増大する県内外、もしくは国外からの港湾取扱貨物量は既存
     の施設では対応できない状況にある。したがって、港湾機能の整備拡大は
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     急務である。同港湾施設は対岸にある那覇商港と比較しても、完全に遊休
     化している。
      このような観点からも、同港湾施設を早急に返還することにより、交通
     体系の整備が可能となる。
      さらに、那覇空港を利用して沖縄県を訪れる観光客数は、三〇〇万人を
     超えている。沖縄を訪れる観光客にとって、まず最初に目に触れるのは同
     港湾施設のフェンスであり、時として、基地内の戦車や大砲である。平和
     産業と言われる観光産業の振興の面から問題である。
    ハ 那覇港湾施設跡地利用構想(那覇市策定)
      同港湾施設は、那覇空港と那覇都心を結ぶ国道沿いにあり、また那覇市
     にとって貴重とされる水際陸地である。タウンゲートにふさわしい機能の
     導入を図るなど土地利用上重要な地域である。
      また、那覇空港の近くに沖縄自由貿易地域があり、それと隣接している
     本地域は、那覇埠頭の再開発等、一体的に自由貿易地域の拡大を図る必要
     がある。
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      本地域は五二ヘクタールの面積を有し、国道三三一号沿いにあり、那覇
     港那覇埠頭の対岸に位置している。那覇市の計画では、那覇空港及び沖縄
     自由貿易地域の立地する西側に流通・加工・業務等の産業系を、その東側
     に文化遺産の活用を計りつつ、隣接する奥武山公園と連結して文化・レク
     リエーション系をそれぞれ配置するものとされている。
 (二) 沖縄市の場合
    イ 軍用地の概況
      一九九四年三月末現在、沖縄市には、米軍基地として嘉手納飛行場、嘉
     手納弾薬庫地区、キャンプ・シールズ、泡瀬通信施設及び同提供水域、キャ
     ンプ瑞慶覧、陸軍貯油施設(パイプライン)、知花サイトの七施設がある。
     米軍基地は、同市の面積(四八九四ヘクタール)の三六・八パーセント
     (一八〇一ヘクタ−ル)を占めている。
    ロ 軍用地の特徴
      沖縄市は、沖縄本島中部に位置し、周辺を七市町村と隣接している。
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     しかし、市域北部及び西部に、広大な嘉手納弾薬庫地区と極東最大の空軍
     基地・嘉手納飛行場、そして南部はキャンプ瑞慶覧、更に中城湾に面する
     東部地域には泡瀬通信施設があり、基地が四方に展開している。
      このように、基地の存在は、活用できる市域を狭めているのみならず、
     産業基盤の整備、周辺市町村との交通や交流を妨げ、市街地の形成や都市
     の広がりを阻害している。
      同市の米軍基地の土地所有内訳は、私有地が六七・八パーセント、公有
     地が二七・八パーセントに対し、国有地はわずか四・四パーセントである。
      沖縄の米軍基地は、沖縄戦の米軍占領地とその後の占領下における一方
     的な接収による軍用地を引き継いだものがほとんどであり、私有地が大き
     な比率を占めている。このように私有地の占める比率が大きいこと、また、
     軍用地が形成されてから長期間経過していること等が、軍用地の転用や跡
     利用にも様々な影響を及ぼしている。
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    ハ 軍用地の跡地利用計画(沖縄市策定)
      泡瀬通信施設地先の公有水面に、陸域から沖合五〇〇メートルまで米軍
     保安水域が設定されているが、同水域については、同市が新たな開発拠点
     としている東部海浜開発地区の開発予定地となっており、同水域の早期解
     除(返還)が必要である。
      同市の北側に位置し、豊かな自然が残されている嶽山原(うたきやんば
     る)は、嘉手納弾薬庫地区によって他の民間地域から切り離され利用困難
     な地域となっている。嘉手納弾薬庫内の基地内道路を開放することにより、
     アクセス道路を確保し、嶽山原を市民の余暇利用や青少年の野外活動など
     に活用することが可能となる。
      広大な嘉手納飛行場については、同飛行場の基地内基幹道路を開放し、
     利用することで、同市中心部と国道五八号、市域南部と北部の交通が容易
     となり、中部圏の交通利便性の向上、市域の効果的活用、観光など産業振
     興上の効果が期待できる。広域の交通網の整備は中部広域の拠点都市とし
     て周辺市町村との交流を促進する上で重要である。
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      嘉手納飛行場については、周辺市町村の土地利用計画との調和や環境問
     題への配慮などの諸問題と併せ、民間国際空港としての可能性について検
     討していくことも重要な課題である。
 (三) 読谷村の場合
    イ 軍用地の概況
      一九九四年三月末現在、読谷村には、米軍基地として、嘉手納弾薬庫地
     区、読谷補助飛行場、トリイ通信施設、瀬名波通信施設及び楚辺通信所の
     五施設がある。米軍基地は、同村の面積(三五一七ヘクタール)の四六・
     九パーセント(一六四八ヘクタール)を占めている。
    ロ 軍用地の特徴
      同村の中央部に位置する読谷補助飛行場を始めとする五米軍基地のうち、
     読谷補助飛行場以外の軍用地については、返還の目処がついていないため、
     同村の土地利用計画も基地を除いた地区だけの計画に限らざるを得なくな
     り将来的な課題となっている。
      また、国道五八号と並行して嘉手納町からの幹線道路として国道バイパ
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     スが計画されているが、該道路計画には読谷補助飛行場、トリイ通信施設、
     嘉手納弾薬庫地区の三施設が存在し、計画推進の大きな阻害要因となって
     いる。
      南北に走る国道バイパスと国道五八号を連結し、同村を東西に走る幹線
     道路の「中央残波線」の計画がある。同路線については、一部道路認定等
     も終了している段階であるが、該道路が読谷補助飛行場を東西に通ること
     から、計画の推進の阻害要因となっている。
      また、将来的には、該道路は、沖縄市方面と結ぶ幹線道路とすることが
     予定されているが、嘉手納弾薬庫地区が大きく広がっており、計画の阻害
     要因となっている。
    ハ 軍用地の跡地利用計画(読谷村策定)
      読谷補助飛行場は、旧日本軍の強制接収以来、戦後処理問題を引きずっ
     てきた軍用地であり、その一刻も早い解決が必要である。同補助飛行場は、
     同村の中央部に位置しているため、その利用の如何が、同村の振興開発に
     大きな影響を与える。
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      同村は、一九八七年に、すでに「読谷飛行場転用基本計画」を策定して
     いる。返還に向けた諸条件が煮詰まりつつある中で、その実現は大きな課
     題である。
 (四) 宜野湾市の場合
    イ 軍用地の概況
      一九九四年三月末現在、宜野湾市には、米軍基地として、普天間飛行場、
     キャンプ瑞慶覧、陸軍貯油施設がある。米軍基地は、同市の面積(一九三
     七ヘクタール)の三十三・二パーセントを占めている。
    ロ 普天間飛行場用地の特徴
      普天間飛行場は、一九九四年三月末現在の施設面積が、四八一・五ヘク
     タールで、同市の面積の二四・九%、同市にある米軍施設の七四・九パー
     セントを占めている。
      同飛行場の土地の所有内訳は、私有地が四四四・三ヘクタール(九二・
     三パーセント)、国有地が三二・二ヘクタール(六・七パーセント)、公
     有地が五ヘクタール(一パーセント)である。
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      同飛行場は、一九四五年の米軍占領と同時に土地が接収され、米軍によ
     り建設された。その後、滑走路の延長やナイキ基地の建設等の経過を経て
     現在の施設規模になっている。
      同飛行場の建設のため、集落や農地を強制的に接収された住民は、同飛
     行場を取り囲むように移転し、現在は、同飛行場の周辺は住民が密集する
     市街地となっている。
      同飛行場市が中央部に位置するため、道路は、飛行場のまわりに国道等
     が変則的に配置され、基幹道路の不足による交通渋滞や、大きく迂回する
     ことによる経済的損失が大きい。
      下水道等も、飛行場を迂回して計画しなければならず、そのために敷設
     距離が長くなり、また、勾配の関係で必要以上に地中深く敷設したり、ポ
     ンプアップする必要があり、工事費も大幅にかさむ。
    ハ 普天間飛行場の跡地利用計画(宜野湾市策定)
      同市は、沖縄本島中南部地域の中心部に位置し、同飛行場は、都市軸を
     分断する形になっている。また、同市の西海岸地区にはコンベンションセ
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     ンターがあり、同市と周辺市町村にまたがった南側には国立の琉球大学、
     私立の沖縄国際大学等があり、学園都市が形成されている。同飛行場は、
     本県における重要な開発可能空間である。
      一九九四年には同飛行場の跡地利用計画の基本構想が策定され、一九九
     五年には、その基本計画が策定されている。
      同飛行場用地は、ほとんどが私有地であるため、返還後の跡利用につい
     ては、地主の権利の確保及び市民・県民の生活の安定向上を図ることとさ
     れ、宜野湾市の将来像の構築と発展に寄与するとともに、文化財や緑地の
     保存・活用を図ることが前提となっている。
      同基本計画は、「アジアの国際交流拠点・宜野湾」を整備方針として、
     国際交流拠点の形成をめざすものであり、以下の都市形成を図るために必
     要な諸機能を導入することが計画されている。
    (1) 展示機能や生産機能を付帯した商取引の場となる「アジアの商談都市」
     の形成
    (2) アジア及び沖縄にとって必要な研究開発拠点及び情報発進拠点を目指す
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     「アジアの頭脳都市」の形成
    (3) コンベンション機能を備え、人や情報が交流する「アジアの会議都市」
     の形成
    (4) 生活環境と福祉等の整った職・住・遊を備えた複合都市「アーバン・リ
     ゾート都市」の形成

 五 行政事務の過重負担
  1 沖縄県の場合
 (一) 組織及び事務
     沖縄県における米軍基地関連業務は、主として総務部知事公室基地対策室
    においてこれを所管している。基地行政所管組織の設置の目的は、基地の整
    理縮小の促進を求める県民の意向を踏まえ、沖縄県の振興開発を推進する観
    点から、日米間で返還合意のあった施設・区域及び地域振興開発上必要な施
    設・区域の早期かつ計画的な返還を求めるとともに、県民の安全と福祉を守
    る立場から、米軍及び国に対し基地の安全管理並びに綱紀粛正を求め、米軍
    基地の存在によって派生する事件・事故の未然防止を図ることにある。
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     同基地対策室は、基地対策班及び軍用地転用班の二班一五人で組織され、
    基地対策班では主として (1)駐留軍基地等に係る調査及び対策、 (2)駐留軍
    基地等周辺の生活環境の整備、 (3)駐留軍等の行為等による損害補償事務を、
    軍用地転用班では主として (1)軍用地転用行政の総合的企画及び調整、 (2)
    返還軍用地の利用に係る企画・調整及び促進、 (3)市町村の軍用地転用計画
    の作成及び運用の指導、に関することを分掌している。
     同基地対策室は、我が国の米軍専用施設・区域の約七五パーセントが沖縄
    県に集中していることを反映し、県道一〇四号線越え実弾砲撃演習や読谷補
    助飛行場でのパラシュート降下訓練等の演習及び米軍基地に派生する事件・
    事故の度に現地調査や那覇防衛施設局、米軍当局への抗議申し入れを行うな
    どその対応に忙殺されている。
 (二) 臨時議会の開催状況(米軍関係)
     米軍基地等に起因する事件・事故等に係る沖縄県議会の臨時議会は、一九
    七九年度の五回、一九九四、一九九五年度の各四回など復帰後一九九五年一
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    二月一日までに、五五回を数え、臨時議会で為された抗議決議等は六七件に
    及ぶ。
     これら抗議決議は、その都度外務省を始め防衛施設庁、駐日米国大使館な
    ど日米両政府の関係要路へ直接出向いて手渡し、抗議・要請を繰り返してい
    るものの、目に見える形での解決、改善の跡が見られない。
  2 市町村の場合
 (一) 基地関係担当主管課
     米軍基地が所在する市町村は、現在二五団体である。そのうち米軍基地関
    係の主管課(係)を置いている団体が九団体である。
     米軍基地関連業務は、主管課を置いている団体では、主管課において、そ
    の他の団体では、総務課、企画課、経済課等において所管している。
     ただし、事件・事故によっては、一課で対応ができない場合がある。
     その場合は、関係課の連携により、対応している。
 (二) 米軍基地担当職員
     米軍基地が所在する二五市町村で、専任又は兼任の形で米軍基地関連の業
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    務を担当する職員は、合計五二人である。そのうち、専任職員は、一〇人で
    ある。
     団体間で米軍基地関連業務の質・量に差があるが、米軍基地関連業務が地
    方公共団体の加重な負担になっていることは否定できない。
 (三) 米軍基地問題に関連する臨時議会の開催状況
     米軍基地が所在する市町村二五団体における米軍基地問題に関連する臨時
    議会の開催状況は、過去一〇年間(一九八六年から一九九五年一二月一日ま
    で)に、当該市町村二五団体の合計で二二九回である。年四回以内の定例議
    会の開催が法定されていることを考慮した場合、このような臨時議会の開催
    状況は、関係地方公共団体の負担となっていることが明らかである。
 (四) 米軍基地から派生する諸問題に関連する要請活動
     米軍基地が所在する市町村二五団体は、基地から派生する諸問題の解決の
    ために、米軍、国、県に対する要請活動を行っている。
     最近の一〇年間の要請活動は当該市町村二五団体の合計で、五〇八件であ
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    る。
     過去一〇年間(一九八六年から一九九五年一二月一日まで)の要請活動の
    多い上位一〇団体を取り出してみると、合計で四五二件となる。
     要請数が一番多い団体では、実に一二四件の要請活動を行っている。
 六 米軍基地に起因する女性の人権侵害
  1 一九九五年一〇月二一日、八万五〇〇〇人を結集した県民集会が開かれた。
   この米軍基地の整理・縮小を求める県民世論の大きなうねりは、同年九月四日
   に発生した残虐きわまる米兵三名による暴行事件が契機となった。この事件で
   いたいけな少女の尊厳が踏みにじられた。これまでも繰り返されてきた基地被
   害がまたも悲惨な形で起こったことに、県民の怒りは爆発した。
    基地被害、中でも米兵による犯罪を取り上げるとき、戦闘行為を任務とする
   軍隊の本質を避けて通ることはできない。
  2 苛烈な規律と緊張のもと、生命の危険に曝される極限状態での戦闘行為を強
   いられる兵隊が、その抑圧の反動として、性的な解放を求めて性暴力を惹起す
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   ることはよく知られていることである。
    軍隊とは、そもそも武力・暴力によって敵を制圧し、力による優越的支配を
   貫徹させることがその目的であり、そのために隊の内部では指揮系統を統一し
   て絶対服従の関係を貫くことが本質的に求められている。それは、民主主義、
   他者との対等、共生という人間の尊厳に基づく理念とは相反するものである。
   組織的にこのような訓練を受けた軍隊の構成員が−しかもその圧倒的多数は必
   然的に男性である−女性に対して人間の尊厳を踏みにじる行為に及んで平然と
   するようになっても何ら不思議なことではない。
    これは、決して一般社会でも起こりうる性犯罪と同質にはとらえられない構
   造的なものである。一五年戦争における日本軍による従軍慰安婦問題、そして
   例えば南京大虐殺に伴う無数の婦女暴行事件などは、まさに軍隊がいかに性犯
   罪を必然的に引き起こすかを物語る歴史であった。
  3 沖縄占領直後の米軍もその点ではまさに同じだった。
    「具志川村兼箇段のTさん(三十歳)は終戦の翌年の三月、中城村(現北中
   城村)の仲順の畑で芋掘り作業中米兵三人に襲われた。
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    山の上から銃をもった米兵(いずれも白人)三人が畑の方に降りてきたのは
   午後一時頃だった。そのとき作業班の十四、五人はばらばらに散って自分の収
   穫しか考えていなかった。引率のCP(民警)にも目の届かない範囲にひろがっ
   ていた。
    いつの間にかTさんは仲間からはぐれてひとりっきりになっていた。米兵は
   三人がかりでTさんひとりに襲いかかってきた。はじめ手首を強くつかまれた。
   それをふりほどいて逃げようとするところ、こんどは手拳で顔面をなぐりつけ
   られた。前歯が二本折れた。もちろんTさんは叫び声をあげて助けをもとめた。
   しかし、年寄りと女たちだけの作業班には米兵に抵抗して彼女を救出するだけ
   の力はない。沖縄人のCPがついてはいても、それはまるで案山子のようなも
   ので、武装した米兵に向かって徒手空拳で立ち向かえるものではない。Tさん
   の叫び声を聞いて、みんなはわれさきに逃げ出した。とにかく米兵が近づいた
   ら逃げる、というのがこれまでもしばしばくり返された自己防衛の手段だった。
   Tさんの実姉の平安名ハルさん、宮里カマドさんもいったんはみんなといっしょ
   に逃げたのである。
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    その間に、必死に抵抗するTさんに三人の米兵はよってたかって乱暴を働い
   ていた。さらに顔をなぐられ口の端が避けた。それでも起き上がって逃げよう
   とするところを後ろから銃尻で足をなぐりつけられた。右足の関節が砕け、どっ
   と倒れて立てなくなった。…」(福地曠昭「沖縄における米軍の犯罪」一一三
   頁 同時代社)
    沖縄戦直後の混乱期にはこのような事件は日常であり、それらは「事件」に
   さえならなかったのである。
  4 対日平和条約の発効によって一応占領状態が終了しても、引き続き米軍統治
   下におかれた沖縄では、軍隊による性暴力は止むことがなかった。更に施政権
   返還後も、米軍基地は凶暴な顔を隠して居すわり続けた。米軍基地の実態に何
   ら変化がなかった以上女性の人権は侵され続けたのである。
    それらの事件のうち、特に大きく問題とされた一部を挙げてみる(以下「異
   議申し立て 基地沖縄」琉球新報社)。
   ・一九五五年九月三日、軍曹が石川市の幼女を拉致、暴行後殺害
   ・一九六六年七月二一日、金武村の道路脇で、基地内のクラブで働く三四歳の
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    女性が暴行され、殺害される
   ・一九七〇年五月二八日、牧港の第二兵たん部隊内で、早朝出勤途中の二一歳
    の女子雇用員が米兵に暴行される
   ・一九七〇年五月三〇日、具志川市で下校中の女子高校生が米兵に襲われる。
    暴行未遂に終わるが、ナイフで刺され、全治二カ月の重傷
   ・一九七一年四月二三日、宜野湾市大山で飲食店従業員の女性が暴行された後、
    石で撲殺される
   ・一九七二年一二月一日 沖縄市でキャンプ瑞慶覧所属の海兵隊員が二二歳の
    女性を暴行、殺害
   ・一九七三年五月二八日、沖縄市で、米兵一〇人が女性を乱暴
   ・一九七五年四月一九日、金武村で海兵隊員が女子中学生二人を乱暴
   ・一九八二年七月三一日、名護市でキャンプ・シュワブ所属の海兵隊員が三三
    歳の女性を暴行しようとして殺人
   ・一九九三年五月 二五歳の陸軍兵士が、一九歳の女性に暴行。この米兵は米
    軍により身柄を確保されたが、拘禁されていなかったために、司令書を偽造
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    して那覇空港から米国に逃亡した。この事件は、逃亡を許した米軍当局の監
    視体制の甘さが問題になり、綱紀粛正を求める抗議、要請が、県知事、県議
    会及び弁護士会などから相次いだ。他方、被疑者は一一月になって米国で逮
    捕されたが、被害者本人が告訴を取り下げ、結局その米兵は、一九九四年三
    月始めに米国で裁判を受け、降格処分を受けて軍から追放されただけであっ
    た。
   ・一九九四年も、七月一八日に一九歳の米兵が宜野湾市の民家で女性に暴行す
    るなど一年間で婦女暴行事件三件が報告されている。
    これらの事件をみると、女性の中でも特にいたいけな子どもが被害に遭うケー
   スが目立つこれらは氷山の一角であり、実際には被害を届け出なかったり告訴
   しなかったりした泣き寝入りのケースは数知れない。「実際のところ、被害者
   の一〇人に一人も、いや、一〇〇人に一人も訴えでていない、というのが・・・
   実感である。」という婦人相談員経験者の声もある。(高里鈴代「米軍基地−
   女性への暴力」)。
    一九九五年一〇月九日付米軍の準機関紙パシフィック・スターズ・アンド・
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   ストライプスによると、世界の米海軍、海兵隊基地の中で一九八八年以降の性
   犯罪関係の軍法会議が一六九件とトップであり、空軍についても嘉手納基地で
   性犯罪で検挙された隊員数は、米国のネリス基地に次いで二番目であった(琉
   球新報一九九五年一〇月一五日朝刊)。
  5 一九九五年一一月二七日、マッキー米太平洋軍司令官(海軍大将)が、米兵
   による暴行事件について、国防総省で「犯行に使用した車を借りる金があれば、
   女を買えたのに。三人はバカだ。」と発言し、即日辞任に追い込まれたことは
   まだ記憶に新しい。女性を蔑視するこの発言は、単に配慮を欠いたものとして
   やり過ごすことはできない。まさに先に述べた軍隊の性暴力に向かう本質の一
   端を明らかにしたものといえよう。
    このような女性の尊厳に対する侵害を根絶するためには、その根源となる米
   軍基地を整理縮小、撤去しなければならない。
 七 基地に侵害される子どもの権利
   「沖縄の中に基地があると言うよりも、基地の中に沖縄がある」といわれるよ
  うに、広大な米軍基地に隣接して住宅、学校等がひしめいている沖縄では、米軍
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  の演習、騒音等によって、日常的に子ども達の成育・教育環境が破壊され、子ど
  も達の平和的生存と発達の権利が侵害されている。
  1 実弾砲撃演習
 (一) 演習の実態
     キャンプ・ハンセン演習場では、生活道路である県道一〇四号線を封鎖し
    て実弾砲撃演習が実施されている。演習は、金武町中川集落近くのガンポジ
    ション九か所のうち数カ所に砲座を設定して約四キロ離れた恩納連山山系を
    着弾地として行われている。実弾砲撃演習では、一〇五ミリ及び一五五ミリ
    りゅう弾砲が使用されているが、一五五ミリ砲の最大射程はキャンプ・ハン
    センの規模をはるかに上回り、住民の生命・身体・財産は常に危険にさらさ
    れている。実弾砲撃演習は、一九九一年から一九九四年の三年間だけでも一
    万九二九六発が打ち込まれ、演習に起因する山火事も頻発し、住民に与える
    影響には甚だしいものである。この実弾の発射は、学校のすぐ近くで行われ、
    その騒音や振動によって、直接的に教育環境が破壊されている。
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 (二) 中川小学校
     中川小学校から、僅か数百メートルの範囲に実弾発射地点(ガンポジショ
    ン三一一〜三一三)が存在し、同小学校は、演習の度に、発射音、炸裂音、
    はげしい振動におそわれ、授業に大きな支障をきたしている。一九九一年八
    月二日に金武町が測定したところ、窓を閉めた状態で六三ホン、窓を開けた
    状態で八五ホンの騒音が測定され、学校保健法にいう望ましい環境基準(五
    五ホン以下)をはるかに上回り、さらには、校舎の真上がヘリコプターの飛
    行コースとなっているため、子供たちはヘリコプターの騒音にも脅かされて
    いる。この演習の様子について、中川小学校の生徒は「ドッカンと大砲がなっ
    た。学校のガラスがガタガタふるえている。じしんみたいだ。山をまもる人
    が『えんしゅうをやめろー』『せんそうはんたい』『山からでていけー』と
    マイクでさけんでいる。ヘリコプターがバタバタバタ、ビュビュととんでい
    る。ねずみいろのヘリコプター,赤やぎんいろのヘリコプター。まるで、山
    をくいころすかいじゅうだ。どうして山を、はげあたまにするのかなぁ。」
    と作文に記している。
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 (三) 喜瀬武原小中学校
     喜瀬武原小中学校は、長年の間、基地に最も隣接した学校として、実弾演
    習の騒音や破片の飛来などに悩ませられつづけてきたが、一九八八年四月、
    六、七〇〇メートル離れた場所へと移転した。学校が基地に追われたのであ
    る。しかし、ブート岳からやや遠のいても、演習によってブート岳に立ちの
    ぼる土煙や米兵のヘリによる宙吊り訓練などがむしろよく見えるようになり、
    子どもたちの教育環境が演習のため悪影響を受けていることにかわりない。
    一九九五年に行われた喜瀬武原区の集会では、喜瀬武原中学校二年の女子生
    徒が「大好きな古里の山がハゲ山になってしまった。」とその悲しみを訴え
    た。
  2 パラシュート降下訓練
    読谷村のほぼ中央に位置する読谷補助飛行場では、一九八五年以前は主に第
   三海兵師団第三偵察大隊などのパラシュート降下訓練に使用されていたが、一
   九八六年以降は、陸軍第一特殊部隊が降下訓練を実施している。
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    ところが、施設外落下事故が跡を絶たず、学校の給食室の側に、落下傘がお
   ちて子どもらを危険に巻き込んだ事故も発生した。一九四〇年には燃料タンク
   の落下による少女圧死、一九六五年にはトレーラー落下によって喜名小学校の
   棚原隆子ちゃんが圧死するという悲惨な事故も発生し、子ども達は、演習の毎
   に生命すら危険に脅かされている。
  3 嘉手納飛行場
 (一) 基地の概要
     嘉手納飛行場は、沖縄市(旧コザ市)、嘉手納町及び北谷町の三市町にま
    たがる面積一九九八平方メートルの基地である。
     嘉手納飛行場には、Fー一五イーグル戦闘機、KCー一三五空中給油機、
    Eー三A空中早期警戒体制機、Pー三C対潜哨戒機、HCー一三〇救難輸送
    機及びHHー三救難ヘリコプター等多数の航空機が常駐している。
 (二) 墜落の恐怖
     航空機の墜落の危険等は、最も直接的な教育破壊であるが、嘉手納基地に
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    配備された航空機の墜落等の事故は跡を絶たない。
     ことに、一九五九年六月三〇日午前一〇時四〇分頃、訓練のため嘉手納飛
    行場を飛び立った米軍ジェット戦闘機が授業時間中の石川市宮森小学校に墜
    落し、炎上した惨事は、いまなお沖縄県民の記憶の中に生々しく残されてい
    る。この惨事のため、児童一一人を含む一七人が死亡し、児童一五六人を含
    む二五〇人が負傷した。また、宮森小学校の校舎三教室、公民館一棟、住家
    一七棟が全焼し、二教室、住家八棟が半焼したのである。
     嘉手納飛行場に配備された飛行機は、日常的に子どもたちの通学する学校
    や居住する住宅地域の上を飛行し、子どもたちは常に墜落による惨事への恐
    怖、生命の危険にさらされている。
 (三) 騒音に脅かされる子どもたちの教育・成育環境
   (1) 騒音禍の実態
      騒音による影響は、それが継続すると、四五ホンで安眠の妨害、五五ホ
     ンで不快音、六〇ホンで会話の妨害、九〇ホンで作業能率の低下、一〇〇
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     ホンで聴力損失となると言われているが(沖縄弁護士会・「嘉手納基地爆
     音調査報告書」)、日本弁護士連合会が一九八二年にまとめた「飛行場・
     鉄道・道路における周辺対策の実態調査報告書」には、つぎのような凄ま
     じい嘉手納飛行場周辺の騒音被害の実態が報告されている。
      米軍基地の嘉手納町に占める割合は実に約八三%にも及び、町民は残り
     の約一七%にひしめき合って生活するとこを強いられている。このため、
     住民の居住地域は、国道五八号及び県道一六号線をへだてるだけで、滑走
     路、エンジン調整、格納庫、駐機場と隣接しており、例えば、屋良小学校
     などは、滑走路まで八〇〇メートル、エンジン調整場まで二〇〇メートル、
     基地のフェンスまでは一五〇メートルしかないのである。
      そして、居住地域、学校と隣接して嘉手納飛行場が存在しているため、
     飛行機の騒音の直接の影響下に置かれることになるが、その騒音の実態は
     もの凄いものである。一般に、飛行機、殊にジェット機の騒音の激しさは
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     よく知られているが、その中でも特に戦闘機の騒音のうるささ」は特筆さ
     れる。しかも戦闘機は編隊で飛ぶため更に騒音は増大する。そのうえ、基
     地に隣接して住民が居住しているため、昼夜をわかたないジェット機の離
     着陸音や、エンジン調整音に周辺住民は長期間にわたり苦しめられてきた。
     また嘉手納飛行場は軍用基地であるから、民間空港と異なり、離着陸時刻
     は一定していない。早朝深夜の飛行、エンジン調整をはじめ、通常の離着
     陸のほか、F・P(フライト・パス=上空通過)や、T・G(タッチ・ア
     ンド・ゴー=設置即発進)が頻繁に行われる。F・P訓練では、ジェット
     機が急上昇、急降下、住民居住地域上空の旋回を繰りかえし、T・G訓練
     では、ジェット機が滑走路へ降りたったと思うと、そのままスピードを増
     して離陸していき、住民居住地域を旋回して、再び滑走路へ降りまた離陸
     して行く、という訓練を何回も繰り返して行うのである。そして、これら
     のジェット機、特に戦闘機の騒音は、鋭い金属音で、しばしば一〇〇ホン
     を超え、文字通り「耳をつんざく」轟音である。沖縄県が一九七八年七月
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     から、嘉手納町役場屋上(滑走路中央部から直角に北東方向約一・五キロ
     メートル地点)に測定器を設置して行っている騒音調査によると、一九八
     〇年六月中の毎日の最高記録値はすべて九〇ホン以上であり、一〇〇ホン
     以上を記録した日が計一六日、最高値は六月一三日の一一一ホンであった
     (なお、右町役場と基地との間には学校や民家などが多数存在する)。ま
     た、夜間の飛行も多く、夜一〇時から翌朝七時迄の間に七〇ホン以上の騒
     音を一日平均一四回(一九八〇年四月)〜一七回((一九七九年四月)も
     記録している。深夜〇時から早朝七時迄の七時間では、一九七九年六月五
     日に最高の一〇二回、更に夜一〇時から午前〇時までの僅か二時間の間に
     一〇一回(一九七八年七月二五日)、六一回(一九八〇年四月二九日)も
     の信じられないような騒音回数を記録している。また一家団欒の時間であ
     る夜七時〜一〇時の間の騒音も多く、最高は七二回(一九七八年と七九年
     に各一回)を記録し、一九七九年一月から一年六か月の平均でも一六回と
     なっている。また、砂辺地区の騒音は、沖縄県が一九七八年四月から一年
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     間にわたって調査したところによると、一九七八年一二月の一日平均は二
     五六回(七〇ホン以上五秒以上継続音)を記録し、うち九〇ホン以上の騒
     音が一一四回にも達している。年間平均でも一日二一三回を記録し、うち
     九〇ホン以上は八一回にも及んでいる。最も激しかったのは、一九七八年
     一二月一二日の五九二回である。嘉手納町が一九七七年一一月に周辺住民
     四〇〇世帯を対象として行った聴取調査では、殆ど一〇〇%の人が航空機
     騒音を会話の邪魔だと感じ、電話・テレビ・ラジオ等の聴取を妨害してい
     ると訴え、また、八七%が読書妨害、八五%が睡眠妨害の被害ありと回答
     している。
      以上が、日本弁護士連合会が一九八二年にまとめた調査報告の内容であ
     るが、この騒音の実態は現在まで改善されておらず、嘉手納町立屋良小学
     校の屋上での騒音の測定結果では、一九九四年の騒音発生件数(七〇ホン
     以上五秒以上継続音)は一日平均一〇五回を記録している。
   (2) 騒音が身体や精神に及ぼす影響
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      右のように、嘉手納飛行場周辺の住民は、その生活全般にわたってすさ
     まじい騒音にさらされ、そのため、健康被害、睡眠妨害、精神的被害、生
     活妨害等の被害が生じている。
      住民は、異常なまでの騒音のため、一時的聴力損失の被害を被り、さら
     に、騒音の常態化のため慢性的な難聴になるなど、騒音によって直接健康
     を損なわれている。また、騒音は、単なる不快感を超えて、頭痛、肩凝り、
     目眩、疲労等の諸症状をもたらしている。さらに、騒音による精神的、心
     理的ストレスは、血圧や心臓等の循環器系の機能、胃腸などの消化器系の
     機能にも大きな影響を与えている。
      住民が騒音に悩まされるのは昼間だけではない。夜間も騒音にさらされ、
     安らかに眠ることすらできないのである。騒音による睡眠妨害について、
     横田基地騒音公害訴訟控訴審判決(東京高裁一九八七年七月一五日判決)
     は「強大な騒音により睡眠を妨害され、疲労の回復を妨げられることは、
     われわれの日常経験するところである。・・一般的にいって家屋内で六〇
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     ホン程度の騒音ともなれば、たとえ断続的騒音であっても、半数程度の者
     が就眠の妨害、覚醒の促進を訴えるようになり、五〇ホン程度でも、七、
     八割の者について睡眠深度が全体として浅くなり、血球数の変化(ストレ
     スの増大)があらわれることは、十分に肯認できるところである。従って
     このような騒音の暴露下に三六五日ほとんど連日のように置かれている場
     合には、住民の受ける睡眠妨害の程度は重大なものというべく、疲労が蓄
     積し、老人または病弱者の健康に有害な影響の出る可能性があることは、
     否定できないところであろう」と判示しているが、前述の嘉手納飛行場の
     騒音の実態に鑑みれば、いかに深刻な睡眠妨害が生じているかは明白であ
     る。
      また、精神的にも、住民は騒音の不快感、墜落や落下事故への恐怖感等
     の情緒的被害を受け、かかる情緒的被害は、精神的ストレスとなって、ノ
     イローゼその他の精神神経症状をもたらしている。
      さらに、騒音下におかれた住民は、会話、テレビ・ラジオの視聴等も妨
     害され、その騒音の悪影響は生活の全てに及んでいるといってもよい。そ
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     して、住民の中でも、とりわけ深刻な騒音による被害を被っているのは、
     身体、精神のいずれの面においても未発達の段階にある乳幼児らであり、
     授乳中の乳児は、乳首を放す、寝ていても手足をばたつかせる、あるいは
     泣き出すといった反応を示し、幼児も、満足に睡眠がとれない、おびえて
     泣き叫ぶなどの生理的悪影響を被っている。
   (3) 騒音による授業妨害
      前記「嘉手納基地爆音調査報告書」によれば、嘉手納基地の騒音の影響
     下にある教育施設は一九七八年度で、公立だけでも幼稚園三五施設、園児
     数四、六六三名、小学校三二校、生徒数二六、七二九名、中学校一三校、
     生徒数一二、〇五一名高等学校九校、生徒数一〇、八九九名であり、総計
     で施設数九〇施設、生徒数五四、五四二名となっており、その他私立の教
     育施設もあることから、嘉手納飛行場の騒音にさらされている園児、児童、
     生徒は相当な数にのぼっている。
      学校保健法三条の規定に基づいて出された「学校環境衛生の基準につい
     て」によれば、「教室は校内、外の騒音の影響を受けない環境が望ましく、
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     教室内の騒音レベルは、窓を閉じているときは中央値五〇デシベル(A)
     以下、窓を開けているときは中央値五五デシベル(A)以下であることが
     望ましい、また上限値は六五デシベル(A)以下であることが望ましい」
     とされている。ところが、嘉手納飛行場周辺の学校では、これをはるかに
     超える騒音のため、著しく授業を妨害されている。一九八〇年一一月一八
     日から同月二六日まで行われた沖縄県高教組中部支部による騒音調査の結
     果によれば、 (1)一時間の六〇デシベル以上の騒音発生回数は平均して九・
     六回、特に中部工業高校では一二・六回で五分に一回授業が妨害されてい
     る、 (2)六〇デシベル以上の騒音の継続時間は一日(測定時間七時間)に
     北谷高校で一時間一三分五三秒、中部工業高校、読谷高校でも一時間を超
     え、北谷高校、中部工業高校では毎時間一〇分以上も騒音にさらされてい
     る、 (3)平均騒音値は中部商業高校を除く五校で七〇デシベル以上となっ
     ており、ピーク値の平均も、石川高校、中部工業高校、北谷高校、普天間
     高校で九〇デシベルに近い数字が記録されている、 (3)継続時間は、北谷
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     高校では七〇秒以上が多く一回あたり平均六六・七秒も騒音が続いている、
     しかも、発生回数の八八・九%が七〇秒以上という異常さであり、次いで、
     石川高校、中部工業高校でも六〇〜六九秒の発生度数が多いことが明らか
     になっている。
      この騒音による授業のロスは甚だしいものである。一九六五年七月の屋
     良小学校における調査の結果によれば、一年間における授業中断の継続時
     間は、二四四時間三三分四五秒、六ヵ年の授業中断の継続時間は一四七〇
     時間であることが試算されている。六年生の年間授業時間は一〇八五時間
     と言われているから、実にその一・三五倍の授業時間のロスがあることに
     なる。中学校での三年間の授業時間のロスを加えると二〇二五時間と試算
     されているから、生徒の義務教育期間中の騒音による学習権の侵害には、
     はかり知れないものがある。
      「嘉手納基地爆音調査報告書」には、現場の教師の発言が収められてい
     るが、「外での授業は一時限に一〇数回も中断される」「教室内でも講義
     中、集中しない」「子どもたちが落ちつかない」「真剣さがない、集中力
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     がない」「注意力散漫」「講義のやま場に爆音がくると、授業中断して爆
     音が過ぎ去るのをじっと待つ」「学習減殺は確実にある」「学習意欲に大
     きく影響する」「集中力がない」というものであり、騒音が教育現場にも
     たらす悪影響を如実に示している。
   (4)  騒音が子供らの成長発達に及ぼす悪影響
      騒音は、成長発達過程にある子どもの精神的発育、性格形成上に看過す
     ることのできない悪影響を及ぼしている。
     (1) 屋良小学校の養護教諭が、屋良小学校と騒音影響が比較的少ない読谷
      小学校の一九七五年度の児童の健康状態を比較し、「教師の観察から他
      地域に比較して目立つ児童生徒の態度と行動」として、屋良小学校の子
      供たちを、「意志集中力が乏しく集会で注意散漫で話しの聞き取りが充
      分ではない、おちつきがなく情緒不安定である、友人間では必要以上に
      大声で話している、授業中小さい声で話すと聞こうとしないが大声で話
      すと聞く態度を示す、テレビ等の視聴覚の時間にボリウムを高くする傾
      向がある、粗暴でおこりっぽい」、と結論づけている。
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     (2) 一九六八年六月、砂川朝信教授(沖縄女子短大)が、屋良小学校の児
      童を対象に、嘉手納飛行場から約三〇キロ離れた与那原小学校と比較対
      象しながら調査研究した結果、沖縄の航空機騒音地区における児童の性
      格傾向は、一般に攻撃的な面をもち、多少情緒不安定の傾向を示し、ま
      た精神発達の遅滞から、社会的適応や社会性の発達に問題がある、と結
      論づけ、先の沖縄県公衆衛生協会らによる嘉手納中学校と騒音の影響の
      比較的少ない山内、与那原中学校とを比較対象調査した研究結果も、航
      空機騒音地域の生徒は他の地域の生徒と比較して、情緒不安定で攻撃性
      が強く、社会適応性が欠けていることを指摘している。
     (3) 一九七六年七月、沖縄県公衆衛生協会学校環境調査特別委員会などが
      行った「航空機騒音地域(嘉手納地区)における学童の心理的特性に関
      する研究」によれば嘉手納中学校の生徒は、騒音地域ではない山内、与
      那原中学校の生徒よりも、クレペリン検査による平均作業量が劣ってい
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      ることを指摘しており、これは騒音影響下の生徒の学習量や学習能率の
      低下を意味している。
     (4) 「嘉手納基地爆音調査報告書」に収められた教師の発言では、「カゼ、
      頭痛などの子どもが多い」「子どもの視力が弱い」「メガネをかけてい
      る子どもが多い」「小さな音には反応がない」「子どもの意思伝達がよ
      くない」「情緒不定」「おちつきがない」「あきっぽい」「気が短い」
      「おこりっぽい」など騒音が子どもたちの健康、精神的発育、性格形成
      上に少なからね影響を及ぼしていることを訴えている。
   (5) 解決にならない防音工事
     (1) 学校教室の防音工事は、一定の減音効果をもたらしているとはいえ、
      望ましい教室の授業音レベルには到底達しているとは言えない。沖縄県
      公害対策課と公害衛生研究所が一九七七年九月一六日に行った爆音調査
      によれば、防音工事の施されている屋良小学校の教育の内外における爆
      音の測定結果は、防音教室の内部においてはF4ファントムの離着時に
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      おいて最高六三デシベル、最低五七デシベル、平均五八・四デシベルが
      測定され、これと防音教室の外側における騒音の測定値とを比較した場
      合、建物自体の遮断効果を含め、最高三四デシベル、最小三〇デシベル、
      平均三二デシベル減という防音効果をあげているが、前述した学校教育
      法三条に基づく「学校環境衛生の基準について」のいう基準からするな
      らば、まだまだ十分の防音効果をあげていることにはならないのである。
      教室外で行う体育の授業や朝礼その他の集会など各種の特別活動につい
      ては、依然として航空機騒音の暴露下にあり、結局のところ、学校防音
      工事等も、学校教育等における妨害を完全に防止するには至っていない
      ものと言わねばならない。
     (2) また、季節を問わず年間常時窓を密閉したまま授業を行うことは、児
      童、生徒が自然の大気、外光、微風に触れる機会を奪うものであり、教
      室内に重苦しい雰囲気をもたらすばかりか、児童らが外に出たがらず、
      健康面その他での弊害も惹き起こしており、育ち盛りの児童らには好ま
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      しくない影響もある。
       防音教室は音の進入を防ぐために二重窓になっており、そのうちの外
      側の窓はゴムを密着できるような特殊な工法によるアルミサッシを取付
      けてある。そのため教室内はいわば密封状態となり、冷房装置と換気装
      置が完備されなければならない状態にある。
       また、防音教室では、教室内における冷房効果が基本的に維持され、
      教室外との温度差がかなり大きい。そのため教室内の冷房の中にいた子
      ども達は、暑い外部に出ようとせず、したがって、逆に冷房症、貧血、
      立ちくらみなどの症状を呈し、また運動不足を来たし、保健体育上大き
      な問題となっている。また換気装置が充分に機能しないため、二酸化炭
      素の累積と増大により、頭重、頭痛、めまい、疲労感などの症状をおこ
      している。
       一九七二年五月、屋良小学校の養護教論が二八五名の児童を対象にお
      こなったアンケート調査の結果によれば、「さむけがする」(三五・七
      %)「くしゃみがでる」(二六・三%)などの影響を与え、換気装置の
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      不備が「頭がいたい」(一六%)「頭が重くなる」(二五%)「頭がぼっ
      としてもの考えができないときがある」(四六・三%)「からだがだる
      くなる」(四七・三%)「つかれやすく感じる」(三二・三%)など、
      冷房教室内における炭酸ガスの累積等による健康への影響が明らかになっ
      ている。
     (3) 右にみたとおり、学校防音工事は、子ども達の教育環境についての解
      決になってはいない。そもそも、基地の規模や演習の実態を見直すので
      はなく、防音工事を施して子ども達をその中に閉じ込めれば騒音は聞こ
      えない、という基本的発想自体が誤っているのである。米国の教育条件
      基準として有名な「コネチカット州学校建築規則」(一九四一年)が
      「学校及び運動場での学校活動は、静かな周囲、新鮮な空気及び豊富な
      日光を必要とする」とうたっているように、静穏、空気、日照は、適切
      な学校環境の基礎をなす三条件といえるものである。子ども達が窓を開
      放した静かな教室の中で授業を受けられること、戦闘機等の恐怖に脅え
      ることなく運動場で伸び々々と遊ぶことができる環境を取り戻すことこ
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      そが、行政の責任である。騒音による教育環境破壊の根本的解決は、基
      地を縮小、撤去することしかありえない。
  4 普天間飛行場
 (一) 基地の概要
     普天間飛行場は、宜野湾市の高台にあり、面積四八三ヘクタールで、二八
    〇〇メートルの滑走路一本を有している。普天間飛行場は、宜野湾市の中央
    にあって同市の約二五パーセントを占めているため、地域振興開発、都市計
    画などの妨げとなっており、その存在は、子どもの目にも、「宜野湾市のちょ
    うど中央にあって、普天間から大謝名に行くとき、飛行場があるため、まわ
    り道をしていかないといけないのでとても不便です。また、あんパンでたと
    えると、ちょうど、おいしいあんの入っている所だから、あんパンの真中だ
    けをぬかれてしまったドーナッツのようなものです。」(普天間第二小学校
    五年生の作文)と写っている。
     普天間飛行場は、第一海兵航空団、とくにそのヘリコプター部隊である第
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    三六海兵航空群が司令部を置いて使用している飛行場として知られている。
    第三六海兵航空群には、重ヘリコプター中隊、中ヘリコプター中隊、軽攻撃
    ヘリコプター中隊、空中給油輸送中隊、観測航空中隊などが配備されている。
    また、普天間飛行場は、嘉手納飛行場の補助的役割も果たし、第一海兵航空
    団以外の海兵隊機、さらには米空軍機や米海軍機の離発着も多い。
 (二) 被害の実態
     普天間飛行場を取り囲む形に市街地が形成され、また、騒音源がヘリコプ
    ターである関係上、騒音の影響は市街全域に及んでいる。普天間飛行場の飛
    行回数は、一九八九年に六万七四八五回(一日平均一八五回)、九〇年に四
    万三三〇六回(一日平均一一九回)、九一年に三万三九六二回(一日平均九
    三回)にも及んでおり、その騒音被害は凄まじいばかりである。
     この騒音は、普天間基地周辺の学校環境に直接影響を及ぼしており、普天
    間高校の高校生は「私が通った普天間中学校は、運動場のすぐそばに米軍の
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    基地があります。普天間小学校は、フェンス越しに米軍基地があります。基
    地の周りには七つの小学校と、四つの中学校、三つの高校、一つの養護学校、
    二つの大学があります。ニュースで爆撃機やヘリコプターなどの墜落事故を
    知ると、いつも胸が騒ぎます。私の家からは、米軍のヘリコプターが滑走路
    に降りていくのが見えます。それはまるで、街の中へ突っ込んでいくように
    見えるのです。機体に刻まれた文字が見えるほどの低空飛行、それによる騒
    音、私たちはいつ飛行機が落ちてくるかわからない、そんな所で学んでいる
    のです」(一九九五年一〇月二一日県民総決起大会における普天間高校三年
    生の挨拶)と訴えている。
  5 基地と子どもの権利
 (一) 第一次世界大戦は、航空機やロケット等兵器の発達によって、戦地の兵士
    だけでなく、子どもや女性、老人にも戦争による犠牲を強いることになった。
    特に子どもの受けた犠牲は大きく、数知れない子どもの生命が奪われ、生き
    残った子ども達も、家や家族を失って過酷な生活を強いられた。そして、戦
    争による最も大きな被害者が子ども達であることが認識され、子どもの保護
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    が人類的課題として自覚されるようになったのである。一九二二年の英国の
    児童救済基金団体憲章(世界児童憲章)には、「過去数年の国家間における
    災害は、児童の上にも重大な心身の退化をもたらした。しかも、それは長く
    子孫にまで影響する恐るべき事実であった。それ故に人類の進歩と幸福とが
    危険にさらされていることを認識して、われわれは、世界中の国が力をあわ
    せて、児童の生命を守るよう呼びかける。」と述べられた。このように、国
    際的な子どもの保護への要請が、軍事のために子ども達を犠牲にしてはなら
    ない、という強い反省と願いから出発したものであることは、決して忘れて
    はならないことである。そして、世界児童憲章を基礎として、一九二四年に
    国際連盟で採択されたいわゆる「ジュネーブ宣言」は、その前文において
    「人類が子どもに対して最善のものを与える義務」を負うことを示し、一項
    で、子どもに「身体的および精神的両面の正常な発達に必要な手段が与えら
    れ」ることを求めた。人権一般の国際的保障に対する取り組みが未発達な時
    代において、子どもの保護については、国際連盟の文書として宣言されたの
    である。
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     ところが、人類は愚かにも第二次世界大戦を起こし、第一次世界大戦にも
    増して子どもに多大な犠牲を与えてしまった。この戦争に対する反省から、
    基本的人権の尊重こそが平和の条件であり、国際的人権保障が各国家の責務
    であることが共通認識として確立されるに至った。そして、子どもについて
    は、その可能性に応じて正常に発達する権利を有することが認識され、発達
    や学習の権利という新しい権利が人権として保障されるようになった。
     国内的には、日本国憲法二六条一項が「すべて国民は、法律の定めるとこ
    ろにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」と規
    定して、教育の権利を保障した。憲法は、発達の可能態としての子どもの独
    自性を認め、将来にわたってその可能性を開花させ、人間的に成長する権利
    を保障したのである。そして、憲法を受けて制定された教育基本法は、前文
    において、「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国
    家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。
    この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。われらは、
    個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、
    普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなけ
    ればならない」とその由来と理念を述べ、一条で「教育は、人格の完成をめ
    ざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価
    値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な
    国民の育成を期して行われなければならない」と教育目的を定めた。そして、
    一〇条二項は、「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに
    必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」と規定し、
    教育に必要な諸条件の整備を行政に義務づけた。これは、子どもの教育を受
    ける権利には、教育条件整備要求権が包含されており、この権利に対応する
    ものとして、行政の義務が定められたものに他ならない。
     国際社会においては、一九四八年に国連総会で採択された世界人権宣言の
    二六条で、「すべて人は教育を受ける権利を有する」、「教育は、人格の完
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    全な発展並びに人権及び基本的自由の尊重の強化を目的としなければならな
    い」と規定され、発達・成長過程にある子どもの独自の権利の保障の必要性
    が、国際社会において、認められるようになった。そして、一九五九年に国
    連総会で子どもの権利宣言が採択され、前文においてジュネーブ宣言と同様、
    「人類は、子どもに対して最善の利益をあたえる義務」があることをうたい、
    一〇カ条におよぶ権利を掲げるにいたった。それは、「子どもは、特別な保
    護を受け、かつ、健全かつ正常な方法で、ならびに自由および尊厳という条
    件の下で、身体的、知的、道徳的、精神的および社会的に発達することがで
    きるための機会および便宜を、法律およびその他の手段によって与えられな
    ければならない。この目的のために法律を制定するにあたっては、子どもの
    最善の利益が最優先で考慮されなければならない」(原則二)、「子どもは、
    健康に成長しかつ発達する権利を有するものとする」(原則四)、「子ども
    は教育を受ける権利を有する」(原則七)、「子どもは、あらゆる状況にお
    いて、最初に保護および救済を受ける者に含まれなければならない」(原則
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    八)、「子どもは、理解、寛容、諸人民間の友愛、平和および世界的兄弟愛
    の精神の下で、かつ、その活力および才能が人間同胞のために捧げられるべ
    きであるという十分な自覚の下で育てられなければならない」(原則一〇)
    といった具体性をもったものであった。
     さらに、子どもの人権宣言から二〇年を経た一九七九年を「国際子ども年」
    とし、これに向けて、ポーランドを中心とした子どもの権利保障のための国
    際条約化の動きがでてきた。同国が熱心に条約推進に努力したのは、戦争に
    よる子どもの被害が同国において最も顕著だったからである。国連では、一
    二年に及ぶ審議を経て、子どもの権利宣言三〇周年の一九八九年一一月二〇
    日総会における全会一致をもって、子どもの権利条約を採択した。子どもの
    権利条約は、前文において、既に国際的に承認されている国際人権規約等と
    同様に人間の尊厳と基本的人権の承認が世界の自由、正義及び平和の基礎を
    なすことなどを再確認するとともに、子どもは特別な保護及び援助について
    の権利を有することなどを確認し、三条で、「子どもの最善の利益」が本条
    約の指導原理であることを示した。そして、本文中には、豊富で具体的な子
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    どもの権利のカタログを掲げているが、そのなかから、沖縄の米軍基地と子
    ども達との関係で特に重要と思われるものをいくつか摘示しよう。六条は、
    一項で「締約国は、すべての子どもが生命への固有の権利を有することを認
    める」と規定したこととならんで、二項で「締約国は、子どもの生存および
    発達を可能な限り最大限確保する」と規定した。子どもの権利条約が、生存
    と発達を特に明記したのは、子どもが発達の可能態であり、また社会的弱者
    であることに注目したものである。本条は、締約国が子どもの生命を守り、
    その生存と発達を確保するために、子ども達の成育環境破壊を防止する措置
    をとらなければならない積極的義務を負うことまでも規定していると解され
    る。二八条は「締約国は、子どもの教育への権利を認め」るとし、二九条は、
    教育の目的について、a人格・才能・能力の最大限の発達、b人権・基本的
    自由・国際連合憲章の諸原則の尊重、c子どもの文化的アイデンティティ・
    言語・価値の尊重、国民的価値や他の文明の尊重、d国際理解・平和・寛容・
    性の平等・友好の精神の下で自由な社会における責任ある生活の準備、e自
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    然環境の尊重を掲げている。三八条は、「締約国は、子どもをまき込んでい
    る武力紛争において、自国に適用可能な国際人道法の規則を尊重し、かつそ
    の尊重を確保することを約束する」と規定し、軍事からの子どもの保護につ
    いて明記している。そして、四条は、「締約国は、この条約において認めら
    れる権利の実施のためのあらゆる適当な立法上、行政上およびその他の措置
    をとる。経済的、社会的および文化的権利に関して、締約国は、自国の利用
    可能な手段を最大限に用いることにより、および必要な場合には、国際協力
    の中でこれらの措置をとる」と規定した。子どもの権利の実現と拡充のため
    に積極的な努力を行うことを締約国の義務とし、それが国際協力の下で進め
    られることを義務づけたのである。
     以上のとおり、子ども達は、国内的にも、そして国際法においても、平和
    的生存と発達のための子ども固有の諸権利を保障されているのである。
 (二) ところが、沖縄の現実はどうか。子ども達の学ぶ校舎や運動場の上をジェッ
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    ト戦闘機や戦闘ヘリがとびかい、騒音のため授業が中断されてしまう。学校
    から僅か数百メートル砲座から実弾が発射され、教室は激しい振動と騒音に
    襲われる。窓の外に目をやれば、山肌が砲弾に抉られ、土煙をあげている姿
    が目に入る。しばしば山火事にすら脅かされる。空からパラシュートが降り、
    民家や農地へ着地する。戦闘機の騒音は、戦争時と同様に子どもを苦しめ、
    その授業を妨害する。子ども達の通学路を迷彩服の兵隊が銃をかかげて行進
    する。基地とフェンス一つ隔てて、学校や民家が密集しているため、子ども
    達が、米兵の犯罪行為の直接の被害者となる例も後を絶たない。子ども達の
    目に写る光景は戦争そのものであり、軍事基地の存在は子ども達の平和的生
    存と発達の権利を日常的に侵害している。このように、沖縄県において、子
    ども達の権利侵害が生じているのは、沖縄県への基地の集中によるものであ
    る。国土面積の約〇・六%にしか過ぎない沖縄県に在日米軍基地(専用施設)
    の約七五%が集中しているため、子どもの成育・教育環境が基地に隣接せざ
    るを得ず、基地の直接的な影響下に置かれているからである。そして、子ど
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    も達は、平和的生存と発達の権利を有するのであるから、沖縄への基地の集
    中を解消して成育・教育環境への基地の影響を断ち切ることを、子どもの権
    利として要求できるのであり、これを実現することは、日本国、国際社会の
    責務である。
     沖縄県民が、様々な立場の違いを超えて、県民の共通の悲願として基地の
    整理、縮小を求めていることの背景にあるのは、子ども達が将来の社会の担
    い手であり、その平和的生存と発達の権利を保障することは将来の世代に対
    する責任であるという、熱い思いにほかならない。一九九五年一〇月二一日
    に八万五〇〇〇人が参加して行われた「米軍人による少女暴行事件を糾弾し
    日米地位協定の見直しを要求する沖縄県民総決起大会」での高校生代表挨拶
    は、「私は今、決してあきらめてはいけないと思います。私たちがここであ
    きらめてしまうことは、次の悲しい出来事を生みだすことになるのですから。
    いつまでも米兵に脅え、事故に脅え、危険にさらされながら生活を続けてい
    くことは、私は嫌です。未来の自分の子供たちにも、そんな生活はさせたく
    ありません。私たち生徒、子供、女性に犠牲を強いるのはもうやめてくださ
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    い。私は戦争が嫌いです。だから、人を殺すための道具が自分の周りにある
    のも嫌です。次の世代を担う、私たち高校生や大学生、若者の一人ひとりが
    本当に嫌だと思うことを口に出して、行動していくことが大事だと思います。
    私たち若い世代に新しい沖縄のスタートをさせてほしい。沖縄を本当の意味
    で平和な島にしてほしいと願います。そのために私も、一歩一歩行動してい
    きたい。私たちに静かな沖縄を返してください。軍隊のない、悲劇のない平
    和な島を返してください」と結ばれている。
     この高校生の願いに応えることこそが、沖縄県の県益であり、日本国の国
    益であり、そして人類の未来への責任である。