大田知事の陳述書  


事件の表示        平成七年 行ケ 第三号
  被告沖縄県知事本人調書
(この調書は、第四回口頭弁論調書と一体となるものである。)
期日 平成八年三月一一日午後一時〇〇分
氏名 大田昌秀
年齢 七〇歳(大正一四年六月一二日生)
職業 沖縄県知事
住所 沖縄県宜野湾市字嘉数八四一番地
 裁判長は、宣誓の趣旨を告げ、本人がうそをいった場合の制裁を注意し、別紙宣誓
書を読みあげさせてその誓いをさせた。
 陳述の要領
別紙速記録のとおり
                        裁判所書記官 上原宏光 印
                        裁判所書記官 知念正次 印
---------- 改ページ--------
      宣  誓
良心に従って、真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います。
                        氏名  太田昌秀 印
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               (空白)
---------- 改ページ--------2
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                      原本番号 平成八年民第一号の二
 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
                            平成八年三月一一日
  速  記  録
                            第四回 口頭弁論
 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
  事件番号 平成七年行ケ三号          被告本人氏名 大田 昌秀
 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
  被告代理人(中野)
 1 あなたが沖縄県知事に就任したのは平成二年の一二月一〇日とありますけれど
   も、それは間違いないですね。
     間違いありません。

 2 平成六年の一一月に実施された県知事選で再選されて、同年の一二月一〇日か
   ら二期目の任期を現在全う中であるということでよろしいわけですね。
     はい。

 3 あなたが知事に立候補するに至った経緯について述べていただけますか。
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     私は琉球大学で広報学・社会学の研究をしながら、学生の講義を担当して
     おりました。その間、地元の新聞をはじめ県外の新聞雑誌に、沖縄の問題
     についていろいろと論文を発表いたしておりました。一九九〇年の第一期
     目の知事選挙に出馬するその四年前に、実は県民のいろんな団体から知事
     選に出馬してくれという要請を受けましたけれども、私は研究者であると
     いうことでお断りしました。その後、四年たちまして、一九九〇年の選挙
     の年になりまして、以前に私に出馬を要請したいろんな団体の人たちが私
     のところへまいりまして、君は沖緯県の歴史について、これまでいろいろ
     書いてきたと、その歴史を踏まえて、沖縄とはこういう沖縄でなくちゃい
     けないという沖縄のあるべき姿とか、あるいは望ましい姿というものにつ
     いて、いろいろ論文を書いてきたと。そうすると、この際、自分で書いた
     その言論に忠実に、自ら行政の場に出てそれを実行する責任があるのでは
     ないかと、つまり、自分の言語に責任を持てということを言われまして、
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     これが一つのいわば決定打になりました。私はそれまでずっと断り続けて
     おったわけですが、自分の言論に責任を持てと言われまして、県民がそれ
     を望むのであれば、選挙選に出てみたいということで選挙に出ました。そ
     れで当選することができまして、その後、二期目を迎えるという状況にな
     っております。

 4 一期目に選挙に打って出たわけですけれども、そのときの公約を覚えていらっ
   しゃいますか。
     何よりも県民の命と暮らしを守り、心豊かな県政を作るということとか、
     あるいは憲法を暮らしに生かすとか、基地撤去をすると同時に、戦後処理
     問題というのが片づいていませんでしたから、戦後処理問題の解決を図る
     といったような一三の公約をいたした記憶があります。

 乙第五七号証を示す
 5 これは「『二一世紀にむけた新しい沖縄』県知事選挙革新共闘会議・基本政策」
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   というタイトルで書かれていますけれども、これが一期目に立候補したときの
   公約に間違いないわけですね。
     そうです。

 6 平和憲法を暮らしに生かし、アジア諸国および国際平和に貢献する県政を進め
   るという大きなタイトルで、以下、公約が記載されていますけれども、それが、
   あなたが知事選に出てたときの公約であるということですね。
     はい、そうです。

 7 平成六年、一昨年の一一月にも選挙がありましたけれども、そのときの選挙公
   約は覚えていらっしゃいますか。
     十分に覚えていませんけれども、特に基地の整理縮小、平和行政を進める
     ということとか、県民による県民のための県政をするとか、地方自治の確
     立を図るとかいったようなものを含めまして、一〇項目の公約をしたと記
     憶しております。
---------- 改ページ--------6
  乙第五八号証を示す
 8 「二一世紀へはばたく『平和で活力に満ち潤いのあのる沖縄県』」というタイ
   トルで公約が記載されていますけれども、それはそのときの公約に間違いない
   わけですね。
     はい、そうです。

 9 基本政策の柱ということで、1から10までありますけれども、そのとおりで
   すね。
     そのとおりです。

10 1番目は「日本国憲法と沖縄の歴史に根ざした平和行政の推進と、基地問題及
   び戦後処理問題の解決努めます」と、これが柱になってるわけですね。
     そういうことです。

11 かなりの基本政策、公約を掲げておりますけれども、現在どのような基本政策
   に基づく県政を運営していますか。
     私が知事になりましてから、いわば県政のアイデンティティとでも申しま
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     すか、県政の一番分かりやすい表現の仕方は何かということで、いろいろ
     検討してまいりまして、いわば沖縄の県政のキーワードといたしまして、
     平和・共生・自立ということを挙げております。この平和・共生・自立と
     いうものを基本の柱にいたしまして、何よりも県民が日常的に心やすらか
     に潤いのある生活ができるような、これを目指すと同時に、そのためには
     平和行政の推進というのが非常に大事でございまして、特に沖縄の場合で
     すと、沖縄戦の体験というのを今もって県民は心の底に引きずっている形
                                   ママ
     で生きておりますので、平和行政の推進という意味で、国際平和の森構想
     というものを作りまして、まず、平和の確立というものに努めております。
     共生というものにつきましても、来るべき二一世紀にむけて、我々が特色
     ある県政を作るためには、沖縄のこれまでの伝統的な生き方そのものを大
     事にする必要から、沖縄ではユイマールとか摸合とかといった、文字どお
     り共生の生き方そのものが伝統的に現在も生き続けておりますので、これ
---------- 改ページ--------8
     を非常に大事にしていきたいという意味で、異なった文化とか民族とか宗
     教とか、あるいは言語の違いとかというのを乗り越えて、更にはまた自然
     と人間との共生というもの、それから障害者やあるいは健常者が一緒にな
     って生きていくとか、あるいはお年寄りや若い人が一緒に助け合って生き
     ていくという、そういうものを目指しております。更に自立ということに
     つきまして、沖縄がかつて歴史的にみますと、たえず自らの生活を自ら作
     りあげることができずに、他律的に生きるのを余儀なくされてきたという
     背景がありますので、それを自らの生活は自ら作っていくと、分かりやす
     い言葉で言いますと、自らの運命は自ら決定できるように、そういう生き
     万を作っていきたいということを基本に据えて県政を推進しているところ
     ですが、今一つ申し上げたいことは、国が復帰後の沖縄の県政に対して、
     第一次振興開発計画、これは一〇年単位の時限立法でございますけれども、
     その第一次振興開発計画と第二次振興開発計画において、アメリカの統治
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     下に置かれたときに生じた諸々の格差の是正ということと、沖縄の財政基
     盤が非常に弱いという立場から、自立的発展の基礎条件の整備、基盤作り
     ということを一次振計、二次振計の目標に掲げてきました。現在は三次振
     計のちょうど折返点に当たっておりますが、この第三次振計では、従未の
     格差是王の問題と自立的発展の問題に加えまして、広く日本の経済社会及
     び文化に寄与する特色ある地域づくりというのを、三次振計の基本目標に
     掲げおりますので、これらを基本に据えて県政を推進しているところであ
     ります。

12 平和・共生・自立ということに関して、今述べていただきましたけれども、平
   和ということは、もちろん、これはすべての行政の願いですけれども、あなた
   自身、特に沖縄での戦争体験を通じて、平和に対する特別の思いというのがあ
   るかと思いますけれども、それを述べていただけますか。
     私白身というよりか、私も戦争中、学生隊の一員として、県下の男子中等
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     学校の学生たち、女学校の学生たちが、守備軍司令部に動員されまして戦
     場に出たわけでございますけれども、そのときに我々が戦時中に受けた教
     育というものは、国のためには命を捨てるのが人間としてまっとうな生き
     方だということをたえず教えられました。我々はいささかもそれに疑問を
     挟むことなしに、先生や世の指導者から右を向けと言われれば右を向くし、
     左を向けと言われれば左を向くという具合に、ひたすらに国の政策にすベ
     てを賭けていくというような、そういった教育を受けてきましたので、戦
     場に出るときも何らの疑念も持たずに、戦場に銃を取って出たわけですけ
     れども、ただ、戦争の過程で私たちが目撃したのは、当初第二次世界大戦
     というのは、聖戦、聖なる戦だと、つまり、東洋民族を欧米の植民地から
     解放する非常に神聖な目的を持った戦争だということで教えられとったわ
     けですが、実際に戦場に出てみると、友軍兵士同士が殺し合うとか、ある
     いは友軍兵士によって地元の住民が濠から追い出されたり、食料を奪われ
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     たりというのを目の当たりに見て、いったいこれはどういうことなんだろ
     うかと、私などが戦時中にうけた教育とは全く違う現象というのが戦場で
     毎日のように見られまして、そのときに私はもし生き延びることができた
     ら、なぜこういうことになったのかと、いったい何が狂っていたのかと、
     何が原因で我々はこのような事態に陥ったのかということで、特にそのこ
     とを考え続けてきたわけですが、そうした思いが非常に強くありまして、
     戦後沖縄の生き延びた人々は、共通に、二度と再び我々が体験したような
     悲惨な戦争を繰り返してはいけないという思いを抱いていたというふうに
     私は信じております。したがいまして、そのような思いから沖縄にとって
     は平和こそが非常に大切であると、特に、沖縄は伝統的に、これは後にな
     って勉強して分かったことですけれども、琉球王国時代には国の方針とし
     て、平和外交というものを国是としてやっておったと、その手段として、
     東南アジア請国と貿易を通して友好関係を結ぶ、そういった生き方をして
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     いたと。それが小さいながらも琉球王国が数百年の間存続できた一つの原
     因だということを、いろいろと書かれているのを読みまして、非常に感銘
     を深くしたわけです。例えば「おもろさうし」の研究で有名な仲原善忠先
     生が書かれたものの中に、この方は非常に有名な歴史家・郷土史家でござ
     いまして、この先生が「おもろさうし」というのは、ほぼ一二世紀から一
     七世紀ごろの沖縄のいろいろな歌謡とか神事ごとを歌に読んだものをまと
     めたものですけれども、その中に殺りくを意味する言葉が一つもないとい
     うことを特に書いておられまして、そういった意味から、沖縄でよく知ら
     れているように、尚真王、これも非常に有名な王様でございまして、この
     王様が一五世紀のころから武器を携帯することを禁止しましたので、欧米
     でも特に一八一六年にバジル・ホールというイギリスの海軍士官が沖縄に
     来まして、沖縄は武器のない国だということを記録に書いて、欧米でも平
     和愛好の民として沖縄人は知られてきたという歴史的な背景があるわけで
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     す。そのような伝統的な背景を生かす意味でも、沖縄では平和行政という
     のが非常に大事だということで、平和行政というものについては特に力を
     入れてまいりました。具体的には、例えば、平和の礎の建立とか、今やっ
     ておりますけれども平和記念資科館の建設、更に国際平和研究所の設置も
     今着々と進めているところであります。

13 知事のさっき証言しておりました平和・共生・自立という三本の柱というのは、
   やはり沖縄の琉球王国からの歴史にちなんだ考え方になるわけですね。
     単に歴史にちなんだ考え方だけではなくて、日本という国はどちらかとい
     うと、同一言語、同一民族という画一性といいますか、それを非常に強調
     した教育をしておりまして、それが逆にどちらかといいますと、異なった
     民族、異なった文化、異なった言語を持つ人々を排除するというような点
     がございまして、沖縄では戦時中、沖縄の方言なんかというものもそうい
     った意味で日本の東京の標準語にそぐわない言葉だということで、これが
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     卑しいものとして、こういうのは撲滅すべきだということで撲滅させられ
     たり、沖縄的な服装とか音楽、例えば、三味線をひくとか、これも二級の
     日本人がやるものであって、こういうものは忘れ去るべきだということで、
     そのような教育を受けてきました。これも一つには、異なったものを排除
     するということは、共生の生き方からは随分と離れた生き方になるもので
     すから、そのような戦時中の苦い体験も踏まえまして、また来るべき将来
     を考える場合、世界連邦の話なんかもよく出ますけれども、異なった言語、
     異なった文化、異なった民族、異なった宗教を持った人々もみんな人間だ
     という立場で、人類が本当にお互いにその異質性を認めあっていくことが、
     来るべき二一世紀に向けて非常に大事な生き方じやないかという気もしま
     すので、そういう将来に向けての考え方も当然入っております。

14 今、証言にありましたけれども、昨年は戦後五〇年に当たる節目の年でありま
   したですね。この平和の礎を沖縄南部に造りましたけれども、それは知事とし
---------- 改ページ--------15
   ては沖縄戦で戦没したすべての人々の名前を刻んであるわけですね。
     はい。

15 それを創した知事の考え万というのは、何に出てくるんでしょうか。
     戦争に出まして、戦場で見たいろいろな様相というのは、どのような口実
     を設けても、人間同士が殺りくし合うということは、これは大変なことだ
     というのを実感いたしました。戦場の実際の姿というのは、敵といわれて
     いたアメリカ兵が我々の兄弟なんかの命を救ったり、味方として頼りにし
     ていた守備軍の将兵が、先ほども申し上げましたように、我々の親兄弟を
     殺りくするというような場面も実際にあったわけですね。二度とこういう
     ことがないようにするためには、私の考えでは敵として戦った人々、つま
     り戦争に勝ったような人々も、やはり戦後になって非常に心に深い傷を負
     ってると思うんです。これはベトナム戦争に行った人たちのアメリカの例
     からいっても言えると思いますが、ですから、二度と戦争を繰り返さない
---------- 改ページ--------16
     ためには、敵も味方もなく、皆がその誓いを新たにして、このような人間
     が人間を殺し合うということはやめていくと、そのためにも死者たちのお
     かげでそういう考え方も出てきているわけですから、その死者を弔うこと
     は非常に大事だと、そこには敵・味方もないという気持ちで、かつての敵
     であったアメリカ兵の戦死者たちの名前も一緒に、沖縄の戦死した人たち、
     それからもちろん県外からいらした方々の戦死者の名前も一緒に、平和の
     礎に刻んだわけでございます。

16 今、知事の沖縄県政を進める上での基本的な姿勢というのはよく分かりました
   けれども、いよいよ本論に入りますけれども、知事は五年前の平成三年防衛施
   設局から土地調書・物件調書の公告・縦覧の要請に応じておりますけれども、
   それに応じた経過といいましょうか、それを申し述べていただけますか。
     私は公約で基地の撤去もしくは基地問題の解決というのを掲げておりまし
     たし、また、私の支持母体が強くそのことを望んでおりましたし、そうい
---------- 改ページ--------17
     った関係で、公告・縦覧に署名するのは厳しいということで、当初控えて
     おりました。しかし、そのころは、まだ知事になって間もないころでして、
     行政についてほとんど知らない状況がありまして、県ではちょうど三次振
     計の策定を国のほうにお願いしていたり、平成四年度の予算の審議とか、
     そういうものをお願いしていたり、復帰のときにできました特別措置法の
     期限が切れてこれを延長する問題とか、県政全般にかかわる問題で非常に
     重要な案件が幾つもございました。まだ行政に入って間もないころですか
     ら、この代理暑名については県庁のスタッフ内でも賛否両論がありました。
     私は個人的には公約もありましたし、また私自身の政治的な信念とでも申
     しますか立場からいいましても、土地の強制使用というものについては疑
     問を持っておりましたので、何とかこれを避けたいとして、約一〇〇日ほ
     ど考えあぐねておりまして、いろんな方とも相談しましたけれども、最終
     的には今申し上げました県庁の内部のスタッフの間にも賛否両論があった
---------- 改ページ--------18
     だけじゃなくて、県議会でも賛否両論がありまして、そういったことを配
     慮して、全般的な県政を運営していく上で、これは国に協力するほうがよ
     り県政のためにいいという観点に立って、最終的には代理暑名をいたしま
     した。これは結果として、私としては自らのいわば公約を裏切る形になり
     ましたけれども、しかし、その時期においては大事なことだったというふ
     うに考えています。

17 当時のマスコミでは、知事が苦渋の選択をしたという報道をされておりました
   けれども、そのとき公告・縦覧をしてもらいたいという、それについて何らか
   の政府側からのコメントがあったように聞いていますけれども、それについて
   はいかがですか。
     公告・縦覧に署名してくれということは、いろんな形で私に要請がありま
     したけれども、それは非常に厳しいと申しておりましたが、今申し上げま
     したような幾つかの基本的な理由で、私としては国の立場というのを大事
---------- 改ページ--------19
     にしたほうがいいということで応じたわけです。それに対して、防衛庁長
     官も防衛施設庁長官も、沖縄県知事が誠意ある態度をもって国に協力した
     ので、国も沖縄県の基地問題の整理縮小については、誠意ある対応をした
     いと、例えば、新たな措置も考えていきたいと、従来とは違って、積極的
     にもう少し沖縄の基地問題の解決に努めたいという趣旨のコメントが発表
     されまして、それが私のところにも届けられました。

18 これは記録によると、知事が公告・縦覧に応じたのが平成三年の五月の二八日、
   同じその日に、政府防衛庁池田長官がコメントを発表して、沖縄の基地の整運
   縮小に政府もあげて努力するというようなことになったわけですね。
     日にちははっきり覚えておりませんけれども、私が公告・縦覧の署名に応
     じた後だったことは確かでございます。

19 実際、その政府が示したコメントどおりに何らかの前進があったでしょうか。
     それまで沖縄の基地問題について、我々は防衛庁・防衛施設庁とか、ある
---------- 改ページ--------20
     いは外務省に行きまして、できるだけ県民の気持ちを酌んでいただいて整
     理縮小に努めていただきたいということ、事件・事故の防止を是非やって
     いただきたいということでお願いもしておりましたけれども、ほとんどた
     だ聞くだけということに終わっておりました。ところが、私が公告・縦覧
     に署名した後、政府では一一省庁の連絡協議会みたいなものを作りまして、
     沖縄の基地の整理縮小の問題について積極的に取り組む姿勢を見せたわけ
     ですけれども、実際には、残念ながら我々が期待するようなめぼしい成果
     というものはほとんどありませんでした。

20 一一省庁連絡協議会、これは平成三年の八月二日に作られているようですけれ
   ども、そこには沖縄側からどなたか出られたんですか。
     いや、これは沖縄側からは入っておりません。

21 知事としては、せっかく作ったけれども、ほとんど機能してなかったというこ
   とでしょうか。
---------- 改ページ--------21
     例えば、基地の返還に当たっては事前に通知をするとか、それから、跡地
     利用の問題についてもいろいろと配慮したいとか、地主の補償問題でした
     か、そういう問題についても県側の意向を体する形で前進を図りたいとい
     う、そういう超旨の話もあったと記憶しておりますけれども、しかし、実
     際的には、一一省庁の連絡会議がどういう構成かというのは分かったんで
     すが、構成メンバーの名前すら我々は分からないで、県側の意見を聞く場
     というのも一度も開かれたことはありませんし、そういった意味では残念
     ですが、ほとんど基地の整理縮小に関しては前進がなかったと言っていい
     かと思います。

22 資料等によりますと、復帰後、沖縄の基地の整理縮小が一五パーセントという
   ことですが、それはそのとおりですか。
     そうです。

23 それに対して、日本本土ではどのぐらいでしょうか。
---------- 改ページ--------22
     いろいろ資料によりますと、復帰後、今日までほぼ二三年間の間に、沖縄
     側は今ご指摘のとおり約一五パーセントぐらいの基地の縮小がなされてい
     るわけですが、その間、本土の場合は五九パーセントから約六〇パーセン
     トと言われておりますけれども、それほど基地の整理縮小が進んだわけで
     す。

24 基地の物件の中身ですけれども、本土の場合は公有地が多いと聞いていますけ
   れども、それはそうなんでしょうか。
     そうですね。基本的に、一言で本土サイドの米軍基地と沖縄の基地の違い
     というのを言えといわれますと、やはり沖縄の場合は民有地が多いという
     ことですね。本土の場合は約六〇パーセント前後が国有地になっておりま
     すけれども、沖縄の場合は三〇パーセント程度が民有地でして、残りの三
     〇パーセント程度が公有地といいますか、それからあとが国有地というよ
     うな形で、基本的にそういった違いがあると見ています。
---------- 改ページ--------23
25 本件土地調書・物件調書の立会署名を行わなかったことに関してこれからお聞
   きいたしますけれども、まず、それを拒否しようというふうに考えた原点とい
   いましょうか、それはどこから派生してたんでしょうか。
     一つには私が知事になるときの公約に、一期目、二期目を通しまして、基
     地問題の前進を図るという趣旨のことを約束しておりますし、歴史的な背
     景を見ますと、沖縄の土地問題というのは、戦後、沖縄の最重要問題だと
     いってもいいぐらい非常に重要な内容を持った問題だったと思います。例
     えば、一九五三年から五八年まで、いわゆる島ぐるみの土地闘争というの
     がありました。これはどういうことかといいますと、当初、沖縄の人のア
     メリカ軍に対する態度といいますか考え方というのは、非常に友好的でし
     た。それはどうしてかといいますと、戦争中、先ほど申し上げましたよう
     に、アメリカの兵隊が沖縄の人たちの命を救ったのがたくさんいたわけで
     す。そういったことで、戦後、その戦時中の恩義を感じて、アメリカ軍に
---------- 改ページ--------24
     対して非常に友好的な態度を取っておりましたけれども、一九五三年ごろ
     から本格的な基地建設が始まりまして、その前にもちろん四九年には中国
     での共産党政権ができたと、五〇年には朝鮮戦争が始まったということで、
     沖縄基地の戦略的な重要性ということが指摘されるようになりまして、土
     地の収用というのを始めたわけですね。米軍は平和条約が結ばれるまでは、
     ハーグの陸戦法規を一つの根拠にして土地を使用しておったわけですが、
     平和条約を結んで日本が独立するようになりますと、それを使えなくなり
     ましたので、土地の契約をすることになったわけですね。その布令・布告
     を出して契約することを要請して、当時、琉球政府というのができており
     まして、その琉球政府の行政主席と地主たちとが賃貸借契約を結んで、米
     軍に土地を使わせるということをやったわけです。ところが契約の内容が、
     地主の意向を踏まないで非常に安い賃借権を設定して、しかもその契約期
     間が二〇年という長い期間にわたりましたので、地主たちがこれに反対い
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     たしまして契約に応じなかったわけです。そうしたので米軍は困りまして、
     土地の収用令という布令・布告でもって土地を強制的に収用するというよ
     うなことをやって、それが復帰後はそのまま引き継がれるような形、もち
     ろん日本でできた駐留軍用地の特別措置法というのが今では使われてるわ
     けですが、そういった法律によって肩代わりされる形で土地の強制使用が
     行われ、復帰後でも今回で四回目の強制使用になるわけですね。そうしま
     すと、普通、民法での土地の契約期間というのは一般的には二〇年が限度
     とされているわけですが、その二〇年の二倍以上の期間をもう超えている
     わけなんですね。そういう状況の中で、土地を強制的に使うと、しかも日
     本国憲法があって、財産権の保障というのが憲法で明確に規定している状
     況の中で、強制的に土地を収用するということについては、これはいかが
     なものかということは、たえず私が研究者のころから非常に疑問に思って
     おりましたので、自分が行政の責任者になったときに、これは地主たちが
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     賛成して自らの土地を喜んで提供するならいざ知らず、現実に反対してい
     ると、しかも、そこの地主が住んでいる地域の市長や村長が、これまた代
     理署名に応じないという形で反対していると、それを県民のための県政を
     しようとする、そして日常的に県民の命と暮らしを大事にするというのを
     公約に掲げている知事が、強制使用に応じるということは県民の意向に背
     くことになるではないかという、そういった歴史的な背景が一つと、もう
     一つは、実態を見てみますと、沖縄というのは日本領土の面積の〇・六パ
     ーセント程度に過ぎませんけれども、そこに米軍の専用施設の七五パーセ
     ントが集中してるということですね。これはいかがなものかと、この日本
     が安保条約の重要性をいうのであれば、当然のこととして、その責任とか
     負担というのは、日本全国民が平等に負担すべきというのが理屈の上から
     は筋が通ってると思うわけですが、それが沖縄に過重に負担が占められて
     いると、しかも、先ほど申し上げましたように、復帰後二三年の間に沖縄
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     の基地の整理縮小がわずか一五パーセントに対して、本土では六〇パーセ
     ントも縮小されていると、それはちょっとおかしいんじゃないかというの
     はだれしもが考えることだと思いまして、そういった実態があると。更に、
     もう一つ非常に重要なことは、九五年の二月に米国防総省は東アジア戦略
     報告というのを公表いたしまして、俗にいうナイ・イニシアチブ、ジョセ
     フ・ナイという国防次官補が作った報告書なんですけども、その中で、日
     米の安保体制の重要性を強調すると同時に、東アジア地域に一〇万人の米
     軍を前方展開させる必要があると、そして、日本には四万七〇〇〇人の軍
     隊を置いておく必用があるということを言ってるわけです。更に、従来日
     米安保体制というのはソ連を敵視するという立場から、ソ連を仮装敵国に
     することで作られたわけなんですけども、安保条約の基本目標というのは、
     日本を含めて東洋の平和と安全を守るために安保体制が必要だと言われた
     わけですが、このナイ・リポートによりますと、これが世界的な規摸で、
---------- 改ページ--------28
     つまり安保条約、沖縄の基地の重要性というのは、東洋の平和と安全を守
     るために必要だと言われたのが、今度はグローバルな形で基地の重要性と
     いうものが言われるようになりました。
                          (以上 内 田 すみ子)
---------- 改ページ--------29
               (空白)
---------- 改ページ--------30
     つまり、アメリカの世界戦略の一環として、この安保体制が使われるとい
     う懸念が出てきたわけですね。そうしますと、我が県政が切実に望んでい
     る平和な社会をつくることによって、国際的な平和の創造に貢献したいと
     いう願いというのは、逆に踏みにじられる形になるし、しかも沖縄の基地
     というのは固定化される心配が出てきたわけですね。そうしますと、今の
     我々が責任の負えない、将来の子供たちの代まで、我々と同じような基地
     の苦しみを味わわせると同時に、戦争の不安を絶えず感じさせるというこ
     とは、これは行政の責任者として到底やることのできないことだという判
     断に立ったわけなんですね。そういったことと、それから今一つは、日本
     国憲法ができたときに、まだ沖縄は本土との交通も遮断されていまして、
     許されてなくてですね、我々は日本国憲法というものに触れる機会もなか
     たわけですが、密航船で憲法のコピーが沖縄に持ち込まれまして、私など
     もそれを鉛筆で写し取ったことがあるわけなんですが、そのときに私など
---------- 改ページ--------31
     が戦争中に感じた疑問というんですか、非人間的な教育を受けたり、ある
     いは非人間的な行動を戦場で見せつけられたりしたものが、その憲法で見
     事に否定されて、平和を大事にするということが明確にうたわれている。
     それから戦時中にはかえりみられることもなかった人間の基本的な権利と
     いったようなものもですね。それから国民主権の問題とかというものもい
     ただきまして、この重要性に非常に私個人が打たれたわけです。それを何
     とかして県政の上に生かしたいということで公約にもそのことを掲げたわ
     けですが、ナイ・リポートを読みますとそれに反するような疑問が出てき
     ましたので、これは行政の責任者としては代理署名に応ずることはできな
     いと。政府は日米の友好関係がいかに大事かと、そして日米の安保体制が
     いかに大事かということをおっしゃっているわけですが、そのことにはい
     ささかも異議は挟まないにしてもですね、私は逆に日米の友好関係を大事
     にすればこそ、私が代理署名に応じないで、基地問題を解決することのほ
---------- 改ページ--------32
     うが、より日米の友好関係に寄与する道だというふうに私は判断したわけ
     です。そういった意味で、やはりその辺がですね、応じることができない
     と。あえて申し上げますと、先ほど申し上げましたように、一九五三年か
     ら五八年にかけて、島ぐるみの土地闘争というのがありまして、そして沖
     縄の県民感情がいら立って、反米的な気運が非常に高まってきたわけです。
     最初はアメリカと極めて友好的な関係だったというのは先ほど申し上げま
     したけれども、それでライシャワー教授辺り、後に駐日大使になる方なん
     かが、ハーバードの教授時代ですね、沖縄問題の解決をしなければ日米の
     友好関係とか安保体制というものは極めて維持するのが難しくなるという
     論文なんか書いたわけなんですね。そしてライシャワーさんは、駐日大使
     になったときに、日本からの援助がそれまでなかったのを、財政的な援助
     を引き出して、沖縄問題び解決の促進を図ることのほうが日米の友好関係
     を図る道だということを非常に強調されて、で、結果的に日本復帰という
---------- 改ページ--------33
     のを実現さしたわけです。そのときに国防省辺りは、軍事的な立場から、
     このライシャワーさんの、日本復帰に対しては非常に反対したわけです。
     しかし、今申し上げましたように、沖縄の反米感情というのが土地問題の
     絡みで高まってきたので、これでは基地の維持というのも難しいというこ
     とになってきて、軍事的な利益と政治的な不利益を比較検討する過程で、
     沖縄の人々の政治的な目標である復帰を実現させることのほうが、軍事的
     に見ても、日米友好関係の立場からいっても有利だということで復帰とい
     うのを実現さしたわけなんですね。そういった歴史的な背景を踏まえて考
     えますと、今回の場合も、私が行政の責任者として、一部ではあっても、
     県民が自らの財産を、平和、人間の幸せに結び付く生産の場に使いたいと
     いって強制使用に反対しているのに対して、行政の責任者である私がそれ
     を無視して代理署名に応じるということは、私としては非常につらいこと
     だし、やるべきことではないと考えておりましたので、お断りしたわけで
---------- 改ページ--------34
     す。
26 要するに基地の形成の歴史、それから国の努力がかなり足りない、復帰後一五
   パーセントしか基地の整理縮小というのはあげられてないということ、それか
   ら安保の再定義というんでしょうか、この基地の固定化というのが、この拒否
   の理由ということになるわけですね。
     あえてもう一つ申し上げますと、先ほど〇・六パーセントしかない県の面
     積において七五パーセントの米軍の専用施設があると、在日米軍の専用施
     設がこの狭小な沖縄にあるということを申し上げたのが、結果としてどう
     いうことをもたらしているかといいますと、復帰した後でも四七一六件と
     いう事件、事故が発生してまして、そしてその中には一二名の人が殺害さ
     れたというようなケースなんかも入っておりましてね。私が先ほど申し上
     げましたように、県民の命と暮らしを守るという公約を掲げて知事当選し
     たわけですから、そこから派生するいろんな事件、事故に対して責任を負
---------- 改ページ--------35
     わないといけないわけですね。しかし、それだけの基地が密集している伏
     況の中で、そのような責任を負える状態は到底ないわけですね。で、例え
     ば分かりやすい例で申し上げますと、嘉手納町を例に取りますと、町面績
     の八三パーセントが基地に取られているわけです。残りの一七パーセント
     の小さな地域に一万四〇〇〇人の人間が住んでいるわけです。ひしめいて
     住んでいるわけですね。そうしますと、そこでは人間生活に必要な社会の
     共同生活なんかというのは、あるいは憲法にいう最小限の文化的な生活な
     んかというのは、だれが考えてもできっこないわけなんですね。ですから、
     そういうものをせめて少しでも減らしていって、もう少し人間らしい生活
     ができるようなことをしていくのが、行政の責任者としての当然の責務だ
     と思いましたのでね。あえて総理に対しても、率直にそういう事情を申し
     上げて、行政の長としてはこういうことでできませんと、そして早くこの
     基地の整理縮小に力を貸してくだざいということを申し上げたわけなんで
---------- 改ページ--------36
     す。
27 基地から派生する事件、事故、いろんな被害があるわけですけれども、それ以
   外に市町村、あるいは県の振興開発が、基地そのものによって阻害されている
   というような実態もあるんでしょうか。
     はい。先ほど申し上げましたように一次振計でも二次振計でも、格差の是
     正ということとですね、自立的発展の基盤づくりということを言いまして、
     その自立的経済発展というのがいかに大事かということをうたっているわ
     けです。そこで我々は自立的発展を遂げようとして一生懸命になっても、
     沖縄本島の二〇パーセントが基地に使われていると、そしてその基地とい
     うのは沖縄の中南部に集中しているわけですね。中南部というのは一番便
     利な地域でございまして、そこは一〇〇万余りの人間が住んでいるわけで
     す。ところが、その沖縄の土地形成の在り方というのは、戦時中の苦しい
     状況をそのまま引きずっております。言い方を変えますと、地元の住民が
---------- 改ページ--------37
     もともと生まれ育った自らの故郷、あるいは自らの村落に帰ることが許さ
     れなくて、そしてこの農民たちも土地を取り上げられて、移転する先もな
     いまま、ほうり出されるような事態があったわけなんですね。そしてそこ
     に基地が造られて、しようがないから基地の周辺に密集する形で、スクロ
     ール現象で町づくりがなされたわけですね。そうしますと、行政の責任者
     として一番懸念されるのは、町のどこを回ってみても分かりますが、住宅
     がひしめいて、道路が狭くてですね、公園とか、そういう施設が乏しくて、
     万が一、このあいだの阪神大震災のような災害が起こった場合に、一体ど
     うするかという問題が非常に頭の痛い問題でして、そういう状況の中で我
     々としてはちゃんとした町づくり、災害にも耐え得るような町づくりをし
     ないといけないわけです。それから、あまりにも基地に頼ったり、国庫財
     政に頼ったりするという他律的な生き方というのは、これから変えていく
     必要があると、その意味で自立という言葉を先ほど県のシンボルとして、
---------- 改ページ--------38
     キーワードとして掲げていると申しましたけれども、そのために、土地を
     返していただかないといけないわけです。どうしてかといいますと、土地
     だけじゃなくて、海岸の、例えば那覇軍港の隣接地に自宙貿易地域があり
     ますけど、そこが土地が狭いものですから、私はそこを埋立てして自由貿
     易地域を広げようということで、埋立てをしようとしたら、そこの海岸か
     ら五〇メートルまでは米軍が管理しているわけですね。こういう箇所が沖
     縄には二九箇所くらいあるわけです。米軍が管理している水域が。それか
     ら沖縄は離島県でございまして、交通の機関として飛行機が非常に重要に
     なってくるわけですが、沖縄本島の北のほうの伊平屋、伊是名などですね、
     ずっと琉球政府時代から空港がほしいといって何度も県に要請しているわ
     けですが、その空港を造るために努力しているわけですけれども、沖縄の
     空の空域の一五箇所が米軍によって管理されているわけです。そうすると
     我々は主権国家でありながら、自分の土地も使えない、海も使えない、空
---------- 改ページ--------39
     も使えない、これはおかしいじゃないですかということで、私は過去四回、
     アメリカへ行きまして、アメリカの政府の高官に、まともに、主権国家の
     一部である沖縄で、我々自身が自らの産業を興そうと思っても、土地も使
     えない、それから水域を埋め立てて活用しようとしても、それもできない、
     飛行場を造ろうとしても、それもできない、これでは我々が自立的な経済
     をつくり上げていくことは不可能だと、ちなみに沖縄は全国最下位の所得
     しかないわけで、しかも失業率は全国平均の二倍であるわけなんですね。
     そうしますと行政の責任者としては、当然、こういう問題を解決しなくちゃ
     いけないわけですが、現伏の基地のままでは到底雇用の拡大もできない、
     それから産業を興すこともできない、従って自立的発展を遂げることは、
     おおよそ不可能だという認識に立ったものですからね、そういった意味で、
     まあ、いろいろと苦労しているところです。

28 本件立会署名に応じなかったという理由については、よく分かりますけれども、
---------- 改ページ--------40
   知事のその姿勢ですけれども、五年前の公告縦覧のときには県庁内でもいろい
   ろ賛成、反対があったということでしたけれども、今回の署名拒否等について
   はどうだったでしようか。
     はい。我々は非常に慎重に検討いたしました。私は行政の責任者として自
     らの政治信念とか、あるいは政治的な信条だけにとらわれる気持ちは全く
     持っておりませんし、また殊更に国と対立する気持ちも全くありません。
     可能な限り国との協力関係を結んでいこうという気持ちはいっぱい持って
     います。しかし、戦時中のことも振り返ってみましてね、だれかが、この
     問題はおかしいという場合、どんな問題でもいいですから、国の政策がお
     かしいという場合には、やはり、おかしいときちっと言って、その理由を
     述べて、それでやっていくことは非常に大切だというふうに、戦争中の体
     験から感じています。戦前の教育を受けた体験からですね。つまり、先ほ
     ど申しましたように、聖なる戦争だと言いながら、実は必ずしもそうでは
---------- 改ページ--------41
     なかったと、あのときに、もし、だれかが自らの職をかけて反対したり、
     やっておれば、例えば沖縄戦の場合も、県知事が、法律にも基づかない形
     で学生を動員したり、やったことなんかに対して、これはおかしいじゃな
     いですかということをきちっと言っておれば、あたら一〇代の若者たちが
     あれほど多数、命を落とすようなこともなかったんじゃないかという、そ
     ういう反省といいますか、そういう気持ち、私は強くありまして、ですか
     ら、むしろ先ほど申しましたように、これを沖縄の将来のためだけじゃな
     くて、日米の友好関係のためからいっても、今の沖縄の実態を改善するこ
     とのほうがずっとプラスになるという判断を持っています。そういった意
     味でいろいろと県庁のスタッフとも何度も何度も議論を重ねまして、それ
     からいろんな県内の団体とも、教職員とか、その他のほかの団体とも、ど
     ういうふうにやったらいいかということでご相談もしました。それから大
     学の先生方にも意見も聞きましたし、そういうことを総合的に判断して、
---------- 改ページ--------42
     しかも県庁のスタッフが全面的に賛成の立場で、今回、私の方針に協力を
     してきたものですから、率直にそういうことも、総理にも申し上げまして、
     お受けすることはできませんというふうに決意したわけです。

29 知事の署名拒否の姿勢に対する、今、県内世論もかなり沸騰しておりますけれ
   ども、知事に対する激励あるいは支持の文書なり、声なりというのが結構ある
   やに聞いてますけれども、それはどうなんでしようか。
     はい。実際、私も驚いているんですが、四万七〇〇〇通余りの私あての激
     励の手紙が来ておりますけれども、その中のアメリカ側からの手紙はです
     ね、ほとんどが申し訳ないと、自分たちはアメリカ人として非常に恥ずか
     しいと、このような少女暴行事件のようなものを起こしたというのは非常
     に恥ずかしいことだという趣旨のこととですね、自分たちは少女の家族と
     か、その本人に対して、できることは何でもしたいから、遠慮なしに言っ
     てくれというような趣旨の手紙が来ております。ほとんどがそういう手紙
---------- 改ページ--------43
     です。それから県外から圧倒的多数の手祇が来ていますが、沖縄がそうい
     う実情に置かれていたということは知らなかったと、基地が、これだけ過
     重に負担させられているという状況は知らなかったと、それから犯罪が起
     こっているということなんかも知らなかったと。それから、なぜ、安保条
     約というものは、いわゆる冷戦が終結した後も、どうして必要かというよ
     うな、我々はこれまで議論したことがないと、そういうことで、もっとこ
     の際、しっかりとこの安保の問題についても議論する必要があるという趣
     旨の手紙が圧倒的に多いわけです。それから沖縄県民の側からの手紙の中
     に特に気付かれるのはですね、在日米軍の専用施設の七五パーセントが沖
     縄にあるという事実をとらえて、これは沖縄に対する差別的な処遇だとい
     う受け取り方をしているというのが非常に目立つ点なんです。それと我々
     も人間だと、人問らしく扱えというような内容の文章が特に印象づけられ
     ておりますけれども、そういった内容となっていまして、私が代理署名を
---------- 改ページ--------44
     拒否したということに対して批判的な、あるいは反対する意見は、私の記
     憶に間違いがなければ、アメリカから来たのに三、四通、それから県外か
     ら来たのに約五通くらい、県内から来たのに一通くらい、それだけしか記
     憶に残っていませんで、あとは圧倒的に知事の立場を支持するという趣旨
     の内容になっております。

30 これは沖縄県議会でも支持はされているんですか。
     そうですね、県議会でも、わざわざアメリカまで要請に行きましたし、ま
     た今度、政府に対しても要請しておりますし、そういった意味では県議会
     でも、それから市町村議会でも支持しているのが非常に多いわけです。

31 今日の、ちなみに琉球新報では、市町村長のコメントが載っておりましたけれ
   ども、知事はそれはお涜みになりましたですか。
     読んでいません。

32 堂々と、この法廷で沖縄の差別の歴史、基地の重圧、被害の実態等について訴
---------- 改ページ--------45
   えてほしいというような激励のコメントが圧倒的に多かったわけですけれども、
   現在、この裁判に向けての支援、激励というのも結構多いですよね。
     そうですね、手紙だけじゃなくて、署名したのが五万通超しておりまして、
     そういう点では、まあ、国民の間にもこの問題が非常に大きな考えるきっ
     かけを与えているなあという印象を持っています。

33 圧倒的な支持のもとに本件物件調書、土地調書の署名を行わなかったわけです
   けれども、それに対して原告のほうが職務怠慢ということで、被告の行為は著
   しく公益を侵害することが明らかであるということで、この裁判になっており
   ますけれども、これに対して知事はどう考えていますか。
     国は日米安保条約を締拮しているという立場でですね、その地位協定なん
     かによって、あるいは安保条約の六条、そういったものによって基地を提
     供するいわば義務を負わされているような状況ですから、そういうふうに
     公益を損ねるという、あるいは怠慢というふうにおっしゃるかもしれませ
---------- 改ページ--------46
     んが、私は先ほど来申し上げておりますように、一つには安保体制が重要
     だということになれば、地位協定も安保条約も、どこにも沖縄を特定して、
     沖縄に基地を過重に置きなさいというような趣旨のことは書いてないわけ
     ですね。にもかかわらず、沖縄に現実に七五パーセントくらいの基地が置
     かれていると、そしてこの問題を契機にして沖縄の基地の移転なんかとい
     うものが表面化してきますと、県外のほとんどの市町村、あるいは都道府
     県で、沖縄の問題について理解はするけれども、自分たちのところにもっ
     てくるのはいやだということを明確に示しているわけですね。そうすると、
     沖縄の人々は、もう、いやだいやだと五〇年ほど言い続けてきているわけ
     ですが、その沖縄の人がいやだというのは耳を傾けないで、県外の人がい
     やだということだけに耳を傾けていくというのはいかがなものかと、国政
     の責任者としていかがなものかという気持ちがありますし、その辺りが沖
     縄の人々が、我々も人間として扱ってほしいとか、あるいは差別的な処遇
---------- 改ページ--------47
     をやめてほしいということを言っている理由だと思うわけなんですね。で
     すから私は、繰り返し申し上げますけれども、むしろ安保条約というもの
     は、沖縄の基地の問題を解決する、それを改善していくことによって、国
     が日米の友好関係を大事にしたいという政策はより前進するという認識を
     持っておりましたので、自らが署名を行わないことが職務上の怠慢とかい
     うことにはならないと思うんです。それから公共性の問題についても、こ
     れは何が公共の利益になるかと、公共の利益を図るためには、土地の収用
     というのも法律でもって認められているわけですが、その公共性の中身に
     ついてはいろいろ議論が分かれるところでございまして、これは弁護団の
     ほうからの準備書面のほうに縷々説明されておりますので、その見解を取
     りたいと思います。

34 本件の訴えが提起されたのが平成七年の一二月ですけれども、それ以前の一一
   月四日、知事は原告となっておりました村山総理大臣と直にお会いしてますね。
---------- 改ページ--------48
     (うなずく)

35 そのときに基地問題等についての説明はなされていましたでしようか。
     はい。率直に沖縄の事情について申し上げまして、沖縄県の行政の責任者
     としては、沖縄の置かれている状況からして、そしてまた将来の沖縄の、
     若い子供たちが、将来、夢の持てるような沖縄をつくっていく上からも代
     理署名には応じることはできませんということを率直に申し上げまして、
     そして一日も早く沖縄のこの苦渋に満ちた基地の状況というものを改善し
     ていただきたいということを改めてお願いしました。

36 そのとき、総理は何か沖縄の基地問題に対して、何らかの理解は示しておりま
   したでしようか。
     はい。総理は、非常に理解のあるお言葉がありまして、そしてアメリカの
     ほうに対しても沖縄の住民の気持ちを率直に自分が話をしたと、それから
     今後とも、また話をしていくということ、そういう趣旨のことをおしゃっ
---------- 改ページ--------49
     ていました。

37 知事に対して職務怠慢ということですけれども、沖縄県、あるいは沖縄県議会、
   あるいは各市町村、特に県と県議会というのは、毎年、何度となく国に対して
   沖縄の基地問題に関する改善要求、決議、要求行動をやってきておりますよね。
     はい。

38 そういったことに対して、国は誠意を持って応えてないという実情があるわけ
   ですよね。
     まあ、これはちよっと言いづらいことですけれども、率直に申し上げたい
     と思います。私は三〇年ほど沖縄研究をやってまいりまして、明治以来の
     ずっと沖縄の歴史、経済、政治、社会、教育問題というものをやってきた
     わけですが、その問に、やはり沖縄に対する中央政府の処遇の仕方は納得
     できないところがあるなあという感じを絶えず持っておりましたけれども、
     例えばこの基地問題についても、戦後に起こったいろんな事件を振り返っ
---------- 改ページ--------50
     てみますと、沖縄で事件が起こった場合の解決の仕方と、本土で似たよう
     な事件が起こった場合の解決の仕方が随分違っているというふうに思って
     います。それはどういうことかといいますと、本土で事件が起こった場合
     に、非常に早く、素早く解決のめど付けがされると、手が打たれるという
     ことを実感しています。一つの例を申しますと、一九六八年だったと記憶
     しておりますけれども、九州大学の建設中の電子センターに米軍のファン
     トム機が墜落した事故が起こりました。そのときに当時の九州大学の水野
     学長を先頭にしてですね、板付基地の撤去を要求しておりましたけれども、
     これに対して当時の首相はすぐに対応するというような形でやりまして、
     それで復帰の年の、つまりそれから四年くらい経ったときには、もう、板
     付基地の九五パーセントくらいが、すぐに米軍の手を離れて日本のほうに
     返されたと、そういうふうに、事故が起こったらすぐに対応しているわけ
     ですが、沖縄の似たような事故、例えば宮森小学佼で、一九五九年にジェッ
---------- 改ページ--------51
     ト機の墜落事件がありまして、一七名の子供たちが死んだと、児童を含め
     て死者が出て、一二〇名余りの傷害があったわけですけれども、そういう
     事件の後に県民が是非とも基地問題を解決してほしいと市長へ要請したわ
     けですが、先ほど来申し上げているように、ほとんど前進していないとい
     う実態があるわけなんですね。その辺りがもう少し、政府の側が沖縄の問
     題について自らの問題として真剣に取り組んでいただければ、もっと違っ
     た対応が取れたんじゃないかというふうに思うわけですが、残念ながらこ
     れまで申し上げたようなのが実態でございまして、それで非常に残念に思っ
     ているところです。

39 知事の地方行政に関する所見をお聞きしますけれども、まず、憲法によれば地
   方行政は、地方自治の本旨に基づいて行うというように規定しております。知
   事はこの地方自治の本旨を行政運営にどのように反映させるべきだというふう
   にお考えでしようか。
---------- 改ページ--------52
     二期目の公約の中に、地方自治の画一を図りたいということを申し上げて
     おりますけれども、それは近年ですね、日本国憲法で新たに、明治憲法、
     帝国憲法にはなかった地方自治というのをあえて加えているということは
     非常に重要だと思いますし、それから近年、地方自治を求める声というの
     が非常に高まってきておりまして、ご承知のように地方分権推進法という
     法律もできたわけですが、地方の問題について一番詳しいのはやはり地方
     の市長でございますので、本当の意味での民主的な政治をするためには、
     地方自治体の権恨というものを、自主性というものをもっと従来以上に強
     化していって、そして地域住民の日常的な生命と暮らしを守るという仕事
     に主体的にかかわっていけるようにすることが分かりやすく言えば地方自
     治の本旨だというふうに私は理解しております。したがって私自身の公約
     の中にも地方自治の確立ということと、それから第一期目の公約にありま
     したように、日常的な県民の命と暮らしを守っていくという、そこに非常
---------- 改ページ--------53
     に重点を置いております。ちなみに先ほど九州大学の事件のことを申しま
     したが、その後、朝日新聞が社説を書きまして、政府は安保条約というの
     を金科玉条にして、そしてひたすらに軍事優先のことばかりに目を向けて
     いるけれども、その日本の安全と平和を守るという安保条約が日常的に市
     民に恐怖感を与えたり、市民の生命を脅かすようなことは矛盾ではないか
     という趣旨の論説を書きまして、安保体制というのであれば、もっと市民
     の日常生活の面への配慮というものが是非とも必要だということを論説で
     書いておりまして、私は正に今の沖縄の状況というものがそれだと思いま
     すね。安保条約というのは日本国民の生命、財産を守るということですが、
     我々沖縄の県民も日本国民の一部でございますから、その日本国民の一部
     である沖縄県民の日常的な生活において、生活の場における基本的な人権
     の侵害の問題とか、つまり財産権の問題とかですね、あるいは平和の問題
     とかですね、そういう面で、更には嘉手納基地のように、町のど真ん中に
---------- 改ページ--------54
     あって、日常的に市民が恐怖の念を持っていると、いつ、事故が起こるか
     という形で恐怖の念を持っているということはですね、これは矛盾ではな
     いかという気がします。ですからそういった面を是非とも配慮していただ
     きたいというふうに考えています。

40 本件は地方、沖縄県の利益、あるいは立場というのと、国の立場の違いが顕著
   に現れている事例ですけれども、ともあれ原告は基地提供義務は条約上の義務
   であり、極めて公益性が高いというふうな主張を本件ではやっております。一
   地方の知事である沖縄県知事は、今の原告の考え方、極めて公益性が高いとい
   うような条約義務、条約の義務履行は極めて公益性が高いと、沖縄県の県益よ
   りもはるかに超えるんだというような、こういった主張をしておりますけれど
   も、これに対してどのようにお考えですか。
     私は、沖縄の現状というものは絶えず沖縄の歴史的な背景に照らしながら
     未来を見据えながら考えているわけなんですけれども、繰り返しになりま
---------- 改ページ--------55
     すけれども、私が今回取った態度のほうが、処置のほうが、むしろ国益に
     も究極的にはつながっていくと、つまりここでいう国益と県益の対立する
     ものは、国は日米安保体制の堅持ということで、要するに日米の将来にわ
     たっての友好関係を強化していくためには、土地の強制収用が必要だと言
     われるわけですけれども、私は逆に大局的に見ますと、沖縄の基地問題の
     解決というものが、むしろ国益にもつながっていくと、日米友好関係その
     ものが逆によくなっていくんじゃないかと、したがって私は県議会でも、
     絶えず、そういった今の軍事同盟的な色彩の非常に強い安保体制を、もっ
     と友好関係、友好、経済問題、文化交流的な側面に変えていくのが望まし
     いということを申しておりますけれども、そういった立場から考えていき
     ますと、まあ、私は公共的な意味から言いましても、むしろここでしっか
     りと、この従来のいびつな状態というのを正して、そして来るべき未来に
     向けて、より建設的な、発展的な形のものをつくっていくことのほうが望
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     ましいというふうな認識に立っています。

41 私の質問、最後になりますけれども、先だってハワイ州知事でしたでしょうか、
   基地は大いに歓迎と、基地が来れば経済も豊かになるというような、そういっ
   た所見が確かあったように思うんですけれども、この基地と経済、非常に密接
   な関係があるんですけれども、どうして沖縄は全国最下位、要するに全国一の
   貧乏県でずっと通しているんでしょうか、知事はそれをどのようにお考えでしょ
   うか。
     まあ、この問題はいろいろ理由があると思いますし、一言で簡単に申し上
     げられないと思いますけれども、現実的には基地がこれだけあるとすれば、
     沖縄の経済というのも、もっともっと他県に比べて最下位というような域
     を脱することができるんしゃないかというのが常識的に考えられるわけで
     すが、現実はそうはなっていないわけですね。これは一つには沖縄は製造
     業的な産業がないということと、それから砂糖きび産業が沖縄の産業の基
     幹産業であったわけですけれども、これが非常に自由化の問題で収益がぐっ
---------- 改ページ--------57
     と減ってきていると、農家の手取りも非常に少なくなっているし、農家の
     高齢化が進んで、砂糖きびを作っていく仕事を離れる人が多いということ
     とかですね、そういった基幹産業そのものが非常に弱くなっていると、そ
     れと製造業というのができないと、沖縄は水がないし、電気料が高いしと
     いうことで、本土からの企業誘致もうまくいかない、それから自由貿易地
     域をつくったんですけれども、これも政府サイドは、一つの国に二つの制
     度をつくるのはいけない、つまり沖縄の自由貿易地域に、シンガポールと
     か香港に見られるような関税の問題とかが特定措置として与えられていれ
     ばいいわけなんですが、ほとんどそういう特定措置というのはないわけで
     すね。したがってこの自由貿易地域もうまくいってないと、それから先ほ
     ど来申し上げているように、製造業がないものですから、雇用の場がない
     というような形になっているし、それからもっと分かりやすい例で申しま
     すと、かつて沖縄の経済は基地産棄といわれるほど基地に頼っていた時期
---------- 改ページ--------58
     がありました。一説によりますと五〇パーセントを超えるほどの基地から
     の収入があり、他県の産業の五〇パーセントを超えるほどの収入があった
     と言われておりますが、そのころは地元の基地で働いている従業員の数は
     約四万人ほどおったわけです。ところが今は七九〇〇人程度ですね。それ
     から基地から入る収人というものが、県の産業に占める率というのは、確
     か復帰のときは一七パーセントくらいあったと記憶しておりますが、それ
     が今では五パーセント程度に落ちているということで、基地の収入はそれ
     でも非常に大きいわけですが、しかし、沖縄の労働者というものが、戦後
     ずっと基地で働くしか働く場所がないというような、戦後の問もないころ
     の状態がありまして、それから基地に勤める人が、基地に頼って生活する
     人が非常に増えてきましたが、基地というのは人間の暮らしに結び付く生
     産の場にはなり得ないわけですね。防衛体制をつくる意味でいろんな仕事
     はありますけれども、しかし、それはどちらかというと、戦争に備えるも
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     のであって、人間の暮らしに直に役立つような収益を上げる場所じゃない
     わけなんですね。そういった面で沖縄の県民の所得というのはもろもろの
     要素が重なって、残念ながら全国最下位をずっとたどっていると。全国平
     均の七〇パーセント、一番ピーク時に、数年前に七二パーセントまで所得
     が上がったことがあります。ところが今は七〇パーセント程度に落ちてお
     りまして、これは今日的なものだけじゃなくて、実は明治のころから、廃
     藩置県からずっと県民の所得が全国平均の六〇パーセント台だったわけで
     す。それが約、戦後の数年前になって七〇パーセントを超したというのが
     事実でして、そういった意味からいっても、構造的に沖縄が自立的発展が
     できるようなものがないと、そういう仕組みになっていないと、したがっ
     てそういったことから我々としては、その構造的なものから抜け出して、
     もう少し自立できるような経済をつくっていこうということで基地の整理、
     縮小、返還というのを求めているわけですね。
                             (以上 永井頼信)
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被告代理人(池宮城)
42 前般の質問で、知事は、ご自身の沖縄戦における戦争体験と、その後五〇年間
   この基地の重圧に押しつぶされた沖縄の実態をるるご証言いただいたんですが、
   知事から見られて、沖縄県民が、沖縄戦やその後米軍の二七年間の軍事支配、
   そして復帰後二四年になるんですが、県民が戦争についてどういう思いを持っ
   てきたか、知事の研究、そして行政の長として携わっている視点から、繰り返
   しになると思いますが、もう一度県民の立場からご証言いただきたいと思いま
   す。
     県民の思いというのは、いろいろな表現の仕方があると思いますけれど
     も、基本的には、歴史的な背景とか、それから基地の実態、現状、それか
     ら未来にわたっての懸念とでも申しましょうか、そういったものからし
     て、これまで沖縄が日本本土の繁栄のために犠牲になったという受け取り
     方が相当一般的に浸透してるように私は認識しています。これは、例え
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     ば、復帰のときに復帰運勤が実る寸前に沖縄の相当のリーダー的な沖縄人
     の沖縄をつくる会とか、そういうものを作ったり、あるいは、沖縄の若者
     たちが反復帰論を唱えたり、そして復帰すること自体に対して第三の琉球
     処分だといったり、そういうことで非常に反発したことがあったわけなん
     ですけれども、先ほど来申し上げておりますように基地の在り方そのもの
     が、安保体制が重要というのであれば、沖縄の人々も責任を担ってきてい
     るし、また今後も何十年となく担わされるわけだから、沖縄の人にも平和
     の配当というのを受ける権利があるんだと、それを沖縄だけに過重に負担
     させるというのは、差別的な処遇じゃないかというのが、先ほども申し上
     げましたように私のところに来た手紙、それから新聞の投書なんかを読み
     ますとそのことが非常にはっきりするわけなんですね。で、行政の責任者
     として、私が一番そのことを遺憾に思います。ですから、私は、総理に対
     しても率直に、沖縄の人たちが差別されているという印象を持つような事
---------- 改ページ--------62
     態はぜひとも改善していただきたいと、これは県民感情を一番刺激するこ
     とになりますから、どうかそこは特段のご配慮をお願いしますということ
     で申し上げてきたわけですが。アメリカの政府高官に対しても、卒直にや
     っておりまして、その点については、アメリカ側のほうが非常に理解があ
     りまして、ご承知のように沖縄には犠牲をかけてるということは何度も言
     っておりますし、それからアメリカの高等弁務官時代といういびつな時代
     においてさえも、歴代の高等弁務官がアメリカの議会で証言してるのを見
     ますと、沖縄の人たちの暗黙の協力があるからこそ我々は沖縄に基地を維
     持できるんだという趣旨のことを、繰り返し繰り返し言っていて、しか
     も、沖縄の人たちには大きな負担をかけているということを言ってるわけ
     ですね。沖縄戦のときも、率直に申し上げて、沖縄に進攻してきた米軍の
     軍隊は延べにして五四万八〇〇〇人、それに対して沖縄の守備軍はといい
     ますと、地元から動員した防衛隊とか、あるいは、学生隊なんか含めまし
---------- 改ページ--------63
     て約一一万人しかいないわけですね、そうすると、とても勝ち目はないわ
     けです。いろいろ調べてみますと、東京の大本営のほうでは、最初から勝
     ち目はないというのを知っていたという記録があるわけですね。これは、
     当時の八原参謀という沖縄戦の作戦参謀をした人や、それから日本の軍隊
     の歴史を書いた伊藤正徳という人なんかの記録にもはっきりと出ておりま
     すけど。そういう勝ち目のない戦争で、しかも、米軍が沖縄に上陸した
     ら、沖縄は玉砕するしかないというふうに考えていたにもかかわらず、あ
     えて沖縄戦を戦わしたのはどうしてかといいますと、その当時、日本本土
     の守備体制は六〇パーセントしか出来上がっていないわけです。ですか
     ら、一日でも長く米軍を沖縄に引き止めておくという作戦を立てて、それ
     が結果として住民を巻き込んで、人口の約四分の一程度の犠牲を払わせる
     というふうなことになったわけですね。ですから、そういう背景があるも
     のですから、沖縄は絶えず本土の繁栄のための犠牲にされていると、その
---------- 改ページ--------64
     手段に供せられているという、そういう思いがいろんなところで出てくる
     わけですね。ですから、行政の責任者としてはそういうことをあらしめて
     はいけないと、県民が、平等に日本国民として誇りをもてるように、そし
     て、自らの人生をきちっと主体的に作っていけるように保障していくのが
     行政の責任者だという考えを持っておりますもんですから、そのような県
     民の心の底にくすぶっているうっせきした気持ちというものを、何とかき
     ちっと解消していく必要があるというふうに考えております。

43 この米軍の基地の持っている戦略的な意味から、例えば、沖縄の基地が朝鮮戦
   争、ベトナム戦争、湾岸戦争と、その都度米軍の世界戦略の拠点として使われ
   てきているわけですが、そういう基地があるうえ、米軍基地が県民にとって、
   いわば強制的な加害者の位置に県民が位置付けられてしまっていると、そうい
   う思いもいろいろあるようですが、その辺りの視点からどうお考えでしようか。
     沖縄から米軍が出動して爆撃機がベトナムの民間を爆撃するとか、あるい
---------- 改ページ--------65
     は、朝鮮戦争において朝鮮で爆弾を落とすとかそういうこと、あるいは、
     湾岸戦争で、沖縄から飛び立った米軍機が作戦を遂行するということによ
     って、結果として、沖縄の人たちが自らの意思に反して加害者の役割を背
     負わされているということに非常に苦い思いを抱いているというのは、こ
     れは事実でございまして。ですから、そういう、繰り返して申し上げてお
     りますように沖縄の人々は武力でもって事を解決するというのを好まな
     い、明治の廃藩置県のころの松田道之という処分官が書いた記録なんか
     を読んでも、沖縄には武器もないし、また、武力を好まないと。沖縄の
     反乱を恐れて沖縄に兵隊を連れてこようとしたんですけどね、すべて文
     化的な、文武でもってやっているから、そんなに沖縄の人は武力という
     のは持ってないからたくさんの軍隊を持ってくる必要はない、というよ
     うなことなんかも書いてましてね。ですから、そういった意味でも、非常
     に、武力で事を解決するというのは好まないという面がありますので、そ
---------- 改ページ--------66
     ういった意味からも、二度と戦争を繰り返さないというのと同時に、戦争
     と結び付く一切のことを拒否するというのが、戦後の沖縄の人たちの公然
     と発言している声だったわけですね、最近では、その声もだいぶ小さくは
     なってきておりますけれども、私はそういう背景が、まだ、戦争を生き延
     びた人々の気持ちの中に残っていると考えております。

44 こういう沖縄の戦後五〇年の実情を詳しくご証言いただいたんですが、それに
   もかかわらず、国は、総理大臣が原告であるこの裁判において、今後も沖縄の
   基地を提供していくその公益性についてこういうことを言ってます。沖縄は、
   複数の島々からなり、アジア大陸に近く、日本列島の最南端に位置しているか
   ら、日本国の安全に寄与し、極東における国際の平和及び安全の維持に寄与し
   うるという日米安保条約第六条の目的を達成するための地理的条件を満たして
   ると、したがって、沖縄の皆さん、今後も我慢してくださいと、それこそ公益
   だということを主張なさっていますが、これは知事の立場から容認できる主張
   でございましょうか。
---------- 改ページ--------67
     率直に甲し上げて、そういう発想というのはたいへん残念に思います、言
     葉を代えて言えば、基地と今後とも共存しなさいという意味だと思います
     が。あんまり歴史的なことに触れたくはないんですけど、沖縄の歴史を振
     り返ってみますと、いろんな人為的な災害に対して、これを宿命かのよう
     に世の指導者たちは絶えず県民に言っておったわけです。それで、何かあ
     ると、これは沖縄の地理的な地政学的な面からこの不幸はやってきてるん
     だと、そういうことを言ってるわけですが、地政学的な意味からする立論
     に対しては到底納得できません。これは、学問的にみても納得できない点
     ですし、行政的な立場からも納得できません。それは、私は、アメリカの
     政府の高官にもはっきり言ってますけどね。皆さんは、かっては、フイリ
     ピンの基地をアメリカの世界戦賂にとって、あるいは、アジア戦略にとっ
     て不可欠の基地、絶対に欠かせない基地だということをいったと、致命的
---------- 改ページ--------68
     なほど重要な基地だといったと。しかし、フイリピンの基地がなくなっ
     て、それで致命的な基地がなくなったらアメリカのアジアにおける安保体
     制そのものが大きな打撃を受けるといったけれど、何の打撃も受けてない
     じゃないかと、現実に、むしろ、みんな喜んでいるじゃないかということ
     をいってるわけですけれどもね。その地政学的な面から沖縄の基地の存在
     をいうんでしたら、これは到底納得できません。例えば、今、北朝鮮の脅
     威とか、中国の脅威ということを言ってますけど、地政学的にいえば、む
     しろ本土の九州辺りのほうがずっと北朝鮮に近いわけですし、それから、
     中国に対しても対応できる最も便利な場所に占めているわけであって、沖
     縄が地政学的にというのは、これはこじつけにしかすぎないと思います
     ね。

45 今回の裁判で、被告弁護団は知事が拒否したことが憲法のレベル、例えば、憲
   法一四条では、すべて国民は法の下に平等で差別されないとうたっていますが、
---------- 改ページ--------69
   その憲法の平等原則に照らしていかがお考えでしょうか。
     今回の代理暑名に応じないということが、ある人々から言わせると安保体
     制に危機をもたらすと、安保体制を否定するものだということをいってお
     るわけです。しかし、私などは、安保体制、安保を破棄しろとかというこ
     とはいってないわけですね。沖縄の過重な基地を一つ一つできるところか
     らきちっと縮小していって、最終的には、基地のない平和な沖縄にしてく
     れということを申し上げているわけです。そうすると、先ほども申し上げ
     ましたけれども、沖縄の人たちがこれほど反対してる基地ですけれども、
     過去五〇年間沖縄の人々は、政府の、今問題になっている安保体制に協力
     を余儀なくされてきたわけです。もちろん進んで協力してきた人もおりま
     すし、中には、協力したくないと思っても経済的な問題、その他の問題か
     ら協力を余儀なくされた人たちもいるわけです。現在、安保体制がそれほ
     ど重要だというのであれば、どうしてその責任を全国民で負担しないのか
---------- 改ページ--------70
     と、基地から発生するしわ寄せの部分だけをおっかぶせる形で弱い立場に
     ある沖縄のようなところに押し付けていくと。そして、沖縄の状況という
     のは、遠く離れてもいますし、本土からなかなか見えないわけですね。そ
     して、また、見ても、見れども見えずという側面もあるわけなんです。で
     すけど、我々が、沖縄の基地を整理縮小してほしいということが安保の否
     定につながるとすれば、先ほど申し上げたように、沖縄の基地を本土に分
     散させるということも米軍ははっきり言ってるわけですから、それを拒否
     してる本土の皆さんはじゃあ安保を拒否してるかというと、私は必ずしも
     安保を拒否してるとはいえないと思うんですね。ですから、そういう意味
     で、沖縄だけが過重にしわ寄せされる形で基地の負担を強いられている、
     あるいは、余儀なくされている状態というのは、地方自治の立場からいっ
     ても、憲法のいろいろな規定からいっても是正すべき非常に大事なことだ
     というふうに認識しています。
---------- 改ページ--------71
46 また、憲法の別の視点から見ますと、今回の強制使用手続は財産権の問題とも
   絡んでいるわけですが、その憲法に保障された財産権の視点からはどうとらえ
   ていらっしゃるんでしようか。
     財産権の尊重ということは、これは竃法の規定にもありますから当然のこ
     ととして、ただ、その財産権との関連で一つ申し上げておきたいことは、
     沖縄の人たちの土地に対する執着心ですね。これは先ほども申し上げまし
     たけれども、私は、余計なことを申し上げるかもしれませんが、沖縄の一
     九五〇年代の土地闘争というものは、基地のない離島の島々も含めて、島
     ぐるみの闘争と言われるほど全島民が立ち上がったわけですね。これは、
     私は、単なる反米的なものじゃなくて、土地に対する愛着が非常に強いと
     いうこと、文化の問題だと思うんですね。つまり、沖縄の人々にとっては
     一坪の土地、あるいは、小さな二坪の土地でも、これは祖先が大事に残し
     てくれたかけがえのない遺産だといいます。更にこれを大事に残していこ
---------- 改ページ--------72                     ママ
     うというような、そういう思いのあるものなんですね。例えば由緒あるの
     琉球王国の王家のあった首里ですね、そこで、私などが、戦時中、戦前、
     土地を貸してくれと、あるいは、売ってくれというと、それだけで怒るぐ
     らいのそういう状態だったわけですね。ところが、アメリカの文化という
     のは、一か所からよそヘ、次から次へと移っていくモビリティーと英語で
     言ってますけれども、移動性の文化というのがアメリカの文化の特質の一
     つになっているわけです。ですから、自分の土地でニューョークに土地を
     持ってた人がそこを高くて売れるというと簡単に売ってすぐにサンフラン
     シスコ、西部に移るとかということができるわけです、ですから、移動性
     というのがアメリカの文化の特質ですから。それと、金目でもって解決す
     ればいいじゃないかと非常に簡単に考えるわけですが、沖縄の人たちは、
     今言ったように土地は金で売るものじゃない、それから、人に渡すものじ
     ゃないという意識が非常に強いもんですから、そういった文化的な違い
---------- 改ページ--------73
     が、この違いを認識しないで、米軍が、金さえ払えばいいじゃないかとい
     うことで土地を強制的に買い付けようとしたり、土地代を一括払をしよう
     としてやったことが、土地闘争の大きな燃え上がりにつながったわけです
     ね。ですから、そういった面からいいましても、財産権というのは、これ
     は私の基本的な考えでは、人間が生存していく基盤をなすものが財産だと
     思うんですね。ですから、その財産権を否定していくと、人間の生来の権
     利として持っている基本的な人権そのものを否定されるといっことになり
     はしないかと。少なくとも、個人個人の、今の日本の制度における財産権
     の尊重というものは非常に大事にすべきものであって、仮に法律でいって
     る公益のために強制使用もできるというようなこともいわれるわけです
     が、その場合の公益というものは、今いった意味で基本的に人間の生命、
     人間が生きていく基盤を奪いかねないような要素を持っているので、それ
     を収用する場合には十分に納得のいくような手続を経て、そして、可能な
---------- 改ページ--------74
     限り地元のその地主の所有権者の理解を求めていくというのがあるべき姿
     じゃないかというふうに思うわけですが。大変残念ながら、これまでの沖
     縄の土地収用のあり方は有無を言わさぬ形で、俗に県民がよく言ってる銃
     剣とブルドーザーで奪ってきたというような、そういう背景がありますの
     で、せめて復帰した後の日本国憲法が適用された後では、憲法の趣旨から
     いっても、もっともっと大事な形で、手続をきちっと踏んで、公益という
     中身についても十分に議論を重ねたうえで、地主の納得のいくような形、
     少なくともその努力は最大限にやるべきだというふうに考えています。

47 先ほどから、沖縄の基地のいろんな問題をご証言いただいたんですが、我々は
   憲法的な視点から今回の強制使用、これまでの強制使用を含めて、憲法で保障
   されている生存権の否定につながるんだということで我々弁護団は主張してき
   ていますが、その観点からお考えをお聞きしたいと思います。
     一九五三年ごろの、いわゆる土地収用の形というのは、農民の土地を強制
---------- 改ページ--------75
     的に接収して、そして先ほども申し上げましたが、行き先もないような人
     たちが随分出てきたわけです、土地を取り上げられて生活の手段を失った
     人たちが。そういうことに対して、どういうことをしたかといいますと、
     政策的に、その土地を奪われた農民たちを集団的にボリビアに移民をさせ
     たわけですね。それでボリビアに移民していった県出身の人たちは、文字
     どおりジャングルを切り開いてそこで生活するという大変な苦労を重ねて
     きたわけです、先だって私はそのボリビアのほうへ行きまして、県民のそ
     の苦労の跡をたどってみたわけですけれどもね。これは、自らの生まれ育
     った土地て生活をしたいというのは、何人も基本的な生き方として非常に
     大事な点ですけどね、今のように有無を言わさぬ形で土地を奪って、しか
     も、その沖縄内部に住まわせるんじゃなくて、内部に住まわせようとして
     もそのゆとりがなかったわけですから、それで、集団で国外に移住させる
     というような、そういう政策を、アメリカ側も琉球政府も日本政府も含め
---------- 改ページ--------76
     て実際にとってきたわけです。ですから、私が先ほど来自立自立というこ
     とを言ってるのは、自らの一生涯のことを決めるのに、自分の力で決める
     ことはできずに、すべて頭ごしに政府サイドで自分の運命まで決められて
     しまうという、その在り方というのはいかがなものかという気が非常に強
     くしまして、行政の責任者としてはできるだけそういうことを防いでいき
     たいと、そして、自ら生まれ育ったそれで生涯をおくれるように可能なか
     ぎり努力していくのが私の立場だと思いますが。しかし、今のような形で
     強制使用が今後もずうっと続くとなると、先ほど申し上げましたように、
     雇用の拡大の問題も到底厳しくなってきますので、また国外に移すとかと
     いうようなことにならないのかという心配もありますしね、その辺りは非
     常に懸念するところです。

48 米軍基地に起因して過去に様々な事件が発生しているわけですが、例えば、嘉
   手納基地周辺の六か市町村の住民の方々、それと普天間基地の周辺の皆さん、
---------- 改ページ--------77
   この五〇年間米軍の爆音に悩まされて、また現実に喜手納の地域住民の九〇七
   名の方は、夜間、せめて静かな夜だけでも返してほしいと、夜の七時から翌日
   の午前七時まで、せめて人間らしい安眠の生活を与えてくれということで裁判
   をずっと継続してるわけですが、両基地の爆音、これは爆音公害といってもい
   いでしょうが、そのへんを、地域住民にどういう影響を与えているとお考えで
   しょうか。
     今の人間らしい生活というのは、夜は、安らかに眠っていけるというよう
     なそういう問題も含めてると思いますが、現実は、爆音公害と今いわれた
     ょうに非常に厳しい状況になっております。私は、一般市民の爆音による
     公害についても非常に懸念しておりますが、もっと懸念してるのは、学童
     たち、教育を受けてる児童生徒たちが爆音によって技業が中断されるとい
     うような統計が出ていまして、それで、小学校の場合ですと、六年間で
     四〇〇時間から五〇〇時間近く授業が妨げられると、これは、義務教育の
     中学まで入れますと、その過程でほぼ八〇〇時間ぐらいの授業が中断され
---------- 改ページ--------78
     るというような記録もあるわけなんですね。そうしますと、今、普天間飛
     行場、嘉手納飛行場の周辺には学校がたくさんあります。例えば、普天間
     飛行場を例にとりますと、クリスチャンスクールという外国系の学校も入
     れますと、一六校の学校が大学から小学校まで普天間基地の周辺にあるわ
     けですね。そうしますと、単に危険の問題だけしゃなくて、その爆音によ
     る公害というのも決して無視したり、軽視したりすることのできないほど
     深刻なものと思ってます。今、県では、これが現実に人々の心身にどのよ
     うな影響を与えているかということを二か年計面で調査してる最中でござ
     いまして、それは、心配してるから、そういう調査もよけいな予算を組ん
     でやらなくちゃいけないという形になっているわけです。

49 こちらの資料では、例えば、一九九四年度、嘉手納飛行場周辺と普天間飛行場
   周辺で環境測定をしたわけですが、まず嘉手納飛行場周辺では二三測池点中九
   地点、これは、三九パーセントにのぼるんですが、そして、普天間飛行場では
---------- 改ページ--------79
   一二地点中九地点で環境基準を上回った結果が出たということで、これは県の
   調査のようですが、そういうことは部下からご報告を受けたことはありますか。
     はい。私もそのような報告を受けました。

50 米軍基地を抱えて悩んでいる地域は沖縄以外にも厚木飛行場、横田飛行場と、
   皆さんもずっと騒音に悩まされているようですが、その両基地については、既
   に飛行制限の日米合同委員会における協定がなされているわけですが、沖縄に
   はまだこれはございませんね。
     (うなずく)。

51 それについて、県はこれまでどういう政府に対する要請、あるいは、取組をな
   さってきたんでしょうか。
     この種の基地から派生するいろいろな悪影響については、其体的に事例を
     挙げまして日米両国政府に繰り返し繰り返し要請してきたわけですが、今
     ご指摘のように横田とか厚木とか、本土における飛行場の場合は爆音防止
---------- 改ページ--------80
     協定というのをきちっと米軍との間で結んでいるわけなんですね。ところ
     が、残念ながら、沖縄ではそれが結ばれていないと。ですから、この辺り
     が県民の感情を必要以上にいらだたせているわけですね。つまり、先ほど
     申し上げた、差別的な処遇じゃないかというようなことの一つの要因にな
     っているわけでありまして、これは残念でなりませんので、今回の沖縄基
     地問題協議会、つまり、政府サイドと県サイドとが基地問題について協議
     をする場が閣議決定されて設置されておりますけれど、そこでもぜひとも
     爆音の防止協定を県民の意向に添う形で、つまり、横田とか、厚木とかと
     は飛行形態が違いまして、もっと沖縄のほうはひどい状況ですので、その
     飛行時間についても、必ずしも横田とか厚木並でなくて、沖縄なりの実情
     に照らして協定を結んでほしいということを要請しております。

52 それは、具体的には、夜の七時から翌朝午前七時までの飛行を原則として飛行
   離着陸の差止めと、そしてエンジン調整等の、そういう要請としてなされてい
---------- 改ページ--------81
   るわけですね。
     そうですね。時間的にもそうですが、特に昨年アメリカのほうへ喜手納の
     町長もご一緒しましたけれども、海軍の駐機場があまりにも民間地域に近
     くてとても堪えがたいから、この海軍駐機場を空軍の駐機場に移してくれ
     と、移動させるだけで問題は改善されるからということで、この点につい
     ても政府のほうにも特にお願いしてございます。

53 復帰後、現在まで米軍基地の事故が一二一件と数字が挙がっています、それと、
   また、パラシュート訓練による事故も相次いでいるわけですが、その過去の事
   故について、知事が大変重い事故として受け止めているようなものを二、三挙
   げていただきたいんですが。
     おそらく、沖縄の人たちが、去る九月に起こった不幸な事件の二ユースに
     接した場合にすぐに思い出したのは、一九五五年に起こったいわゆる由美
     子ちゃん事件ではないかと思います。六歳になる少女が暴行されて、しか
---------- 改ページ--------82
     も、殺害されて嘉手納の海岸で発見されたという事件がありまして、この
     ときには大変な騒ぎになりまして、それこそ県民あげて怒り狂ったわけで
     すけれども、そのことは今回の事件との絡みで沖縄の多くの人たちが思い
     出した事件だと思います。その後、先ほども申し上げましたが、石川の宮
     森小学校で事件が起こったんですが、宮森校の後に、今度は、今の具志川
     市の栄野比でもまた墜落事故が起きまして人命を失うということがありま
     したしね。それから、本部の小学校の前に爆弾が落ちたという、投下する
     事故もありました。それから、嘉手納村のほうで投下訓練のときに、トレ
     ーラーが空から落ちて小学校の生徒を自分のうちの庭先で圧死させるとい
     うような事件なんかもありましてね。そういうことがもう繰り返し繰り返
     し起こっておりまして、特に、最近はどちらかというと調子はよくなって
     いるほうですが、一九五〇年前後のころは、今のタイムという雑誌のフラ
     ンク・ギブニーという人が「忘れられた島」という沖縄のレポートを書い
---------- 改ページ--------83
     ていますけれども、その中で、いかにアメリカが極端な犯罪を沖縄で起こ
     しているかということを数字を挙げてやっていますが、これなんか今読み
     ますととても信じられないような状態だったわけですね。ですから、今で
     も、日本本土での基地被害から比べますと、沖縄のほうはずっとひどい状
     態ということはいろんな数字から把握できることでしてね。ですから、そ
     の辺りが行政の責任者としては一番頭の痛い問題でして、何としても事前
     に防止する責任と義務を負わされているという思いが強いわけですが、現
     実としてはなかなか防ぎようがないというのが実態でございまして、何と
     か解決できないかと、それには、兵力の削減というのが一番手っ取り早い
     方法ではないかというふうに考えています。

54 今、ご証言いただいたトレーラー落下事故というのは、これは読谷補助飛行場
   のトレーラーによる女子小学生の圧死事件のことですね。
     はい。
---------- 改ページ--------84
55 それから、この米軍の演習が沖縄の自然を破壌していることもこれは争いのな
   い事実だと思います。例えば、喜瀬武原ですね、の実弾演習ですが、それにつ
   いて知事のこれまでとられてきた対応をお聞かせしていただきたいんですが。
     実弾砲撃演習は何としてもやめてほしいということで、現地の司令官にも
     私自ら掛け合いしたし、それからアメリカの政府に対しても、また軍部に
     対しても、それから沖縄の現地の四軍調整官に対しても、繰り返し繰り返
     し要請してきたところです。しかし、ほとんど効果はないわけですが、最
     近ようやく少しは変わりつつあるかなという印象は持っておりますけれど
     も。一つには、恩納岳というのは、恩納ナビーという有名な沖縄の歌人が
     歌を作って、民話の先生に言わせますと、それこそ神聖な山だと、つまり
     民謡、古典なんかにも恩納ナビーの歌とかがうたわれるということで、そ
     して民謡の先生たちはここを非常に大事にしてるんだと、私は、一度民謡
     の教師から県は何をしてるんだということですごく怒られたことがありま
---------- 改ページ--------85
     して、恩納岳に砲弾を打ち込むというのは我々の心の中に砲弾を打ち込む
     のと同じだということを言われましてね、やったんですが。そういうこと
     は別にして、自然破壌がひどいです。それは、その近くに学校がありまし
     て、学校の教育では自然を大切にしましょうということをいうわけです
     が、目の前では自然破壊をもう露骨にやっているわけですね。それから、
     もう一つは、危険の問題ですね、一〇四号線の県道を封鎖してやるという
     人命にかかわる問題がありますし、それから、これまた非常に難しい問題
     は不発弾の処理の問題です。これまで約四万発の砲弾が打ち込まれたとい
     われておるんですが、これは砲弾だけでして、そのほかの機関銃弾とかそ
     んなのは入っておりませんが。去る沖縄戦のときに米軍が投下した不発弾
            ママ
     を、今、我々は奥単位の予算を使って毎年処理しておりまして、これは戦
     後五〇年間処理してきたわけですが、まだ各地に沖縄戦のときの不発弾が
     残っておりまして、これを完全に処理するにはあと四〇年から五〇年かか
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     るといわれているわけです。ところが、この恩納村の一〇四号線沿いの演
     習は、仮に明日やめたとして、いったいそのあとの不発弾の処理を、当然
     国の責任になるでしょうけどね、どれだけの予算をかけて何年の期間をか
     けて処理できるかと、これはもう行政にとってはそれこそ表現のできない
     ほど重大な問題でしてね。なぜそういうことを述べるかといいますと、ハ
     ワイの無人島で実弾砲撃演習がありまして、地元の住民の反対で中止され
     たわけですがね。今、その不発弾の処理に四億ドルの予算を組んでいる
     が、これを表面から二メートルぐらいのところまで掘り下げて、更にそれ
     を深く掘り下げると、四億ドルじゃなくて二〇億ドルの責用がかかると。
     ところが、予算がないもんだから、それは放置されたままだということ、
     なかなか予算執行できないということをこの間聞きまして、ハワイの知事
     さんとも話したんですがね。更に問題なのは、地表から三メートルまで掘
     ったときには二〇億からの予算がかかるとして、その下にあるものは、万
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     一この土地が返されてそこに住民生活が営まれるようになったときに、万
     一事故が起こった場合にその補償はだれがやるのかという問題ですね、今
     非常に困っているという話をしていましてね。我々の場合にも、現実問題
     として、本当にこの県道一〇四号線の実弾演習の不発弾の処理をどういう
     形でできるかということ、これは次にくる非常に大きな頭の痛い問題でし
     てね。こういう意味からいっても、是非とも実弾砲撃演習はやめて欲しい
     ということを、日米両国政府に私は繰り返し繰り返し要請してきたところ
     です。

56 先ほど、少しお話していただいたんですが、昨年九月に大変痛ましい少女の事
   件がありましたが、そのときに、県民大会で知事がそこで述ぺたことと、その
   ときの知事ご自身、そして知事としての公的な立場と、どういう思いで事件を
   受け止めたんでしょうか。
     私は、最初のほうで申し上げましたけれども、行政の責任者としての一番
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     第一義的な仕事というのは、県民の命と暮らしを守ることだと思います。
     暮らしを守るということは、先ほどの平和的な生存柱の問題だとか財産権
     の問題も当然含まれるわけですが、その中で、県民の命と暮らしを守ると
     いうものの中身となりますと、一番大事なのは基本的には、人間らしい生
     活という言葉が出たんですけれども、基本的な人権が保障されるようなこ
     とだと思うんですね。ですから、行政の責任者として一番大事にすべきこ
     とは、人々一人一人の基本的な人権を大事にすることだと思いますけど、
     今回の不幸な事件はそうした行政の努力にもかかわらず少女の基本的な人
     権を奪い去ってしまった。それに対して、本当に真っ先に考えたのは行政
     の責任者として申し訳ないと、被害者本人とそのご家族、あるいは、学校
     の同期生、先生方、更には、県民に対しておわびのしようもないというこ
     とで、県は県民大会を主催したわけじゃないんですけれども、私はたまた
     ま招かれましたので、外国へ出張しておりましたが、その帰りにそのまま
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     そこに立ち寄って、真っ先に、今申し上げたように、少女の人権さえ守る
     ことができなかったのをお許しくださいということでおわぴしたというよ
     うなのが、基地沖縄の実態だと思います。
                             (以上 瓜生恵子)
---------- 改ページ--------90
57 このように、七五パーセントの本土の皆さんが引き取らずに沖縄だけに押しつ
   けてきた基地、この基地が五〇年間存在してきたんですが、この過重な基地が、
   いったい県政において、どういう支障を生じているのかご証言いただきたいと
   思います。
     県は将来に向けて、これまで県民の生活が安定するようにということでい
     ろんな方策を実行してきました。先ほど申し上げましたように、国も県に
     対して特別の配慮をしていただいて、第一次振計、第二次振計、第三次振
     計というふうに、国による振興開発計画も作っていただいて、そのための
     予算もいただいたわけです。復帰して今日まで四兆三〇〇〇億という巨額
     の金を国が沖縄の復帰のために投下してくださったおかげで、港湾とか道
     路あるいは学校の建築物とか、そういうものは非常によくなっております
     けれども、話が若干それますが、我々が基地を整理縮小してほしいと要請
     してる傍ら、米軍基地内では次から次へと新しい永久建築物がいわゆる思
---------- 改ページ--------91
     いやり予算で造られておりまして、現在のおもいやり予算というのは、ほ
     ぼ県の年間の予算に匹敵するような額になってるわけですね。そういうこ
     とを考えますと、どうも県民が自ら納めた税金で、削減してほしいと願っ
     ているその住宅とか米軍の施設を造っているような側面もありまして、新
     聞の投書なんかにもよくありますように、これは非常にいびつな事態では
     ないかというふうに県民自体が考えておりまして、そういうことで、行政
     のほうにしょっちゅう抗議申込みがありまして、我々としても、どういう
     ふうな形でこの問題を解決したらいいかということで、日夜頭を悩まして
     いるところが実際のところでございます。

58 本来なら沖縄の基地がなければ、あるいは他県並みにそれほど広大な土地を占
   めていなければ、基地に対応する県政が煩わされなくてすむという面もあると
   思いますが、現在、沖縄の県政で、この基地の対応にどの程度の対応をせざる
   を得ないんでしようか。
---------- 改ページ--------92
     県の職員で基地問題に従事させるスタッフを他府県とは例のないほど多く
     張りつけていまして、私は全国知事会とかでもよくこぼすんですが、沖縄
     の知事の立場として一番残念なのは、行政の責任者として、本来の民生面
     で県民の医療とか保健とか福祉面で、あるいは産業の振興とか教育の問題
     とか文化の振興とかという、そういう面にもっと自分のエネルギーと県の
     予算を使いたいわけですが、ところが、現実には基地問題で、たえず足を
     引っ張られてしまって思うようにいかないと。それから先ほどのご質問と
     関係しますけれども、大体、今の基地の状況をご覧になったらすぐ分かり
     ますけれども、道路の交通渋滞にしても、国道五八号線のバイパスを造ろ
     うにも基地が妨げとなってバイパスも造れない、したがって交通渋滞がひ
     どくなって交通事故がたえず起こってくるとか、先ほども申し上げたよう
     に、那覇の港を使おうとしても、これが使えないまま放置されているとか
     普天間のように、広大な飛行場跡地を活用して国際的な町づくりをしよう
---------- 改ページ--------93
     として、宣野湾市のほうも県のほうもいろいろと計画を立ててるわけです
     が、こういうのが実現できないわけです。そうしますと、一番重大な深刻
     な問題である若者たちの雇用の拡大というのができないという状態があり
     まして、これが非常に県政に支障を来していると言っていいと思います。

59 そういう沖縄の実情であるにもかかわらず、国は今度の強制使用は、県そして
   県民が求めてる基地の整理縮小に対して、現状どおり沖縄に基地を維持するほ
   うが財政的負担も少ないと、他に移すと膨大な経費がかかっちゃうということ
   で今回も強制使用をする必要性があるということを主張してるんですが、その
   国の考え方に対して、県は承服できるんでしようか。
     これは金銭的な問題で、よそへ移すと余計金がかかるから沖縄に基地を存
     続せしめるというような発想それ自体、私は理解に苦しみますね。とても
     じゃないですけど、そういう発想は我々の側からは出てきませんね。沖縄
     では、他人に痛めつけられても寝ることはできるけど、他人を痛めつけて
---------- 改ページ--------94
     は寝ることはできないという言い伝えがあるし、沖縄の方言では、かわい
     そうなんていう言葉はないわけですね。よその苦しみに対して自分の胸が
     痛むという表現しかしないわけです。そういう状況で、これまで五〇年間、
     沖縄の県民が耐えに耐えてきたあらゆる苦しみにかかわらず、しかも基本
     的な人権である財産権の問題とかが軽く見られたり、あるいは首をかしげ
     るような形で強制使用されたり、そういう事態が起こってる中で、金がか
     かるから沖縄は基地を我慢しろというような言い方は、これは行政の責任
     者としては、到底納得のできる話ではありませんね。つまり国防というの
     は安保体制が大事だというのであれば、当然、コストもかかるわけなんで
     す。アメリカのペリー国防長官が平和をキープするにはコストがかかると
     いう言い方をしておりまして、だからこそ、日本に基地を置くとアメリカ
     に基地をおくより安上がりだという言い方でもって、基地の重要性を説い
     ているわけですね。そのアメリカ人の言うことなら、まあアメリカ側はそ
---------- 改ページ--------95
     う言うだろうということにもなるわけですが、我々の政府が安上がりだか
     ら基地の状態を我慢してくれとか、これまでどおりのことを二一世紀に向
     けてずっと我慢し続けて共生してくれ、あるいは共存してくれということ
     は、これは痛みを知らない人の言うことであって、自らのウチが自分にそ
     のようなことが起こった場合に、本当にそういう人たちは何と言うか、も
     し、そういうことだったら、どうして安保体制の責任と負担を自分のほう
     で引き受けないかというわけですね。人を犠牲にして自らの命の安全を図
     るとか、こういうことは人間社会ではあってはならないことだと思います
     ね。

60 この本件裁判の基礎になっています駐留軍特措法についてですが、その法律に
   ついて一言どう受け止められてるか考えを聞かせてください。
     先ほど申し上げましたアメリカの土地の強制使用というのは、占領軍であ
     った米軍が布令・布告という、憲法なんかに基づかない現地の司令官の、
---------- 改ページ--------96
     半ば恣意的な命令でもって、土地の強制使用をやったわけですね。それが
     復帰したことによって、日本国憲法が適用されて、少なくとも日本国憲法
     の適用によって財産権の保障とかそういったものが明確にされたわけです
     けれども、しかし、土地の収用に関しては、なかなかそれが思うようにい
     かなくて、今のような復帰後も強制収用という手続によって、土地が使用
     されてきている状態にあるわけなんですね。この特別措置法というのは、
     私の記憶に間違いがなければ、これは、本土の側ではできてから三〇年あ
     まり使われなかった法律なんですね。それが沖縄では一九八二年ごろから、
     それを適用されるようになっていて、そもそもこの法律ができたときには
     まだ沖縄のほうは米軍の占領下にあって、国政参加、県民の代表を国政の
     場に送ってもいなければ、県民が直接にこの法律の成立にかかわったわけ
     ではないわけですね。それが憲法のようないい法律ですと、かかわらなく
     てもそのことによって恩恵を受けるわけですが、このような土地の強制収
---------- 改ページ--------97
     用を容認するような法律が、本土にも適用されていない法律が、特に沖縄
     に限って繰り返し操り返し適用されるとなると、先ほど来申し上げており
     ますように、沖縄の県民感情がまたおれたちは差別されるのかというよう
     なことになりかねませんので、この辺は是非避けていただきたいと、少な
     くとも本土で適用してるならいざ知らず、沖縄だけに繰り返し適用される
     というようなそういう政策の遂行の仕方というのは、何としてもやめてい
     ただきたいと思います。

61 こういう七五パーセントの過重な基地の現実ですが、さきほどからご証言いた
   だいてるように、子供たちに未来のある二一世紀を切り開いていこうというこ
   とで、知事は子供たちに夢を与える、そして沖縄に平和をもたらすそういう沖
   縄のビジョンを具体的にお作りになってるようですが、その基本的な視点とい
   いますか、精神といいますか、それをお聞かせください。
     先ほども申し上げましたけど、国が作った第三次振興開発計画の基本的な
---------- 改ページ--------98
     柱の一つに、広く日本の経済社会及び文化に寄与する特色ある地域作りと
     いうのをうたわれているわけです。そうすると、特色ある地域を作るには
     どうしたほうがいいかということが我々の一番の課題になるわけでして、
     その場合に沖縄の特色といいますと、琉球王国を形成してたころから近隣
     の東南アジア諸国と非常に密接な貿易を通しての友好関係を結んできたわ
     けなんですね。そういった歴史的な背景と、それから地理的な条件が東南
     アジア諸国との交流に非常に便利な位置を占めてるという意味で、国際都
     市整備構想というのを作りまして、沖縄が国際交流の拠点になりうるよう
     な、そういったところに特色を見出していこうということで、国際都市形
     成というものを今推進してるところです。これは今申しましたように、国
     が作った三次振計の目標の一つにちゃんとうたわれていることでして、そ
     れに四全総の後に、国の全国総合開発計画というのが今国土庁を中心に検
     討されておりますので、ここでもそれぞれの歴史的背景、地理的な条件を
---------- 改ページ--------99
     生かした地域社会を作るという趣旨のことが言われていますので、この秋
     ごろにほぼ中身が固まるようですけれども、その国の策定しつつある全国
     総合開発計画の中に県の国際都市形成の課題を位置づけていただいて、国
     との協力関係を結びながら、沖縄を国際都市にしていきたいというふうに
     考えております。具体的には、沖縄には国際センターというのがございま
     して、そこには一一八か国から約二五〇○―二六〇〇名の人がやってきま
     して研修をしておりまして、もう研修を受けて帰った人も入れますと、約
     三〇〇〇人近くの人がおりますけれども、今後ともそこを活用しながら沖
     縄にはまた沖縄なりの国際情報センターみたいなのを今計画しておりまし
     て、これを作っていくと。それだけじゃなくて、今、県は台湾と韓国と中
     国本土と香港に県のスタッフを派遣して事務所をもっています。新年度の
     予算で、シンガポール、マレーシア、フィリピン、そこにも県の嘱託を置
     こうとしてます。来年はタイとインドネシア、ベトナム、そこにまた県の
---------- 改ページ--------100
     スタッフを派遺する計画を立ててやっておりますが、そういうところに県
     の職員を派遣して、文字どおり協力関係を結んでいく、友好関係を結んで
     いくことのほうが私は非常に国益にもかなうし、沖縄の置かれている地理
     的な条件、歴史的な背景を踏まえて、県政が目指すべき大事な課題だとい
     うふうに認識しています。

62 今、ビジョンと構想をお話していただいたんですが、これをキーワードで表現
   しますと、どういう表現になるでしようか。
     いろいろな言い方がありますが、平和交流とか学術文化の交流、人と物と
     の交流だけじゃなくて、国際的な技術の交流ですね。沖縄はウリミバエの
     撲滅とか地下ダムの建設とか、あるいはマングローブの生態系の研究とか
     いうのが国際的に非常に評価が高いものを持っておりまして、そういう沖
     縄で蓄積された技術というものを東南アジア諸国で非常に欲しがってる国
     がありますので、そういうところと、人・物を交流させることによって、
---------- 改ページ--------101
     平和行政の延長線上に国際平和というものの創造に寄与していくと同時に、
     学術的な面、それに必要な技術的な面の交流を積極的に推進していこうと
     いうふうに計画しています。

63 よく、これまでの沖縄基地を米軍の世界戦略のキーストーンということで、米
   軍もそういう言葉で衰現してきたんですが、知事としては、そのキーストーン
   を今おっしゃったような世界・アジアに開かれた国際的な交流の拠点というこ
   とになると思いますが、それをどういうキーストーンという形で表現できれば
   いいんでしょうか。
     行政が目指しているのは、軍事的な戦略的なキーストーンじやなくて、平
     和のキーストーンにしていこうと、昨年の一二月にコスタリカのサンチュ
     スという元大統領が日本にまいりまして、コスタリカでは一九四八年から
     軍隊を全部廃止して無防備な状態を作っていると、我々に一番大事な国防
     政策というのは、防備体制をなくすることだというような言い方をしてる
---------- 改ページ--------102
     わけですが、私は沖縄の歴史的な背景を踏まえてみますと、去る沖縄戦の
     経験から言っても、こういうところに軍事基地を置くということは、一旦
     戦争があった場合にターゲットになるだけであって、こんな狭い地域で住
     民を避難させる場所もなければ、与える食べ物もない離島ですから、よそ
     から持ってくるわけにもいかないというのは痛切に感じたことですので、
     そういった意味から言っても、沖縄に軍事基地を置いておくのは県民の幸
     せな生活を保障することにはつながらない、したがって、せめて若い人た
     ちにもう少し希望の持てる、今、十代から三十代はじめごろの人たちが特
     に就職難で因っておりますけれども、これは行政として一番責任を感じて
     ることですが、今のままの状態が二一世紀まで続くとすれば、若者に仕事
     を与えることさえできないと、仕事さえ持てない若者が希望の持てるはず
     はないわけですので、その仕事を与えることは基地の整理縮小によって初
     めて可能になるというふうな認識を持ってるわけです。もし仮に、どなた
---------- 改ページ--------103
     か基地が今の状態であっても、産業は興せるし、可能だということであれ
     ば是非教わりたいぐらいの気持ちですけど、私はこれまでの歴史的な背景
     からしても非常に厳しいと見ています。ですから、そういった意味でも基
     地の整理縮小は避けて通れない課題だと思っています。

64 そういう立場から、基地の整理縮小を具体的に要請してきたわけですが、ただ、
   日本致府は先ほどのご証言もあったんですが、私から言わせれば、ほとんど動
   いていないと、わずか一五パーセントしか返還していないと、努力をしていな
   いと、そういう現状の中で、国に任していたらだめだということで、積極的に
   県から基地の返還アクションプログラムということを今回策定して、政府に突
   きつけていると思いますが、基地返還アクションプログラムの概略を述べてい
   ただきたいと思うんですが。
     県は行政の立場で将来に備えて返還アクションプログラムというのを二〇
     一五年までを三つの段階にわけて、まず第一段階が二〇〇一年まで、第二
---------- 改ページ--------104
     段階が二〇一〇年まで、第三段階では二〇一五年までに、基地の整理縮小、
     願わくば基地のない沖縄を作れるようにしていこうということで、プログ
     ラムを作りまして国に提示してございます。これは国のご支援がなければ
     とても実現は難しい、例えば、土地の跡地利用の問題のときの財政問題と
     か、地主の土地代の補償の問題とか、いろいろ複雑な問題がたくさんあり
     まして、そういう面で国の特別なご配慮をお願いしないといけないわけで
     すけれども、ただ、これはまだ地主とも十分に詰めをしているわけじゃな
     くて、これからきめ細かに地主側とも、基地を抱えている市長村とも相談
     をしながら、緊急性の高いものから最優先の課題としてやっていきたいと。
     例えば、緊急性の高いものといいますと、今、私がアメリカ政府や我が政
     府にお願いしてることは、普天間飛行場の早期返還、これは人命事故にか
     かわる懸念が非常に強いところですので、こういう人命にかかわるところ
     は最優先に解決してくださいということをお願いしていますが、長年放置
---------- 改ページ--------105
     されたままになってる那覇軍港の問題とか、これを是非解決してほしいと
     いう形でやっておりまして、嘉手納基地のように、重要視されてるところ
     は最終的に解決する第三段階に持ってくるとか、それぞれの地域の特性に
     応じて、また基地の内容に応じて、あるいは政府の意向等も勘案しながら、
     一つ一つ着実に整理していけるような形を取っています。ですから、今後
     の問題としては、今、基地問題を解決する上で、非常に地主たちが不安を
     抱いておりますが、また地方自治体も先ほど構造化されているということ
     を申し上げましたが、五〇年間ずっと基地に頼る生活を余儀なくされてき
     たわけですから、地方の財政の中に基地からの収入というのが予算として
     きちっと踏み込まれておるということで、それを補っていく方策も考えな
     いといけませんので、そういう面でもいろんなきめ細かい対策が必要とな
     りますので、そのあたり、今、県のスタッフが一生懸命になって地主や市
     町村と詰めをしているところです。
---------- 改ページ--------106
65 来る四月に橋本総理とクリントン大統領がトップ会談を予定されていますが、
   そのトップ会談の中で、是非とも県の立場、知事の立場で、要望なり具体的な
   合意なりを要請したいということがあれば、お聞かせいただきと思います。
     これは過去四年間ァメリカへ行きまして、率直にアメリカ政府、軍の高官、
     政府の高官、あるいは議会の代表の方々にもお会いして、沖縄の実情を訴
     えて、我々は決して過大なことをお顧いしてるんじゃなくて、ごく当たり
     前のことをお願いしてるんですよと、沖縄は皆さんの占領下にあるわけじ
     ゃなくて主権国家の一部ですよと、したがって、我々の土地、我々の海、
     我々の空というのは、これは皆さんのものじゃなくて、我々のもんですよ
     と、そこを我々が自由に使えるように是非してくださいと。アメリカは世
     界の経済大国といって、沖縄のようなこんな小さなところに過重な負担を
     かけるというようなことは、アメリカ自体にとっても好ましくないことじ
     ゃないですかと言ったら、よく分かるということを言うんですよ。したが
---------- 改ページ--------107
     って、私はずっとこの四月に向けて大統領に対してもァメリカの代麦的な
     方々に対しても、今の問題を手紙に書いてずっと送り続けてもいますし、
     橋本現総理に対しても、率直に沖縄の実情はこうですと、そこを是非ご理
     解いただいて、その解決に全力を尽くしていただいたほうが、逆にさっき
     から申し上げてる日米の友好関係にプラスになりますよということを申し
     上げてるわけです。ですから、今後ともそういう形で基地の整理がつくま
     で最大限の努力をして行かなくちゃならないと考えております。

66 最後に被告として訴えられた知事の立場から、この裁判所に要望したいことが
   ありましたら、どうぞ率直に述べていただきたいと思います。
     私は行政の責任者として、常に行政の立場を大事にしながら、これまでや
     ってまいりました。したがって、司法の問題について私のほうから特別に
     どうのこうのということを申し上げる気持ちはございませんけれども、た
     だ一つ申し上げたいことは、申し上げたいというよりかお願いでございま
---------- 改ページ--------108
     すけれども、今日アメリカのほうから電子メールが今朝届きまして、その
     中で基地問題の解決、少女暴行事件のような事件が起こることに対して、
     軍部のお偉い人、あるいは政府の偉い人々というのはアメリカにおいても
     ほとんど関心を示さないと。したがって、この人たちが本当の意味で関心
     を示して解決に取り組む場合には、この沖縄の少女暴行事件のような事件
     が自分の家族に起こった場合には本当に取り組むだろうということを、今
     朝、電子メールが届いてまして、私はその点だけを是非ともご理解いただ
     きたいと。つまり我々が今訴えてること、申し述べてることは、決して過
     大な形をお願いしてるのではなくて、憲法で保障された人間らしいごく当
     たり前の生活を当たり前にやっていこうという、当たり前の要請をしてる
     だけのことでありまして、必要以上に過大なお願いをしてるわけじゃござ
     いません。そういった意味で、自らの痛みというもの、あるいは他人の痛
     みというものが自らの痛みとなりうるような、そういう人間として共通の
---------- 改ページ--------109
     情感というもの、理性というものをもって、この問題に単なる形式論でお
     考えいただくのでなくて、でき得れば沖縄が担わされてきた歴史、現状、
     未未の有り様そのものとのかかわりでもって、実質的な内容に立ち入って、
     この際、自らの問題としてご判断いただけたら大変ありがたいというふう
     に思っておりますので、よろしくお願いいたします。

裁判長
67 知事の基地問題についてのお考え、これはだれにでも素直に分かることじゃな
   いかと思うんですね。沖縄の人でなくても、私も今は沖縄の人ですけれども、
   元々からは違うし、将来もまた違うかもしれませんが、これは国会とか、ある
   いは政府とか、あるいは中央の行政機関、こういうところの人にだって当然分
   かることなんだろうと思うんですが、どうなんでしようか。
     もし分かることでしたら、例えば、全国の都道府県が沖縄の苦労が分かっ
     たと、安保条約を政府がそんなに重要だというんだったら、我々も基地を
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     引き受けましょうと、そういうことを言ってくださるはずなんですけども、
     どなたもそう言ってくださらないわけですね。私のところに政府の高官も
     随分お見えになりましたが、どなたも一言も、じゃ皆さんの苦しみを我々
     も一緒に分かちましょうということをおっしゃらないわけですね。これは
     どういうことだろうかというのを私はちよっと首をかしげておりまして、
     そのあたり本当の意味で理解し共感を持つとすれば、やはり、そこから派
     生する問題についても引き受けてくださらないと、本当の意味の理解には
     なっていないんじゃないかという気持ちがあるもんですから。

68 基地の問題について、知事が政府関係者とかそのほかのアメリカの関係者とで
   も接蝕をすると思うんですが、理解はするような様子を見せているようですけ
   れども、しかし、実際には基地の整理縮小というのがあまりはかばかしく進ま
   ない、何が障害になるんでしようか。
     いろいろ障害があると思いますけれども、一つはアメリカ側の世界戦略の
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     問題、もう一つは率直に申し上げて、アメリカ側は東南アジア諸国も含め
     まして、かって日本が第二次世界大戦のときに、いろいろと近隣諸国に被
     害を与えたそういう国々からの懸念というのは、アメリカ側が引き揚げた
     ときに自衛隊が代わって大きくなっていくんじゃないかとか、日本の核武
     装につながるんじゃないかと、いわゆる瓶の蓋論と申しまして、アメリカ
     の在日米軍基地そのものが日本の軍事的な膨張を押さえる瓶の蓋の役割を
     してるということ、もう一つは先ほども申し上げましたが、アメリカはご
     承知のように軍縮計画を立てまして、確実に実行してるわけです。アメリ
     カの政府に基地の再編委員会というのができまして、これは大統領直属で
     議会からも政府からも独立した機関なんですが、それの委員長なんかと私
     もお会いしていろいろ伺いましたけれども、要するに、日本に軍隊を置い
     ておくほうが、アメリカに軍隊を置いているよりか安上がりだと、コスト
     の面で安くつくと、これは国防長官なんかも公言してますし、前のパウエ
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     ル統合参謀本部長なんかも非常に明確に数字をあげて説明しておりまして、
     そういうことと、アメリカは世論の国と言われて、世論が政治を動かすわ
     けですが、残念ながら沖縄の実態について、ほとんど一般の国民は知って
     いないということですね。その知っていないということで、我々が知らそ
     うとすると、これは我々の問題じゃなくて日本政府の問題じやないかと、
     日本政府が要求すれば、我々は基地を全面的にどこにでも日本政府が言う
     ところに移しますよということまでアメリカの高官は私に直に言ってるわ
     けです。ところが、残念ながら、日本政府の都合と申しますか、なかなか
     そういう要求をなさってるのかなさっていないのかよく分からないわけで
     して、アメリカ側はとにかく私などには、繰り返し、日本政府が要求すれ
     ば、それに柔軟に対応して基地の解決を図りますよということは、いろん
     な方が率直に言ってくださるわけですけれども、そこが一つの障害で、日
     本側の問題だと思います。私は日本側の問題という場合に、具体的な政治
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     の仕組で申しますと、日本はいわゆる民主政治を取ってるわけですから、
     国会では多数決ですべて決めるわけなんですね。沖縄は七名の代表しか出
     していませんで、その意味で四七都遵府県の一県でしかないわけですから、
     残りの四六都道府県の代表の方々が、国会で沖縄の問題を自らの問題とし
     てお考えいただいて、沖縄の基地の縮小に結びつくような法律を作るとか、
     あるいは解決策を講じてくださるということになれば、民主政治の下の多
     数決原理によって事は解決するわけですが、何しろ沖縄は七名の代表しか
     いなくて、残りの四六都道府県の国会の代表の方々がその気にならなけれ
     ば、非常に解決は難しいというふうに理解しております。

69 もう一つ別のことなんですけれども、被告側の主張に、基地対策のために県と
   関係市町村が重い行政負担を負ってると、つまり、県でいうと対策室を設けて、
   そこに二斑で職員一五人と言いましたですかね、張りつけて、いろんな処理に
   当たらせてる、こういう費用は特別国庫から出るとか、そういうことはないん
   ですか。
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     一部、交付税で手当てはされておりますけれども、今、自治省の定員の枠
     というのは非常に厳しゆうございまして、民生面で一人でも余計欲しいと、
     この三〇名余りの職員を基地問題に張りつけて、しかも事件・事故が夜間
     に起こったり、いろいろするもんですから、その度毎に職員が出てきて基
     地の司令官に会いに行ったり、夜通し作業をするとか、そういうことがあ
     るもんですから、このあたりは非常に県政にとっては過重な負担だなと、
     単なる基地の面的な面での過重な問題じゃなく、県庁の行政の場において
     も、非常に過重な負担を担ってるなという印象を持っております。
                            (以上 内田すみ子)

               福岡高等裁判所那覇支部
                    裁判所速記官  内 田 すみ子
                    裁判所速記官  瓜 生 恵 子
                    裁判所速記官  永 井 頼 信