上告審 口頭弁論開催要請書


     口 頭 弁 論 開 催 の 要 請
                         上告人  沖縄県知事
                              大 田 昌 秀
                         被上告人 内閣総理大臣
                              橋 本 龍太郎
 右当事者間の御庁平成八年(行ツ)第九〇号職務執行命令裁判請求上告事件につい
て、上告人は一九九六年四月一二日付上告理由書を提出しましたが、本事件の重要な
意義に鑑み、ぜひとも口頭弁論を開催し、上告人に弁論の機会を与えていただくよう
要請致します。
  一九九六年五月二〇日
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                    上告人訴訟代理人
                         弁護士  中 野 清 光
                          同   池宮城 紀 夫
                          同   新 垣   勉
                          同   大 城 純 市
                          同   加 藤   裕
                          同   金 城   睦
                          同   島 袋 秀 勝
                          同   仲 山 忠 克
                          同   前 田 朝 福
                          同   松 永 和 宏
                          同   宮 國 英 男
                          同   榎 本 信 行
                          同   鎌 形 寛 之
                          同   佐 井 孝 和
                          同   中 野   新
                          同   宮 里 邦 雄

最 高 裁 判 所
 第 三 小 法 廷  御中

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          上告理由補充書

 上告人は、先に提出した上告理由書を次のとおり、補充する。
一 上告理由第六点についての補充
 1 職務執行命令裁判の基本構造と「公益侵害」要件
 (一)地方自治法一五〇条は、「地方公共団体の長が国の機関として処理する行政
  事務」について、主務大臣が都道府県知事を、主務大臣及び都道府県知事が市町
  村長を指揮監督する旨定め、指揮監督系列を明確化した。
   同法一五一条一項が、機関委任事務のうち「行政庁又は市町村長の権限に属す
  る国・・・の事務」につき、都道府県知事が市町村長に対して、処分の取消し、
  又は停止を命ずることができる旨定めていることからすると、右一五〇条の「指
  揮監督」とは、都道府県知事又は市町村長に対してある行為を指示し、或いは求
  め、都道府県知事又は市町村長がこれに従うことを期待することを内容とするも
  のであり、都道府県知事又は市町村長がなした処分そのものを直接「取消し、又
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  は停止」したりするという直接的な法的効果を生ぜしめるものではないと解され
  る。
   地方自治法が、都道府県知事に対して、「市町村長の権限に属する国・・・の
  事務」につき処分の取消し、又は停止を命ずる権限を認め、主務大臣に対して、
  「都道府県知事の権限に属する国の事務」につき同様の権限を認めなかったこと
  は、同法が、都道府県知事についてはその自主的判断を介して機関委任事務の管
  理・執行を行うという法構造をとっていることを示すものである。
 (二)地方自治法は、一五一条の二において、機関委任事務のうち「都道府県知事
  の権限に属する国の事務」については、主務大臣が都道府県知事に対して、違反
  の是正等の勧告(一項)、職務執行命令(二項)、職務執行命令裁判の請求(三
  項)を行うことができると定め、「市町村長の権限に属する国・・・の事務」に
  ついては、都道府県知事が市町村長に対して同様の勧告、命令、裁判の請求をな
  しうるものと定める(一二項)。
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   地方自治法は、機関委任事務の管理・執行の実効性については、主務大臣と都
  道府県知事間又は都道府県知事と市町村長間のいずれについても、職務執行命令
  裁判を介在させて、司法機関に「地方公共団体の長本来の地位の自主独立性の尊
  重と、国の委任事務を処理する地位に対する国の指揮監督権の実効性の確保との
  間に調和を図」る判断を行わせるものとしている。
   これは司法権が、職務執行命令裁判を通して、司法が本来有する「法律上の争
  訟」について裁判を行うという役割とは異なる役割を果たすことを期待されてい
  ることを示すものである。裁判所法は、三条において「一切の法律上の争訟を裁
  判し、その他法律において特に定める権限を有する」と定め、一七条において「
  高等裁判所は、この法律に定めるものの外、他の法律において特に定める権限を
  有する」と規定するが、職務執行命令裁判は正に「他の法律において特に定める
  権限」に属する裁判である。
   この点をきちんと理解することは、地方自治法一五一条の二の「公益侵害」要
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  件を正しく解する上で極めて重要である。
 (三)地方自治法一五一条の二の「それを放置することにより著しく公益を害する
  ことが明らかであるとき」という要件(「公益侵害」要件という)は、一九九一
  年の同条の追加の際に、新たに加わった要件であり、同条の追加以前には存しな
  かったものである。現行の一五一条の二に対応する同条追加以前の条文である一
  四六条は、単に「国の事務の管理若しくは執行が法令の規定若しくは主務大臣の
  処分に違反するものがあると認めるとき、又はその国の事務の管理若しくは執行
  を怠るものがあると認めるとき」という要件を規定するだけで、右「公益侵害」
  要件を定めていなかった。
   右一九九一年の改正により、法が新たに司法機関に対し、法令・処分の違反の
  有無、又は怠る行為の有無以外に「公益侵害」要件の有無を判断させようとして
  いることは、同改正の経緯から見て明らかである。
   法令・処分の違反、又は怠る行為が認められれば、都道府県知事、又は市町村
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  長の行為は形式的には直ちに違法となるにもかかわらず、何故右改正により追加
  された一五一条の二は、それだけでは勧告や命令を発しえないものとし、「公益
  侵害」要件を充たすことが必要と規定したのであろうか。
   右立法の経過を踏まえると、それは、機関委任事務を管理・執行する都道府県
  知事又は市町村長は、国の機関として法律により同事務の管理・執行を義務付け
  られている一方、他方で憲法及び地方自治法により地方公共団体の長として地方
  自治の本旨に従って地方行政を執行する憲法上、地方自治法上の法的義務を負っ
  ていることから、その調和を図るためには、地方公共団体の長として都道府県知
  事又は市町村長が行う自主的判断、すなわち地方自治の本旨に従って行われる自
  治行政判断と法が機関委任事務の執行に託した個別的法目的の実現とを比較衡量
  して、どちらの法的義務、判断を優先させるかを司法機関に判断させることが必
  要とされたためと解される。
   従って、一五一条の二にいう「公益」とは、公益概念が本来有する「総合的」
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  なものとして、且つ憲法の保障する価値体系、憲法原理を内包する調整基準とし
  て解釈すべきものである。
  「公益」概念が法律概念として定められているものである以上、わが国法体系上
  最高規範としての憲法の保障する価値や原理が「公益」の中心的内容としてとら
  えられるべきであることは当然のことである。
 (四)ところが、原判決は、一五一条の二の「公益」とは「当該国の事務の管理執
  行を都道府県知事に委任している当該法令が右事務の管理執行により保護、実現
  しようとしている公的な利益である」と解して、同概念が持つ「総合性」、「調
  整基準機能」を否定した。これは、一九九一年の改正の経緯を無視し、一五一条
  の二が「公益侵害」要件を新たに付け加えた趣旨を理解しないものであり、同条
  の解釈を誤ったものと厳しく批判せざるをえないものである。
 2 「公益」の具体的内容
 (一)一五一条の二は、「それを放置することにより・・・公益を害する」と規定
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  するが、そこでいう「それを放置することにより」とは、法令違反又は怠る行為
  が「当該国の事務の管理執行を都道府県知事に委任している当該法令が右事務の
  管理執行により保護、実現しようとしている公的な利益」を害することを意味す
  るものであるから、害される「公益」が当該法令が機関委任事務の管理執行によ
  り保護、実現しようとする公的利益と異なることは文言上明らかである。
   従って、本件に即していうと、立会・署名が行われないことにより、防衛施設
  局又は起業者が土地・物件調書を作成できず、そのため強制使用手続を進めえな
  い事態が生ずるとしても、そのこと自体は、法令違反又は怠る行為の結果当然に
  起きる事態であり、「公益侵害」要件の「公益」の内容をなすものではない。
 (二)「公益侵害」要件にいう「公益」は、当該機関委任事務を行うことにより生
  ずる公的な利益、すなわち、強制使用手続を進めることにより当該土地を強制的
  に使用することによって得られる利益と当該機関委任事務を行わないことにより
  生ずる公的な利益とを比較衡量し、どちらが公共の利益に合致するかを総合的に
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  判断すべきものである。
 (三)「公益」、すなわち公共の利益は不確定概念であり、一般的に定義すること
  は余り意味がなく、具体的事案に即して具体的に考察すべきである。
   本件に即していうと、防衛施設局は、日米地位協定上米国に対し土地提供義務
  を負っているとして、本件土地の使用権を取得する必要性を主張し、その必要性
  を「公益」の具体的内容として主張している。他方、大田沖縄県知事は、強制使
  用手続が進められて、本件土地についての使用権が取得されて駐留米軍の基地と
  して使用されることにより米軍基地が固定化され存続することにより、地域住民
  の人権、生活が侵害され、地域の経済の振興が阻害され、そのことにより知事の
  自治行政が十分に果たしえないことを主張し、強制使用手続を進めないことこそ
  「公益」と主張しているものである。
   従って、本件における「公益」とは、駐留米軍基地そのものの公益性、しかも
  抽象的な駐留米軍基地の公益性ではなく駐留米軍の専用施設の約七五パーセント
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  が狭い沖縄県に集中している現状及びこれまでの過去の経緯を踏まえて、さらに
  今後長期間にわたって米軍基地を存続させることの公益性を具体的内容とするも
  のである。この「公益」性は、すぐれて憲法的価値判断を含むものであり、具体
  的な事実認定の上でなされる法的判断である。
 (四)右判断を行うためには、本件で問題とされている土地が米軍にとってどの程
  度必要な土地であるのか、本件土地の使用権原を国が取得できないことにより米
  軍が現実に本件土地を使用している事態に支障が具体的に生ずるのか否か(読谷
  村の楚辺通信所〈いわゆる象のオリ〉では、国は土地の一部の使用権を取得でき
  なかったが、米軍は同土地を継続使用しており、国が土地の使用権を取得できな
  いことによる米軍基地への障害は現実には生じていない事実がある)、国が米国
  に提供してきた土地につき、国が使用権を取得しえない事態が生したとき、国は
  米軍に対し土地の返還を求めているのか否か、米軍に支障のない土地については、
  国が土地の使用権を取得しえないときには、日米地位協定上土地の提供義務を負
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  わないのではないか等を具体的に事実認定をする必要がある。
   又、米軍基地の存在が、どれほど地域住民の人権、生活を侵害し、地域の経済
  振興を阻害しているか否か等も具体的に事実認定するなどして検討する必要があ
  る。
   ところが、原判決は、結論を急ぐあまり、右重要な事実について、本件におけ
  る「公益侵害」にかかわりのないこととして、その存否についての事実調べを行
  わないまま、上告理由書で指摘したとおり誤った「公益」解釈に立って判決をな
  したものであり、到底破棄を免れないものである。
 3 収用高権と地方公共団体の自主的判断の関係
 (一)収用高権の発動の手続を定める一般法が土地収用法であり、その特別法が駐
  留軍用地特措法である。収用高権の発動は、事業準備のための他人の土地等への
  立ち入り等の許可から始まるといえるが、強制収用・使用手続の具体的な開始は
  建設大臣又は総理大臣の事業認定又は使用認定により、起業者又は防衛施設局長
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  に対し強制収用・使用を申請しうる法的地位を与えることにより、始まる。
   土地収用法又は駐留軍用地特措法が、起業者又は防衛施設局長に対し”強制収
  用・使用を申請しうる法的地位“を与えるか否かの判断権を、建設大臣又は総理
  大臣に与えていることは、法の規定上明らかといえる。
   しかし、法が右判断権を建設大臣又は総理大臣に与えていることから、直ちに
  法が収用高権の手続の進行について、他の者が関与することを禁じていると結論
  づけるのは正しくない。土地収用法又は駐留軍用地特措法は、起業者又は防衛施
  設局長に対し”強制収用・使用を申請しうる法的地位“を与えるか否かについて
  の判断権を建設大臣又は総理大臣にあたえているが、それはあくまで”強制収用
  ・使用を申請しうる法的地位“を与えるか否かについての判断権であり、”強制
  収用・使用を申請しうる法的地位“を与えられた起業者又は防衛施設局長が、そ
  の後収用手続を進める法的地位(又は何らかの権利)を無条件に保障するもので
  はない。
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 (二)土地収用法又は駐留軍用地特措法は、土地・物件調書の立会・署名について、
  都道府県知事に対し国の事務を機関委任しているものであり、機関委任事務制
  度そのものが、都道府県知事の自主的判断を尊重し、主務大臣との間に判断の相
  違が生じたときには、その調和を図るため司法にその判断を委ねているのである。
  それゆえ、司法が独自の立場から機関委任事務の管理・執行について審査するに
  際し、収用・使用手続を進めるか否かにつき判断を行うことになったとしても、
  それは法そのものが予定しているものであり、事業認定又は使用認定権限を建
  設大臣又は総理大臣に認めたことに反することにはならない。
   収用高権が国家に属するとしても、それをどの様に発動するかは発動の手続を
  定める収用手続法により規定されるものである。土地収用法又は駐留軍用地特措
  法は、事業認定又は使用認定により、起業者又は防衛施設局長に対し”強制収用
  ・使用を申請しうる法的地位“を与える権限を建設大臣又は総理大臣に対し、認
  める一方、その後の収用手続に機関委任事務の形で地方公共団体の長を関与させ、
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  地方行政に重大な影響を及ぼす収用手続に地方公共団体の意見を反映させている。
   時の政府の判断だけで収用高権を発動・貫徹させるのではなく、地方公共団体
  の長の判断をその手続の中に反映させ、両者の判断が衝突したときに、司法がそ
  の間に入って、何が最も「公益」に合致するか否かを総合的に判断し、もって収
  用高権の発動の適正さを保障する法構造をとっているのが、土地収用法であり、
  また駐留軍用地特措法である。このように解することこそもっとも同法の精神
  に合致するものである。
   このような法構造の中に、地方自治法一五一条の二の「公益侵害」要件は位置
  づけられていることを見失ってはならない。
二 「公益」判断の必要性――原判決に対する世論の反応
 1 本件の最大の眼目は、司法が沖縄県における駐留米軍基地の実態をどのように
  法的に評価し、とりわけ「公益」要件の該当性との関係においていかなる判断を
  なすかにある。原判決は、法解釈の技術を駆使してこれを回避した。しかし、こ
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  れは、上告人が上告理由書で指摘したとおり、職務執行命令裁判の基本構造を正
  しく理解しないものであり、国民が司法に期待する最も中心的課題に、真正面か
  ら答えないものとして、世論から厳しく批判されているものである。
   以下、一九九六年三月二六日付の地元の新聞「沖縄タイムス」、「琉球新報」
  の社説、全国紙「朝日新聞」、「毎日新聞」の社説を本書面未尾に添付して、世
  論を代表するものとして、判決に対するマスコミ論調を紹介する。
 2 沖縄タイムスは、「判決には、正直いって戦後五十年余の苦渋への配慮は何ら
  感じられない。裁判になった原因がどこにあるのかを問わず、実質審理を避けた
  結果であろう。」とし、「大田知事が・・・代理署名拒否を表明したのは、戦後
  五十年という節目の中で、署名すれば基地の固定化につながり、県民の平和的生
  存権、財産権を脅かし、憲法で保障された平等の原則にも反すると考えたからで
  あった。この考えは、多くの県民の共感をよんだ。二十一世紀へ向け平和な島を
  構築するには、基地の整理・縮小が不可欠であることはいうまでもない。数え上
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  げれはきりがないほどの事件・事故をみればはっきりするし、平和の配当は国民
  が平等に享受する権利があると思うからだ。」と主張する。
   琉球新報は、この訴訟で国の主張、そして裁判所の訴訟指揮の柱として一貫
  していたのは、国益(公益)としての日米安保条約の履行、その体制の堅持。そ
  れを金科玉条として掲げ、審理を米軍用地特措法に基づく「手続き」の適否とい
  う形式審理に絞り込んだのが、大きな特徴といえよう。」と評し、「沖縄におい
  ては、憲法、民主主義よりも日米安保体制の維持が”錦の御旗“としてその上位
  に翻ったということになる」と批判し、「沖縄側が問い、司法の光の照射を求め
  ていたのは・・・銃剣とブルドーザーによって強制収用された広大な軍事基地の
  歴史的経緯であり、戦後半世紀余、復帰から二十四年経過した今日の沖縄の現状
  の憲法と民主主義の名における司法によるチェックである。」と指摘する。
   朝日新聞は、「沖縄県民を失望させたのは、判決の結論だけではない。審理を
  通して、政府ばかりか、裁判もまた、沖縄の米軍基地問題に正面から取り組む意
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  思と力を持ち合わせていないことを見てとったのではないのか。裁判は、この問
  題をめぐる沖縄と本土、つまり日本政府や司法との間に横たわっている意識の溝
  の深さをさらけ出した。今回の判決からまず受け取るべきは、この溝の深さであ
  る。」と指摘する。そして「沖縄県側が署名拒否という前例のない決断を下した
  のは、祖国復帰から二十年余り、政府に求め続けてきたにもかかわらず、一向に
  基地の整理縮小が進まなかったからだ。このことを裁判所はどれだけ考えたのだ
  ろうか。」と問いかける。そして、「沖縄の声は、生活に根ざした人権救済の要
  求である。大塚一郎裁判長は、判決理由に沖縄への『同情』を付け足すことより
  も、基地の現状が憲法の理念に反しないかどうかに答えるべきだった。」と批判
  する。
   毎日新聞は、「被告は県側であったが、実際に裁かれたのは、復帰から四半世
  紀になるというのに、基地集中に伴う騒音被害や米兵による犯罪などを放置して
  きた国、そして安保体制のひずみだった。その意味から、もっと踏み込んだ判断
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  を示して欲しかったが、判決は行政機関相互間の権限行使に関する形式的審査の
  範囲内にとどまり、地方自治の本旨や公益などの憲法論争を回避した。残念と言
  わざるを得ない。」と評した。
   右に見たように、世論は原判決が司法としての責任を放棄したことを等しく指
  摘し、批判している。
   最高裁判所は、いま司法に求められている国民の期待に応えて、沖縄の米軍基
  地問題について、憲法的判断を行う責務を負っているといえよう。



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【沖縄タイムス 社説】平成8年3月26日朝刊
           世論に背を向けた判決
県民の怒りの声は当然
 米軍用地強制使用の代理署名を求めた職務執行命令訴訟は、大方の予想通り大田昌
秀知事が敗訴した。怒りは込み上げるが、驚きはない。裁判の途中で判決の内容はほ
ぼ予測できたからだ。この訴訟は、内閣総理大臣が知事を相手どって、代理署名とい
う職務を執行するよう訴えていたもので、前代未聞の裁判である。敗訴した大田知事
は、あさって(二十八日)までに署名することを命じられたが、これまでの経過から
みて再度拒否するだろう。当然のことだ。
 判決は、県民の側からみて、とうてい容認できない点が多い。知事は上告して在沖
米軍基地の実態を全国民に知らせ、整理・縮小の機運をさらに高める努力をしてほし
い。
 きのう福岡高裁那覇支部が下した判決は、正直いって戦後五十年余の苦渋への配慮
は何ら感じられない。裁判になった原因がどこにあるのかを問わず、実質審理を避け
た結果であろう。県側が求めた二十三人の証人尋問を却下した姿勢にも〃大岡裁き〃
との落差を感じさせる。
 大田知事が昨年九月、代理署名拒否を表明したのは、戦後五十年という節目の中で、
署名すれば基地の固定化につながり、県民の平和的生存権、財産権を脅かし、憲法で
保障された平等の原則にも反すると考えたからであった。
 この考えは、多くの県民の共感を呼んだ。二十一世紀へ向け平和な島を構築するに
は、基地の整理・縮小が不可欠であることはいうまでもない。数え上げければきりが
ないほどの事件・事故を見ればはっきりするし、平和の配当は国民が平等に享受する
権利があると思うからだ。
 なるほど、判決では過重な基地負担について「国の責任は重い」と、整理・縮小を
国に求めている。この点は評価に値しよう。
 だが、それだけでは県民を納得させることはできまい。復帰後二十三年も過ぎたの
に、日米両国は復帰後に返還に合意した施設さえいまだに返還しようとしない。司法
が「国の責任」を迫及した意義は認めるが、現実はそれさえも通じない状況なのだ。
 われわれは、先に大田知事が被告人尋問で述べた見解は決してわがままな要求とは
思っていない。それどころか県民の偽らざる心情を披歴したものと考えている。
 大塚裁判長もこうした県民世輪を意識してか「過重な基地負担や基地被害などを考
えると、知事の代理署名拒否は理解できないこともない」と、ある程度の心配りを見
せた。だが、結局は世論を一蹴(いっしゅう)した形の判決になっている。極めて残
念である。法廷の内外で怒りの声が渦巻くのは当たり前というべきだろう。
 安保重視の流れに沿う
 判決全体から感じ取れるのは、国側と同じように安保重視に偏りすぎる、という点
だ。
 全国の七五%の米軍基地が集中し、異常ともいえる沖縄の状況は、復帰後は日米安
保に起因している。安保や地位協定で施設提供義務があるとはいえ、沖縄だけがなぜ
多大な犠牲を払わねばならないのか。「国の責任は重い」と指摘しただけで県民の負
担が軽減されるとでもいうのだろうか。安保重視を前提にするなら、法の下の平等と
のかかわりも明確にすべきだろう。
 裁判で最大の争点だった「公益」についても、判決は国側の主張を全面的に受け入
れている。「法令違反(代理署名拒否)によって国の条約上の義務の履行の可能性を
奪うもので、著しく公益を侵害する」と判示、県民の公益は退けられた。これも安保
優先の考えから生じた結論であろう。
 また、知事の代理署名を機関委任事務と認定した判断が果たして時代の流れに沿っ
たものかどうか疑問と言わざるを得ない。知事が自らの判断で事務を執行しないこと
は可能なはずで、そうでなければ地方分権の意味も薄れる。その辺りをはっきりさせ
るためにも最高裁で論じ合う必要があろう。
 政府は裁判の原点問え
 昨年十二月七日の提訴から三カ月余のスピード審理を経て出された判決は知事の全
面敗訴だった。だが、代理署名訴訟の本当の闘いはこれからが本番だといってよい。
知事に代わって橋本首相が署名を代行したにしても、その後、県収用委員会に強制使
用の裁決申請と緊急使用申請が必要だ。
 仮に県収用委がこの申請を受理しても次は公告縦覧があり、知事がこれも拒否すれ
ば再び首相による職務執行命令訴訟に持ち込まれることになる。そうなれば、一部の
未契約地で法の裏付けのない不法占拠の事態が生じる。
 これでは日米関係にも深刻な影響を及ぼしかねない。
 だからこそ政府はこの裁判の原点を問い直すべきだ。基地の整理・縮小を着実に進
めることがその第一歩のはずだ。われわれもきのうの判決をそこへ進むスタートライ
ンと位置づけたい。

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【琉球新報 社説】平成8年3月26日朝刊
            司法権放棄した判決
沖縄に不可欠な憲法判断
 米軍基地の強制使用をめぐって首相が大田沖縄県知事を訴えていた「代理署名訴
訟」は、二十五日福岡高裁那覇支部で判決があり、大塚一郎裁判長が、知事に三日以
内に代理署名するように命じた。首相、国側の全面的勝訴であり、沖縄県側の敗訴で
ある。
 一連の訴訟手続きに見られた裁判所側の国との二人三脚ともいえる姿勢から、予想
された判決である。しかし、この裁判で裁かれたのは、敗訴した沖縄県ではなく、逆
に提訴した国であり、戦後五十年余にわたる国の沖縄施策である。そして、国側の政
治的言い分を限りなく取り入れる形で、自らの権限を放棄した観のある司法そのもの
であると言いたい。
 結果において、県が主張した平和的生存権、基本的人権、財産権、法の下の平等、
地方自治法に根差した県益―といったものをことごとく無視、あるいは否定したが、
これらは日本国憲法の基本原則、理念であり、民主主義の基盤である。言い換えれば、
沖縄の現実に立って憲法そして民主主義そのものが問われたことになるが、沖縄にお
いては憲法、民主主義よりも日米安保体制の維持が〃錦の御旗〃としてその上位に翻っ
たということになるであろう。
 三十一日で使用期限が切れる一部用地についても、国は〃超法規的〃措置に出るよ
うだが、問われているのは、安保体制維持の危機ではなく、日本国憲法そのものであ
り、わが国の民主主義そのものではないのか。
「知事理解」をいま一歩
 この訴訟で国の主張、そして裁判所の訴訟指揮の柱として一貫していたのは、国益
(公益)としての日米安保条約の履行、その体制の堅持。それを金科玉条として掲げ、
審理を米軍用地特別措置法に基づく「手統き」の適否という形式審理に絞りこんだの
が、大きな特徴といえよう。
 判決では、「県民の命と暮らしを守ることを使命とする行政の首長としての立揚」
から「沖縄における米軍基地の現状や県民感情、県の将来などを考慮して署名等代行
事務の執行を拒否したことは、やむを得ない選択であるとして理解できないことでは
ない」としながらも、結局は、特措法は憲法に違反せず、署名代行も地方自治の本旨、
憲法に違反してないと、沖縄側が求めていた憲法判断を無視した。
 しかし、言うまでもなく、沖縄側が問い、司法の光の照射を求めていたのは、その
ことではない。
 銃剣とブルドーザーによって強制収用された広大な軍事基地の歴史的経緯であり、
戦後半世紀余、復帰から二十四年経過した今日の沖縄の現状の憲法と民主主義の名に
おける司法によるチェックである。特措法、代理署名の是非ではなく、その結果とし
ての「軍事基地」そのものの存在、遺法に照らしての合法性のチェックである。国土
の〇・六%の県土に国内米軍専用基地の七五%を張り付けられ、復帰後だけで四千七
百件に及ぶ基地犯罪、諸々の基地被害に生命の安全は言うに及ばず、日常生活を脅か
され、将来の夢さえも制限されている「現状」についての判断である。
 室井力・名古屋大学名誉教授(日本地方自治学会理事長)は「知事が自らの判断で
事務を執行しないことは可能。職務執行命令訴松に発展した場合、国の公益と地方の
公益の対立がとことん論議されるべきだ」と語っている。福岡高裁那覇支部も「県益」
(公益)を主張する大田知事の立場に理解を示すのであれば、原告の「国益」と被告
の「県益」の徹底審理をするのが、司法としての筋であったはずだ。
「重い国の責務」に注目
 大田知事を先頭とする県民の声は、司法の高い壁の中に吸い込まれてしまった。憲
法第一〇章「最高法規」でうたわれている「憲法の最高法規制」と「条約・国際法規
の遵守」で後者だけが前面に突き出され、肝心なもう一方の「憲法」は一顧だにされ
なかった。大田知事は「県の公益に配慮せず、形式審査のみにとどまっている。憲法
の理念、地方自治の精神に照らし残念」「これで事をあきらめられるような状況には
ない」と記者会見で語っているが、沖縄にまで「憲法」を出向いてもらうためにも、
上告はぜひ検討すべきではないだろうか。
 いずれにしても、今回の判決、またそれに先立つ訴訟指揮には失望を禁じ得ない。
しかし、「沖縄の米軍基地の問題は段階的に整理、縮小を推進するなどして解決され
るべきで、この点の国の責務は重い」と、国の沖縄の基地施策にクギを差した点は、
せめてもの〃罪ほろばし〃として素直に理解したい。間題は国の対応である。
 四月一六日にはクリントン米大統領が来日する。橋本首相が、その日米首脳会談の
場で、裁判所が指摘した「国の責務」をどう米大統領に県民の意を体して伝え、要求
し得るか。県民が強く求めている普天間基地の返還について、最近、首相自ら「厳し
い」という弱音をはいてもいるが、「県民の心情理解」だけでは、国の責務が果たせ
ないことを知ってほしい。日米首脳会談では、日米安保の「再定義」が行われ、安保
体制のグローバル化も言われている。しかし、いかに国策といえども、一人沖縄県民
に犠牲を強いることは許されない。民主国家の否定になる。
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【朝日新聞 社説】平成8年3月26日朝刊

                  沖縄裁判が問いかけた 「日米安保を考える」

 沖縄の米軍用地強制使用をめぐる福岡高裁那覇支部の判決は、大方の予測通り、首
相側の言い分を認めて、大田昌秀知事に代理署名を命じるものだった。
 沖縄県民を失望させたのは、判決の結論だけではない。審理を通じて、政治ばかり
か、裁判所もまた、沖縄の米軍基地問題に正面から取り組む意思と力を持ち合わせて
いないことを見てとったのではないか。
 裁判は、この問題をめぐる沖縄と本土、つまり日本政府や司法との間に横たわって
いる意識の溝の深さをさらけ出した。今回の判決からまず受け取るべきは、この溝の
深さである。

 ○「本土」との余りに深い溝
 大田知事をはじめ沖縄県民が裁判に期待したのは、この溝を埋めることだった。日
米安保体制の下で、過重な米軍基地が沖縄の人々の日常生活を侵している実態を、法
廷の場で訴える。それを踏まえて、判決が沖縄の問いかけに答えることだった。
 米兵による事件事故、演習や騒音による被害。島を広大な基地に占拠され、産業も
育たない。この重圧に、いつまで耐えなければいけないのか。
 日本国民として、基本的人権が保障された憲法の下に暮らしているにもかかわらず、
なぜこの重大な人権侵害や不公平が是正されないのか。
 平和で人間らしい生活を取り戻そうという県民の立場に立つことは、選挙で選ばれ
た知事の当然の責務である。その役目を果たすため代理署名を拒否することが、なぜ
違法とされるのか。
 裁判所は、知事側のこうした声に耳を傾けようとはしなかった。判決は問いかけに
答えず、「政府がその土地を米軍用地に必要と認定したことの是非に、知事が判断を
差し挟む余地はない」と突き放した。
 地方自治法は、都道府県知事が代理署名など政府の命令を拒んだとき、裁判所の判
断を求めるよう定めている。今回の判決のように、政府の判断に知事が異議を唱える
ことができないのなら、知事は政府の下請け機関にすぎなくなる。
 沖縄県側が署名拒否という前例のない決断を下したのは、祖国復帰から二十年余り、
政府に求め続けてきたにもかかわらず、一向に基地の整理縮小が進まなかったからだ。
このことを裁判所はどれだけ考えたのだろうか。
 確かに判決は、「知事が米軍基地の現状、県民感情、県の将来などを慮(おもんぱ
か)って、代理署名を拒否したことは理解できないことではない」とつけ加えている。

 ○難しい基地の安定使用
 しかし、沖縄の声は、生活に根ざした人権救済の要求である。大塚一郎裁判長は、
判決理由に沖縄への「同情」を付け足すことよりも、基地の現状が憲法の理念に反し
ないかどうかに答えるべきだった。
 大田知事は、今回の判決にもかかわらず、代理署名の拒否を貫くだろう。代わりに、
橋本龍太郎首相が、自ら代理署名を行うことになる。とはいえ、沖縄県収用委員会に
対象の土地を強制使用できるよう申請しなければならず、今月いっぱいで使用期限切
れになる一部の用地は、手続きが間に合わない。
 そうなれば、政府が民有地を「不法占拠」するという、異常事態が生じる。今後も
沖縄の理解が得られないかぎり、政府は今回のような裁判を次々と起こさざるを得な
くなる。そして、沖縄側は同じように主張するだろう。実際、県内八市町村の首長は、
収用委員会の裁決に必要な手続きを拒否するとしている。
 沖縄の基地の整理縮小を求める運動は、昨秋以来、かつてない広がりをみせ、その
声は本土にも着実に届きはじめている。基地の整理縮小を待ったなしで求める住民に
囲まれた状況で、米軍基地を安定的に維持し続けることは、ますます難しくなる。
 裁判は本来、争いごとを解決するためにある。しかし、「沖縄問題」という、戦後
日本が見て見ぬふりをしてきた深刻な矛盾の解決に、一つの裁判だけで道が開けると
期待するのは、もともと無理があるのかもしれない。
 処分や命令をする行政側の誤りが、訴訟で正されることはほとんどない。それが日
本の裁判の現実である。だから、なおさらのこと、沖縄の過大な負担を放置してきた
政治の責任は重いのだ。
 沖縄米兵による凶悪犯罪と、基地縮小を求める大規模な県民運動は、起こるべくし
て起きた。
 それが日本政府に突き付けたものは何だったのか。三週間後に迫ったクリントン米
大統領との会談を前に、橋本首相はもう一度、次のことを思い起こしてほしい。
 第一は、安保体制の現状が生んでいる沖縄と本土との格差を直視することだ。それ
なしに、安保の堅持や、アジア太平洋地域の安定の要(かなめ)としての「再定義」
をうたうのは、健全な民主主義とはいえない。
 第二は、戦後半世紀近くにわたって日米安保体制に安住してきた惰性の根深さであ
る。平和国家として、冷戦後の国際的な安全保障システムにいかに寄与するか。その
ための日米協力とは何なのか。近隣諸国との信頼を強めるにはどうしたらいいのか。
そうした課題について、日本は本気で考えてこなかった。
 橋本首相は、基地問題に誠意をもって取り組むと表明した。代理署名を拒む大田知
事を提訴した当時の首相、村山富市氏もいま、「心残りは沖縄問題だ」と語る。
 確かに、この半年間の対米協議では、騒音問題をはじめ地位協定に関連する課題は
一定の前進が見られた。

 ○縮小に政治決断を下せ
 しかし、基地の目に見える縮小計画や、「当面この地域に十万人、うち日本に四万
七千人」という米国の前方展開に対置すべき安全保障の構想作りでは、首相にも、与
党にも、指導力を発揮した跡はうかがえない。
 その象徴が、沖縄県が最優先課題としてきた、海兵隊普天間飛行場の返還について
の結論を、この秋まで先送りしたことだ。 首相は先週、大田知事と会談した際、基
地縮小の展望が厳しくなった背景として、台湾海峡の緊張をあげた。だが、米側や外
務官僚の主張を受け売りすることが、首相の仕事ではあるまい。中長期の地域情勢や
日米関係の展望を踏まえて、基地縮小に、いまこそ政治決断を下すことである。
 皮肉なことに、今回の裁判での政府の勝訴は、政治の出番がきたことを告げた。
 首相がこれにこたえないならば、沖縄の孤立をさらに深めるだけではない。首脳会
談のはなばなしい言葉とは裏腹に、かえって日米間の信頼を足元から揺さぶることに
なるだろう。

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【毎日新聞 社説】平成8年3月26日朝刊

                  代理署名判決 沖縄の痛みに応えたのか

 証人調べなどの実質審理を回避し、結審を急いだ結果がこれか。
 沖縄県の米軍基地用地の強制使用をめぐる代理署名訴訟で、福岡高裁那覇支部の大
塚一郎裁判長が示した判決に、沖縄県民は怒りや悔しさを強めているのではないか。
 今回の訴訟では、強制使用の裁決申請に必要な土地・物件調書への代理署名は国の
機関委任事務か、知事がそれを拒否することは可能か、米軍基地提供の公益性とは何
か、基地集中により平和的生存権や財産権が侵害されていないかなど幅広いテーマが
争点になった。
 このうち「代理署名は国の機関委任事務かどうか」は、今回の訴訟の“入り口”に
当たるもので、この点を司法がどう判断するかが焦点になった。認定次第では他の争
点の扱いも大きく変わってくるからだ。
 県側は、機関委任事務だという明確な規定はなく、署名するかどうかは自治体にま
かされた「自治事務」だと主張した。これに対し、国側は土地収用法、駐留軍用地特
措法に基づく国の機関委任事務だと反論した。
 結局、判決は国側の主張を全面的に受け入れ、代理署名は国の機関委任事務であり、
地方自治の本旨に反するものではなく知事は代理署名を拒否できないと結論づけた。
“入り口”の部分で、県側の主張を退けたのだから他の争点に対する結論は推して知
るべしである。
 地方自治法は代理署名命令の要件を、知事の職務執行拒否が著しく公益を害するこ
とが明らかな場合としている。この観点から今回の訴訟は、大多数の県民が望んでい
ないのに日米安保体制に基づいて基地を提供することが「公益」と言えるのかとの重
い課題を突き付けたものだった。 県側は「公益の名において沖縄に長期間、過重な
負担を強いることは許されない」と主張したが、判決は「署名しない場合の公益侵害
性と、署名した場合の不利益とを比較衡量しても、署名を放置することの方が著しく
公益を害することは明らかだ」とまで言い切った。
 今回の訴訟は、昨年九月の米兵三人による小学女児暴行事件をきっかけにして、米
軍基地の整理・縮小を求める県民世論が高まる中で行われた。被告は県側ではあった
が、実際に裁かれたのは、復帰から四半世紀になるというのに、基地集中に伴う騒音
被害や米兵による犯罪などを放置してきた国、そして安保体制のひずみだった。
 その意味から、もっと踏み込んだ判断を示してほしかったが、判決は行政機関相互
間の権限行使に関する形式的審査の範囲内にとどまり、地方自治の本旨や公益論など
の憲法論争を回避した。残念と言わざるを得ない。
 ただ判決には唯一の救いもあった。知事の署名拒否という選択に一定の理解を示し
ながら国に基地縮小の努力を求めた点だ。当然のことであり、ここだけは沖縄の「痛
み」を認めたと言っていい。
 政府側は、今回の勝訴を受け橋本竜太郎首相が署名を代行するが、今月末には一部
の用地が使用期限切れとなり、国による不法占拠状態になる可能性が高い。そうなる
と政府と県民との感情的な対立を再び引き起こしかねない。政府はそうした事態を回
避するとともに、判決が指摘した通り基地の整理・縮小に全力を挙げなければならな
い。