大量墓地

ミラン・ライ
ZNet原文
2003年5月15日
ARROWブリーフィング


戦争の新たな正当化?・・・・・・新たな嘘

イラクが大量破壊兵器を所有していたという証拠はまだ何も見つかっていない。米英は、そのため、この不法で無用で不道徳なイラク侵略に対する新たな政治的言い訳を求めている。戦争の前に、英国首相トニー・ブレアは、「この[イラクの]政権を終わらせても、サダム・フセイン以外の誰も嘆かないだろう」と述べた(2002年9月24日、フィナンシャル・タイムズ紙2003年5月15日から引用)。今、このブレア氏は、次のように述べている。「サダム・フセインを取り除くことが賢い判断だということに疑問を持つ人々にとって、大量墓地が見つかったという報告が、サダムの政権がどれだけ残忍で専制的で恐るべきものだったか、そしてイラクの人々と人類にとって彼が権力の座から追放されたことがどれだけほっとすることだったかを示すものであることを期待する」(タイムズ紙、2003年5月15日)。

体制の変更は、反戦の人々の立場であった

ブレア氏の中傷とは全く逆に、主流の反戦運動は、サダム・フセインとその残忍な体制を取り除くことが賢いことだという点については、何の「疑問」も持っていなかった。2002年9月の声明の中で、100名の亡命イラク人戦争反対派は、次のように述べていた。「私たちは、イラクに対する戦争が、中東地域の脅威を事前に抑えるため、そしてサダム・フセインの圧政からイラクの人々を解放するために必要だと言われてきた。イラクの外、西洋の民主主義国に暮らす、既にこの圧政から解放されている我々亡命イラク人は、こうした主張は、どちらも嘘偽りであると宣言する」。

これらの亡命イラク人たちは、サダム政権の犯罪を非難するが、同時に、「そこからの救済は、無実の人と社会全般にさらなる打撃を与えるものであってはならない」と明言している。「真の変化は、中東地域のすべての人々が平和と正義とを享受する環境で、イラクの人々自身によってのみ、もたらすことができる」(ガーディアン紙への手紙、2002年9月5日)。これらの亡命イラク人たちは、イラクの何百万という普通の家族に「破滅的」な効果を持った経済制裁の解除を求めていた。

反戦運動は、イラクの独裁政治に対して何の幻想も持っていなかった。反戦運動は、同時に、米国と英国が、イラクの人々には全く何の関心も持っておらず、米英が約束した「解放」がシニカルなでっち上げに過ぎないという事実を認識していた。反戦運動の中核には、経済制裁に反対する運動があった。この運動は、イラクで発動できる最も民主的なパワーが経済制裁の解除であることを知っていたのである。

元国連イラク人道調整官のデニス・ハリデーとハンス・フォン・スポネック(二人とも経済制裁に抗議して職を辞した)が支持するように、経済制裁解除は、イラクの公共保健を大規模に改善すると同時に、イラクの人々による社会変化への力をつけるものであった。反戦運動に参加した私たちは、平和的手段による体制変更を支持していた。

指導者変更・体制安定化

ワシントンとロンドンには、イラクの人々の力を付けさせようと言う意図などない。ワシントンとロンドンは、実際には、イラクの人々を弾圧する側に力を与えている。

それゆえ、我々は次のような見出しの記事に遭遇する:「バアス党の元守護者たちが権力を握ることへの心配」(テレグラフ、5月7日)、「英国、バース党員を再指名することにより抗議を誘発」(テレグラフ、4月18日)、「シーア派聖職者たちは、再び権力を握りつつあるバアス党員を攻撃するよう信者に促す」(フィナンシャル・タイムズ、5月10日)。

BBCニュース・オンラインの「サダム以後」の項には、「バース党員の復帰」と題するコーナーがある。「多くの町で、元バアス党員オフィシャルたちが、米英軍が確立しようとしている行政の中で中枢的な役割を果たしている。主として中級・下級のオフィシャルたちであるが、石油省と保健省の上級官僚と閣僚あちが、米軍のもとで再び仕事のポジションを提案されたという報告がある」(http://news.bbc.co.uk/で、「After Saddam}を検索)。

サダムの警察もまた路上に再配備されている

さらに、何千人ものバアス党員警察官が、米英に再雇用された。騎兵砲兵隊第七パラシュート連隊のユーアン・アンドリュース軍曹は、新たに塗り直されたバスラの警察署の外で、あるイラク人警官の方に手を回して、イラクの人々との仲の良い雰囲気を示している。「アラビア語で『バスラ市警』と書かれた野球帽をかぶって警棒を持った嬉しそうなアフメドは、新たな英国の友人を親密そうにパンチした。『一月前には、我々は撃ち合っていた』とユーアンは言う。『今、我々は味方同士だ』」(サンデー・テレグラフ、5月4日)。

この二人は、イラクの人々の味方なのだろうか?

アンドリュース軍曹は、バスラ郊外のアブ・アル・ハシブの英国海兵隊コマンド40名が、4月1日、この警察署に突入し、一連の拷問房を発見したときには、その場にいなかった。「ある房では、肉釣り鈎が天井からぶら下がっていた。別の房では、太いホースが床に置かれていたが、それを繋ぐ蛇口はどこにもなかった」。「バスラ郊外のこの建物は、実際には、恐らく何百人もの民間人に対して苦痛と苦悩を引き起こすために用いられた拷問所であることは」全く明らかだった。兵士たちは、別の部屋で、電気拷問に使われていたタイヤと電気の通った電線、そして「失踪者」たちのIDカードの一山を発見した。

後に、あるイラク人が、英国の部隊に対し、秘密警察ムハバラトも、この建物を使っていたと述べている。

ドミニク・コンウェイ伍長は次のように述べている。「そこにいた人々は警察官ではなかった。少なくとも我々が考える警察官では。動物でさえなかった。動物はそこまで残酷にはなれない」(ミラー、4月2日)[空から爆弾の雨を降らせるのと拷問者・殺害者の側の心理としては異なるでしょうが、残忍性をそのように定義するのは、自己満足的であるように思います]。その数週間後、バスラの「警官たち」は路上勤務に復帰した。英国から賃金を受け取りながら。そして、英国の兵士たちとタバコを交換し親密そうにお互いにパンチしながら。

バグダッド警察の暫定長官に任命され、その後辞任したズハイル・アル=ヌアイミが、サダム・フセインのもとで「軍の元将軍で、内務省職員」だったことを報じた新聞は一紙のみだった(フィナンシャル・タイムズ、5月5日)。バグダッドの裁判所は5月8日に再開した。イラク司法省の米国顧問クリント・ウィリアムソンは、いくつかを除き、バアス政権時代の全ての法律を適用すると述べている。そして、サダム・フセイン政権時代の判事たちが、再び判事に指名されている(ガーディアン、5月9日)。

暫定バアス支配

「イラク第二の都市バスラで暫定行政機構を設置しようとしている英軍は、サダム・フセインのバアス党からオフィシャルを再指名していることで批判を浴びている。市議会の開催会議で、12名の議員の半分は、崩壊した旧政権で有力な地位にいた者たちであると言われている。その一人、ハリブ・クッバは、バスラの裕福なビジネスマンで、「サダムの銀行屋」として知られており、以前は、化学屋アリと呼ばれた指導者が常連客だった夜会を開催していた。他に、サダムのモスクのイマームや、学生をバアス党の主義に転向させると評判だった大学講師がいた」。

第七機甲旅団のグラハム・ビンス准将は、市議会議員一人一人と面会したと述べ、さらに「私は、これらの人々が善なる目的で働くことに信頼を置いている。影響力がある人々は全てバアス党の党員だった」と述べている(テレグラフ、4月18日)。1945年のドイツで、有力な人々が党員でなくてはならなかったように。

バスラの暫定評議会の公正は、4月中旬、「注意深く人々から隠されて」いなくてはならなかった。レポーターのモハメド・アル=シャティにこれを教わったとき、あるバスラの語学教師は、「そこにいるのが誰かを人々が知ったならば、大きな怒りを引き起こすだろう」と述べた(テレグラフ、4月18日)。

サダム政権の官僚たちの復帰回復

「保健省を新たに率いるアリ・シェナン・ジャナビ博士は、そんなに急変しそうもない。・・・彼は、元バアス党員だったことを認めた。・・・『私は党を信じていたが、それは私の仕事に影響しない』」(テレグラフ、5月7日)。「サダム政権の、腐敗で名を馳せた保健省の元ナンバー・スリーだった」ジャナビ博士が「医者たちからなる終日の会議で紹介されたとき」、「[米国による暫定保健相への]彼の指名は、信じられないという対応で迎えられ、おくの医師たちが彼を汚職で非難した」(オスザーバ、5月11日)。

ハイデル・ムナセルは戯曲家であり、サダムに失礼だと思われる戯曲を発表したという理由で牢獄に連れ去られ、脅迫を受けた。

「アメリカが、新たなイラク行政機構の中で、彼を以前に拘束した人物、バグダッドの芸術家たちから忌み嫌われている人物に、文化を総括する地位の仕事を提案したことを知ったときの彼の恐怖を想像して欲しい」。「独裁者サダムの栄光のために芸術を束ねあげた、サダムのお気に入りの詩人であった」ロウアイ・ハキは、「イラクの映画館と劇場の総責任者としての仕事を再開しないかと米国に求められたとき、米国人はとても『丁寧』だったと語った」(サンデー・タイムズ、5月4日)。「米国主導のイラク再建[ママ]機構は、イラクの中枢に位置する石油産業を運営するために、[サダム政権下の]上級イラク人技術官僚を指名した。戦後行政の中でバアス党政権下の元オフィシャルたちが、キー・ポストを占めていることに対する不満が募る中でである」(インディペンデント、5月5日)。

ジェイ・ガーナーの再建人道援助局の上級米国筋は、「いくつかの以前からある政府部局で、ちょうど閣僚級のすぐ下のレベルの主要なオフィシャルたちと合意に成功したと述べた」(インディペンデント、5月5日)。サダム政権と同じ体制が、再建されている

我々の連隊が必要とされている

フセイン・ラビアは、1991年3月、撃たれ、ナジャフ郊外の大量墓地に棄てられた。サダムの軍隊が、無差別にシーア派を殺害していたときだった・・・米国が見守る中で。彼は生き延びた。「この地域は通常、米国海兵隊の統制下にあるが、彼の顔にはそれでも恐怖があった。彼は、今でも多くのバアス党員が、自由にイラクを歩き回っているという。これらの者たちが、二度と権力の座につかないようにしなくてはならないと。とりわけ、彼は、大量虐殺の責任者たちが法廷に連れ出されることを望んでいる」(タイムズ、5月6日)。ブレア氏は、大量墓地の存在を、戦争の正当化に利用したが、実際には、大量墓地製造機の一部となっていた者たち、拷問所に詰めていた者たち、反対派戯曲家を虐待した者たち、ファシスト官庁を運営していた者たち、こうした者たちが、ブレア氏とブッシュ氏により、権力の座に復帰している。これは、体制復興である。我々ARROWは、常に、米国が望んでいるのは「指導者の変更と、同じ体制の安定化」であると警告していた。すなわち、米国は、真の変化ではなく「サダム抜きのサダム主義」を望んでいると。

このおぞましい卑猥さを阻止するために、イラクの人々は、我々の連帯を必要としている。

イラクの人々は、既にいくつかの成功を収めている。

バスラ暫定行政の長に任命された元イラク准将シェイヒ・ムザヒム・ムスタファ・カナ・アル=タミミは、人々の抗議により「静かにラインナップからはずされた」(テレグラフ、4月18日)。バスラの医師たちは「元の政権の現地医療行政官たちを、元の仕事に復帰させようとする試みに対して反対し成功した」(インディペンデント、5月5日)。フセイン・ラビアや大量墓地に殺されている人々の親族に対して、連帯を表明しなくてはならない。ブッシュとブレアによる、イラクの再ナチ化を阻止する必要がある。


ミラン・ライは「イラク戦争計画」(邦訳『イラク戦争を中止すべき10の理由』)の著者で、英国を拠点とする平和活動家。「進歩的」な人々の間にも、ときに「サダムの専制を考えると、今回の米英の攻撃について『テロにも戦争にも反対』とは割り切れない」と述べたり、「中東・イラク専門家」が「反戦運動がサダムに利用されている」と述べたり(恐らくはまともに反戦運動の立場を分析していないのでしょう・また湾岸戦争時にブッシュがアムネスティの報告をプロパガンダに用いたことなど忘れているのでしょう)と述べたりしています。こうした人々が認識していないのは、プロパガンダのレベルと行為のレベルの相違という、極めて単純な(しかし言説と行為の操作的識別は社会科学の最もナイーブな入り口だと理解していましたが)区別です。しかも、こうした人々は、イラクの人に尋ねてみようという意志すら表明しない(むろん、諸条件のもとでイラクの人々が自分たちの意志をそのまま表明するかどうかは別問題ですが、それでも、「イラク問題」と称するものについて判断しようとする側にとって最低限必要な意志のはずです)。

行為のレベルで見るならば、サダム・フセインも米英もともに(1990年までは全面的に共謀して)、イラクの人々を弾圧してきたこと、今回のイラク侵略が、イラクの人々に対する攻撃であることは、極めて明確です。そして、現在も、経済的・政治的・社会的・軍事的にイラクの人々を米英が攻撃していることも。それゆえ、権力関係の配置さえイラクの「権力者」と米英の間で合意されれば(すなわち米英の言うことを聞くトップがイラクにいれば)、イラクの人々に対して大規模な弾圧を加えてきたバアス党関係者が占領者の手先として再雇用されるのは当たり前のことでした。それは、第二次世界大戦後の日本でも起きたことですし(翼賛体制下で最も威張っていた人物たちがすぐさま米国に従順姿勢をしめし卑屈になりながら、地位を維持したことは、中井久夫氏や森毅氏も回想で述べていることです)、ベトナムや朝鮮では、連合国が、日本軍を雇い入れて、連合国とともに戦った民族解放運動を弾圧したことも、既に十分明らかになっていることです。

何も民意を反映していないサダム・フセインを育て同盟関係を維持し、その後も、経済制裁によって50万人もの人々を死に追いやりながら同時にサダムの国内的権力強化に貢献し、さらに不法に侵略併合して弾圧者を再雇用している米英とそれに犬のように(犬に失礼ですが)追従する小泉首相。一つ一つの現実的出来事は複雑であれ、図式は極めて単純です。
益岡賢 2003年5月18日 

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