「イラク復興再建」は私営化の隠れ蓑である

ナオミ・クライン
2003年4月13日
ZNet原文

2003年4月6日、国防副長官ポール・ウォルフォウィッツは、イラク暫定政権の設置にあたっては、国連の役割はない、と宣言した。米国が「運営する」政権を少なくとも6か月続け、「恐らく・・・それ以上続けるかも知れない」。

そして、イラクの人々が政府に関して見解を表明できるようになるときまでには、イラクの将来を巡る重要な経済的決定は、占領者たちによって決定されてしまっているだろう。「第一日目から、効果的な行政が必要である」とウォルフォウィッツは言う。「人々には水と食べ物と薬が必要であり、下水も電気も機能する必要がある。そして、それは、同盟国の責任だ」。

こうしたすべてのインフラを機能させるためのプロセスは、通常、「再建」と呼ばれている。けれども、イラク経済の将来を巡る米国の計画は、それを遙かに越えるものである。ワシントンのネオリベラル・イデオロギー信奉者たちにとって、イラクは、夢のような経済、すなわち、全面的に私営化され、海外企業に所有され、ビジネスに開かれているような経済をデザインできる白紙の社会なのである。

いくつかの点について:ウムカスルの港に関する480万ドルの運営契約は、すでに米国企業スティーブドーリング・サービシズ・オブ・アメリカのものとなった。また、空港もオークションにかけられている。米国国際開発局(USAID)は、道路や端の再建から教科書の印刷に至るまでのすべてについて、米国多国籍企業の入札を求めている。これらの契約のほとんどは、最大1年であるが、4年に延長できるオプションを持つ契約もある。これらの契約が、私営水道サービスや交通、道路運営、学校や電話の長期契約になるまでに、どのくらいかかるだろうか?「再建」が、「再建」を装った私営化に転ずるのはいつだろうか?

カリフォルニア州選出の共和党議員ダレル・イッサは、「戦後」イラクでCDMA携帯電話システムを構築するよう国防省に求める法案を提案した。「米国の特許所有者」に利益をもたらすためである。サロンでファーハド・マンジョーが述べたように、CDMAはヨーロッパではなく米国で使われているシステムであり、このシステムを開発したQualcomm社は、イッサに対する最大の献金企業の一つである。

そして、石油がある。ブッシュ政権は、イラクの石油資源をエクソンモービル社やシェル社に売却することについて公にはなすことはできないことを知っている。それゆえ、この問題を、イラクの元石油省職員だったファドヒル・チャラビに任せている。「イラクには大量の資金が必要である」とチャラビは述べる。「そのための唯一の方法は、部分的に産業を私営化することだ」。

彼は、米国によってなされたと見えないようなかたちで私営化を成し遂げるための方法について米国国務省に助言をしてきた亡命イラク人の一人である。このグループは、都合の良いことに、2003年4月4・5日にロンドンで会議を開き、そこで、戦後、イラクは多国籍企業に対して開放されることが望ましいと述べている。米国政府は、これに対して、亡命イラク人に対して暫定政権で多くのポストを提供することにより、感謝の意を表している。

この戦争が石油を巡るものだったと言うのは単純すぎると論ずる人々もいる。それは正しい。この戦争は、石油、水、道路、列車、電話、港、薬に関するものである。そして、このプロセスが止められないならば、「自由イラク」は、地上で最も売り払われてしまった国になるだろう。「再建」が1000億ドル相当のビジネスになるというだけでない。問題はまた、より暴力的でない方法での「自由貿易」が、あまりうまくいっていないことにも関係している。ますます多くの発展途上国が私営化を拒絶しており、ブッシュの貿易プライオリティのトップにある米州自由貿易地域は、ラテンアメリカ中で、ものすごく不人気である。知的財産権、農業とサービスに関する世界貿易機関(WTO)の議論も、米欧が過去の約束を履行していないという非難の中で滞っている。

では、経済停滞を抱え、成長中毒になった超大国は何をすることになるだろう。密室での脅しにより市場へのアクセスを獲得する自由貿易「ライト」から、先制攻撃により戦場を作り出し、そこで新たな市場を獲得する自由貿易「スーパーチャージ」に、戦略を改善するというのはどうだろう?結局のところ、主権国家との交渉は困難なものである。標的とした国をバラバラに粉砕して占領し、好きなようにその国を「再建」するのが楽である。一部の人が主張するように、ブッシュが自由貿易をあきらめたわけではない。そうではなく、「買い取る前に爆撃せよ」という新たなドクトリンを採用しただけなのである。

イラクという不幸な一国を越えたところまで、それは進む。投資家たちは、イラクの私営化が実現すれば、イランもサウジ・アラビアもクウェートも石油を私営化することで競争せざるを得なくなるだろうということを、隠そうともしていない。エネルギー・コンサルタントのS・ロブ・ソブハニは、ウォールストリート・ジャーナル紙に対して、「イランでは、野火のように発火するだろう」と述べている。米国が、新たな自由貿易地域を丸ごと爆撃により獲得したといった事態に、まもなくなっていくかも知れない。

これまでのところ、イラク「再建」を巡るメディアの議論は、「フェアプレイ」に焦点を当てている。それは「極めて不手際だ」と、EUの対外関係コミッショナーであるクリス・パッテンは語る。米国が美味しいところをすべて自分でキープしているからである。米国は分け合うことを学ばなくてはならない。エクソンモービル社は、フランスのTotalFinaElf社を、最も利益のあがる油田に招かなくてはならないし、ベクテルは英国のテムズ・ウォーターに、下水契約の一部を与えなくてはならない、と。

しかしながら、パッテンは米国の一国主義をいらだたしく思っており、トニー・ブレアは国連の管理を求めているかもしれないが、それは本来の問題ではない。ポスト・サダム時代かつ民主化前のイラクにおける「精算整理」セールスで、どの多国籍企業が最も美味しいところをとったかを、誰が気にしよう。私営化が米国により一方的になされるか、米国・欧州・ロシア・中国により多元的になされるかは、問題ではない。

この議論から全く抜け落ちているのは、イラクの人々である。イラクの人々も、 −誰にわかるだろう?− 自分たちの財産のわずかばかりを手にしておきたいと思っているかもしれない。イラクは、爆撃が終わった後で、大規模な賠償を手にする権利を持っているはずだが、真の民主化プロセス不在の中で、計画されていることは、賠償でも再建でも復興でもない。強奪である。慈善の見せかけをまとった大量強奪。人々の代表が不在のままなされる私営化。

「経済制裁」により病気と飢餓に追いやられた人々。そして戦争で粉々にされた人々。こうした人々が、トラウマからようやく回復したとしても、目にするのは、完全に売り払われた祖国なのである。そして、新たに見つけた「自由」 −そのために多くの愛しい人々が命を失った− が、既に、爆弾が投下されている間に行われた会議室でなされた経済的決定により逆転不可能なまでに足かせをはめられている状況を発見するだろう。

その後で、新しい指導者たちに投票しろと命令されるかも知れない。そして、すばらしい「民主主義の世界」に歓迎されることになるのだろう。


ナオミ・クラインはカナダの著述家で、『ブランドなんか、いらない』(はまの出版)が日本語でも読めます(大部で時間のかかる本ですが、良い本だと思います)。

インドネシアで1965年に起きたことがそのまま起こりつつあります。米国の後押しを受けたスハルトによる大量虐殺の後、「先進」各国は、インドネシアを、産業領域毎に、誰が略奪するか決める会議を開催しました。世界有数の豊富な資源を有するインドネシア。その後32年間のスハルト独裁とそれを通した多国籍企業による略奪で、インドネシアは今巨額な負債と貧困、大規模な人権侵害にあえいでいます。エクソンモービル社は、インドネシア軍を傭兵のように雇って、アチェで巨大な利益を得ています。GAPのインドネシア工場では、顧客からの注文に間に合わせるために、女性労働者が大便すらさせてもらえないで働かされる状況もある程です。そして、国軍と翼賛政党ゴルカルが絶対多数になるよう巧妙に仕組まれた「選挙」を、各国は賞賛してきたのでした。

翻訳、固有名などきちんとチェックしていないところがあります。ご容赦下さい。
  益岡賢 2003年4月14日

一つ上へ] [トップ・ページ