侵略:戦争とテロを巡る40の嘘
---第3部 (21)から(30)まで---

スティーブ・ペリー
原文
2003年7月30日


イラク侵略とテロリズムを巡る40の嘘のうち、ここでは21番目から30番目を紹介致します。1番目から10番目についてはこちらを、11番目から20番目についてはこちらをご覧下さい。必ずしもイラクを巡るものだけではなく、アフガニスタン、パレスチナ等関連のポイントもあります。

繰り返しになりますが、日本政府は、こんな嘘を繰り返してごり押ししてきた米国のイラク侵略を支援しようとしているのです。一方で、何の見通しもない経済政策と外交政策をゴマカすために、危機感を煽って偏狭ナショナリズムに訴えながら。私のページは文字だらけですし、どちらかというと論理的なトーンの記事が多いのですが、こうした状況の中、論理的な批判に加え、無策ゆえに偏狭なナショナリズムに訴え女性差別的発言を行なって虚勢を張る政治家たち(とそれに同調する人々)に関して、実はどうしても「カッコ悪い」と感じてしまいます。


(21) サダムはテロリスト・グループに大量破壊兵器(WMD)を与える計画を持っていた

この嘘については、7月21日付けのワシントン・ポスト紙の記事でウォルター・ピンクスが非常に簡潔に暴いているので、それを引用しよう。「『イラクはテロリスト・グループや個人テロリストにいつでも生物兵器や化学兵器を与えることができた』とブッシュ大統領は2002年10月7日、シンシナチで言った。・・・・・・けれども、ホワイトハウスが金曜日に公開した今も機密扱いになっている国家情報見積もり(NIE)の中で機密解除された部分からは、大統領が演説を行なっていたときには、米国の情報関係機関は、その可能性はありそうにないと判断していた。実際、10月2日に回覧され始めたNIEは、情報サービス機関は、サダム・フセインが死や逮捕に直面し自分の政府が米国による軍事攻撃で崩壊しつつあるときにこそ、アルカイーダのテロリストに大量破壊兵器を与えるかも知れないと心配していたことを示している」。


参考リンク

Walter Pincus, Washington Post [via SFGate], 7/21: Iraq link to terror judged not likely before Bush speech



(22) サダムは、45分のうちに生物兵器あるいは化学兵器を行使する力を持っていた

再び、ワシントン・ポスト紙が簡潔に要約している。「45分クレームは、英国において、金曜日に、英国政府がこの主張を用いたことについて疑問を呈した英国の兵器科学者の自殺(?)を引き起こしたスキャンダルの中心にある。この科学者デビッド・ケリーは、45分クレームが9月に英国のイラクに関する「調書」に加えられたのはトニー・ブレアー首相の補佐の主張によるものであり、それはその情報がただ一つの情報源から来るものであり信頼できないとする英国諜報の意志に反していた、というBBCの報告における情報源との疑いを持たれていた人物である」。


参考リンク

Dana Milbank, Washington Post, 7/20: White House Didn't Gain CIA Nod for Claim On Iraqi Strikes

John Dean, FindLaw, 7/18: Why A Special Prosecutor's Investigation Is Needed To Sort Out the Niger Uranium And Related WMDs Mess


(23) ブッシュ政権は現実的に存続可能なパレスチナ国家の樹立を目指している

パレスチナ人に対する米国の関心は変わっていない。中東を警備しイスラエルという手先に武器を提供するという米国の軍事的役割の最も強固な口実は、イスラエルの「治安ニーズ」である。けれども、アフガニスタンとイラクを侵略して以来、この米国の直接的なニーズは見えなくなった。そこで、ブッシュ屋たちは、自分たちの計画を隠すとは言わないまでも曖昧にし、中東地域の脆弱な親米政権が反抗的な国民に示すことができるようなガラクタを提供するための見せかけを必要とした。ブッシュの「ロードマップ」はイスラエル右派を脅かしたが、イスラエルが心配すべきことはほとんどない。米国とイスラエルの報道は、ブッシュがアリエル・シャロンに実質的な圧力をかけないことを繰り返し確認している。


参考リンク

エドワード・サイード「ロードマップの考古学」(必読)

Bush Wars 4/14: Sharon: New Melody, Same Lyrics

Bush Wars 4/4: Ha'aretz: The "Israelization" of America

Bush Wars 4/11: Ha'aretz: What Road Map?

Bush Wars 5/2: There Are No Bridges on Bush's Road Map

Alexander Cockburn, CounterPunch [via Working for Change], 5/28: The road map hoax



(24) 2001年9月11日の後で米国が拘束した人々は、法的に正当なテロの容疑者たちである

先月(6月)司法省自身の監察官局自身による、米国の拘留者に関しての批判的な報告が公式に示しているように、全く逆である。カリフォルニア大学デービス光のウェブサイトに投稿された2001年9月11日後の拘束に関する分析は次のように言っている。「2001年9月11日の後に秘密裡に逮捕拘束された1200人の外国人の誰一人として、テロリズム行為で告発されなかった。逆に、数週間から数カ月にわたる拘束の後に、ほとんどの人が、移民法違反で国外追放となったのである。政府は、2002年5月、9月11日以降逮捕された1200人のうち752人が留置場にいると述べたが、2002年9月の時点で留置場にいたのは81人だけであった」。


参考リンク

Bush Wars 4/24: Guantanamo: A Great Place for Kids, Too

Dale Russakoff, Washington Post, N.J. Judge Unseals Transcript in Controversial Terror Case



(25) 米国は、テロ関係の容疑者・囚人・被拘留者を扱う際、ジュネーブ条約を遵守している

「不法戦闘員」を巡る茶番は全て、これらの人々は戦争捕虜ではないとすることにより、捕虜の取り扱いを巡るジュネーブ条約を回避しようとするためのものである。以下に引用するのは、ドナルド・ラムズフェルドが述べた誓約の言葉そのままである。限定詞で満ち満ちており、全く意味のないものになっていることがわかる。「我々は、概ね、妥当な限り、ジュネーブ条約にそれなりに従ったかたちで彼らを取り扱う計画であることを示唆した」。その間、米国政府は、捕虜たち---その多くは法的な審理により確認されたように、テロ計画とは何の合理的な関係もないことがわかっている---に対して、人間的な扱いと住居に関する重要なジュネーブ条約規定にあからさまに反する扱いを加えている。


参考リンク

なし


(26) 米軍の戦車がパレスチナ・ホテルに向けて発砲しジャーナリスト2名を殺した直前、パレスチナ・ホテルから米軍兵士に向けて発砲があった

4月8日のパレスチナ・ホテル砲撃事件を目撃した証人たちは、一様に口を揃えて、ホテル側から発砲があったことを否定している。そして、ホテルに対して発砲する2時間前、米軍はアルジャジーラのバグダッド事務所を爆撃してヨルダン人記者一人を殺している。これらを併せてタイミングも考えると、バグダッド陥落を報じている「軍属」でないジャーナリストに対する警告であると判断することができよう。この日のパレスチナ・ホテル砲撃と2名のジャーナリストの殺害は、米国と英国の軍が、イラクを意のままに動き回っていた外国人ジャーナリスト及び「軍属」でない西洋の記者たちに対してずっと示していた、通常はより注意深く隠された敵意が、極端なかたちで現れた例であると見ることができる(そうした記者の一人である英国ITNのテリー・ロイドは、3月に検問所で英国兵士に射殺された。この事件を巡る状況について、英国政府は情報の提示を拒んでいる)。

パレスチナ・ホテルへの砲撃を行なった数日後、米国は、コマンドー部隊を派遣して、ジャーナリストが使っている特定の階に突入させた。このとき記者たちは銃口を突きつけられて床に伏せることを命じられ、コマンドー部隊が部屋を捜索した。米国中央軍司令部の報道官は、後に、ホテルに「米国に友好的でない」者たちがいることを示唆する情報報告があったとぶっきらぼうに説明した。連合軍はまた、アブダビTVの本部も爆撃し、数人に怪我を負わせた。


参考リンク

Robert Fisk, CounterPunch, 4/29: Did the US Murder Journalists?

Joel Campagna and Rhonda Roumani, CPJ Press Online, 4/27: Permission to Fire



(27) 米軍はジェシカ・リンチ上等兵をイラクの病院から「救出」した

米国政府の嘘に関するリストをさらに長いものにしようと思えば、リンチのエピソードはさらに分割することができた。政府は、リンチと仲間の兵士たちは銃撃戦の中でリンチが勇敢に応戦[全く関係ない地球の反対側まで侵略していって「応戦」ということ自体、妙ですが]した後に拘束されたと主張している。後になって、大きなファンファーレとともに、政府は、米軍特殊部隊がリンチを、拘束した者たちの手から救出したと発表した。さらに後で、健康を取り戻しつつあるリンチは、この出来事について何も覚えていないと報じた。

少しずつ、これら全てが偽りであることが明らかにされた。リンチが負傷したのは、乗っていた車両が事故ったからであった。彼女は誰に向かっても発砲しておらず、また、銃撃を受けも刺されもしていなかった。リンチを拘束していたイラク兵たちは、米軍がリンチを「救出」に来る前の晩に、リンチがいた病院を明け渡していた。このことを「救出者」たちはよく知っていた。実際、リンチを診ていた医師が前日の夕方、イラク兵たちが撤退した後に、彼女をアメリカ側に引き渡そうとしたが、米軍が、この医師が運転していた救急車に向けて発砲したため、彼は引き返さざるを得なかった。リンチの記憶喪失については、彼女の家族が、記者たちに対して、彼女の記憶は全く大丈夫だと語っている。


参考リンク

Bush Wars 4/16: Saving Private Lynch

Rowan Scarborough, Washington Times, 4/9: Crash caused Lynch's 'horrific injuries'



(28) バグダッドそしてイラクの人々は、米軍兵士たちを解放者として歓迎するために姿を現した

実際に、米軍部隊が進軍した際、ちらほらと感謝を示す人がいたが、ブッシュの宣伝屋が触れ込んだように包括的でも熱狂的でもなかった。サダム政権崩壊後の1、2日のうちに、バグダッドの路上は、全面的な略奪と破壊の光景になった。一週間のうちに、米軍占領に対する大規模な抗議行動が、イラクの主要都市全てで開始された。


参考リンク

来るべき嘘とプロパガンダに備えるために

Bush Wars 4/10: So This Is Liberation

Bush Wars 4/18: Baghdad: "Tens of Thousands" Take to Streets

Bush Wars 4/17: Fisk: One War of Liberation Down, One to Go

Bush Wars 4/14: Misery and Mounting Ethnic Hostility

Bush Wars 4/12: Baghdad Riots Take a Huge Toll



(29) 米軍を歓迎するイラクの群衆が自発的にバグダッド広場に現れ、サダムの銅像引き倒しを祝福した

同じ光景を遠くから撮った写真がインターネットで広く回覧されているが、その光景は、歓迎の「群衆」がわずか100人か200人程度でしかなかったことを示している。TVニュースが見せた近距離からの撮影が、大規模な群衆が集まっていたように見せていたのと全く対照的であった。後に、広場に現れた者たちのほとんどが、アフメド・チャラビの現地のお仲間たちであったことが報じられている。


参考リンク

Bush Wars 4/10: What cheering crowd in Baghdad?

Antiwar.com 4/12: Just Another Staged Baghdad Rally?



(30) ブッシュ政権の主要関係者は、誰一人として、イラクの人々が、米軍を解放者として大勢出迎えるだろうなどと言ったことはない

不利な立場に立たされると、ブッシュ屋たちは、そもそも自分たちは誤ったあるいは誤解を招きやすいそうした声明を発表したことはないとシラを切る。メディアが、それを調べて改めて確認することなどほとんどしないことに安心しているのである。侵略前に大声で叫んでいた大量破壊兵器が見つからなかった際にも、そう言った(「我々はそれが簡単だなどと言ったことはない」「いや、あるかも知れないと言っただけだ」)。そしてまた、サダム失脚後路上に姿を現す「喜びに満ちたイラクの人々」がほんのわずかでしかなかったことについても、同じことをした(「我々は、イラク人が両手を広げて我々を歓迎するだろうなどと言ったことはない」)。

けれども、そう言っていたのである。3月16日、ディック・チェイニーの記者会見:イラクの人々は「絶望的なまでにサダム・フセインを取り除きたがっており、我々がサダムを取り除けば、米国を解放者として歓迎するだろう・・・・・・実際に、安全だとわかったならば、イラクの人々の圧倒的大部分は、サダムを拒否するだろう」(Meet the Press, 2003年3月16日)。


参考リンク

なし
益岡賢 2003年8月7日 

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