コロンビア軍はベネスエラ攻撃により何をしようとしているか

ジャスティン・ポドゥール
2003年4月3日
ZNet原文


2003年3月31日、ベネスエラのウゴ・チャベス大統領は、ベネスエラのラジオで、次のように語った。「少し前に、私は空軍に作戦司令を出し」、コロンビアの非正規軍の「一団の存在が認められる地域に爆撃を行った」。このコロンビア「非正規」軍は、ベネスエラの軍ポストを襲撃していた。チャベスが3月27日に出した攻撃命令は、それを受けてのことである。チャベスは、ベネスエラ政府はコロンビアの武装部隊のベネスエラ侵入を許容しないと強調した。「コロンビアの準軍組織もゲリラも軍も、ベネスエラの領土に入ることは認めていないし、今後も認めない」と。

コロンビア問題評論家たちは、長年、コロンビアの武装内戦が、この地域を軍事化するために用いられていることを強調している。そして、この軍事化の大きな標的はベネスエラである[1]。

ベネスエラも、イラクと同様、世界の石油埋蔵量の上位に名を連ねる「賞品」である。また、ベネスエラが標的とされるのには別の理由もある。ベネスエラには民主的政府が存在しており、そのため、石油から得られる富が、多国籍企業に流れ込むかわりに、国内の人々の貧困を軽減するために用いられる危険があるのである。昨年4月にクーデター −これは失敗したが− が試みられたのは、このためである[2]。ちなみに、このクーデターの一周年記念日には、カラカス[ベネスエラの首都]で、ベネスエラが進めている「プロセソ」(改革過程)を支持する国際会議が開催される予定である。ベネスエラはまた、2002年末から2003年上旬にも、「石油スト」による計画的な政府転覆の標的とされた[3]。クーデターと同様ストも失敗に終わったが、ベネスエラは、これにより被った打撃からの回復途上にある。

このストの副作用として起きたのは、ベネスエラの労働官僚たちの信用が失墜したことである。ベネスエラ国営石油会社PDVSAと全国労働連合CTVは、ともにエリートに牛耳られており、そのため、ベネスエラの労働者たちは、自らの利益にならない「スト」に対するスト破りを行うという奇妙な立場にたたされたのである。このストが失敗に終わったあと、PDVSAでは解雇が行われ、また、新たな労働連合(UNT)が結成された[4]。

クーデターも「ストライキ」も失敗した理由は、軍の支持も人々の支持も得られなかったためである。けれども、ベネスエラにおける階級意識の高い大衆運動と独立した政府とは、世界中の石油資源の独占支配を試みて戦争を仕掛けている米国政府にとって問題となっている。

そして、コロンビアが関与してくるのはこの点である。軍事クーデターでも「ストライキ」でもベネスエラの動きを粉砕することに失敗した米国は、コロンビアの内戦をベネスエラに輸出しようとしているのだろうか。

コロンビア内戦に繰り返し見られるパターンの一つは、政治的解決ないしは交渉による解決の無益さを示すとされる「はなばなしい事件」である[5]。こうした「事件」は実際に起きたものであることも、捏造されたものであることもある。2003年2月末にベネスエラで起きた、そうした「事件」の一つは、コロンビアが捏造したものであるという証拠がある。このとき、カラカスのコロンビア領事館とスペイン大使館が爆破された。これに対し、コロンビア政府は直ちに、爆撃の背後にチャベスがいると仄めかした。けれども、調査結果は、この爆撃を行ったのはベネスエラの「反対派」であったことを示している。

「事件」を引き起こそうというもう一つの試みが、2003年3月半ばにボゴタで行われた「地域治安サミット」で起きた。このとき、コロンビア政府は(米国というパトロンの後ろ盾を得て)、隣接諸国すべてを非難した。パナマは、武器と人が運ばれるルートであるとして、エクアドルは麻薬運搬ルートであるとして、ブラジルは「テロリズムに対する多国籍軍」の一環としてコロンビアに部隊を送るべきであるとして。2003年1月に、ウリベ大統領は、コロンビアに対する米国の介入を要請したことを思い出そう。

そして、当然のことながら、特別な非難の矛先がベネスエラに向けられた。ベネスエラがコロンビア・ゲリラのFARCを訓練し支援しているとの主張がなされた。FARCは米国国務省の「テロ組織」リストに載っているため、ブッシュ・ドクトリン(「テロリズム」を支持していると非難された政府を転覆する)とラムズフェルド・ドクトリン(「証拠の不在は不在の証拠ではない」)を上手く組み合わせれば、ベネスエラに対する介入を正当化できることになる

この「サミット」全体が、現実を逆さにする試みであった。2003年1月、パナマに越境侵入したのは、コロンビア軍の支援を受けている準軍組織である。侵入した準軍組織は、4名の先住民指導者 −クナ・パヤ村の村長や議員たち− を銃で撃ち山刀で切って殺害した。そして、コロンビア軍こそ、「越境テロ」をベネスエラに対して行っているのである。これにより、コロンビア軍はベネスエラの防衛力を試し、「はなばなしい事件」を引き起こしてベネスエラの社会運動を停止し、1948年以来コロンビアが置かれているような、暴力のらせんにベネスエラを追い込もうとしている[6]。

軍事的および政治的に、コロンビア政府は、恐ろしい過ちを犯している。コロンビア軍は、人々を虐殺し何百万人もを国内で追放している準軍組織の傭兵達の助けを用いなくては、コロンビア領土すら統制できてない。そして、何十億ドルもにのぼる米国の軍事援助と訓練にもかかわらず、ゲリラに対して前進できずにいる。軍や準軍組織が農民に対して虐殺を行う度に、ゲリラは繁殖することになる。コロンビア内ですらほとんど支持が得られておらず、背後にゲリラを背負ったコロンビア軍に、ベネスエラの結束した大衆に指示されている軍に対抗する力があるというのだろうか。

問題は、コロンビアにとっては、ベネスエラに「勝利」する必要などないという点にある。コロンビア軍にとっては、戦争あるいは介入を引き起こすようなたぐいの「事件」を挑発するだけで十分なのである。米国が第三世界に仕掛けようとしている戦争の第二の前線がここであるとするならば、ここでも、戦争目的は「体制変更」にある。つまり、ベネスエラの民主化プロセスを破壊することである。今のところ、米国は、そのための道具として、コロンビア政府を使っている。

ジャスティン・ポドゥール(justin.podur@utoronto.ca)は、ZNetのコロンビア/ベネスエラ・ウォッチの担当者。



[1] Hector Mondragon による ZNet の一連の記事、とりわけ、http://www.zmag.org/content/Colombia/mondragon-col-ven.cfmを参照。
[2] ZNet のベネスエラ・ウォッチを参照。
[3] ZNet のベネスエラ・ウォッチを参照。
[4] 四月の調査(April Encuentro)に関するMike Lebowitzの手紙を参照。
[5] http://www.zmag.org/content/Colombia/podur-rozental2.cfmを参照。
[6] ガレアノ 『Memory of Fire: Century of the Wind』 p. 143.を参照。1948年はホルヘ・エリエセル・ガイタン暗殺の年であり、コロンビアで「ラ・ビオレンシア」が始まった年である。これについて、ガレアノは次のように述べている。

「政治的国家は民族的国家と無関係である」とホルヘ・エリエセル・ガイタンは述べる。自由党党首のガイタンは、また、同党の持て余し者でもある。異なる信仰を持つ貧しい人々は皆、彼に敬慕している。「リベラルな[自由党のもとでの]飢餓と保守的な[保守党のもとでの]飢餓にどんな違いがあるというのだろう。マラリアもまた、保守的でもリベラルでもない」。

ガイタンの声は貧しい人々の束縛を解き、ガイタンの口は貧しい人々の叫びを叫んでいた。彼は恐怖を裏返して恐怖でなくしたのである。人々は、至る所から彼を聞きに −自分たちの声を聞きに− 来た。ぼろぼろの人々、ジャングルを歩いてきた人々、馬に乗ってやってきた人々。ガイタンが語るとき、ボゴタの霧が割れたと人々は語った。そして、天国では聖ペテロもガイタンの話を聞き、松明の火をかざして集まる巨大な群衆の上に雨を降らすことを禁じたという。

この彫像のように厳しい顔をした、威厳を備えた指導者は、寡占体制、そして寡占体制支配者たちを膝の上に載せて操る帝国主義の腹話術師たちをきっぱりと批判した。彼は農地改革を提唱し、長く続いてきた嘘に終わりを告げる真実を語った。

奴らがガイタンを殺さなければ、ガイタンはコロンビアの次期大統領となっていただろう。ガイタンを買収することはできなかった。どんな誘惑に屈したというのだろう。禁欲的で、一人で眠り、ほとんど食べず、何も飲まず、歯を抜くときに麻酔を拒否したこのガイタンを。・・・

それは、路上で、3発の銃弾によって実行された。ガイタンの腕時計は、午後1時15分で停まっていた。(1948年4月9日)

ベネスエラの現在を、ガイタン暗殺前のコロンビアと比べる者もいる。


  益岡賢 2003年4月5日

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