コロンビアの準軍組織
堅固なテロ・ネットワークの肖像

2002年4月22日
アダム・ウェイス
ZNet原文

目次


コロンビアの準軍組織は、今日の世界で最も残忍な人権侵害を行っている組織である。 準軍組織はコロンビア市民に対する戦争を仕掛けているが、これは、コロンビア軍による対ゲリラ作戦の中で、軍自身が公共のイメージ悪化を避けて手を染めたがらない「汚い戦争」を請け負っているものである。 コロンビア軍と準軍組織とが大規模に共同していることはよく知られているにもかかわらず、米国はコロンビアに大規模な軍事援助を与えている。 この援助は信じられないほどひどい人道的破局をさらに悪化させる可能性がある。 以下では、コロンビア準軍組織の簡単な歴史、その人権侵害、コロンビア軍との協力関係、そして米国軍事援助の増大が及ぼす影響について述べる。


コロンビアにおける準軍組織の起源と発展

コロンビアの準軍組織の存在は、おおむね3段階の期間に区別することができる。 公的準軍組織、私的準軍組織、そして現代的準軍組織である。公的準軍組織は、コロンビア軍により体系的にかつ公式に組織された武装市民集団である。 私的準軍組織は、地方エリートたちに組織された私設軍隊を起源とするものである。 現代的準軍組織は私設軍隊とコロンビア軍との協力関係により特徴づけられるものである。

公的準軍組織の発生は、1962年、コロンビア軍司令官アルベルト・ルイス将軍が、対ゲリラ戦略「プラン・ラソ」を創設したときに始まる。 これは、1962年2月にコロンビアを訪れた米軍特殊戦争アドバイザの強い影響を受けている。米国助言チームの団長ウィリアム・ヤーバラ将軍は、「今や、抵抗活動における秘密訓練のために市民及び軍の人員を選ぶべく協力したチーム体制をとらなくてはならない。 この機構は、必要と思われている改革に圧力をかけたり、反エージェント・反プロパガンダ機能を遂行したり、そして必要ならば、共産主義提唱者として知られているものに対する準軍組織による、サボタージュの、そして/あるいはテロ活動を行うために使わなくてはならない」と述べている。

1965年、市民の武装は、ゲリラを打倒するために、コロンビアは「国の全住民の組織と任務」が必要であるとする大統領例3398により合法的地位を得るに至った。 1968年にこの大統領例は、法律48によって恒久的な法律になった。 法律48により、防衛省は、「必要ならば、軍の私的使用に供するとされる部隊を、私的所有物のように支援することができる」としている。 21年後の1989年、コロンビア最高裁は軍事目的で市民を武装させることを許容する法律48を憲法違反としたが、この結果、軍と私設軍隊との関係はより秘密裡に維持されることとなった。

公的準軍組織の目的は、コロンビア軍戦略マニュアルに述べられている。『対ゲリラ戦の規定』と題するマニュアルは、「市民を軍事的に組織し、ゲリラの活動からの自衛にあたらせるとともに作戦を支持する」ことについて論じている。 このマニュアルによると、こうした組織された「自衛団」の統制は常に軍の手に握っていなくてはならないと述べている。

公的準軍阻止委が行ったのは、「自衛」や対ゲリラ戦の支援だけではない。 準軍組織はゲリラ支持者と見なした市民を標的とした。 「ゲリラ支持者」の定義は極めて広く、「政府に批判的な人々、労働組合員、コミュニティ・オーガナイザ、反対派政治家、文民指導者、人権活動家」など、ほとんどすべての社会的な抗議行動を含んでいた。 公的準軍組織は、現代的私的準軍組織が果たしている中心的役割と比べると、対ゲリラ戦争においてほとんど実質的な影響をもたなかった。 むしろこの公的準軍組織は、後に発達した私的準軍組織の先鞭をつけたのである。

公式準軍組織はほとんど全面的にコロンビア軍によって創設されたものであるのに対し、私設準軍組織は裕福なエリートたちにより組織された。 こうした私設軍隊の創設には、時によって軍将校たちも関与したが、けれども、参加したのは軍にとどまらず、プライベート・セクターにまで及んでいた。

最も初期に創設された私設準軍組織の一つは、1973年、コロンビアのボヤカ州にあるエメラルド鉱山が私有化されたときに作られたものである。 この膨大な利潤を生む鉱山の権利を巡ってマフィアが争い、領土を拡張し土地所有を巡る諍いを解決するために私設軍隊を用いた。 コロンビア中でこうした私設軍隊が沢山生まれた。

1981年12月3日は現代的準軍組織の始まりを告げた日であった。 この日、カリの町の上空をヘリコプターが旋回し、「誘拐者に死を」(Muerte a Secuestradores: MAS)と呼ばれる新たな組織の結成を告げるリーフレットがばらまかれた。 MASは、家族のメンバーをゲリラに誘拐された麻薬商人223家族により組織された。 リーフレットは特に名をあげて、麻薬組織のリーダーの親戚マルタ・ニエベス・オチョア誘拐に言及しており、「誘拐に関係するあらゆる人物を容赦なく処刑する」ために2000名以上の男たちからなる部隊が結成されたと述べていた。

1982年初頭、サンタンデル州プエルト・ボヤカで、ビジネス関係者、大規模牧場主、テキサス石油会社代表、現役軍将校、政治家等があつまって、別の準軍組織を結成した。 この準軍組織も、先駆的な組織の名をとってMASと名付けられた。 これらの人々の関心は、何よりも、ゲリラによる誘拐や要求から自分たちの利益を守ることにあったが、さらに進んで「転覆的分子の地域を浄化する」ことも目的とされた。 自由党の進歩的派閥のメンバーのように、MASに反対するものは誰もが標的とされた。 コロンビアの他のいろいろな場所で結成された私設軍隊も自らをMASと称し始めた。

MASとほぼ同じ時期に、北部コロンビアでは、コルドバ及びウラバの農民自衛団(Autodefensas Campesinas de Cordoba y Uraba: ACCU)という準軍組織が生まれた。 ACCUの創設者は、アンティオキア州の牧場主の2名の息子、カルロス及びフィデル・カスタニョであった。 彼らの父はコロンビア革命軍(FARC)のメンバーにより誘拐され殺害されていた。 カスタニョ兄弟は麻薬取引に深く関わっており、また、広範な土地を所有していたため、それを用いてACCUに資金を提供した。 ACCUの使命は基本的にMASの使命と同じであった。

他にも沢山の準軍組織がコロンビアで生まれ、それらは、次第に緩やかな連合をくんでいった。 公式には、1997年4月、カルロス・カスタニョがこうした準軍組織を上部組織であるコロンビア自衛軍連合(Autodefensas Unidas de Colombia: AUC)に組織した。 2001年6月までAUCを率いていたカルロス・カスタニョは、辞任し、軍事部門の掌握を譲ってAUCの政治活動に集中することになったと言われている。 ACCUはAUCに参加する準軍組織の中で最大のものである。 AUCは現在、4000から5000人の現役兵士を擁していると推定される。

MASと同様、AUCはコロンビア社会のエリート・セクターの武装部門として存在している。 政治学者ナジー・リチャニはAUCの参加組織は「共通の階級的及び政治的立場をとり、それによって、ゲリラに対してのみでなく、合法的左派グループ、人権団体をはじめとするほとんどすべての民主的変革を求める人々に対して、既存の政治経済的秩序を守るという利害関係を共有している」という。

準軍組織の背後にあるエリートの同盟関係は、コロンビア大統領ベリサリオ・ベタンクル(1982年−1986年)の「改革」の試みの結果大きく拡大された。ベタンクルはゲリラとの戦争に対する政治的解決を行うために急進的な手段を採用し、ゲリラの政党である愛国同盟(Union Patriotica: UP)の選挙への参加を認めた。 これに対しては地方のエリートたち、特にコルドバ州のエリートたちから強い反対があった。 大規模牧場主、麻薬商人などをはじめとする土地エリートたちはゲリラによる誘拐や拉致に直面し続け、反対運動と交渉しようという中央政府に裏切られたと感じた。 さらに、コロンビア軍は軍事的にゲリラを敗北させることに献身しており、包括的和平プロセスに対して怒りを感じていた。

この結果、まずコルドバで、そして後には北西コロンビア一帯で、土地エリートと軍人のネットワークは、準軍組織のスポンサーとなるばかりかこれを利用して、自らの護衛だけでなく、自分たちの地位に対するあらゆる脅威を取り除き、愛国同盟に対する残虐な弾圧に腐心したのである。 愛国同盟は長続きしなかった。 というのも、その結果、3000名もの党員が暗殺されたからである。 暗殺された人々の中には大統領候補、市長候補、議員候補も多くいた。 ベタンクルの和平プロセスは何ら大きな進展を見ることなく、AUCはコロンビアの主要な準軍組織として存在し続けた。


準軍組織の人権侵害

AUCによるコロンビア市民に対する人権侵害は世界最悪の侵害に数えられ、コロンビア全土で大規模に続いている。 2000年には政治的理由による殺害が4000件起き、30万の国内避難民が生み出された。 この数字はコロンビアでは当たり前になってしまったもので、こうした犯罪の大部分は準軍組織によりなされている。 国連人権委員会は、「集団的殺害の主要な実行者」は準軍組織であると述べている。 AUCの準軍組織が行う人権侵害の主なものは、虐殺と選択的暗殺である。 こうした手段に訴えることは、初期のMASとACCUのときから続いてきたものであるが、1990年代半ばからエスカレートした。

コロンビア国防省の定義によると、虐殺とは「4人以上の人を一度に殺害すること」である。 国防省は、2000年1月から10月の間に準軍組織が行った虐殺は75件にのぼると述べている。 これは、この時期の虐殺の76%である。 虐殺のリストは長すぎてここですべて紹介することはできないが、準軍組織が何をし、何故そうするのかについて本当に理解してもらうために、一部を以下に紹介しよう。 以下に述べるのは、最近数年の中で最も悪名高い準軍組織による虐殺事件である。

一つは、メタ州のマピリパンで1997年7月15日から20日に行われた虐殺である。 7月15日、200名と推定される準軍組織ACCUの兵士が町に来たときに標的としていたものの一つは、メタ州におけるひどい経済状況に対する全州的な抗議行動に参加した農民たちであった。 これらの農民たちは狩り出され、町の虐殺収容所に連れ込まれ、そこで、兵士たちが、これらの農民たちに拷問を加えたのち、喉を掻ききって殺害した。 犠牲者の一人アントニオ・マリア・エレラは「鈎に吊され、ACCUのメンバーが体をバラバラにしてグアヴィアレ川に断片を投げ込んだ」。 他の犠牲者たちは首を切り落とされた。 虐殺が続けられている間に、マピリパンの判事レオナルド・イヴァン・コルテスは繰り返し地元の治安部隊に連絡を取り、助けを求めた。 彼は次のように述べている。 「毎晩、彼らは5人から6人の身を守るすべを持たない人々を殺した。 これらの人々は拷問を受けたあと、冷酷に怪物的なやりかたで殺害された。 許しを請い助けを求める人々の叫びが聞こえた」。 コルテスは全部で8回、地元の治安部隊に電話をしたが、警察も軍も、準軍組織が撤退するまで姿を現さず、調査も始めなかった。 これは、準軍組織の活動を軍が承認していることを示す強力な証拠である。

もう一つの虐殺は、2001年4月12日にカウカ州で起きたもので、約130名の市民が殺害された。 コロンビア政府報道官は、殺された2名の女性の例をあげている。 「ある女性の遺体が発掘された。彼女のお腹はチェーンソーで切り開かれていた。 17歳の少女は喉を掻き切られており、また、両手を切断されていた」。

ナヤ村のある農民が目撃した次のような状況が伝えられている。 「準軍組織の部隊は、家から家をまわってナヤ住人を引きずりだし、町へ続く未舗装の道に集めた。 [その農民は]、準軍組織の司令官たちは、彼の隣人たちに2度答えるチャンスを与えたという。 『ゲリラを知っているか?』3回目にノーという答えが返ってくると、準軍組織は山刀で斬りつけた」。

準軍組織はまた、選択的暗殺により、何らかのかたちで、コロンビアエリートの利益に反対する個人を標的とする。

選択的暗殺の最もあからさまな例は、既に述べた、1980年代の愛国同盟の党員約3000名の暗殺である。

労働組織もまた主要な標的の一つである。コロンビアでは、2000年の1年間で、少なくとも129人の労働組合指導者が殺害された。 世界中で殺害される労働組合員の5人に3人はコロンビアの労働組合員である。 殺害の大部分は準軍組織によるものである。労働組織が標的とされる理由を理解するのは難しくはない。 デービッド・ベーコンは、次のように述べている。

コロンビア政府はまた、労働運動も脅威とみなしている。 というのも、労働運動は政府の基本的な経済政策に挑戦するからである。 パストラナ政府はIMFと世銀から、公共部門の予算を削減するよう圧力を受けており、教育、保健、年金の削減とともに公共予算の廃止が大規模に進んでいる。 この金は海外の銀行や貸し付け機関に対するコロンビアの負債返済に充てられ、それによってコロンビアに対する海外投資の魅力が増すことになる。

人権活動家もまた、準軍組織による恒常的嫌がらせにさらされている。2000年には、「収容者・失踪者の家族」協会(Associacion de Familiares de Detenidos Desaparecidos -- Colombia: ASFADDES)に所属する多くの会員が殺害されたり殺害の脅迫を受けたりした。 人権擁護地域協会(Corporacion Regional para la Defensa de los Derechos Humanos: CREDHOS)のメンバーは2000年8月と9月だけで12以上の殺害脅迫を受けており、バランカベルメハで回覧されている準軍組織の処刑リストに名を連ねている。 脅迫を受けているのはコロンビアの人権団体だけではない。 2001年初頭には、生命を脅かされている人権擁護活動家に同伴するために世界中で沢山の国に人々を送っている国際人権団体であるピース・ブリゲイド・インターナショナル(Peace Brigades International)もまた、準軍組織の軍事標的と宣言された。

準軍組織は、非主流政党の党員であれ、労働組合員であれ、人権団体であれ、コロンビアにおける経済的に分極化した体制に挑戦する団体を、すべて、「文民の服を着たゲリラ」とか「転覆集団の非武装部門」などと言って、自分たちの正当な標的としている。

コロンビアの武力対立において、一般市民を標的にしているのは準軍組織だけではないが、けれども準軍組織による一般市民への攻撃は突出している。 では、準軍組織が体系的に市民を標的にするのは何故か?また、何故、虐殺や拷問といった残忍な手段に訴えるのか?こうした疑問に答えるためには、特定地域で非政治的な住民を標的にする場合と、個人をその政治的/人権上の活動によって選択的に暗殺する場合とを区別する必要がある。 これらはそれぞれ目的とするところが異なっているが、人々の間に恐怖を植え付けるという機能は共有している。 拷問について、イスラエリ・ルチャマ・マルトンが述べるように、恐怖は「抑圧されている別のグループの人々にも広まり、人々を沈黙させすくませる。 暴力によって沈黙を強制することこそが拷問の真の目的である」。 政治的な活動を行うことがすなわち殺害や拷問にさらされる危険を負うことであるなら、人々は政治的に何もしないでおくよう強く促されていることになる。

地方の人々に対する虐殺をはじめとするテロ戦略に関しては、単に人々を黙らせておくという以上の意図がある。 主要な問題は地域の制圧であり、「多くの場合、強制移送は、領土を奪うか支配するために必要な条件なのである」。 強制移送はコロンビアで巨大な問題となっており、2000年の1年だけで、30万人が暴力により家を追われている。 コロンビアの国内で難民かしている人は何百人もいる。 ゲリラ部隊とコロンビア軍が移送のほとんどを引き起こしてきたが、「大量移送の最大の原因は、準軍組織による市民への脅迫、虐殺、移動制限である」。

地方部で準軍組織が使う手段は一貫している。特定のコミュニティが標的となり孤立させられる。 コミュニティのメンバーは集められ、確認される。 しばしば準軍組織はリストを持っており、そこに名が載っている人々が選り分けられてゲリラの支持者であるとして、拷問を受け殺害される。 残りの人々はその土地から出ていくか、準軍組織の権威を受け入れるか、殺されるかという選択肢を与えられる。 こうした選択肢を見るならば、大規模な人口の移送が起きるのは驚きではない。

「ゲリラ支持者」とされるのが極めて簡単であることは指摘しておかなくてはならない。 コロンビア人権活動家のハビエル・ヒラルド神父が言うように、「カンペシノや先住民、ゲリラが活動している地域にただ住んでいるだけの人々は、ゲリラ支持者と見なされるか、そうでなくとも、ゲリラがいることに対して責任を負っているとみなされ、それゆえ、対ゲリラ戦略の正当な標的とみなされる」のである。

恐らく確実に、準軍組織にとって、ある人が実際に何らかのかたちでゲリラを助けたかどうかは重要ではない。 重要なのは、「魚を水から引き離す」という対ゲリラ戦略が達成できるかどうかである。 人々が思想的にゲリラを支持していようがいまいが、ゲリラが存続するためには人々を必要とする。 ある地域の住民が一掃されるならば、ゲリラはその地域を去るかあるいは戦うしかない。 ゲリラの強みは姿を表さないことにあるので、人々から孤立させられればさせられるほど、効率的に活動することが難しくなる。 これは、ゲリラから地域の制圧を奪う戦略の一部なのである。


準軍組織とコロンビア軍との協力関係

準軍組織が処罰されずに活動できるのは、コロンビア軍と継続的な協力関係を保っているからである。 コロンビアのエリートたちが組織したすべての私設軍隊がコロンビア軍との関係を持っているわけではないが、全体として軍と準軍組織の協力関係は大規模かつ全国的なものである。 ヒューマンライツ・ウォッチによると、コロンビア軍の18旅団のうち、9旅団は準軍組織と関係を持っているということが記録により証されている。

1999年には、カリマ戦線(Frente Calima)と呼ばれる準軍組織を、コロンビア軍第三旅団が創設し、武器と情報を与えたことを示す強い証拠がある。 ACCUの準軍組織兵士がリクルートされたほか、現役及び退役コロンビア軍兵士もこれに参画した。 1999年8月上旬に、カリマ戦線はトゥルとその周辺地域で虐殺と殺害を犯し、大規模な住民移送を引き起こした。カリマ戦線がいることについて同地域当局に通報がなされたにも関わらず、軍はこの準軍組織を止めなかった。

メデジンに駐留するコロンビア軍第四旅団も、AUCと大規模な関係を持っていることで知られている。 第三旅団同様、第四旅団もACCUとつながっている。1997年10月にACCUと第四旅団兵士はエル・アロで共同作戦を行った。 この作戦ではいつもと同様の虐殺、拷問、殺害が行われた。準軍組織と第四旅団兵士は、「合法化」と呼ばれる行動を行っている。 これは、「準軍組織がゲリラではないかとの容疑をかけられたものや殺害された文民の死体を軍に持っていって、かわりに武器や弾薬を受け取り」、それから軍兵士が遺体に軍服を着せ、「遺体は戦闘中に殺されたゲリラのものである」と言うものである。 こうした行為の目的は、軍将校の名声を高めることにあるようである。 というのも、そこでは、遺体の数は成功の尺度となっているからだ。 「合法化」はコロンビア中で行われていると考えられる。

軍と準軍組織の関係に関するさらなる証拠が、1991年の軍諜報体制の点検整備のときに明らかになった。 コロンビア軍指令第200−05/91は、「武装転覆行為集団によるテロリズムが激化している状況で」軍による様々な諜報ネットワークの設置を公認した。 各ネットワークが一定の地域をカバーすることとなっていた。 この指令はまた、こうしたネットワークが持つべき指令系統を描いていた。 ネットワークの責任者たるネットワーク長は現役将校であるべきとされ、その次に、ネットワークがカバーする地域全体の中の特定セクターそれぞれを調整する地区司令官たちがおかれる。 地区司令官は、退役あるいは現役将校、あるいは将校以下の地位の軍人であるべきだが、さらに「訓練を受け影響力のある、信頼できる市民」でもよいとされた。 地区司令官の下におかれる調整担当は、「市民あるいは退役した将校以下の軍人」で、「標的をカバーする責任を負う」。 さらに諜報エージェントが置かれ、最下位に、通報者を置く。指令は、できるだけ現役軍人あるいは退役軍人を使うべきと示唆しているが、表現は曖昧であり、状況によっては、特に指令系統の下位において文民を使うのは全く問題ないと示唆している。

この指令は準軍組織と特定して述べているわけではないが、実際にこの指令が実行に移された状況を見るならば、その意図が何であったかは明らかである。 この指令のもと、選択的暗殺を主要な役割とする41の諜報ネットワークが作られた。 その中で最もよく知られているのは、バランカベルメハ市のネットワークである。 このネットワークが作られてから最初の2年間で、57名の一般市民が暗殺された。 バランカベルメハ・ネットワークはコロンビア海軍により運営され、市の外の地域もカバーしていた。 コロンビア海軍は過去にバランカベルメハでMASと一緒に活動していたが、指令200−05/91により、その協力関係は合法性の色彩を帯びることになったのである。 予想されたとおり、1991年にバランカベルメハに海軍とMASにより設置された諜報ネットワークは、ゲリラ支持者だけでなく、「政治的反対派のメンバー、ジャーナリスト、労働組合員、人権活動家などを、とりわけこうした人々がネットワークのテロ戦略を調査したり批判したりすると」、標的とした。

元予備将校のフェリペ・ゴメスは検察庁に対して、自分はバランカベルメハ・ネットワークの一部であり、沢山の地域で準軍組織に対する武器提供と支援を行ったと証言した。 ゴメスは7つの町で準軍組織を創設し、海軍から提供された武器を与えた。 これらの準軍組織は大規模牧場主がゲリラに「戦争税」を払うことをやめさせ、かわりに準軍組織に資金提供させることに成功した。

海軍オフィサたちによる諜報ネットワークが標的として名を挙げたグループが、1992年1月にバランカベルメハで準軍組織が出した殺害脅迫リストにも含まれているという事実もまた、準軍組織と軍との関係を示すさらなる証拠である。

バランカベルメハはコロンビアの中枢都市である。 マグダレナ川河口にあり、国営石油企業エコペトロルの本社があり、また、コロンビアの燃料需要の6割をカバーする石油精製工場がある。 バランカベルメハ市の経済活動の中から、コロンビアで最も強力な労働組合である労働者サンディカル組合(Union Syndical de Obreros: USO)が生まれた。 強力な労働組合があるだけでなく、バランカベルメハには愛国同盟のような左派政党の拠点もあり、また、色々な市民社会組織があった。 FARCとELNはバランカメルベハの一部に強い基盤を有しており、それほどではないにせよ、EPLも基盤を持っていた。 これらすべての要因から、コロンビアのエリートたちにとって、バランカベルメハは、軍事的にも経済的にも極めて重要な地帯だった。

1999年半ばから後半にかけてバランカベルメハでの準軍組織の活動は非常に活発になり、現在に至っている。 ゲリラから市の統制を奪うための戦略の一環として、準軍組織はバランカベルメハ市を取り囲む地域での力を強化した。 コロンビアの人権団体である人権擁護地域協会(CREDHOS)は次のように述べる。

[準軍組織の]北部地域への進出は明らかである。 この進出は、バランカベルメハ市周辺地帯にも及び、市の北東部における、準軍組織とつながった「匿名」の個人の存在に見ることができる。 準軍組織ネットワークは、過去数年間にわたって進められ、バランカベルメハの南で境界を接するエル・カルメンとシミタラ、南西部のプレルト・パラ、南東部のサン・ビンセンテ・デ・チュクリとシミコタといった地帯の支配を伴った、準軍組織の作戦が、これで完成したことになる。

バランカベルメハの北にあるサバナ・デ・トレスで、サバナ・デ・トレス人権委員会は、1993年から1997年に多くの殺害と「失踪」が準軍組織により行われたと報告している。 さらに、同委員会のメンバーも殺害の脅迫を受け、1997年12月には、会長が準軍組織に殺されかけたので避難した。 一般市民に対する拷問や殺害、脅迫が、バランカベルメハ市に西部及び南西部に隣接する地域で起きた。

バランカベルメハ市及び周辺での準軍組織による人権侵害には、コロンビア軍も明らかに共謀している。 例えば、1995年6月、(バランカベルメハ市南東の)シマコタ市ダント・バホ村に、30名の軍兵士と10名の準軍組織兵士がやってきて、ある農民を2時間にわたって拷問したのち、彼に、手荒な扱いは受けなかったという誓約書に強制署名させた。 シマコタではこうした共同パトロールが頻繁に行われた。

1998年5月16日の準軍組織によるバランカベルメハ市襲撃もまた、準軍組織と軍の共謀を極めてはっきりと示している。 その日早くに、地域の軍司令官が、バランカベルメハ南東部へ続く道のラ・Yに24時間のチェックポイントを設置するよう命令した。 軍と警察部隊はまた、市の北東部もパトロールするよう命令を受けた。 けれども、チェックポイントとパトロール隊は、これといった理由なく、午後9時に兵営地に戻るように命令された。 部隊が撤退してからすこしして、準軍組織がラ・Yを通って市に入り、バランカベルメハ南東部のELNの影響下にある地域を集中的に襲撃した。

準軍組織はまずバルに入って数人を襲撃し、フアン・デ・ヘスス・ヴァルディヴィエソとペドロ・フリオ・ロンドンを連れ出し、市に入るときに乗っていたピックアップ・トラックに乗せた。 ペドロ・フリオ・ロンドンが逃げようと試みて再び捕まったとき、彼は、準軍組織に、もし殺すなら、遺体が見つかるような場所で殺してくれと言った。 そこて準軍組織兵士が彼の喉を掻ききった。 ディビノ・ニノ地区では、準軍組織は路上パーティーが行われていたところを取り囲み、さらに人々を誘拐した。 バランカベルメハ南東部では、一般市民に対するさらなる襲撃が続けられた。

この準軍組織による襲撃で11名の死が確認されており、25名が「失踪」している。 殺されたり「失踪」した人々のほとんどは労働者階級で、全員が一般市民であった。

軍がラ・Yのチェックポイントから撤退したことは、軍が準軍組織による襲撃に協力していたことを示唆している。 軍が共謀していたことを示す他の証拠として、次のようなものがある。

  1. 準軍組織は、市民が逃げていった丘に向けて発砲したことが報告されている。 この発砲攻撃は、電気施設を守っている軍ポストから約130メートルしか離れていないところで行われた。 ポストにいた兵士は攻撃に対して何もしなかった。
  2. 「ヌエバ・グラナダ」防空砲兵隊基地から500メートルも離れていない場所に準軍組織がロードブロックを設置したときにも何ら手だては講じられなかった。
  3. 攻撃全体を通して、準軍組織は軍によって止められることが全くなかった。
  4. 襲撃直後に、警察と軍に襲撃が連絡され、準軍組織が撤退した経路も報告された。 襲撃者を追跡しようという試みは全くなされなかった。
  5. バランカベルメハの軍司令官は、準軍組織の襲撃計画について事前にいろいろなところから連絡を受けていたが、何のてだても取られなかった。

1998年半ば、カルロス・カスタニョが、バランカベルメハの襲撃を行ったのは、AUCに属するサンタンデル及びセサル南部自衛軍であると発表した。 同グループがコロンビア大統領に送った手紙には、「バランカ[ベルメハ]で5月16日に拘束された25名は民族解放軍(Ejercito de Liberation Nacional: ELN)と人民解放軍(Ejercito Popular de Liberacion: EPL)に属する反政府分子であることは明らかである。 拘留されたものたちの宣言は裁判に送られ、死体は焼却された」と述べられている。

5月16日の襲撃以降、準軍組織は何度も市に入り込み、同じように、労働組合員や人権活動家を含む人々を殺し脅迫している。


コロンビア準軍組織と米国のコロンビアに対する軍事援助

関心をもつ人々にとって重要な問題は、米国のコロンビアに対する軍事援助が、準軍組織の体制にどのような影響を与えるかであろう。 公式には、米国政府は、コロンビア軍に対し、準軍組織との関係を絶つよう要求しており、また、AUCは米国国務省のテロ組織リストに記載されている。 けれども、こうした声明は、公のイメージを保つためだけになされているようであり、実際には、1990年代以来、コロンビアはラテンアメリカで米国の軍事支援を最も多く受けてきており、また、現在、2000年にクリントンのプラン・コロンビア(8割は軍事援助である)により13億ドルの援助パッケージを受けて以来、世界でも第三位の援助の受け手となった(クリントンの援助パッケージコロンビア入門Q&Aプラン・コロンビア概説を参照)。

ブッシュ政権はプラン・コロンビアを拡大した、アンデス地域イニシアチブを計画している。 プラン・コロンビアの援助金額は、軍と準軍組織の関係が弱まったわけではないにもかかわらず認められた。 また、米国市民の圧力でアンデス地域イニシアチブの潜在的に破滅的な結果を阻止できるかどうかはまだわからない。

米国のコロンビアに対する軍事援助について、準軍組織に関係する第一の問題は、準軍組織はコロンビア軍と密接な協力関係にあるのだから、米国援助は自動的に準軍組織を強化するということにある。 これ自身、極めて深刻な問題であるが、さらに、米国のコロンビア介入は、一般に認められている以上に深くコロンビアでの準軍組織活動に関与しているのでさらに影響がある。

米国が深く関与していることを示す一つの例は、前述したコロンビア軍による1991年の諜報整備に、米国の軍事顧問が大きな影響を与えていることである。 コロンビア軍指令200−05/91は、次のように述べている。 「防衛省は、米軍の軍事顧問団の勧告に基づき、軍諜報をあらゆるレベルで再構成することを命じた」。 当時の米国軍事顧問兼防衛情報局のコロンビア連絡担当官だったのは、退役大佐ジェームズ・S・ローチ・Jrである。 ローチは、米国国防省は、新たな諜報ネットワークを暗殺部隊とする意図はなかったが、実際のネットワーク設立にはCIAが深く関わっていたと述べている。 「CIAは独自の秘密ネットを創設した。・・・[CIAは]潤沢な資金を持っていた。 まるでサンタクロースがやってきたようなものだった」とローチは言っている。 CIAが、コロンビアのエリートたちの利益に反対する組織を弾圧する意図でネットワークを設立したことは非常にありそうである。

また、米軍グリーン・ベレーや、海軍SEALSのような特殊部隊がコロンビア兵士の訓練にあたっているという問題もある。 ケネディ大統領が特殊戦争と低強度紛争訓練を拡大して以来、特殊部隊は海外、特にラテンアメリカでの対反対派作戦の基盤であり、エルサルバドルやグアテマラなどの国に駐留したが、そうした国々では、対ゲリラ作戦の名のもとに一般市民に対する虐殺が行われてきた。

歴史を見ただけで、心配するに十分であるが、それに加えて、この点に関しては、さらに恐ろしい関連がコロンビアにはある。 1997年、グリーン・ベレーが訓練したコロンビア軍部隊の司令官はリノ・サンチェス大佐であった。このサンチェス大佐は、(前述の)1997年7月20日のマピリパン虐殺においてカルロス・カスタニョと共謀していたとしてコロンビア検察庁に告発されているのである。

米国顧問団が直接虐殺に共謀していたかどうかを知るのは難しいが、この虐殺が起こった場所は、グリーン・ベレーが駐留するバラコン島の訓練基地のすぐそばにある。 そして、準軍組織は、島のチェックポイントを船で通らなくてはならなかった。 コロンビア軍が虐殺に深く関与していたことと虐殺の規模とを考えるならば、米軍特殊部隊が状況に関して全く何も知らないままだったと想像することは困難である。 グリーン・ベレーがサンチェス大佐の部隊に対する訓練コースを開始したのは1997年5月14日で、コースは虐殺の日の直前に終了している。 グリーン・ベレーが準軍組織の虐殺計画を知っていながら何もしなかった可能性は大きい。

外国人によるコロンビア準軍組織訓練は新しいことではない。 「マグダレナ・メディオにおける雇われ暗殺者と麻薬商人組織」と題する1988年のコロンビア諜報文書は、準軍組織暗殺者の訓練キャンプで、「イスラエル、ドイツ、北米の訓練官の存在が特定された」と述べている。 ドイツと北米の訓練官に関する公の情報は全くないが、イスラエルの関与については多少の詳細がわかってきている。

1989年に、麻薬カルテルに直接関与している準軍組織がイスラエルの退役軍人から訓練を受けていることが明らかになった。 コロンビアのカルテルの一員が撮ったと思われるビデオテープには、イスラエルの訓練官が「約50人の軍事及び暗殺訓練を行っている」様子が写されていた。 訓練官の二人は、ヤイル・クレイン退役中佐とアマツィア・シュアリ中佐であることがわかっている。 クレインは、スペアヘッドと呼ばれるイスラエスの私営軍事顧問企業の社長であり、シュアリはそこで働いている。

この二人はともに、他の場所でも怪しい訓練活動に関与していた。 クレインはニカラグアのコントラに対するイスラエルによる訓練の一部を担っており、シュアイは、一般市民に対する残虐な焦土作戦を実行した沢山のグアテマラ軍将校に対して訓練を行ってきた。

コロンビアの準軍組織について、クレインは、自分の仕事はコロンビア政府と軍とに支援されており、訓練は軍キャンプのすぐそばで、軍の施設を用いて行われていると述べている。 イスラエル政府は、クレインのような軍事訓練官はコロンビアでの準軍組織訓練を独自に行っており、スペアヘッドは政府にコロンビアでの労働許可を求めてきたがそれは却下したと述べている。

重要な点は、スペアヘッドが本当に「フリーランス」で活動しているのか、あるいは、実際には、イスラエルにとって不都合な軍事活動を行うための私的尖兵なのかである。 これについては完全にはっきりとはしていないが、クレインやシュアリをはじめとする準軍組織の訓練に関係しているものたちが、イスラエル政府と密接な関係を持つ地位の高い人間であることから、イスラエル政府が関与していとか知らないと言った主張に対しては疑問を持たざるを得ない。 イスラエルの雑誌『ニュー・アウトルック』誌は、次のように述べている。

イスラエルの強力な国防省とそれに関連する軍事産業は、相互に連携を保った元軍オフィサたちの国際ネットワークをセールス・エージェントとして運営している。 こうした人々が、外国の軍にアクセスし、また、重要な接触を行うのである。 こうした人々とその会社はイスラエル軍連絡官とは独立に、けれども密接に連絡を取りながら活動を行う。

さらに、プラン・コロンビアの中で行われるコカ栽培に対する薬剤空中散布が、ほとんどすべてFARC統制下の地域でなされているという事実もまた、憂慮するに値する。 ボストン・グローブ紙のジョン・ドネリーが報告したように、「米国がスポンサーとなって行われている攻撃は、準軍組織が最も強力である、コロンビア中部及び北部の準軍組織が統制する地帯では行われない」。 コロンビアに対する軍事援助は、コカに対する大規模な薬剤散布を行うことで米国へのコカイン流入を防ぐという名目で導入され続けられている。 このとき、FARCは「麻薬ゲリラ」であると言われる。

ここでの皮肉は、準軍組織はFARCよりもはるかに深く麻薬に関与していることである。 FARCの麻薬取引に関する関与は、せいぜいがコカ栽培に対する課税であり、これは、FARCが自らの統制下にある地域ではほとんどの経済活動に課税するという事実と整合している。 一方、フリーランス・ジャーナリストのフランク・スミスによると、準軍組織は「はるかに多くの麻薬工場と国内交易路を守っている」。 カルロス・カスタニョは、AUCの資金の7割が麻薬取引から来ていると公に認めている。 コロンビアの二人の麻薬王、ヴィクトル・カランザとエンリ・ロアイザは、ともに強力な準軍組織を抱えており、多くの虐殺に関与しており、そして現在および過去に軍と関係していたと考えられている。

それゆえ、可能性として残されているのは、米国が準軍組織に関心を持っていないので放っておいているのか、あるいは、積極的に支援しているか、どちらかである。 このどちらが実際のところかは証明できないが、コロンビア軍が準軍組織と協力関係にあるにもかかわらず軍に支援を提供していること、CIAの諜報ネットワーク設置への関与、米国特殊部隊訓練官のコロンビアでの存在などを考えると、米国政府の少なくともいくつかの部分は、準軍組織とその戦略に対して、ある程度の支援が存在している可能性は極めて大きい。


参考文献



  益岡賢 2002年5月12日

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