回帰と抵抗

ジャン・ブリクモン
ZNet原文
2003年4月24日


世界中でスローガンが繰り返された。「石油のために血を流すな」と。けれども、血と石油は、非常に長い間、一緒に流れてきた。1917年にオスマン・トルコ帝国が解体した際にフランスとイギリスがアラブ世界を裏切ったときから、最新のイラク攻撃まで、西洋の政策は石油に支配されてきた。西洋の石油に対する欲望は、中東の改革派に反対し最も後進的で腐敗した「伝統的支配者」を支持し、攻撃的に現代的な国家イスラエルという戦略的財産を支援し、1980年代のイラン・イラク戦争を焚き付け、1991年の湾岸戦争とそれに続く際限のないイラク貿易封鎖と爆撃によって、満たされてきた。1945年に、米国国務省は、サウジアラビアの石油資源について「戦略的力のすばらしい源であり、世界史上最高の物質的褒美の一つ」と述べている。今日、ブッシュ戦争政権は、これほど率直ではなく、イラク征服は膨大な石油資源と何も関係ないというふりをしようとしている。けれどもブッシュの兵士たちは、大きな兵力によりバグダッドの石油省を守る一方、公共サービス関係省庁や病院、値段を付けられないほど貴重な考古学的貴重品を略奪させるがままにした。略奪は被征服国の人々の意識を低下させ、分断することに役立つ。そして、法と秩序を回復するために武力を用いる侵略者を歓迎させることにも。

今日、サダム・フセインという恐ろしい独裁者の終焉に対しては、広い喜びがあるようである。少なくとも、ペンタゴンは正しい標的を選んだのだということについて、戦争提唱者と反対者に合意でもあるかのように。けれども、ペンタゴンは過去にも多くの標的を叩きつぶしてきたし、これからもさらに沢山の標的を叩きつぶそうとするだろう。けれども、イラクの独裁者が行ったという犯罪は、標的を選ぶ際の基準では全くなかった。西洋による搾取を逃れるために、第三世界の人々は多くの、そして様々なタイプの指導者を選んできた。ホーチミン、毛沢東、ガンジー、マーチン・ルーサー・キング、マルコムX、パトリス・ルムンバ、クワメ・エンクルマ、アブドゥル・ナセル、サルバドール・アジェンデ、フィデル・カストロ、アミルカル・カブラル、ヤセル・アラファト、サンディニスタ、ベンベラとベンバルカなど・・・。これら全ての指導者たち、そしてスウェーデンのオロフ・パルメやポルトガルのオテロ・デ・カルバリョのように稀に現れた第三世界革命の擁護者たちは、改革派であろうと革命的であろうと、社会主義者であろうと民族主義者であろうと、武装していようと非暴力であろうと、全員が全員、例外なしに、「自由世界」に罵倒され、西洋やその手先により、様々な転覆の策動が画策され、悪魔化され、侵略を受け、投獄されたり暗殺されたりしてきた。1953年、CIAは、改革派のイラン首相モサデクを追放し、シャーの独裁体制を据えた。これは、イスラム革命を引き起こし、アヤトーラ・ホメイニの政権を導くこととなった。1954年、CIAは、選挙で選ばれたグアテマラの改革派大統領ハコボ・アルベンスを転覆し、何十年にもわたる軍事独裁政権を据え、血の虐殺を続けた。米国政府は、1965年、ブラジルで改革派のジョアン・グラール政権を、ドミニカ共和国で改革派のフアン・ボッシュ政権を、インドネシアでスカルノ大統領政権を転覆し、何十万人もの犠牲者を生みだした。ネルソン・マンデラは今日英雄と見なされているが、彼が27年間も監獄生活を送らなければならなかった背後には、CIAが南アフリカの治安警察と共謀したためという事実がある。

基本的に平和的かつ民主的な方法で、第三世界の人々が自ら自由になろうとするときはいつでも、オスロ期のパレスチナ人や、チリのアジェンデ政権、ニカラグアのサンディニスタ政権、今日のベネスエラのチャベス政権など、いずれの場合も、その希望は、暴力と終わりのない転覆策動により阻止される。カストロのように反対派を逮捕したり、パレスチナ人やネパールの毛主義者のように自爆攻撃といった暴力に訴えると、西洋の人道主義者は、その大義までもその手法に等しいものと見なす。こうした西洋の人道主義者達が自称する純粋な非暴力は、現代の支配的国家の創生において、決して適用されたことが無かったにもかかわらず。

恐らく、帝国主義勢力に対して、抑圧された人々が、自らを防衛し解放するために使うことが許されている手段は一体全体、正確に何なのか、聞いてみると良いかも知れない。


オサマ・ビンラディンを「捕獲」したりアフガニスタンに新たな民主体制を造り上げると称したアフガン侵略戦争は、忘れ去られた。ちょうど、ブッシュ政権が、人々に、イラク攻撃の口実を、ガスマスクやダクトテープといったナンセンスとともに、忘れるよう望むことができるのと同様に。リチャード・パールは、イラクの有名な「大量破壊兵器」なるものが、地下深くに隠されているか、あるいはシリアにあると述べた。この狩りで、一体いくつの国を侵略するというのだろう。米国がイラクの大地を占領している現在、遅きに失した兵器の「発見」は、米英が戦争を正当化するために出してきた、信頼できないことが証明された多くの「証拠」と偽りと同様、何の信憑性もない。さらに、そもそも、自らが転覆させられるまさにその瞬間にさえ、所有している大量破壊兵器を使えないような政府が、どうして脅威となり得るだろう。サダム・フセインが9月11日と関係していたという、世論調査では米国人の4割から5割が信じているという非難については、かつても今も、全く何の根拠もないままである。

今や残された唯一の口実は「民主主義」である。民主主義。今日、知識人戦士たちの麻薬となっている言葉。気乗りしない欧州の諸政府とメディアの公式の立場はあまり難しくない。戦争は不法で正当化できない攻撃行為であるが、それでも、それができるだけ早く成功するよう希望する。そうでなければ、「民主主義」にとって破滅的となりかねない。この概念について疑問が呈せられる瞬間が来たかも知れない。アラブ世界の人々に、「真の存在する民主主義」たるアメリカ合州国はどのように見えているだろう?リチャード・パールやポール・ウォルフォヴィッツのような輩に権力を与える体制、ベクテル社のジョージ・シュルツ、レーガン政権の国務長官だったシュルツや、ハリバートン社のディック・チェイニーのような人物に全面的な権力を与える体制は、どれだけ魅力的に見えるだろう?破壊した標的の「再建」から儲けを得るハリバートンやベクテルのような会社の人物達が、全面的な権力を握っている体制は。少数の手に握られているマスメディアが、イラクが2001年9月11日の攻撃の背後にいると人々に信じさせるような、「報道の自由」は、どれだけ感動的なものだろう?新聞界のスターたるニューヨーク・タイムズ紙の外交担当主任であるトマス・フリードマンに、「我々はお前を長いこと放置していたところ、お前はマッチで火遊びをし、我々が焼かれた。それゆえ、我々は、お前をこれ以上放ってはおかないのだ」(2003年4月7日ハーレツ紙、アリ・シャビト「白人の責務」から再引用)と言われたとき、人々はどう思うだろう?イラク攻撃は、25名の新保守主義知識人がいなければ決して起こらなかっただろうと述べているのである。彼のワシントン事務所の側に住み、彼が全員の名を挙げることができる、25人の「知識人」がいなければ。すばらしい民主主義である。そして、イスラエルの燃える闘士である退役将軍ジェイ・ガーナーが、占領下イラクの新たな総督に選ばれたことについて、人々は何を思うだろう?

うんざりするほどの悪用と偽善は、そのうち、最高の理念に対する信用さえ失墜させることになる。「社会主義」も、そして、「民主主義」も。

新たな征服者たちは、イラクで「自由選挙」を行いたいと述べている。やらせてみよう。しかし、どう考えても、エジプトのように、既に米国に依存している諸国で自由選挙など何もないのに、イラクでは自由選挙のために戦争を行うというのは、奇妙である。アフガニスタンで選挙が行われただろうか?さらに、中東で米国が自由選挙を支持するという発言の信憑性に対する疑問は、アルジェリアやトルコ、パキスタンの選挙結果を見ればはっきりする。アラブ=モスリム世界では、今日、世俗的民族主義が全面独立をもたらすのに失敗したのであれば、その理由は世俗的だったことにあると多くの人が考えているようである。神の助けが必要で、神は真の信者しか助けない。有権者たちは、汚職まみれで、程度の差はあれイスラエルを支持する親西洋エリートたちに投票はしない。自由選挙の勝者は、政治的イスラムになるだろう。それは、現在の非民主的政権よりも、西洋に対して敵対的になるだろう。

アラブ世界と西洋世界で、人間の問題に神が介入することに疑問を持つ全ての人々にとって、この展開は、大きな後退に感じられるだけである。過ちや犯罪にもかかわらず、アラブ民族主義者は、共産主義者と同様、この地上における人々の生活を、利用できる手段だけによって改善しようと試みてきた。聖なるテクストの解釈ではなく、社会の変容を通して。そうした手段が尽くされたわけではないと信じたとしても、その効率性は消え失せたと信じるかも知れない。

主流派西洋知識人の、サダム・フセイン転覆に対する反応と1979年のイランのシャー転覆に対する反応とを比べてみるのも興味深い。どちらも野蛮な独裁者であり、どちらも世俗的であり、どちらも国を近代化しようとした。そして、どちらの転覆も、政治的イスラムに利するものである(サダムの場合は、今後そうなるだろう)。けれども、そのうち一人は、米国の近しい仲間であり、もう一人はそうでなかった。反応は、あからさまに異なっていた。サダムの場合は祝福の嵐であり、シャーの場合は、次の政権はシャーより良いものにはならないだろうというものであった。


イラクが植民地主義の新たな夜の中に投げ込まれた今日、楽観的でいるのは難しい。けれども、歴史を長い目で見るならば、20世紀が始まったときには、アフリカ全土とアジアの大部分が、ヨーロッパ列強の支配下に置かれていた。上海では、英国は、「犬と中国人は立ち入り禁止」という公園を設けていた。ロシアと中国、オスマン帝国は、西洋の介入を阻止するにあたり無力であった。ラテンアメリカは、現在よりもさらに多く侵略を受けた。それ以来、植民地主義は打倒されその不正が暴かれた。いくつかの例外はある。その最たるものはパレスチナである。植民地主義の打倒は、20世紀の最も重要な社会進歩であり、それはファシズムの敗北以上でさえある。歴史的進歩などというものは存在しないといった発言を行うような、多くの西洋知識人を被う「ポストモダン」の悲観主義のもとにある理由の一つは、最近の本当に現実の進歩は西洋の敗北と植民地支配下の人々の段階的解放により得られたものであるというところにある。イラクで植民地支配体制を再構築したいと望む人々は−それ以外に誰が他国を征服するだろう?−英国人が「アラブ・ファサード」と述べたものさえ、自分たちの軍事力のために、世界中の全ての人々が、自分たちの未来を自らの手で決めようと言う決意が目に入らないのである。これまで植民地支配下に置かれていた人々による、純粋な独立を手にしようという闘いは、まだ完遂したというにはほど遠いが、同時に、ときおりの打撃によって止められるものでは決してない。

現段階で、この闘いは、世界の「ラテンアメリカ化」に直面している。すなわち、帝国支配体制の中枢として米国がヨーロッパに取って代わり、新植民地主義が植民地主義に取って代わり、伝統的なかたちでの略奪が続き、第三世界の資源と労働(そして西洋諸国の自前の教育システムの不十分さをカバーするために、能力も)が搾取される。これと同時に、形式だけの政治的自治とそれに対応した弾圧の仕事を行う代理人が指名される。そんな世界に、純粋な平和も民主主義もない。後者は国家主権を前提とする。

1991年、信用できないけれど唯一潜在的に第三世界を防衛する勢力だった国が崩壊し、第三世界は再び西洋のなすがままになった。債務のメカニズムが、「南」の原料と産業の略奪に使われた。小さく強情な国家は悪魔化され、「ならず者」として孤立させられる。オスロ合意により、パレスチナの抵抗運動は、被占領地を、武装入植者に囲まれた小さなバンツスタンに細分化されることを受け入れさせられるようになった。けれども、西洋にとって事態はあまり上手く行っていない。アメリカ人たちはソマリアから追い出された。イスラエルの占領軍はレバノンから追い出された。米国のアフガニスタン支配は不安定である。ジェニンで、パレスチナの人々は、破壊的なイスラエル軍を追い出すために立ち上がった。ラテン・アメリカでは、新自由主義の幻想は消え失せ、新植民地体制は、ますます活発になる挑戦に晒されている。イラクの人々が米国の軍事支配に降服したと、そして様々な抵抗が起こらないと考える理由はどこにもない。いずれにせよ、米国の介入に対する世界的な反対は、かつてないほど強力で広がりを見せていた。ブッシュ政権は米国内で抑圧的政策に訴え、プロパガンダ担当者たちは、ますます増えている批判者に対して、「反米」だとか「反ユダヤ」といったラベルをはって退散させようとしている。

企業のグローバル化が、直接・間接に、軍事化、転覆、介入、戦争により強化されているという事実に、新たな世界的運動は目覚めつつある。誠実であるならば、第三世界での世俗的民主主義を求める闘いは、西洋の帝国主義に対して西洋国内で私たちが進める闘いと切り離すことはできない。


ブリクモンは、アラン・ソーカルというニューヨーク大学の物理学者とともに、『知の欺瞞』(岩波?)を書いた人でベルギー在住。言葉遣いは私の感覚と大部違いますが(ちなみに私は隠れポストモダン)、イラク攻撃を巡る現在の議論の広まりを、歴史的観点から諸事実をふまえて考え、未来につなげる線を引こうという論点自体は大切なことだと思います。少しづつでも先へ進むために。なお、タイトルの「回帰」は、Regressionで「後退」でもありますが、あからさまな支配暴力の回帰みたいなトーンを出したかったので、あえて回帰としてみました。
益岡賢 2003年4月25日 

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