ブレアの誠実さとメディア

デビッド・エドワーズ
英語原文
2003年3月21日


「エジプトの人々よ、私があなた達の信仰を破壊するために来たと、あなた達に告げる者があるだろう。それを信じてはいけない。私が来たのは、あなた達の権利を回復するためなのだ」(ナポレオン・ボナパルト、1798年)

「我々の軍隊が皆さんの町と土地にやってきたのは、征服者としてでも敵としてでもない。我々は、解放者としてやってきたのだ。皆さんの富は、不正な者たちにより剥奪されてきた。バグダッドの人々は、神聖な法に従う機構のもとで、繁栄を遂げるだろう」(イラクの英軍司令官F・S・モード将軍、1917年)

はじめに:新世代をあざ笑う

ヒトラーの、神経にさわる悪魔的な演説をビデオで見たことがある人は、一体、どうしてヒトラーを真に受ける人などが存在し得たのだろうと、不思議に思ったに違いない。むろん、今となって見ると、ヒトラーは、単に狂気にかられているように見え、極端な自己中心性の事例であるように見える。我々が過去の騙されやすさを乗り越えたのは、確実であるように、感じる。

けれども、確立された権力は、人々を催眠状態に陥れる力を、決して失いはしない。心理学者のスタンレー・ミルグラムは、次のような暗澹たる事実を指摘している:「人々には、合法的な権威が提供する定義を受け入れる傾向がある」。その理由は、権威筋が提供する定義が理性に基づいているからではなく、「ある人々にとって、そうした権威が、超人間的性格をまとっている」からである。ヘンリー・ソーローは、ここから生じる興味深い帰結を指摘している。

「全ての世代は、過去の世代をあざ笑う。けれども、同時に、新たな権威には宗教的に服従するのだ」。

かくして、一方で過去の異常さを気軽にあざ笑いながら、現在の異常さに対しては、真面目にうなずくような人々が −特に主流メディアのジャーナリストあたりに− 存在し続ける。たとえば、英国のトニー・ブレア首相が、3月18日に議会で行った演説に対する、メディアの反応を見てみよう。

感動的かつ印象的な・・・:メディアを偽る方法

ブレアはヒトラーではない。しかしながら、ブレアは、演説の中で、感動的なレトリックと驚くべき事実歪曲との、古典的な組み合わせを用いていた。それに対する自由なメディアの反応は、悲しいほどに一様であった。たとえば、翌日現れた、デイリー・テレグラフ紙の、次の記事を見てみよう。

「サダム・フセインに対する軍事行動について純粋に心を決めかねていた人々で、[火曜日:18日の]議論を聞いた公平な心の持ち主ならば、だれでも、ブレア氏が正しく、反対派が誤っていると結論したであろう」。

サン紙は次のように宣言している。

「感情のこもった声と燃え上がる胸のたけをもって、トニー・ブレアは、ウィンストン・チャーチルとマーガレット・サッチャーに肩を並べる歴史的な地位を勝ち取った[訳注:この限りではまさにその通りだと思います。チャーチルは、イラクとアフガンの人々に対して、毒ガスを使うことに大賛成だったのですから]。彼の政治生活の中でも最も記念的な演説において、彼は、サダム大統領に対する戦争が何故、今必要なのかについて、説得力のある理由を示した」。

ガーディアン紙は、歴史家が、将来、「自分自身の政党の多くがかくも激しく彼の政策に反対している中で、いかにしてトニー・ブレアが敬意と支持を勝ち取ったかについて、未来の世代に手がかりを与えるであろう、今回の、首相による、感動的かつ印象的な演説を読み返すであろう」と述べている。

インディペンデント紙の社説は次のように述べる。

「イラクに対する戦争に最も強く反対している人々でさえ、英軍を対イラク戦争に従事させようとしている人物の指導者としての能力を賞賛することであろう。トニー・ブレアが首相たる立場を示さなくてはならないときがあるとすると、それは、昨日の、下院における議論の場であった。そして、彼はそれを成し遂げたのである。トニー・ブレアの、パフォーマーそして主張者としての能力が疑われたことはない。けれども、昨日の出来事は、何かそれ以上のものであった・・・これは、大西洋の両岸の中で最もすばらしい戦争推進説得者による、最も説得的な演説であった。サダム大統領の12年にわたる国連の試みに対する妨害の告発が、かくも優れたかたちでなされたことは、かつてなかった」。

反戦の立場を強く採るミラー紙でさえ、次のように書いている。

「ミラー紙は、トニー・ブレアの、イラクに対する戦争を遂行しようと言う決意には強く反対するが、彼の、自分が行おうとしていることに対する正義の信念を疑いはしない。他人が同意できない原則を持つことと、原則を持たないこととは別のことである」[訳注:ブレア首相と小泉首相は別だ、とも読めます。イラクで家族と未来を破壊される人々にとっても、別なのでしょうか]。

「英国の歴史の中で決定的なこの場面で、ブレア氏とロビン・クックは、議会の絆を回復する手助けをした。両者ともに、議論の中で、説得力のある論点を提示し、お互いに、敬意をもって耳を傾けた」。

これら全ての記事が焦点を当てているのは、ブレアの演説における心情的な側面である。驚くべきことは、歴史上最もシニカルで、野蛮で、常軌を逸した戦争犯罪がまさに起ころうとしているときに、ブレアが実際に述べたことの欺瞞を、一紙として暴こうとしなかったことである。

そこで、ブレアの言葉を見てみよう。演説の中で、彼は次のように述べている。

「今や我々は、歴史と諜報が得た情報のすべてに反して、過去数年において、[サダムが]一方的にこれらの兵器を破棄する決定をしたなどということを、真面目に受け入れるよう求められている。そんな主張が馬鹿げているのは分かり切ったことだ、と言わせて貰おう」。

しかしながら、「メディア・アラーツ」でも繰り返し指摘したように、イラクの大量破壊兵器に対してそうした主張を行っているのは、UNSCOMの武器査察官である。UNSCOMは、イラクが、1991年から1998年の間に、大量破壊兵器を「基本的に破棄した」(90−95%)と述べているのである。戦争という「脅し」なしに。イラク側の協力は、経済制裁を解除するという「褒美」によりもたらされていたものである。驚いたことに、この禁止された真実は、下院議長を辞任する際、ロビン・クックの演説で彼が口にしたときに、初めて、メディアに現れた。

「恐らくイラクは、大量破壊兵器を所有していない。通常言われる大量破壊兵器という意味では」。

ブレアが高く評価する諜報を入手し検討できる立場にいた元外相ロビン・クックによるこの発言は、英国政府が戦争推進に持ち出す哀れな理由付けに、さらにいっそうの打撃を与えるものである。けれども、ガーディアン紙は、クック辞任についての記事で、この部分を扱わないこととした。そのかわりに、新聞の26面という目に付きにくい奥地で、クック自身の引用として挿入しただけである。「メディア・レンズ」からの批判に対し、ガーディアン紙の編集者アラン・ラスブリジャーは、次のように述べた。

「明日はもっと扱う」(3月18日付、「メディア・レンズ」への電子メール)

何も、現れなかった。メディア全体が、ロビン・クックの主張を、何故かしら、無意味なものとして見過ごしたのである。興味深いことに、もうそれが問題ではなくなった今になって、まるで魔法でも起きたかのように、ジャーナリストたちは、あからさまに、イラクが大量破壊兵器を実際に所有しているのかどうかについて疑問を表明し始めた。疑問を呈しても遅すぎる段階になった今、もしかすると、ジャーナリストたちは、サダム・フセインが、恐らく確実に自らの死をもって終わるであろう25万の兵力による大規模侵略を阻止しようとするかわりに、ほとんど戦略的価値のない兵器を保持することに固執したのはどうしてか、それはどこか変ではないだろうか、との疑問を表明し始めるかもしれない。

ブレアは、さらに続けて、次のように述べている。

「過去12年間を振り返るに、我々は、懐柔できない相手を懐柔しようとし、全く理性を欠いたものを説得しようとしてきたことの犠牲者であった」。

驚いたことに、我々こそが、犠牲者なのである。米英による経済制裁で命を落としていった100万人ものイラクの人々ではなく、我々こそが。経済制裁については、恐らく10年にわたる致命的な過ちであったということになるかも知れない。現在起こしているイラク攻撃を1991年に行うことができたはずであり、そして、それは1990年の国連安保理決議により承認されていると主張される、今となっては。我々が、犠牲者なのだ。イラクで国連の「食料のための石油プログラム」を担当していたデニス・ハリデーが、次のように述べた政策を、実施してきた、我々が。

「私は、『ジェノサイド』という言葉を使ってきました。というのも、これは、イラクの人々を破壊しようとする計画的な政策だからです。今となっては、ほかの見方があり得るとは思えません」(デビッド・エドワーズとのインタビュー、2000年5月)

国連におけるハリデーの後継者であるハンス・フォン・スポネックが次のように語った、イラクの人々が犠牲者なのではない。そうではなく、我々が、犠牲者なのである。

「いつまで、イラクの普通の市民が、自分たちが行ったのでは全くない行為に対して、これほどまでの処罰に晒されなくてはならないのでしょうか」(2000年2月13日、辞任の手紙)

我々が理性的だったために、我々は、自らの犠牲となってしまった。イラクは、武装解除に対してあらゆる協力を拒否してきたのに・・・。しかしながら、元UNSCOM査察主任のスコット・リッターは、別の見解を有している。実質上、英国のメディアからは抹殺された、次のような見解を。

「もしこの問題が法廷で議論されるならば、証拠は別の結論を示すでしょう。イラクは、実際、繰り返し繰り返し、武器査察団と協力する意志を示してきたのですから」(Ritter and William Rivers Pitt, War On Iraq, Profile, 2002, p. 25:日本語ではリッター/ピット『イラク戦争―元国連大量破壊兵器査察官スコット・リッターの証言 ブッシュ政権が隠したい事実』合同出版)

ブレアは、さらに続ける。

「それゆえにこそ、この手慰みは、終わりにしなくてはならない。それは、危険なことなのだから」。

米国の暴挙を阻止しようと求めることが、手慰みだと、言うのだろうか。ブッシュやラムズフェルド、チェイニー、ウォルフォヴィッツ、パールといった人々に異議を申し立てることが、手慰みだと、言うのだろうか。国連武器査察団長のハンス・ブリックスは、彼なりの答えを持っている。

「3カ月半で、査察の可能性を封じてしまうことが理性的な結論だとは思いません。より長い時間を与えられることを歓迎します」(Gary Younge, "Sad Blix says he wanted more time for inspections", Guradian, March 20, 2003)

ブリックスは、さらに、イラクはこの数カ月、過去10年間よりもよく協力していたと指摘した。

フランスやドイツ、ロシアや中国、そしてほかの多くの国が主張したように、査察をさらに3、4カ月維持することは、ほんとうに危険だったのだろうか?イラクの人々に、今、衝撃と畏怖を顔に刻み込まれ、命を失いつつあるイラクの人々に、それを訊いてみるとよい。2001年9月11日よりもはるかにひどい、おそらくは大量破壊兵器を使った攻撃が米国内で起こる危険が、「米国がイラクに対して戦争を仕掛けるという見通しのもとでは」さらに高まったと、つい最近指摘した、外交関係委員会のタスクフォースに、それを訊いてみるとよい。(ノーム・チョムスキー「帝国に抗して」より)

保守党の元外相ダグラス・ハードによると、イラクに対する戦争は、「中東を、反西洋テロリズムのための、汲み尽くせぬほどのリクルート地とする危険がある」(フィナンシャル・タイムズ紙、2003年1月3日)

同様の声は多い。というのも、イラクに対する攻撃は、2001年9月11日の米国襲撃を引き起こすに至ったような、力の悪用であることは疑いないからである。ブレアーが演説で述べた、常軌を逸した「危険」は、ハワード・ジンの、政治的プロパガンダに関する次のようなコメントを思い起こさせる。

「真実は、我々が首を伸ばしてもそれを見ることができないほど遠くにあると、我々の文化は我々に告げてきた。けれども、非常にしばしば、真実は、全く逆の場所に存在する」。

際限なく事実を歪曲するブレアは、演説の中で、イラク攻撃は新たなテロリズムを生み出しはしないとまで述べた。アルカイーダが米国を攻撃したのであって、逆ではない。しかしながら、アルカイーダの暴力は、米国がイラクとパレスチナの人々にもたらした悲惨に対する復讐であると、オサマ・ビン・ラディンが自ら述べている。それにもかかわらず、ブレアは、イラクの人々の大量の死者に対して西洋に責任があるという考えを却下し、経済制裁下でのイラクの人々の苦痛に唯一責任があるのは、サダム・フセインであると主張する。けれども、実際に経済制裁を実施し、それを目にして抗議により辞任した人々は、それが真実ではないと、語っている。

本当にショッキングなのは、ブレアがこれほどまでの嘘をつきながら、反対をささやく声すらなしに、嵐のような賞賛と賛同を浴びたことである。

ブレアは、さらに続けて、イラクの人々を「長年にわたる独裁の苦しみに呻く状態」から解放する必要を述べた。しかしながら、イラクの人々は、何よりも、クリントン、ブレア、ブッシュが大量の死に対して何もしようとしないどころか、米英主導の経済制裁を長年続けてきたことにより、苦しみに呻いてきた。さらに言えば、ほかの独裁のもとで苦しみに呻く、世界中の人々についてはどうなったのだろう。サダム・フセインと同様、米国と英国により支援され、武器を提供された独裁者のもとで苦しんでいる人々については。米国が武器の80%を提供しているトルコ政府による攻撃で、5万人が死亡し、300万人が難民となり、洞窟に暮らさなくてはならない人々まで生みだされた、クルド人の苦しみはどうするのだろう。コロンビアの人々の苦しみは?ロシアの冷酷な攻撃により苦しみに呻くチェチェンの人々は?

チェチェンの悲劇については、2000年、ブレアは、次のように述べている。

「さて、ロシア軍は自らの理由があって行動を取っている。チェチェンで起きたテロリズムのためである。我々は、ロシアに自制を求めているが、これは進行中の戦闘であり、ロシア内部での内戦だ」(ガーディアン紙、2000年3月15日)

ブレアは、我々に、イラクにおける民間人犠牲者を最小に抑えるためにあらゆる手だてを尽くすと述べた。一方、米国海軍第5艦隊の副大将は、「鉄槌の時間だ」と宣言しており、また、ドナルド・ラムズフェルドは、襲撃の獰猛さは、戦闘の歴史の中で初めてのものとなるだろうと述べている。

ブレアが3月18日に行った演説は、驚くべき嘘に満ちていた。それにもかかわらず、ミラー紙によれば、「英国の歴史の中で決定的なこの場面で、・・・議会の絆を回復する手助けをした」というのである。インディペンデント紙も、同様のシニシズムをもって、次のようにまで言っている。「彼の確固たる誠意は印象的であり、信念のない移り気な政治家であるという彼の評判を追放した」。

これらの新聞の編集者たちは、ブレアの躁状態の強烈さと感動的誠意の見せかけに騙されたのかも知れないと、我々は思う。けれども、真実を、このように操作するためには、意識的な選択と省略が必要である。そして、誠実さがあれば、そんなことはできないはずである。未来の世代が、現在を振り返って、この道徳的破滅と知的崩壊を、暗くあざ笑うことは、確実である。


「メディア・レンズ」は、理性と共感、そして他者の尊重を促すことを目標としています。記者たちに手紙を出すときには、丁寧で、攻撃的でない、罵倒的でないトーンで書くことを強くお奨めします。

関連する英国のメディアの連絡先は、以下の通りです。
Richard Sambrook, BBC director of news.
Email: richard.sambrook@bbc.co.uk

Jonathan Munro, head of ITN newsgathering.
Email: jonathan.munro@itn.co.uk

Alan Rusbridger, Guardian editor
Email: alan.rusbridger@guardian.co.uk

Roger Alton, Observer editor
Email: roger.alton@observer.co.uk

Simon Kelner, Independent editor
Email: s.kelner@independent.co.uk



米英によるイラク侵攻が始まり、したり顔の「状況報告」がメディアを賑わすようになってきました(愛媛新聞3月21日付社説「イラク攻撃開始:やはりこれは間違った戦争だ」のように優れた記事もありますが)。そうした中、私は「来るべき嘘とプロパガンダに備えるために」を書き、公開しました。今、これだけ誰の目にも、イラク侵攻の不法性が明らかである状況は、イラク侵攻という犯罪的・非人間的な出来事と同時に、それを報じるメディアというもののあり方をも問うチャンスであると思います。「ピンポイント」といった言葉や戦略状況報告に惑わされず、犠牲となる人々や恐怖を抱いて日々を暮らす人々に思いを馳せ、出来ることをしながら、それと同時に・・・。英国発のメディアをめぐる報告がありましたので、ご紹介致します。ブレアの演説の一部を訳していて、心が、怒りに、冷え込みました。この偽善。この犯罪。そして、この、言語の崩壊。

これからも、こうした倒錯した発言は、政治家やメディア、そして一部の「NGO」などから流れてくることと思います。今、これだけの人々が事態を憂慮している中、メディアへの働きかけを怠らず、良い記事は奨励し、悪い記事には批判をし、場合によっては新聞購読を止めるなどすれば(そのときにはその旨を本社の担当に告げましょう)、確実に、メディアは動きます。FAXや手紙の一通、メールの一本、誰でも出来ることが、確実に力になります。簡単な連絡先一覧は、ここ(チャンスさんのページ)にあります。丁寧に、一つ一つ、積み重ねていきましょう。未来は、絶対にもう少しマシなものであり得るはずです。

なお、英国は日本同様、米国の属国っぽいので、便宜的に、場所別の米国に入れておきます。

益岡賢 2003年3月22日

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