メディア操作:世論操作のめざましい成功

ノーム・チョムスキー
オープン・マガジン・パンフレット・シリーズ 1991年


朝日新聞は2002年1月30日、米国のブッシュが29日に行った一般教書演説を、 特に批判的コメントもないまま報道している:
「世界で最も破壊的な兵器を持つ最も危険な体制が我々を脅かし続けることを許容し ない」として、核兵器または生物・化学兵器の開発の疑惑を持たれている朝鮮民主主 義人民共和国(北朝鮮)、イラク、イランの3カ国を挙げ、そうした「悪の枢軸」も 対テロ戦争の対象として視野に入っていることを示した。
また、NHKのニュース速報は1月31日、暗殺テロ集団CIAが発表した報告書を 引用し、北朝鮮やイラク、イランなど九カ国(多分、「アメリカ」はそこに含まれて いない)が大量破壊兵器の開発を進めていたとその内容を紹介している。文字通り世 界で最も破壊的な兵器を持ち、これまで他国を大きく引き離して一般市民への爆撃や 暗殺を含む武力行使を繰り返し、拷問や誘拐、虐殺、強姦を続ける多くの抑圧的体制 を支援してきたという意味で、人間性に対して最も危険な体制であることが歴史的記 録としてほとんど明らかである米国のボスが発したこうした言葉を、あたかも文字通 り<意味>があるものであるかのように報道しているのは、異様である。 他のアジア諸国を侵略し大規模な破壊と殺戮を行った日本自身もまた、世界で最も 危険な体制と言われてもしょうがないような振舞いを続けている。

「テロリズム」という言 葉も、何ら吟味されることなく、ブッシュやコイズミがテロリズムと呼ぶものがテロ リズムであるというトートロジーがまかり通っている。

とはいえ、別にこのことは新しい発見ではない。こうした報道機関は、1999年、 インドネシア軍とその手先の民兵による東チモール人虐殺を、インドネシア政府や 日本政府の大本営発表そのままに、「独立派と併合派の衝突」と呼び、東チモール 解放運動を「テロリスト」と呼び、インドネシアの不法占領からの東チモール解放を、 「インドネシアからの(分離)独立」などと述べてひらきなおっていたのである。 1998年頃、イギリスの国防大臣ジョージ・ロバートソンは、拷問や誘拐、殺害 に手を染め醜悪なインドネシア軍の中でも最悪の人権記録を持つスハルトの甥プラボウォ 将軍を「啓蒙開化した人」と褒め称えていた。はるか遡る1920年代、「文明人」を 自称するチャーチルは野蛮人たるクルド人への毒ガス使用を賞賛していた。

日本の状況を巡る事態に関しても、 あからさまなトートロジーや無意味な言葉、一定の視点を刷り込む美辞麗句は 蔓延している。「周辺事態法」の「周辺」は周辺でなくても「周辺」だというし(まるで 「6人でもろくでなし」といったレベルだ)、大量解雇は「リストラ」と呼ばれ、 良いこと(しかし誰に取って?)のように描かれ、言論の自由を制限する法律が「個 人情報保護法」と呼ばれる。「皇室」報道は宮内庁用語をそのまま使っている。

もともと脆弱だった言葉とコミュニケーションは、マスメディアの世界では全面的に 崩壊した。我々は、この事態に、いくつかの異なるレベルで向き合わなくてはならない。

まず、安手の現代思想に見られる言語への態度(そのほとんどは政治的には現状 維持に帰着するだろう)とは反対に、言葉のまっとうな意味を取り戻すこと。一 つ一つの言葉には、いわば辞書的に定義できる意味があり、事実や対象を安定的 に指し示すことができると「理論的に」言いたいわけではない。そうではなく、 これは、未来の社会を構築するためのコミュニケーション手段としての言葉に賭 けることに関連するだろう。第二に、歴史の中での具体的なマスメディアの役割 を分析し理解すること。第三に、メディアの布置と存立構造の社会との関連を理 解すること。

ここで紹介するチョムスキーの文章は、米国におけるメディアの役割をごく簡単に 整理したものである。古いものだが、第二の点についての一つの手がかりにはなろ うと思うし、歴史を書き換えようと言う現在の日本の動向と関連してもそれなりに 意味はあろう。いずれにせよ10年ほど前に日本語にしておいたものなので、ここに 紹介する。


もくじ

世論操作の歴史:初期
傍観民主主義
PR
意見操作の工学
現実としての表象
反体制文化
敵の行進
選択的知覚
湾岸戦争



はじめに

これからお話しするテーマは、事前にアナウンスしたテーマ「情報操作と湾岸戦争」よりも 少し広いものです。情報操作と湾岸戦争の問題にも言及しますが、それ以上に、「情報操作と 湾岸戦争」という特定の問題を見るために、少し広い文脈を検討することにしたいのです。 その文脈は、私たちがどのような世界、どのような社会に住みたいか、そして、民主主義 というときにどんなタイプの民主主義を求めているのか、という問題と関係しています。

この問題について議論を進めるために、まず、二種類の異なる民主主義の概念を比較しましょう。 第一の考え方は、民主的社会とは、一般の人々が、自分たちに関連する事柄を処理するにあ たって、意味のあるやりかたで、処理に参加する手段を持ち、また、情報伝達が自由で 開かれた社会であるとするものです。辞書で民主主義という言葉を調べると、このような 定義が載っているでしょう。

第二の考え方は、一般の人々は問題の処理から除外され、また、情報は狭い範囲で厳格に 統制されなくてはならなというものです。この考えは、民主主義の概念としては奇妙に 聞こえるかも知れませんが、大切なのは、実はこの考えこそが、民主主義に対する支配的な 考えであるという点を理解することです。

実際、長い間、民主主義の運用面だけでなく、理論としても、この考えが支配的だったのです。 民主主義の歴史は、17世紀イギリスにおける最初の近代民主主義革命までさかのぼりますが、 その革命当時、すでにこの見解が表明されていました。以下では、現代に話をしぼって、 民主主義に対するこの概念がどのように発達したか、そして、メディアと情報操作をめぐる 問題が、そのような文脈の中に、なぜ、また、いかにして、入ってきたのかについて少し お話しします。


世論操作の歴史:初期

最初の現代的な世論操作から話を始めることにします。米国では、ウッドロー・ ウィルソン政権の時代にさかのぼります。ウィルソンは、1916年、「勝利なき平和」 を唱えて大統領となりました。第一次世界大戦のさなかでした。当時、米国民は極端な 平和主義者で、ヨーロッパの戦争に参加する理由を何一つ認めていませんでした。一方、 ウィルソン政権は戦争に荷担していたので、国内のこの平和主義を何とかしなくては ならなかたのです。そこで政府は、クリール委員会という政府の世論操作委員会を 設置しました。この委員会は、設置後6ヶ月のうちに、平和主義の国民を、ドイツのもの は全て破壊し、ドイツ人を八つ裂きにし、戦争に出かけて世界を救済しようと望む ヒステリックな戦争屋に変えることに成功しました。

この大成功は、さらなる成功を生み出すことになりました。その当時も、そして第一次 世界大戦後も、同じ技術が、いわゆる「赤の脅威」ヒステリーを煽りたてるために使われ たのです。政府は、赤の脅威を言いたてることにより、労働組合の破壊に成功し、 また、報道の自由と政治思想の自由という危険な問題を取り除くことに成功しました。 メディアとビジネス界は、この方策を強く支持し、実際このような情報操作体制を作り上げ 実行しました。これは大成功でした。

この政策に積極的かつ熱狂的に参加した人々の中には、ジョン・デューイ派の人々が いました。彼ら彼女らの著作からうかがえるように、彼ら彼女らは、「コミュニティー の中のより知的な成員」と自分たちが呼ぶ人々、すなわち自分たち自身が、気乗りしない 大衆を恐怖に陥れることにより、大衆から狂信的な主戦論を引き出すことに成功した ことを、誇りに思っています。この目的で利用された手段は多岐にわたりました。たとえば、 フン族による虐殺の捏造、手足をもぎ取られたベルギーの幼児、その他、今でも 歴史の本で読むことのできる恐ろしいできごとが動員されたのです。これらはイギリス の宣伝省が作ったもので、当時の秘密文書によると、その目的は「全世界の思想統制」 にありました。これはうまくいきました。非常に成功しました。そしてこの経験から 次のような教訓が生まれたのです:国家による世論操作は、知識階級による支持を得、 また、逸脱がないならば、大きな効果を生み出す。実は、この教訓は、ヒトラーを はじめとする多くの人々が学び取ったもので、現在でも活用されています。


傍観民主主義

リベラルな民主主義の理論家とメディアの権威筋も、これらの成功に強く感動しました。 後者の中には、たとえば、米国ジャーナリスト界の長老で、国内・国際政治の評論家で あり、自由民主主義の理論かでもある、ウォルター・リップマンがいました。彼の エッセイ集には、「自由民主主義思想の進歩的理論」といった副題がついていたりします。 リップマンは世論操作のための委員会の一員で、その成功を認識していました。 彼は、自ら「民主主義技術の革命」と呼んだものが、同意の製造のために利用できる と主張しました。すなわち、新しい世論操作技術によって、人々が望んでいないことに ついても同意を製造することができるというのです。彼は、これをよい考えであると 同時に必要でもあると思っていました。同意の製造が必要なのは、リップマンによると、 「一般の人々は共通の利益というものを全く理解しない」ので、ものごとを処理できる スマートな責任ある特別な階級の人々がそれを理解して管理しなくてはならないため です。この理論によると、少数のエリート−−デューイが言うところの知識階級−− は、私たち全てが共有する共通の利益を理解することができるけれど、「一般大衆」には それらは理解できないというわけです。

この考えの起源は何百年も前にさかのぼります。これはまた、典型的なレーニン主義の 見解でもあるのです。実際、この考えは、レーニンの次のような考えとそっくりです。 レーニンは、革命的知識階級の前衛は、人民革命により国家権力を握り、次に、間抜けな 大衆を、大衆には理解できない将来に向かって導いていくというものです。自由民主主義 とマルクス・レーニン主義とは、イデオロギー的仮定において非常によく似ているのです。 一方から他方へ、また逆へと、ほとんど変化なしに身を転ずることができる人々がいるの はこのためもあると思います。というのも、両者の相違は、権力がどこにあるかということ だけだからです。一方では、おそらく人民革命が起こって我々が国家権力を握るかも知れません。 あるいは起こらないかも知れません。人民革命が起こらないなら、実際に権力を握っている ビジネス界と協力すればよいのです。けれども、やることは一緒で、馬鹿な大衆を、 彼ら彼女らにはとても理解できない世界へと導くことだというわけです。

リップマンは、これを、進歩的民主主義の詳細な理論により裏付けました。彼は、 うまく機能している民主社会には、市民の中に複数の階級があるといいます。 第一に、一般的な事柄の運営に関わる市民階級があります。これは特別な階級です。 この階級の人々は、政治や経済、思想の世界を分析し、実行し、決定を下し、運用する 人々です。こうした人々は人口のごく一部です。ですから、自然のなりゆきとして、 これらについて考える人々は小さな特権集団の一部となることになり、「他の人々」 をどう扱うかについて話をすることになります。リップマンは、この小集団の外にいる他の人々、 すなわち大部分の人々のことを、「戸惑える群」と呼びました。我々は、我々自身を、 この戸惑える群の馬鹿な振舞いや怒りから守らなくてはいけないことになります。

かくして、民主主義には異なる役割を果たす二つのグループがあることになります。 特別な階級すなわち責任ある人々は、特別な役割を果たします。共通の利害について 考え、計画し、理解することです。もう一方には戸惑える群がいて、民主主義における もう一つの役割を果たしています。リップマンは、民主主義における大衆の機能を、 見物人(傍観者)と述べています。けれども、民主主義であるからには、こうした 人々にも、それ以上の役割があるのです。つまり、時々、これらの人々は、 特別な階級の幾人かの中から誰を好むかについて意見を表明することを許されるのです。 言いかえると、大衆は、時折、「私たちはあなたに指導者になって欲しい」と言ったり、 「あなたに指導者になって欲しい」と言ったりすることを許されます。というのも、 全体主義社会ではなくて民主主義社会だからです。けれども、いったん特別な階級の 中で誰が好ましいかについて意見を言った後は、大衆は後ろに退いて傍観することに なっています。これが、うまく機能している民主主義というものです。

この背後には、一つの論理があります。さらに、有無を言わせない道徳的な原理 さえあるのです。その道徳的原理とは、大衆は馬鹿すぎて、物事を理解できない というものです。大衆が自分たちの問題を処理しようとしても、馬鹿だから問題を 引き起こすだけなので、大衆に物事を行わせるのは不道徳で不適切であるというのです。 我々は戸惑える群を飼い慣らし、彼ら彼女らが物事をめちゃくちゃにしないよう注意 しなくてはなりません。これは、三歳児に道を横断させるのが適切でないというのと 同じ理屈です。三歳児は道を横断するという自由を適切に処理できないので、そんな 自由を与えてはいけない。それと同様に、戸惑える群はトラブルを起こすだけだから、 行動に参加させてはいけないのです。

ですから、この戸惑える群を飼い慣らすための手段が必要になります。この手段というのが、 民主主義技術の革命たる、「同意の製造」です。メディアと学校、大衆文化を分ける 必要があります。そして、政治階級と意志決定者は、許容できる範囲の現実性を 持たねばなりません。同時に、適切な政治的信念も。ここには暗黙の前提があります。 この暗黙の前提−−これは責任ある人々ですら自らをごまかさなくてはならないもの ですが−−は、こうした人々がどのようにして意志決定を行う地位にありつくかという 点に関係しています。その方法とは、むろん、真の権力を持つものに仕えることです。 真の権力を持つ人々は社会を所有する人々であり、この集団に属する人々は、狭い 範囲に限られています。

特別な階級の人が、真の権力者に、「あなたの利益にお仕えします」といえば、彼ら彼女らは 特権階級の一員になれます。このことを公言してはなりません。これは、特別な階級 の人々は、私的権力の利益に奉仕するような信念と信条とを持たなくてはならない ことを意味します。この技術をマスターしない限り、特権階級の一部にはなれません。 それゆえ、私たちは、責任ある人々・特別な階級に対する教育制度を持っているわけです。 これらの人々は、私的権力及びそれを代表する国家=企業同盟の価値観と利害を守るべく 教化されなくてはなりません。戸惑える群の関心はどこかにそらす必要があります。 人々をトラブルの外においておき、この群が、時折、真の指導者のうち誰かを選ぶ だけの傍観者であり続けることを保証する必要があるのです。

こうした考えを展開した人は他にもたくさんいます。たとえば、現代における指導的神学者 であり外交政策評論家でもあり、「体制の神学者」とも呼ばれ、また、ジョージ・ケナン やケネディの取り巻き知識人をはじめとする人々の精神的指導者であるラインホルド・ ニーバーは、「理性はとても少数の人々に限定された技能である」と述べています。 ほんの少数の人々にしか理性はなく、ほとんどの人は感情に支配されているので、 理性を持った我々は、単純な馬鹿が道を踏み外さないようにするために、必要な 幻想と感情に訴える簡単なことを創り出さなくてはなりません。これは、現代の政治学 の大きな課題となりました。

1920年代から1930年代にかけて、コミュニケーションに関する現代的 研究分野の創始者で指導的政治学者でもあったハロルド・ラスウェルは、自分たち の利害に関する最高の審判は自分たちであるという「民主主義のドグマ」に屈してはならないと 述べています。本当はそうではなく、大衆の利害に対する最高の審判は「我々」 なのです。ですから、通常の道徳に従って、我々は、彼ら彼女らが自分たちの 誤った判断にもとづいて行動するのを阻止しなくてはなりません。全体主義国家 と現在言われている国々、当時の軍事国家では、これは簡単でした。頭の上で棍棒を 握っていて、道を踏み外したら頭を殴りつければよかったのです。ところが、社会が 自由で民主的になると、この手法は使えません。それだから、世論操作技術に頼る 必要があるのです。論理関係は明白です:民主主義における世論操作は全体主義 における棍棒に相当する。賢明なことです。戸惑える群んは、共通の利益を理解 することはできないのですから。


PR

PR業界を開拓したのは米国です。業界の指導者によると、この業界の使命は、 「大衆の心を操作する」ことでした。開拓者たちは、クリール委員会、「赤の 脅威」の成功などから多くのことを学びました。当時、PR業界は大規模な成長を果たし、 1920年代に、一般大衆のビジネスに対する全面的服従をしばらく の間つくりだすことに成功したのです。この成功はあまりにすさまじかったので、1930年代 になる頃、議会の委員会がその調査を始めたほどです。今私たちは、この委員会から PR業界に関する多くの情報を得ることができます。

PRは巨大な業界で、現在、一年に10億ドル単位の活動を行っています。 業界は常に、大衆の心を操作することを使命としてきました。1930年代には、 第一次世界大戦時と同様、困難な問題が起きました。大恐慌とその後の労働者の 組織化です。実際、1935年のワンガー法で、労働者は、最初の大規模な 立法上の勝利を手にしました。そこで、二つの深刻な問題が起きたのです。 第一は、民主主義の機能が狂ったことです。大衆は、孤立し、原子化され、 隔離されていなくてはならないはずでした。大衆が自らを組織化するのは 予定外のことです。というのも、組織を作ると、傍観者であることを止める かもしれないからです。限られた資源しか持たなくても、たくさんの人が集まる ことにより、政治の世界に参入しようとする参加者になるかも知れない。これは 真の脅威だったのです。

ワンガー法を労働者の法的勝利の最後のものとし、大衆の組織化により引き起こされた 民主主義からの逸脱の最後のものとするために、ビジネス界は大規模な対応策に出ました。 その対策は成功し、実質的に、ワンガー法が、労働者の最後の法的勝利となってしま ったのです。それ以後、第二次世界大戦中に労働組合員数は増えましたが(その後は低下し 始めました)、組合を通した行動力は弱まりました。これは偶然ではありません。 ビジネス界は、 PR業界や製造業者連盟、ビジネス会議といった組織を通して、この問題をいかに 処理するかの対策のために莫大な金と労力をつぎ込み、知恵を絞ったのです。 これらの人々は、即座に、この民主主義からの逸脱に終止符を打つべく、行動に 出たのでした。

最初の試練は、ワンガー法の一年後、1936年にきました。この年、西ペンシルバニア のジョンズタウン、モホークバレーで、ベツレヘム鉄鋼ストライキという大規模なストライキ がありました。ビジネス界は、このとき、新たな労働者破壊の技術を試し、成功したのです。 このとき使われたのは、スト破りや暴力といったものではありませんでした。こうした 方法は既にうまくいかなくなっていたので、今度は、もっt洗練された プロパガンダが使われました。基本的アイディアは、大衆をスト実行者に反対させるため、 スト実行者を公共の害であり共通の利益に反するものと描き出すことにありました。 共通の利益とは、「我々」ビジネスマン、労働者、主婦などの利益だというのです。 これらの人々は皆、「我々」であり、我々はみんな一緒に調和とアメリカニズムの もとでやっていきたいのだけれど、悪しきスト実行者があそこでそれを妨害し、 問題を引き起こし、調和を乱し、アメリカニズムを侵している。我々はみんなが 一緒に住むために、ああした輩を阻止しなくてはならない。企業の社長から床掃除人 まで、皆、同じ利害を共有している。我々は皆、アメリカニズムのために、一緒に 協調して働くことができる。

これが基本的なメッセージでした。このメッセージを流布させるために膨大な努力 が払われました。結局のところ、米国はビジネス社会なので、ビジネス界がメディアを操作 しており、また、膨大な資源を手にしています。そして、この方法は非常にうまく機能した のです。実際、この方法は、後に「モホークバレーの公式」とまで呼ばれ、その後 繰り返しスト破りのために使われました。こうした方法は、「スト破りのための科学的 方法」と呼ばれ、コミュニティーの意見を、「アメリカニズム」といった空っぽの 気の抜けた概念のもとに集約していくのに非常に効果的でした。結局のところ、 誰がアメリカニズムに反対できるでしょう?調和?いったい誰が調和に反対するというの でしょうか? 現在使われている「軍隊を支持しよう」というスローガンにも、誰が反対できるでしょう。 黄色いリボンは?誰がそれに反対するでしょう?内容の無いことに対して、反対も賛成も できはしません。例えば、誰かが、「アイオワの人を支持しますか?」と訊ねたとして、 それが何を意味するのでしょう?こんな質問にイエスとかノーとか言えるでしょうか? そもそもこれは質問ですらありません。元々意味がないのですから。そしてポイントは まさにここにあるのです。「軍隊を支持しよう」といったスローガンのポイントは、それが何の 意味も持っていないという点にあるのです。アイオワの人を支持しますか?というのと同様 です。

むろん、本当の問題はきちんと存在します。本当の問題は、「我々の政策を支持するか?」 というものです。けれども、人々が本当の問題について考えるのは不都合です。 良き世論操作のポイントはここにあります。何も意味を持たず、それゆえ、誰も何を意味する のかわからず、そしてそれゆえ、誰も反対しないような、または誰もが賛成するような スローガンを創り出すこと。こうしたスローガンの本当の価値は、何か意味のある問題から 人々の注意を逸らすことです。「我々の政策を支持するか?」。これは話をすることすら 許されない問題だというわけです。それゆえ、人々には、軍隊を支持するかどうか議論さ せておこうというわけです。そうして勝利を手にするのです。これは、アメリカニズム や調和と同じです。我々は、空虚なスローガンのもとでみんな一緒だ、だから一緒に なろう、この我々の調和を、階級闘争とか権利といった訳の分からないことで乱す 奴らを消し去ろう、というわけです。

これは本当に効果的でした。そして、この方法は今に至るまで使われているのです。 また、慎重に検討が続けられてもいます。PR業界の人々は、楽しむために その業界にいるわけではありません。彼ら彼女らは仕事をしているのです。正しい価値 を広めて浸透させるために。これらの人々は、民主主義がどのようんものでなくてはならないか について考えを持っています。民主主義とは、特別な階級が、社会を所有する主人に 仕えるよう訓練されている社会でなくてはならないのです。そして、他の人々は、 どんなかたちの組織からも除外されていなくてはなりません。組織は面倒を引き起こす だけですから。大衆はテレビの前に一人で座って、「人生唯一の価値はもっとモノを 所有することであり、今見ている番組の中の裕福な中流のような生活をして、 調和とかアメリカニズムとかいった素敵な価値観を持つことである」というメッセージを 脳に仕込まれるのです。人生にあるのはそれだけで、時によっては自分自身の頭を 使って、それ以外にも人生の価値があるのではないかと考えるかも知れませんが、 一人でブラウン管を見ている限り、そうした人は「私は気が変なのだろうか」と 思うだけです。そして、決定的に重要なのは、どんな組織も許されないため、 自分が変なのかどうか知る方法がなく、それゆえ、自分が変なのではないかと 考えてしまいがちなことです。というのも、それが自然な仮定ですから。

これが民主主義の理想です。この理想を達成するために、莫大な努力をしてきたのです。 この背後に、一定の考えが存在することは明らかです。既に述べた、民主主義の概念が その一つです。問題は、戸惑える群で、その群が悪質なことをするのを阻止しなくては なりません。戸惑える群の注意をそらさなくてはなりません。群の人々は、スーパー ボウルとかどたばた劇、暴力映画を見ていなくてはなりません。そして、ときどき、 その群を呼び集めて、「軍隊を支持しよう」といった無意味なスローガンを 口にさせるのです。群はまた、おびえていなくてはなりません。というのは、彼ら 彼女らが、内外のどこかしらから自分たちを破壊しに来るあらゆる種類の悪魔に 恐れおののいていないと、自分で考え始めるかもしれないからです。そして、群 が自ら考え始めるのは非常に危険なのです。というのも、戸惑える群には考える 能力がないからです。ですから、群の注意をそらし、遠くへ追いやっておく必要が あります。

これが民主主義についての一つの考え方です。ビジネス界に話を戻すと、 労働者の最後の法的勝利は1935年のワンガー法でした。戦後、労働組合は、 組合と関係していた豊かな労働者階級の文化とともに衰えました。労働者の文化は 破壊され、ビジネス社会が驚嘆すべきレベルにまで押し進められることになったのです。 米国は、他の資本主義社会に見られるような正常な社会契約を持っていない唯一 の国家資本主義社会です。また、おそらく、南アフリカを別にして、国民健康サービス のない唯一の社会です。そして、規則に従えず自分でものを稼げない人が生存する ための最低限の保障すら存在しません。組合は実質上存在せず、それ以外の 大衆組織も存在しません。政党も、組織もないのです。

少なくとも、米国は、構造的には理想とはほど遠い状態にあります。メディアは 独占企業ですし、どれも同じ見解を持っています。二大政党は、ビジネス党の 下部組織にすぎません。投票が無意味なので、大部分の人は、投票に行くこと すらしないのです。人々は周辺化され、注意をそがれます。少なくとも、 それが理想的なのです。PR業界の指導者であるエドワード・バーネイズは、 クリール委員会の出身です。彼はその一部として、そこで学び、そして「同意操作 の工学」というものを発展させました。彼自身によるとこれは、「民主主義の神髄」 だということです。同意を操作できるのは、資源と権力を所有するビジネス界であり、 そして、特別な階級はビジネス界に奉仕しているのです。


意見操作の工学

外国に対する干渉を支持するよう国民をたきつけることも必要です。通常、人々は、 第一次世界大戦中と同じように、平和を好み、対外干渉や殺人、拷問などに関与し なくてはならない理由を認めないものです。ですから、人々をたきつける必要があ ります。そのためには、国民を怖がらせなくてはなりません。バーネイズ自身、こ れに関して重要な成功を収めました。彼は、1954年にユナイテッド・フルーツ 社のためにPRキャンペーンを行った人ですが、このキャンペーンの結果、米国は、 グアテマラの資本主義的民主主義政府を転覆し、血にまみれた殺人部隊が支配する 社会をグアテマラに作り上げたのです。このテロリスト社会は、米国の継続的援助の おかげで、民主主義への逸脱を抑え続けてきました。

国民はまた、自分たちにとって有害な政策を支持する理由も持っていませんから、 人々の反対に遭うような国内政策を施行するためにも、徹底的なプロパガンダが必要と なります。これについて私たちはこの10年間たくさんの例を目にしてきました。レーガン の政策は圧倒的に不人気でした。レーガンに投票した人の中ででさえ、5人のうち 3人が、レーガンの政策が法制化されないことを望んだのです。軍事政策、社会費用の 削減など、個別の政策を取り上げると、そのほとんど全てについて、圧倒的に多くの人々が 政策に反対しているのです。けれども、国民が周辺に追いやられ、組織化したり考えを表明 したりする方法がなく、さらに、他人が自分と同様の考えを持っているかどうか知る方法 すらない状況では、人々は、社会費用が軍事費用よりも好ましいといったおかしな考えを 持つのは自分だけではないかと考えてしまうのです。というのも、どこからもそんな話 を耳にしないわけですから。それゆえ、社会費用のほうが好ましいと考えて世論調査に 答えるような人は、自分がイカれていると思ってしまうのです。だから、一歩身を引いて、 何が起こっているかについて注意を払うかわりに、スーパーボウルのようなものに 注意を向けることになります。

従って、支配階級が望む「民主主義」の理想はある程度まで実現されています。けれども、まだ決して 完全ではありません。いまだに破壊できていない組織が残っているからです。例えば、 いまでも教会が存在します。米国における反体制活動の多くは、教会を起点とします。 理由はとても簡単で、教会があるからです。ヨーロパでは、政治的議論のためには、 よく労働組合のホールが使われます。米国ではそんなことはほとんどありません。第一に、 労働組合がほとんど存在しませんし、たとえあっても、それは政治組織ではないからです。 けれども、教会はありますから、そこが話の場になったりします。中米に対する連帯運動 は、主として教会から出現したものです。

戸惑える群が完全に飼い慣らされることは決してないので、戦いは続きます。1930年代 に戸惑える群は立ち上がり、そしてうち倒されました。1960年代には、別の反体制の 潮流が生まれました。その潮流に対して、特別な階級は「民主主義の危機」というレッテル を貼りました。1960年代に民主主義が危機に陥ったというわけです。この「危機」とい うのは、国民の多数が組織化して政治活動に参加しようとしたことでした。ここで、私たちは 民主主義の二つの概念に戻ってくることになります。辞書的定義によると、1960年代の こうした潮流は、民主主義の「進歩」です。一方、一般的な定義によると、これは「問題」 であり、この危機的状況を打開する必要があるのです。国民を、消極性・無気力・服従という 好ましい状態に戻してやる必要があります。この危機を乗り越えるために力が注がれましたが、 あまり成功していません。幸運なことに、民主主義の危機は今も続いています。政策を 変更するという点ではあまり効果があがっていませんが、多くの人々の考えとは反対に、 意見を変更するという点での効果はあがっています。

1960年代以降、この病気を克服するために多大な努力がなされました。この病気の一形態 には特別な専門用語が与えられました。「ベトナム症候群」というのです。1970年代に 用いられ始めたベトナム症候群という用語は、何度も繰り返し定義されてきました。レーガン 政権の知識人であるノーマン・ポドレッツは、これを、「軍事力の使用に対する病的な拒否反応」 と定義しました。国民の間に、暴力行使に対する病的拒否反応があったのです。人々は、 どうして、米国が、地球の裏側まで出かけていって、そこにいる人々を拷問し、殺害し、絨毯爆撃 しなくてはならないか理解できなかったのです。ゲッペルスが知っていたように、この病的拒否反応 が広まるのは非常に危険でした。なぜなら、それにより対外干渉が制限されることになるからです。 それゆえ、ワシントンポスト紙が誇らしげに述べたように、「軍事的美徳に対する尊敬の念を 人々に教え込む」必要がありました。これは重要な点でした。国内エリートの目的を達成するため に、世界中で暴力を行使するような暴力的社会を実現したいならば、国民が軍事的美徳を理解し、 暴力行使に対する病的拒否反応をおこさないことが必要なのです。克服しなくてはならないと 言われてきたベトナム症候群とはこのようなものでした。


現実としての表象

歴史を完全に書き換えることも必要となります。我々が誰かを攻撃し破壊していたときに、 本当は巨大な攻撃者や怪物や何やかやから自分たちを守っていたのだと見せかけることは、 病的な拒否を克服するためのもう一つの方法です。これについて、ベトナム戦争以降、 歴史を再構築するために「巨大な」努力が投入されました。あまりに多くの人々が、何が本当に 起こっているかについて知りすぎたのです。その中には、たくさんの兵士と、平和運動に 参加した若者たちと、そのほかの人々がいました。これは都合が悪かったので、こうした悪い考えを 正し、正気を取り戻させる必要がありました。すなわち、我々が何をしようと、我々がすること は正義であり高貴であるという考えを取り戻させる必要があったのです。我々が南 ベトナムを爆撃していのは、南ベトナムを誰かの攻撃から守っているからであるという わけです。その誰かとは南ベトナムの人々のことでした。 というのは、南ベトナムには、他に誰もいなかったのですから。 ケネディが「南ベトナムの内部攻撃に対する防衛」と呼んでいたのはこのことです。 この言葉はアドライ・スティーブンソンが用いたもので、とてもうまくいきました。 こうした手段は、メディアと教育制度を完全に支配しており、学者がイエスマンである ならば、うまく機能するのです。

マサチュセッツ大学で、湾岸危機に対する態度が調査されたとき、この方略がもたらした 結果の一面が明らかに示されました。質問の一つは、「ベトナム戦争のとき、何人の犠牲者 が出たと思いますか」というものでした。米国人の平均的な回答は10万人というものでした。 公式に認められている犠牲者数は200万人で、実際には300から400万人の犠牲者が 出たと言われています。この研究を行ったグループは、結果に対してもっともな疑問を呈して います。すなわち、もし、ナチスによる大虐殺で殺された人数を聞かれてドイツ人が30万人 と答えたとすると、私たちは、ドイツの政治風土に対してどのような考えを抱くだろう?とい う疑問です。調査を行ったグループは、これに対する答えを与えていませんが、この事実は 多くのことを物語っています。病的な拒否反応をはじめとする「民主的逸脱」を克服する必要 があり、ベトナムの歴史に関しては、成功したのです。そして、歴史の書き換えは、一般的に うまくいっています。中東、国際テロリズム、中米など、どのような話題を取り上げても、 米国民に提示される世界は、事実とは似ても似つかぬものです。事実は、嘘の大規模な反復 により、葬られてしまいます。「民主主義の危機」を封じ込めるという観点からは、 これは大成功で、また、自由な社会の中でこれが達成されたというのはとても興味深いことです。 米国は、こうしたことを力によって行うような全体主義国家ではありません。米国社会を 理解するためには、こうした事実を考慮する必要があります。これは、重要な事実です。 特に、どのような社会で暮らすのかに関心を持つ人にとっては重要なことです。


反体制文化

こうしたことすべてにも関わらず、反体制文化は生き延び、1960年代以来成長して きました。1960年代の反体制文化の成長は非常に遅いものでした。米国が南ベトナムを爆撃 し始めて数年たつまで、インドシナ侵略に対する抗議は起こりませんでした。抗議運動が育ち始めた ときにも、学生と若者中心の限られた反体制運動にとどまっていました。1970年代になって、 そうした傾向は大きく変化し、色々な大衆運動が発達しました。環境保護運動やフェミニスト 運動、反核運動などをはじめとする色々なものです。1980年代には連帯運動に拡大しました。 連帯運動は、米国そして多分世界の反体制運動においても新しい重要な運動です。ここから 人々は多くのことを学び、米国主流に文明化の波をもたらしました。これら全てが大きな変化を もたらしました。こうした活動に数年間参加してきた人は、誰もがそのことに気づいています。 私自身、中部ジョージアや東ケンタッキーといった最も反動的な地域で現在行っているような講演 は、平和運動の最盛期に、最も活発な平和運動家に対してすら、行うことが難しかったような内容 のものなのです。現在では、どこででも、そのような講演を行うことができます。人々は、 同意するかも知れませんし、同意しないかも知れません。けれども、少なくとも何を話しているか 理解はしますし、ある程度の共通理解は存在するのです。

あらゆる世論操作、あらゆる思考統制と同意の製造にもかかわらず、こうした状況が存在することは、 文明化の印です。人々は、自分自身でものを考える意志と能力を持ち始めているのです。権力に対する 懐疑精神が育まれ、多くの事柄に対する態度が変わってきました。この変化の速度は遅く、止まること もありますが、それでも、変化があることは見て取ることができますし、それは重要なのです。 世界のできごとに意味のある変化をもたらすことができるほど、こうした運動が早く育つかどうかは また別の問題です。性差別というお馴染みの例を挙げましょう。1960年には、「戦争の美徳」や 軍事力行使に対する病的拒否反応を巡って、男女間での態度の差はあまりありませんでした。 1960年代初頭には、男女を問わず、病的拒否を患っている人々はいなかったのです。反応は 同じで、誰もが、他の場所にいる人々を抑圧するために暴力を用いることは正しいと考えていました。

何年か経って、事態は変化しました。病的拒否が全般的に広まる一方で、男女差が広がり、 現在では大きな差となっています。世論調査によると、25%程の差があります。何が起きたので しょうか。原因は、女性が参加している、多少なりとも組織された運動、フェミニスト運動の 存在にあります。組織は効果を持ちます。人は、自分が一人ではないことを知るのです。他の人も 同様の考えを持っていることを知り、自分の考えを強化し、そして考えや信念について、さらに 学ぶことができるようになります。これは、会員制組織のようなものではなく、人々の相互関係を 維持する雰囲気といったようなものです。それでも、目に付く効果があります。これは、 「民主主義の危機」です。組織が発達し、大衆がブラウン管の前に座り続けることを止めると、 人々の頭に、軍事力に対する病的拒否といったおかしな考えが育つかも知れないからです。 これを克服する必要があるわけですが、いまだに成功していません。


敵の行進

いつも何かが起きた後で対処するのではなく、あらかじめ準備しておくことは重要なので、 ここでは、前回の戦争についてではなく、次に起こるであろう戦争について話をしましょう。 米国内部に、現在、特徴的な展開が見られます。これが観察されるのは、米国が最初では ないのですが。国内で、社会的・経済的問題が起きていて、もしかすると破滅的かも知れ ないのです。このような問題について、権力を握っている人々は、誰も、何も見ようとは していません。反対派の政策も含めて、過去10年間の行政政策を見ると、保健や教育 の問題、ホームレス、失業、犯罪、犯罪者の急増、刑務所、都市内部の崩壊などの多くの 問題について、何一つまともな提案がなされていないことがわかります。これらの問題は 誰もが知っていますし、悪化する一方です。ジョージ・ブッシュ政権になってからの2年間 の間に、さらに300万人の子供が貧困基準以下の生活に陥り、国の債務は増加の一途を辿 り、教育水準は低下し、国民のほとんどの実質賃金は1950年代後半の水準に戻っていま す。それにも関わらず、誰も、何もしていないのです。

こうした環境では、特に、戸惑える群の気を紛らわせておく必要があります。というのは、 こうした状況で苦しむのは、戸惑える群だからです。もし群が自分の状況に気づいてしまうと、 その状況を好ましくないと考えるだろうからです。群の気を紛らわせておくためには、 スーパーボウルやどたばた喜劇を見せておくだけでは不十分です。敵に対する恐怖を煽りたて なくてはなりません。1930年代に、ヒトラーは、ユダヤ人とジプシーに対する恐怖感を 煽りたてました。自衛のために奴らを殺さなくてはならないというわけです。ヒトラーと 同様の方法を米国も採用しました。過去10年間、1、2年おきに、自衛の対象となるべき 怪物が造り出されてきました。以前は、いつも利用できる怪物が一つ存在していました。 ロシアです。いつでも、ロシアに対する自衛というシナリオに訴えることができました。 けれども、ロシアは今や敵としての魅了を失ってしまい、利用するのがますます難しく なってきました。それゆえ、新しい敵となる怪物を造り出さなくてはなりません。

実際、ブッシュは、我々を追い立てているのが何なのかうまく説明できていないという 非難を受けています。これは不公平です。1980年代半ば以前は、人々が寝ているときに、 「ロシアの奴らがやってくる」というレコードをかけさえすればよかったのです。 ブッシュはそのシナリオを失ったので、レーガンの世論操作で行ったように、新たな敵を 造らなくてはなりませんでした。それが、「国際テロリストと麻薬密輸業者と気の狂った アラブ人と、新たなヒトラーたるサダム・フセインが世界を征服しにやってくる」というものです。 こうした敵を次から次へと造り出して、人々を恐怖に陥れ、威嚇し、恐怖で縮こまっている ようにしなくてはなりませんでした。そうした中で、グレナダやパナマをはじめとする、 防衛力のない第三世界の、眺める手間も必要ないくらいに簡単に粉砕できる国々に対する 大勝利が訪れるわけです。実際に起こっているのはこういうことでした。これによって人々は 救われ、最後の瞬間に私たちは救われたというわけです。これが、戸惑える群の目を周囲にある 問題からそらしておく方法の一つです。

次にやってくるのは、おそらくキューバでしょう。そのために、米国は、不法な経済戦争と 大規模な国際テロを、キューバに対して継続しなくてはならないのです。ケネディがキューバ を標的に組織したマングース作戦と、その後に続いたテロ行為は、現在までに組織 された最大の国際テロです。これに比較しうるような規模のテロは、ニカラグアに対して米国 が行ったものくらいしかありません。むろん、後者をテロと呼べばの話ですが。世界法廷 は、米国のニカラグアに対する攻撃に、「侵犯」という言葉をあてています。

米国がとるこうした方法は、まず、常に、空想上の怪物を造り上げるためのイデオロギー的 攻勢があり、それから、怪物を叩きつぶす作戦が取られます。もし敵が反撃できるなら、 実際の攻撃には移りません。これはあまりに危険だからです。もし確実に敵を叩きつぶせるなら ば、敵を叩きつぶして、安堵のため息を、また一つもらすのです。

この方法は長く用いられてきました。1986年5月に、解放されたキューバの囚人、アルマンド・ バヤダレスの回想録が出ました。これはメディアにセンセーションを巻き起こしました。 彼の暴露を、メディアは、「カストロが反対派を罰して叩きつぶすために使われる拷問 刑務所の大規模なシステムについての決定的な記述である。この本からわかるように、これは、 バヤダレスが生きていたキューバという地獄で、社会統制の手段として拷問を制度化した 今世紀の大量殺戮者のもとで実行された、野獣のような刑務所と非人間的拷問と国家暴力との、 忘れがたい記述である」と述べました。

これが、ワシントンポスト紙とニューヨークタイムズ紙で繰り返された書評です。 カストロは「専制暴力者である。彼の殺戮は本書に決定的に書かれているので、西側 知識人の中で最も頭の軽い冷血漢しか、この専制君主を擁護しはしないだろう」と 述べられています。ワシントンポスト紙です。この本は、一人の手になる暴露です。 バヤダレスの暴露がすべて本当だとしましょう。ホワイトハウスの人権記念式典で、 バヤダレスは、レーガンから、カストロ専制の恐怖とサディズムに耐えた勇気を 表象されました。彼は、国連人権委員会の米国代表に選ばれ、そこで、 彼が経験した困難が遙かに小さなものに見えるような大規模な虐殺を遂行している エルサルバドルとグアテマラの政府に対して、その政策を支持するというメッセージを 送っているのです。これが、物事のあり方です。


選択的知覚

これは1986年5月のことでした。この事件は興味深いもので、「同意の製造」 について示しています。同じ月に、エルサルバドルの人権団体のうち生き延びたメンバーが (リーダーは殺されたのです)逮捕され、拷問されました。その中には、その人権団体の 役員の一人であるエルベルト・アナヤも含まれていました。これらの人々は、 エスペランサ(希望)監獄に送られました。監獄に入れられている間も、彼ら/彼女らは 人権擁護の仕事を続けたのです。これらの人々は法律家でした。監獄で、囚人たちから、 宣誓供述書をとり続けました。監獄には432名の囚人がおり、そのうち430人から 宣誓供述書を取ったのです。その供述書は、宣誓のもとに、囚人たちが受けた拷問について 書かれていました。電気ショックやそのほかの拷問です。さらに、その中には、制服姿の 北米の少佐が行った拷問もあり、この少佐についてはある程度詳しい記述がなされていたのです。 これは、例外的に明確で詳細な証言であり、拷問部屋で何が行われているかに関する詳細という 点では、おそらく類例のないものです。

160ページからなるこの囚人の宣誓証言報告書は、拷問について証言している囚人を 撮ったビデオとともに、密かに刑務所から持ち出され、マリン・カウンティ・インターフェイス・ タスクフォースがそのビデオを配布しています。全国紙はこれについて述べることを拒絶し、 テレビ局はこれについて放映することを拒否しました。マリン・カウンティの地方新聞である サンフランシスコイグザミナーは、これに関する記事を掲載しましたが、それがすべてでした。 他の誰も、これに触れなかったのです。このとき、少なからぬ数の「頭の軽い冷血漢」知識人 が、ホセ・ナポレオン・デュアルテとロナルド・レーガンを誉め讃えていたのです。アナヤには 何の褒美も与えられませんでした。彼は、人権記念日に表彰されはしませんでしたし、何かの 地位に指名されることもありませんでした。囚人交換によって彼は釈放されましたが、その後、 米国を後ろ盾とするとされる治安部隊に殺害されたのです。その後、これについての情報は ほとんどあらわれていません。もし虐殺の記録を抹殺するかわりに公表していたならば、 彼の命が救われたかどうかについて、メディアは口を閉ざしています。

以上のできごとは、うまく機能している同意の製造システムが、どのように働くのかについて、 多少の点を明らかにしています。エルサルバドルノエルベルト・アナヤの暴露と較べると、 バヤダレスの回想は、山に対したエンドウ豆にすらならないほどです。けれども、メディアには やらなくてはならない仕事があるのです。かくして、次の戦争へと突入していくことになります。 次の戦争が引き起こされるまでの間に、私たちは、こうしたことについて繰り返し聞かされることに なるでしょう。

ここで、この度の戦争について、少し述べたいと思います。前に述べたマサチュセッチュ大学の 調査から話を始めましょう。この調査で、人々は、「不法占領や深刻な人権侵害に対して米国 は武力介入すべきかどうか」という質問を受けました。およそ三人に一人の割合で、人々は 介入すべきと答えたのです。私たちは、土地の不法占領や深刻な人権侵害に対して武力で介入 すべきだというのです。この意見に米国が従うならば、私たちは、エルサルバドル、グアテマラ、 インドネシア、ダマスカス、テルアビブ、ケープタウン、トルコ、ワシントンをはじめとする たくさんの場所を爆撃しなくてはなりません。これらは、すべて、不法な土地占領と深刻な 人権侵害に関わっているのですから。

ここで説明している時間はありませんが、こうした例について知っているならば、 サダム・フセインの侵略と殺戮は、これらと何の違いもないことがわかるでしょう。サダムの 例は、最も極端なものではないのです。それにも関わらず、どうして誰もこの結論に辿り着かない のでしょうか。理由は簡単で、誰も、こうした事例について知らないからです。うまく機能している 世論操作システムの中では、誰も、こうした例を指摘されたときに、何が話されているのか 理解できないのです。もし自分で調べる労をとるならば、これらの例が「不法占領と人権侵害」 の典型であることがわかるでしょう。

一つの例を取り上げてみます。1991年2月に、レバノン政府は、イスラエルに対し、 レバノンからのイスラエルの即時無条件撤退を求める国連安保理決議425に従うことを 要求しました。この決議案が採択されたのは、1978年3月なのです。イスラエル のレバノン即時無条件撤退を求める決議は、それ以降も二つ採択されました。むろん、 イスラエルはそれに従いませんでした。というのも、米国が、占領の維持を支持している からです。その間、南レバノンは、テロ攻撃の標的となり続けています。巨大な拷問組織が 拷問を続け、また、被占領地は、レバノンの他の地域を攻撃するための基地としても使われて いるのです。レバノンが侵略されたこの13年間に、2万人の人々が殺害されましたが、その 8割は一般市民でした。病院は破壊され、さらに、テロ・略奪・強奪が続けられています。

こうしたことには何の問題もないのです。なぜなら、米国がそれを支持しているからです。 これは一つの例に過ぎません。メディアではこうした事実は全く報道されませんし、イスラエル と米国が、国連安保理決議425をはじめとする諸決議に従うべきかどうかという議論も 見られません。また、米国の3分の2の国民が支持する原則に従うならば、イスラエルに 対して武力介入を行うべきであるにも関わらず、誰も、テルアビブ爆撃を提案はしていないのです。 これらは不法占領と人権侵害のケースなのですが。これよりさらに悪いケースもあります。 インドネシアによる東チモール侵略 では、これまでに20万人の犠牲者が出ています。米国 はこの侵略を強力に支持し、そして、米国の外交支援と軍事援助のおかげで、現在もまだ続いて いるのです。こうした例は、いくらでも挙げることができます。


湾岸戦争

こうした事実から、うまく機能してる世論操作システムがどのように働くかがわかります。 人々は、米国がイラクとクウェートに対して武力を行使している理由は、不法占領と人権侵害 には武力で応じなくてはならないという原則に従っているからだと信じることができるのです。 米国の多くの人々には、もしその原則が米国に適用されたらどのようなことになるのかが わかっていないのです。世論操作の圧倒的な成功です。

別の例を見てみましょう。1990年8月以来の戦争の経緯を見るならば、重要な声が 不在であることに気がつくでしょう。第一は、イラクの侵略に対して、イラク国民の民主的な 人々から反対の声があったことです。勇気ある反対の声がかなりの規模であがっていたのです。 こうした反対派の人々は、イラク国内では生き延びることができないので、主にヨーロッパに 亡命しています。銀行家や技術者、建築家といった人々です。これらの人々は意見を 持ち、声明を発表しました。これらのイラク民主反体制派の人々によると、サダム・フセインが、 まだブッシュの親友で商売相手だった1990年2月に、反対派の人々はワシントンを訪れ、 イラクにおける議会制民主主義を支援するよう、米国に頼んだのです。米国は、そんなこと には何の関心もなかったので、それを全面的に拒否しました。公の場では、これに対する反応 は何もありませんでした。

8月以来、イラク反対派の存在を無視することが少し難しくなってきました。我々は8月に 突然サダムと対立し出したのです。それまでは、長年にわたって、サダムは我々のお気に入り でした。一方で、今ここに、イラクの民主反対派がいて、こうした人々は自分たちの見解を 持っているはずです。反対派の人々は、サダム・フセインが引きずりおろされ八つ裂きにされ るのを見て幸せになるかもしれません。サダムは、これらの人々の兄弟を殺害し、姉妹を拷問 し、彼ら/彼女らをイラクから追い出したのですから。イラク反対派の人々は、ロナルド・ レーガンとジョージ・ブッシュがサダムを歓迎していたときから、サダムと闘っていました。 こうした人々の声はどこに行ったのでしょう。

全国レベルのメディアを探して、1990年8月から91年3月までのあいだに、どれだけ イラク民主反対派に関する記事が見つかるか調べてみると、ただの一つもないことがわかります。 これは、反対派の人々が何も考えず、何も発言しなかったからではないのです。声明を出し、 提案を行い、要請・要求を出してきたのです。それらを見ると、その内容が、米国の平和運動 と区別できないことに気がつくでしょう。彼ら/彼女らは、サダムに 反対すると同時に、イラクに対する戦争にも反対しているのです。これらの人々は自分たちの 国が破壊されることを望みませんでした。反対派が望んだのは、平和的解決で、しかも、それが 達成可能であることをよく知っていたのです。イラク民主反対派について知りたければ、 ドイツやイギリスのメディアを探すとよいでしょう。それらのメディアにしても、あまり多くの スペースを割いてはいませんが、我々のメディアよりも統制の度合いが少ないので、何かを 述べてはいるのです。

訳注;この部分は、2001年末からアフガニスタンに対して米国が爆撃を開始したときと そっくりです。RAWAのような勇気ある団体は、タリ バンにも米国の爆撃にも北部同盟にも強く反対しています。
これは、世論操作のすさまじい成功です。第一に、イラク民主派の声は完全に排除されました。 第二に、誰も、それが排除されたことに気づいていないのです。これは興味深いことです。 イラク民主反対派の声を聞いておらず、それがどうしてなのか考えることもせず、 それゆえ、「反対派には反対派自身の考えがあるからメディアから排除されるのだ」という 明白な答えにも到達しないという事実に気づかずにいる私たちは、本当に深く洗脳された人々 でしょう。イラク反対派は、国際的な平和運動と意見を同じくしているので、メディアから 排除されているのです。

戦争の理由という問題について考えてみましょう。戦争に対しては、理由が付けられます。 湾岸戦争の理由は、「侵略者に褒美を与えることはできないし、侵略者に対しては、武力で 制裁しなくてはならない」というものです。これが湾岸戦争の理由で、これ以外の理由が 提出されたことは基本的にはありません。では、これは理由になるのでしょうか。 米国は、「侵略者には褒美を与えない、武力で制裁する」という原則を維持しているで しょうか。今ここで、事実を列挙することにより、読者の知性を侮辱することは避けますが、 実際のところ、識字能力を持った10代の人ならば、この原則を米国が維持していないことは、 2分で理解できるでしょう。ところが、この原則は放棄されていません。メディアやリベラル な解説者や批評家、そして議会で証言した人々などを取り上げ、彼ら/彼女らのうちの 誰かが、米国がこうした原則を保っているかどうかについて疑問を持ったかどうか見てみると よいでしょう。

米国は、自らが行ったパナマ侵略に反対して、ワシントン爆撃を主張したでしょうか。 1969年に、南アフリカによるナミビア占領の違法性が宣言されたときに、米国は、 南アフリカに対して、食料と薬品の貿易封鎖を行ったでしょうか。南アフリカと戦争を したでしょうか。ケープタウンを爆撃したでしょうか。答えはすべて否です。米国は、 20年にわたって「静かな外交」を続けました。その20年間は、とても美しいものとは 言えません。レーガンとブッシュが政権の座についていた期間だけで、南アフリカの周辺 国では、150万人もの人々が、南アフリカによって殺されているのです。南アフリカと ナミビアについては忘れましょう、なぜだか、私たちの感じやすい魂には訴えかけて こないのですから。

米国は、「静かな外交」を続け、侵略者にたくさんの褒美を与えました。侵略者である 南アフリカには、ナミビアの中心的な港が与えられ、また、治安に関してたくさんの特権 が与えられました。我々が維持してるという原則はどこに行ったのでしょうか。ここで 再び、そんな原則などどこにもないのだから、湾岸戦争の理由などどこにもないという ことを理解するのは、子供の遊びのように容易です。けれども、誰もそれを理解しません。 これが重要な点です。誰も、「戦争の理由など何もなかった」という結論を指摘する労を とろうとしません。理由は与えられませんでした。識字能力を持つ10代の若者が2分で 反駁できる程度の理由以外は、何も与えられていないのです。この事態は、全体主義文化 の専売特許です。米国が、理由もなしに、また理由がないことに気づきもせずに、戦争に突入 するような、深い全体主義の社会であるという事実は、私たちを恐怖に陥れるはずなのですが。 これは驚くべきことです。

1月半ばの爆撃が開始される直前に、ワシントンポスト紙とABCテレビの世論調査が 興味深いことを明らかにしました。人々は、「アラブ・イスラエル間の対立に関して 国連安保理が検討することと引き替えに、イラクがクエートから撤退することに同意する とするならば、それを支持しますか」と問われました。人々の約3分の2がそれに賛成し ましたし、そして、イラク民主反対派を含むほぼ全世界がこの解決策に賛成していました。 米国民も、3分の2がそれに賛成だというのです。おそらく、この案に賛成した人々は、 賛成したのが世界で自分たちだけだと考えたのでしょう。報道陣の中でそれがいい考えだと 述べた人は誰もいませんでした。米国政府の命令は、我々は「関連」すなわち外交に 反対すべきであるというものだったので、誰もが足並みをそろえ、外交的解決に反対したのです。 メディアの評論としては、それはよい考えだと述べたアレックス・コックバーンの記事を 一つだけ、ロサンゼルスタイムズ紙に見つけることができるくらいです。質問に答えた 人は、外交的解決に賛成なのは自分だけだと思ったのでしょう。

こうした人々が、実は自分一人だけではなく、イラク民主反対派を含む他の人々も それに賛成していると知っていると想定してみましょう。そして、その質問が仮定ではなく、 イラクが実はそれと全く同じ内容の提案を行ったのだと考えてみましょう。実は、そうなの です。イラクはまさにそうした提案を行いました。そして、その事実は、爆撃の10日ほど 前に、米国の高官によって公表されたのです。1月2日に、米国の高官たちは、アラブ・イスラエル 間の対立と大量殺戮兵器問題について国連の安保理で検討することと引き換えに、クエート から全面撤退するというイラク側の提案を公表したのです。実は、米国は、イラクがクエート を侵略する前から、この問題を拒否してきたのです。この提案が実際になされたものであり、 幅広い支持を得ており、平和に関心を持つまともな人ならば誰もが同意するようなものなのだ と、人々が知っていたと考えてみましょう。このことが知られていたと仮定しましょう。 そうだとすると、この外交的解決に対する支持率は、おそらく、3分の2から98%に まであがっていたのではないかと私は思います。ここに、世論調査のめざましい成功が あります。調査に答えた人のうち、今のようなことを知っていたのはほとんどいなかった のでしょう。人々は、自分が一人だけだと考え、それゆえ、米国政府は、戦争を、反対なしに 続けることができたのです。

経済制裁がうまくいくかどうかについては多くの議論がありました。CIAの長官が 出てきて、それについて議論したりしました。けれども、それよりずっと明白な質問、 「経済制裁は既に効を発したか」については、全く議論がなされませんでした。答えは イエスで、経済制裁は実際に有効だったようです。おそらく8月末の時点で既に、 そして12月後半には明らかに、経済制裁の効果がありました。経済制裁以外に、 イラクが撤退提案−これは米国の高官によっても公表され、また真剣で交渉可能なもの であると言われたものですが−を出してきた理由はないのです。ですから、本当の 質問は、「経済制裁には効果があったか」であり、解決の道はないのか、また、 一般の人々、世界中の人々とイラクの民主反対派とに受け入れられるような解決方法は あったのか、というものです。けれども、これらの質問が議論の対象となることは ありませんでした。そして、こうした議論がなされない、という点が、うまく機能する 世論操作システムにとって決定的に重要なことなのです。

共和党の全国委員会委員長が、もし政府に民主党がいたならば、クエートはいまだに 解放されていなかったろうということができたのは、この世論操作システムのおかげです。 これに対して、民主党員は、もし大統領が民主党だったら、今日どころか、機会があった6ヶ月前に クエートは解放されていたであろうし、しかも、何万もの死者と破滅的な環境破壊を 伴わずに解放されていたであろう、と、立ち上がって述べはしなかったでしょう。というのも、 民主党員でそうした立場を取ったものはいなかったのですから。ヘンリー・ゴンザレスと バーバラ・ボクサーはこのような立場を取っていました。けれども、政府内でこうした立場を 取った人はほとんどいないに等しかったのです。民主党員がそんなことは言わないであろうという 事実があったから、共和党委員長のクレイトン・ユターは上のような発言をすることが できたのです。

イラクのスカッドミサイルがイスラエルを攻撃したとき、それを褒め称えた報道陣は 皆無でした。これもまた、うまく機能している世論操作システムに関する興味深い事実です。 どうして褒め称えないのでしょうか。結局のところ、サダムの議論はブッシュの議論と 同じ程度に根拠があるのです。レバノンの例を取ってみましょう。サダムは、イスラエルの レバノン占領を許すことができないと言いました。イスラエルが、全会一致の国連安保理 決議を無視して、シリアのゴラン高原と東エルサレムを併合することを、サダムは黙って 見ていることができなかったというのです。彼は、領土併合と侵略を許せなかったというのです。 イスラエルは、国連安保理の決議を無視して、南レバノンを13年間占領し続けて きました。その間、レバノン全土を攻撃し、いまも自由にレバノン全土を爆撃しています。 サダムはこれを許せなかったわけです。もしかすると、彼は、ヨルダン川西岸でイスラエル が行った虐殺に関するアムネスティ・インターナショナルの報告書を読んでいたのかも しれません。イスラエルに対する経済制裁は、米国が拒否権を発動したため、機能しません。 交渉も、米国が阻止したので機能しません。武力以外に何があろう?というわけです。

サダムは、レバノンについて13年、西岸については20年間待ちました。この議論は どこかで聞いた議論と似ています。この議論とどこかで聞いた議論との唯一の違いは、 サダム・フセインは、本当に、経済封鎖と交渉が機能しないと言うことができたという点だけ です。というのも、米国がそれらを阻止していたのですから。一方、ブッシュはそのように 言うことができません。なぜなら、経済制裁は明らかに効果がありましたし、ブッシュが交渉を 断固として拒否したという点を除けば、交渉が機能すると信ずる理由には事欠かなかったの ですから。この点について伝えた報道があったでしょうか?否です。これはあまりに 単純なことで、これもまた、識字能力のある10代なら1分で理解できるようなことです。 けれども、誰一人、どの評論家も編集者も、それを指摘しませんでした。これもまた、 非常にうまくいっている全体主義的風土のしるしです。こうした事実は、同意の製造メカニズム がうまく機能していることを示しています。

これについて最後のコメントです。私たちは、こうした例をいくらでもあげることができます。 サダムが世界征服をもくろむ怪物であるという、米国では現実に広く信じられている見解を 取り上げてみましょう。「サダムは今にも世界を征服しそうだ」という考えは、人々の頭の中に、 繰り返し繰り返しねじ込まれました。我々は彼をくい止めなくてはなりません。けれども、 いったい、サダムが、どうやってそんなに強力になれるというのでしょう。イラクは、8年に わたってイランと戦ってきました。革命後のイランです。イランの軍隊の規模は、革命前より 小さかったのです。ソ連、米国、ヨーロッパ、主なアラブ諸国、アラブ産油国がイラクを支援 したにも関わらず、イラクはイランを征服できなかったのです。そんな国が突如として 世界を征服する。これについて指摘したものがあるでしょうか。実際には、イラクは 農民の兵士たちからなる軍隊を持つ第三世界の国なのです。いまや、イラクの要塞と化学兵器 について、膨大な情報操作がなされたことがわかっています。けれども、誰もこの点を指摘 していません。ほとんど誰一人として。

これは典型的なのです。これと全く同じことが、1年前にノリエガに対してなされました。 ノリエガは、ブッシュの友人サダム・フセインや、北京の友人、そしてブッシュ自身と 較べると、小悪党に過ぎません。悪党ではありますが、世界ランクの悪党ではないのです。 その彼は、自分の生涯よりも大きな怪物に仕立て上げられました。ノリエガは麻薬密輸 業者ととおに、我々アメリカを破壊しようとしている!これに対し、我々は、何百人・何千人 もの人々を殺害してノリエガを叩きつぶし、8%程度であろう白人執政者による権力を パナマに取り戻し、米国の軍事関係者をあらゆるレベルでパナマをコントロールするために 送り込まなくてはならない。結局のところ、こうして我々を救済しなければ、我々は この怪物に破壊されるだろうから。。。1年後、サダム・フセインに関して同じことが 起きました。誰かがこの点を指摘したでしょうか。何が起きて、そしてその理由が何だったのか 説明した人がいたでしょうか。それを見つけるためには、遠くを探さなくてはなりません。

これは、1916年から17年に、クリール委員会が行ったこととそれほど違いはありません。 このとき、クリール委員会は、6ヶ月のあいだに、平和的国民を、ベルギーの赤ん坊の手足を 引きちぎる恐怖のフン族からの自衛のためにドイツを全面破壊したがる戦争ヒステリーへと 作り替えたのです。テレビの登場と資源の増大により、技術は洗練されたでしょうが、 手法そのものは伝統的なものです。ですから、問題は、情報操作と湾岸危機ではなく、 それよりも遙かに広いのです。問題は、私たちが自由な社会に住みたいか、それとも、 戸惑える群が周縁に追いやられ、脅迫され、愛国的スローガンをわめき、我々を破壊から 守ると述べる指導者を尊敬し、知識人が足並みをそろえて守るべきスローガンを繰り返し、 他国が資金を払うことを期待しながら世界を破壊してまわる傭兵国家に行き着くような、 自発的全体主義国家に住みたいか、という点なのです。これが選択肢です。この問題に対する 回答は、私たちのような一般の人の手の中にあるのです。


一つ上へ   益岡賢 2002年2月17日
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