不戦へのネットワーク


申し入れ書(2021年3月27日)

小牧基地司令 佐藤網夫様
自衛隊員の皆様

 今年7月1日で航空自衛隊創立67ヵ年になります。今や俳句の「8月や、6日、9日、15日」といっても、「何にそれ」と言う若者が多いこの頃を感じるとき、今月10日が何があった日なのか、だれがこの日を計画し、命令したのか。せめて若い空自隊員の皆様には記憶していただきたいと思います。

 76年前の3月10日、東京はB29の大編隊の爆撃により10万人の死者を出した。「夜間無差別焼夷弾爆撃」の戦術をあみ出したのが当時38歳で少将に昇進したカーチス・ルメイ、広島と長崎への原爆攻撃の司令官もカーチス・ルメイでした。敗戦後9年目の1954年、保安隊から自衛隊に転換するにあたって、アメリカ空軍の参謀長に昇進していたルメイは、航空自衛隊創設に多大な貢献をしたことにより、航空自衛隊の生みの親と呼ばれ、事実、1964年、佐藤自民党政府は、来日中のカーチス・ルメイに勲一等旭日大綬章を授与している。理由は、航空自衛隊の育成に多大な功績があったというものでした。

 カーチス・ルメイは、退役後のインタヴューでも「日本の航空自衛隊の育成は、アメリカ空軍の利益になると確信していた。」と述べています。創立67年目の今日、ルメイの確信が現実化しつつあります。1月20日に成立したバイデン政権は、この2か月の間に繰り返し日米同盟の対等性を強調しています。「アメリカ軍と対等なのだから対等の責任をもて。」と言う意味です。日本は対米従属国だからという無責任な言い訳は通用しない段階に入っています。16日の2プラス2の会談内容に対して中国外務省は、「日本は米国の属国だ。」と表明しましたが、日本の責任のがれの手助けになります。正しくは「日中間の信義を破壊する主権国家日本の選択を断固反対する。」というべきでした。日中国交回復50年を来年にひかえ、ポイント・オブ・ノーリターン、引き返すことの出来ない年の始まりにしてはいけません。日本の有権者にアメリカと心中する覚悟があるでしょうか。覚悟を持てと強要する流れに対し、私達は、日本国憲法上も「そんな覚悟をもつ必要はない。」と訴えていきます。終わりの見えないコロナウィルス禍の中で、そんな覚悟を持ちえない日本の有権者が「アメリカと心中する覚悟など必要ない。」と言い切れる多数派になることにわずかばかりの希望を感じながら、本日の申し入れの本題に入ります。

 東京都民による防衛省や外務省への苦情や抗議のなかで多いのが、米空軍C−130によるパラシュート降下訓練です。首都圏の上空で米軍特殊部隊の降下訓練を許している国は、日本以外にありません。陸上自衛隊習志野基地の空挺部隊員が日米の共同訓練で参加することがあると報道されています。パラシュート降下訓練で小牧基地のC−130が使われるとなれば、日米共同訓練に日米の空挺部隊が小牧基地のC−130に乗り込むことになります。すでに開始されているかも知れません。C−130は輸送機と言っても、敵陣深く未整地上に着陸する能力、パラシュート部隊を効率よく降下させるという能力を持つ航空機として作られました。制圧してない地域に対地攻撃用のAC−130スペクターで攻撃し、制圧の確認のあと、C−130で未整地に着陸し、兵士と大型武器を輸送する。アフガニスタンではくり返されたと報道されています。つまりは「殴りこみ部隊専用の輸送機」と言えます。沖縄本島を中心に南西諸島での「島嶼防衛」を名目にした日米共同訓練が米軍の指揮下でくり返される中、新安保法制下では、C−130を使った日米共同の軍事作戦が海外で実行される可能性を否定できません。「専守防衛」の歯止めなき日本は、戦争するもしないもアメリカ次第ということになります。戦争は、戦争準備なしに行えません。米軍特殊部隊やパラシュート部隊が小牧基地のC−130を利用することがあれば、戦争準備の大きな一歩と言わざるを得ません。67年前のカーチス・ルメイの確信に応ずる道を選んではなりません。したがって「専守防衛」に徹すること、米軍部隊にC−130を利用させないこと、毎日の任務の中でこれらのことを忘れず、基地司令には、勇気を持って上部組織に意見具申していただくように申し入れます。

2021年3月27日

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