《中国青年報》報道に物申す

「私の戦後処理を問う」会 有志

                                     02年5月30日


 4月26日、《中国青年報》に「賠償金であって被告の慈善行為ではない―― はじめて『花岡和解』をテーマにした研究会が北京で開かれた――」が、掲載された。

この新聞記事を読んで、これが現代中国第一線の学者の検討会の内容であると言う報道に目を疑った。 この文章は、和解を正当化するための釈明に終始している。

この文章では、 今回の「和解」がこの種の裁判ではじめて賠償を勝ち取ったものだと評価しているが、 半世紀前花岡に強制連行され、極度の重労働に長時間従事させられて非人間的な虐待を受け、 その42%もの尊い命が奪われた事実に対して、今回の「和解」は答えているのだろうか? 1995年11名の原告によって、鹿島建設を相手に訴訟を起こした原点は何か? この一文を読んで今改めて問いたい。

1、本文は、「和解」で鹿島が拠出した5億円は「実質的には『賠償』なのだ」という。 だが、私たちは、これは「賠償」ではないし、「賠償」とはいえないと考えている。 その理由は?

普通の常識では「賠償」とは、罪を認めた上での謝罪表現だと理解している。 だから「認罪」、「謝罪」、「賠償」は、一体のもので、 罪を認めず「賠償」はありえないと認識する。

(1)本文では、鹿島はすでに90年7月5日《共同発表》によって謝罪しており、 《和解条項》で再確認しているという。 鹿島自身が同項末尾に”法的責任を認めるものではない”と強調しているにもかかわらず、 謝罪したことになるのだという。 日本民法では謝罪規定がないにもかかわらず《共同発表》で謝罪を表明したのだから、 なおのこと謝罪したこになるとの論理だ。 つまり加害側の鹿島自身の表明がないのに何故か鹿島の意志を都合のよいように代弁解釈し、 5億円の拠出金は「実質的には賠償」と考えられるとの見解だ。

(2)だが、もしこの文章が評価するように事実これが賠償だというのなら、 他の事例を挙げなくてもその金額の少ないのに驚く。 もし「鹿島は謝罪した」との弁護側の偽りの宣伝がなかったら、 いくら農村にいて社会の事情に疎い老人でも、ありがたく受け取ることはなかった筈だ。 これが有無をいわせず強制的に連行し酷使し、留守家族の生きる道を奪い、 はては異国で命を落とした者への認罪の後の賠償だというなら、 鹿島及び「和解」を進めた日本の司法は恥知らずと言わざるを得ない。

(3)受難者1人あたり50万円実質手取り25万円の小額が、 半世紀の間受難者を放置して何ら人間的に報いることのない加害側が自らの冷たい措置を悔いて、 一時的な「見舞金」というなら、何回もらっても良い筈だ。 長い闘病生活をしている人に、被害、加害の関係でなくても何回も見舞うのは、 日本でも中国でも良くあることだ。 しかし、《和解条項》第2項目には、拠出金の使途まで細かく指示している。 「見舞い」を渡してその使い道を指示し、しかも第5項目には「すべての懸案の解決を図るもの」、 「・・・今後日本国内はもとより他の国及び地域において一切の請求権を放棄する」、 「利害関係人及び控訴人において責任を持ってこれを解決し、 控訴人に何ら負担をかけさせないことを約束する」。 何という侮辱だ。 これでは被害者と罪人が逆転している。 私たちは、この《和解条項》を弁護し、評価する論評には決して賛同することはできないし、 この《和解条項》の前後矛盾を司法に問いたい。

2、企業の政治認識
戦後半世紀を経て、中国侵略に参加させられた元日本軍兵士が、 日本国天皇の名の下に軍の命令だとはいえ罪もない中国民衆を虐殺した過去を 心から懺悔して謝罪している姿に私たちは感動するが、 戦争発動の原動力となった企業の資源略奪は、あらゆる手段で民衆の財産を奪い、 略奪実行者である兵士からも上前をはねて肥え太ったことが公認の事実であるにもかかわらず、 未だかつて企業が経済侵略ともいえる自らの犯した事実を 中国人民の前に告白して謝罪した例を聞いたことがない。 企業は非戦闘員であったことを免罪符に、むしろ「忠実な国策の実行者」として責任を国に転嫁し、 事実を覆い隠すことに懸命である。 国は、博物館入りしたような「明治憲法」を後生大事に、 「国家無答責」にしがみついて戦前の恥ずべき権利を主張している。 日本独自といえるこの法律を以って、 国際法違反である強制連行の処理を中国人に適用するとすることは、それこそ奇妙である。

3、歴史的事実の前に、企業と被害者が「和解」することなどは常識では到底考えられないことだ。 被害者の受難はすべて日本国とその国策企業の責任であり、 「客観的には双方が歩み寄る*」種類のものではない。 原告の耿諄団長は、裁判には「負けても絶対に屈服はしない」と決意表明していた。 団長の脳裏に民族の尊厳をかけて暴動を起こし、無念のままに異郷に死した同朋たちへの、 生き長らえた者の責任と思いが痛いほどに響く発言だ。 1999年8月13日「和解勧告」を受けた原告たちは全権委任状を弁護団に渡し、 同24日原告代理人は、 原告の要求によって「和解」の際の原則的条件を裁判所に申しいれた (専修大学社会科学研究月報 新美論文 p19)、 内容は4項目あるがその第2には、中国人は歴史的事実を直視することを重視し、 鹿島の率直な謝罪を要求している。 第4には、金銭解決については,過去の同種事例の先例を踏まえ、 中国人民に説明できる合理的な額とするように要求した。 しかし、弁護団は2000年11月19日原告に対する報告のなかで、 「原則は十分に守られているから、 細かい技術的なことまで原告の承諾を要するものではない(同 新美論文)」と判断した。 《中国青年報》の記事では、 「全局から出発して枝葉の問題にとらわれないように」と述べられているが、 絶対に譲れないとした最低限の原則的要求に対して原告代理人が 「枝葉だ」と片付ける権利があるのだろうか?

4、私たちの結論
《中国青年報》が、今回の「和解」は「第一段階の勝利*」に過ぎないとしながらも、 鹿島寄りの「和解」を弁護し、 公正を表看板にして国と立場を同じくする裁判所の措置を評価している。 だが、おおよそ「勝利」とは、原告勝利である筈だが、 少なくよも原告にとって今回の「和解」が勝利とはいい難い。 日本人の私たちにとっても納得できる内容ではない。 もし、戦後半世紀が経過しても一歩前進だと許すのが大国中国の見方なら、 日本の良心的な民衆をも侮辱したことになり、失望させる。

記事には、裁判の主体であるべき被害者への心からなる同情も誠意ある理解も示されていない。 結局は「謝罪」したとか、つまりは「賠償」になるのだのような分析理論で加害側を弁護し、 事実を曖昧にしている。 あの戦争による受難の苦しみは決して時間で忘れられるものではない。 「以史為鑑,面向未来」、私たちは一致して戦争を阻止しなければならないし、 二度と戦争の愚を繰り返させないことは、戦争体験世代の使命でもある。 曖昧を許す世相が、 「有事法制」という新たな「戦争の出来る国作り」を押し進めようとしていることを考えれば、 簡単に現在を「理解(?)」することなどはできない筈だ。

今こそ声を大にして、過去の戦争の歴史認識を糾弾することができるのは、 最大被害国であった中国以外にはない。 現実に危機感をもって未来のために禍根を絶つことこそ重要であり、 日本の良心的民衆と手を携えて現状を正す努力をしてほしいと願う。

私たち日本の民衆は、この裁判を通じて日本政府・企業の戦争責任を明確にし、 過去の侵略戦争の反省を以って「つけ」を清算し、隣国中国と真の意味の友好往来を期待している。 今回の「和解」は、裁判所の英断(?)主導で企業擁護の結末を迎え、 原告をして侵略者の傲慢な《和解条項》の前に卑屈を強いることとなった。 被害国の《中国青年報》までもが、この「和解」に理解を示し、 このような論評をされることに私たちは、失望と怒りを禁じ得ない。

註:「*」は,《中国青年報》より引用。


hanaoka@jca.apc.org