2000年12月17日

12.17鹿島・花岡裁判 報告・追悼の集い


2000年12月17日には「12.17鹿島・花岡裁判 報告・追悼の集い」 (於 シニアワーク東京)が中国人強制連行を考える会主催で行われた。
恒例の追悼式と大きく違ったものであった。 先ず中国からいつも数人参列して頂くのに 今年は故王敏氏の娘さんの王紅さんだけであった。 長年鹿島と闘ってこられたが残念にも病気で亡くなられた王敏氏、 李克金氏、孟繁武氏の御遺影が飾られた。 和解に際して弁護団から鹿島が謝罪したと知らされていた耿諄氏は、 日本に滞在している息子さんの耿碩宇さんが メディアによって鹿島が謝罪していないことを知り驚いて、 たとえショックで死んでも真実を知らせるのが親孝行と教えられていたため急いで 父親に真実を知らせたところ、新美氏に騙されていたことを知り倒れたという。 そして入退院を繰り返したという。 「中国人強制連行を考える会ニュース」第61号(2001年2月15日発行) 8頁の耿諄氏を見舞いに行かれた方々は、 ショックで入院された氏が点滴を打たれているのを見て 「和解」については何も口にせず帰ったという。 本来入院の原因をつくった新美氏や田中氏は、 見舞いと心からの謝罪に何故訪れないのであろうか。
耿碩宇さんは不可解な和解について 何回か新美氏に質問の手紙を出しても何の返事も無いので、 追悼会に集まった会員に向けてこの和解の結果は皆さんが求めていたものですか? という趣旨を礼儀正しい言葉づかいで書いた文書を配った。 それに怒った司会者らは「こんなものを配るようなことをするやつは、 別の会を作ればいい。」と是非碩宇さんにスピーチをさせて上げてと頼む一会員に言った。 その後碩宇さん自身が司会者に頼みに行って壇上でやっと慰霊の言葉を捧げることが出来た。 三人の遺影に深々と丁寧に頭を垂れた王紅さんと碩宇さんの姿は、 加害者と被害者のそれぞれの国民の心の在り方の違いを改めて考えさせるものであった。
驚愕させられた中のもう一つは、会の事務局長の壇上における言葉であった。 それは、「われわれがこの活動にいかに大金をつぎ込んだか」という一節である。 これが慰霊の言葉であろうか?

その後の会食の席が終りかけた頃、 カナダから来日した Global Alliance 副代表で華僑のテクラ・リーさんが、 スピーチの中で「花岡の和解は国民基金と同じような性質である。」と発言した時、 数人の会員から一斉に「撤回しろ!」と怒鳴られ詰め寄られ、また 通訳は腕までねじ上げられるという乱暴をはたらかれた。
(国民基金は花岡の和解と比較するなら、 橋本龍太郎首相の謝罪の手紙があるだけまだましと言えよう)


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