花岡和解の問題
私達は花岡事件をめぐる裁判が和解という形で終結した後、その和 解のあり方に疑問を持ち、和解はどうあるべきだったのか、そこにかか わる支援者のあり方も含めて考えてきた市民グループです。この間『世 界』誌に、野田氏の『虜囚の記憶を贈る』[注1] と、 それに対する反論として田中氏の『花岡事件の事実と経過を贈る』 [注2] が掲載され、さらに野田氏の再反論 『田中宏氏に反論する』[注3] が出ました。 この件に関する私達の考えを述べたいと思います。
私達が花岡和解で問題があると考える第1点目は、この和解が原告 の元々の要求−−1.鄭重な(心からの)謝罪、2.鹿島建設による記念 館の建設、3.一人500万円の賠償−−を一つも実現していないという 事です。そして問題の2点目は、和解内容が原告の方達に十分知 らされないで、原告全員の十分な納得や了解の無いままに、和解が行わ れた、という事です。
まず、原告の3項目の要求から考えてみたいと思います。
1番目の謝罪について原告が求めていた事は、「鹿島建設が自らが
行った歴史的な罪業を認め、悔い改めた上で謝罪する」という事であ
り、そのようなあり方に基づいて、記念館の建設や賠償が行われる事で
した。そのことは田中氏が引用されている「鹿島建設に対する公開書
簡」からも明らかです。しかし、その翌年に、企業としての責任を認
め、深甚な謝罪の意を共同発表によって示したはずの鹿島建設は、その
後、自らの罪(法的責任)を認める事も、悔い改める事もありませんで
した。このように、共同発表の内容だけでは原告の望むような謝罪は得
られない(鹿島建設の態度は変わらない)ため、原告の方達は裁判を起
こしたのではないでしょうか。
和解条項の中には「『共同発表」を再確認する」との文言がまっ先に
書かれていますが、それに続いて「鹿島建設の法的責任を認めるもので
はないと鹿島建設は主張し」という主旨の文言が入っており、鹿島建設
が自らの罪を認めていない事は明らかです。和解成立時に鹿島建設が出
したコメントでも、自らの虐待行為で多くの人を死なせたにもかかわら
ず、「当社としても最大限の配慮を尽くしましたが、多くの方が病気で
なくなる等不幸な出来事があり」と述べ、自らの罪を認めない姿勢を
はっきり示しています。「『共同発表」を再確認する」ということが本
心からのものならば、企業としての責任を自ら明らかにし、再びキチン
と被害者に謝罪するべきではないでしょうか。
この事から、鹿島建設は、和解を通じて、原告の望むような謝罪は
行っていない、と考えます。
次に「鹿島建設による記念館の建設」ですが、原告は鹿島建設の改悛
の態度の表明として、花岡における中国人烈士追悼と後世の人達が歴
史から学ぶために、鹿島建設によって記念館が建てられる事を求めてい
ました。それが和解条項に盛り込まれなかった事は、当然鹿島建設がそ
のことを拒んだからでしょうが、それによって鹿島建設は、原告の求め
る改悛の態度表明の貴重な機会を自ら放棄したのであり、このことも原
告が望んだ事ではありませんでした。
ちなみに、鹿島建設の社史の中でも、花岡における強制労働や虐待
(死)のことや、花岡事件の事は一切触れられておらず、この点から
も、鹿島建設が、歴史の事実や加害の責任について後世にきちんと伝え
ようとしていない事は明らかです。
田中氏の文の中では、市民による記念館建設の準備が花岡ですすめら
れていることが報告されています。それは、歴史の事実を残し、中国人
烈士を追悼し、後世の人に伝えていく重要な役割を担うものでしょう
が、原告が「鹿島建設に建てさせるべき」と言い、鹿島建設の責任を問
うたことは、やはり生かされていないのではないでしょうか。
3点目の賠償ですが、和解条項では「受難した者に対する慰霊等の念
の表明として」、また前述の鹿島建設のコメントでも「当社の主張が裁
判所及び控訴人(原告)に十分に理解され、・・(中略)・・受難者の
慰霊、遺族の自立、介護、及び子弟の育英」のため、「金額(5億円)
を拠出」するが、これは「補償や賠償の性格を含むものではありませ
ん」と述べており、鹿島建設が出したお金は、補償でも賠償でもない事
は明らかです。また、一人ひとりの被害者・遺族が受け取る額も、一人
当たり500万円の要求に対して、25万円という小額になりました。
原告は、和解に至る話し合いの過程で、「鹿島建設の謝罪(原告が求め
るような形での)と記念館の建設が実現すれば、賠償金の額について
は、中国人の尊厳を損なわない範囲で譲歩してもいい。」という主旨の
事を言われていたようですが、謝罪も記念館の建設も実現しなかった訳
ですから、この減額も、原告の本来の要求に照らして、納得のいくもの
ではなかったのではないかと思います。
このように、被害者や遺族の方達に渡されているお金について、その
性格も金額も、原告の本来の要求を実現するものではなかったと考えま
す。
問題の2点目ですが、これは耿諄氏をはじめ、原告の中
に花岡和解を拒否する方達がいらっしゃることから明らかです。田中氏
の文からは、和解に向けて原告代理人の方達が中国に足を運び、原告の
方達と協議を重ねた事が伝わってきます。では、それならばなぜ、和解
の内容が和解成立後に伝えられた時に、耿諄氏がショックのあま
り倒れてしまうなどという事が起こるのでしょうか。それは明らかに、
和解以前に和解の内容が、それも原告に取って非常に重要な意味を持
ち、どうしても譲れない部分に関わる内容が、原告に伝えられていな
かったという事です。
言葉の問題もあります。和解成立直前には、弁護団長だった新美氏が
和解の内容について説明されたとの事ですが、その時には和解条項
は中文では示されませんでした。しかし、和解条項案は文案ですから、
中国文で示す事は出来たはずですし、原告全員がその全文を読み、理
解・納得した上で和解に臨まねばならなかったのではないでしょうか。
このことは同時に、この和解における主体は誰なのか、という問題も
提起しています。花岡裁判における原告側の主体は、当たり前ですが原
告の方達です。原告代理人は、原告の意を実現すべく働く「代理」の人
です。委任というのは、原告の要求を、原告の意に反する事無く実現す
るための活動について、任せてやってもらう、という事でしょう。上記
のように、原告の中に和解に反対する人達がいる、ということは、原
告代理人は、原告の(少なくとも複数の)求めていた事とは異なる結果
を導いたのであり、これは「代理人」という役割上の要請に反している
のではないでしょうか。
田中氏の書くように、花岡和解によって生まれた「花岡平和友好基
金」による事業はすすめられ、被害者の慰霊や日中友好に寄与している
事はあるのだと思います。しかし、そのことと、花岡裁判の主体は誰
だったのか、ということは、分けて考える必要があります。野田氏の文
は、花岡裁判を支援し、苦しい道のりを共に歩いてきた日本の善意の人
達が、なぜ耿諄さんの思いや、最終的には原告一人ひとりの側
に主体があるのだという事を理解し、尊重する事ができなかったのか、
という事を問いかけています。私達は、その事をもう一度ふり返り、
考え直さねばならないのではないでしょうか。
この文章の要約版は『世界』2008年6月号「読者談話室」に掲載されました。
参考文献
1).野田正彰:虜囚の記憶を贈る、『世界』
2007年8月号より連載、岩波書店。
花岡事件に関しては、第5回、(副題)人倫としての花岡蜂起、
2008年1月号、260頁。および、
第6回、(副題)受難者を絶望させた和解、2008年2月号、273頁。
2).田中宏:反論 花岡和解の事実と経過を贈る、
『世界』2008年5月号、267頁、岩波書店。
3).野田正彰:田中宏氏に反論する、『世界』
2008年6月号、291頁、岩波書店。