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耿諄:
今日は!私は「耿諄」と言います。
私と一緒に来られたのは、襄城・政商文史委員会の王留柱先生です。
みなさん問題があったらどんな問題も歓迎します。
どしどし質問を寄せてください。
明日は、「九・一八」です。
今、私が言いたいのは、私たちは決して過去を忘れてはならないと言うことです。
私たちは過去の血の教訓を吸収することです。
これからは祖国を愛し、我が祖国の繁栄富強をはかり、
国が豊かになり、更に人民が強くならなければとおもいます。
「九・一八」を迎えて、先ず私の感想です。
花岡訴訟の「和解」について、それには多くの憤りを押さえられないことがあります。
私たちの要求は全く適えられなかったのです。
ですから、私はこれを拒絶しました。
「和解」は中国人に5億円をもって救済する、恵むと言ったのです。
これは中国人を侮辱したものですから更に受け入れることは出来ません。
私たちがほしいのは「賠償」ですが、彼らは「救済」すると言い、
「賠償」ではないのです。
これは一種の侮辱でなくてなんでしょう。
中国人に対する「救済」なら、私は受け入れることは出来ません。
私たちは彼らの「救済」はいりません。彼らは私たちを虐待しました。
彼らは私たちを殺したのです。当然謝罪すべきでしょう。
当然補償すべきでしょう。
今になって急に慈悲深い顔をして私たちを「救済」するとは、全くの侮辱です。
私は強く反対します。
私は「和解」に署名していませんから、「和解」は、私に対しては無効です。
司会者:
簡単に花岡暴動を紹介してください。
耿諄:
当時、日本人は中国抗日軍人と罪もない一般住民を捕まえて日本に送って労働に従事させ、
私たちを虐待しました。
私たちは我慢できずに暴動を決行しました。
彼らは、血生臭い残酷な方法で鎮圧しまし、この中で135人が殺害されました。
これが「花岡暴動」です。
以前の病死や餓死を含めれば418人が花岡で死にました。
以後、私たちは公道を取り戻すために彼らに謝罪を要求し、
各人に500万円の賠償を要求しました。
しかし、最後に法廷外調停がだされました。
私たちはこの調停にも三項目の基本原則に基づいて要求をだし、
調停することを日本の弁護士に依頼しました。
弁護団は16人で、私たちはこの人たちをとても信用していましたから、
彼らが私たちの代表として交渉することを全権委任しました。
でも、彼らと被告が協議に入った時、彼らは私たちの要求を顧みず、
「謝罪」の一項を曖昧にし、結局僅か5億円で手を打ち、
しかも賠償ではなく救済だというのです。
だから私たちは、この「和解」が、
屈辱的な和解で原告を騙したものだから受け入れられないと言っているのです。
5億円は、「賠償」ではなく「救済」なのであれば、
私たち中国人は救済を必要とはしていません。
必要とするのは賠償です。
賠償は彼らの謝罪を意味します。
彼らは、私たちを救済のために金をくれるのです。
救済は私たちを侮辱するものですから、私は「和解」を拒絶します。
司会:
あなたは、血の教訓と言うが実質的にどんな内容をいうのですか?
耿諄:
当時の中国は、貧困で遅れていました。
だから、あんなに多くの人を死なせることになりました。
これが血の教訓です。
私たちは祖国を愛し、国が強く栄えて初めて個人の幸福と自由が得られるのです。
日本が中国侵略の時多くの人が死に災難を受けました。
つまり、これが血の教訓です。私たちはこれを忘れるべきではありません。
心に深く刻み記憶しなければなりません。
質問:
暴動蜂起とは、敵味方の関係、つまり戦争関係でしょう。
それがどうして民事賠償の関係になるのですか?
耿諄:
彼らが我々を虐待したので、私たちは歴史の公道を取り戻すのです。
国際公約の規定では、戦争捕虜は優遇されるべきだとなっていますから、
彼らが私たちを虐待したことは国際公約に違反しているのです。
当然、彼らは賠償すべきです。
国際公約では捕虜になった者は優遇されると聞いていたのですが、
彼らは私たちを虐待し、私たちに労働を強制しただけでなく、食料も満足に与えず、
しかも過重な労働量を課し、多くの戦争捕虜や労工が無惨に虐げられました。
当時捕まって日本に送られた者は4.6万人にもなります。
花岡には1000人来ましたが、内418人が死にました。
1000人の内全部が戦争捕虜だったわけではありません。
抗日戦争時期に日本人に捕まった罪もない一般住民、農民、労働者、学生、
教師がいましたがその罪名は「通八路(八路に通じている)」と言うことで、
戦争捕虜と共に日本に送られました。
私たち1000人の内半分は一般住民で、しかも虐待されて死んだ者は、
300人にもなります。
私たちは耐えられずに暴動を起こし、さらに100余人がこのために死にました。
1000人の内計418人が死んだのです。
歴史の公道を正し、賠償を要求し、彼らの謝罪を獲得することが私たちの要求です。
質問:
戦争捕虜を苦役につかせることは、ジュネーブ公約違反なのでしょう?
耿諄:
私は、当時15軍の中隊長でした。洛陽戦で負傷して捕虜になりました。
ですから、私を日本に送って労役につかせることは、明らかに国際公約違反です。
国際公約の規定では戦争捕虜を優遇することになっていますから、
捕虜を虐待することは罪になります。
戦争捕虜はすでに戦闘能力を失っているのですから、
それに対しては当然優待すべきですが、
彼らは戦争捕虜に対して奴隷のように酷使し虐待し、
日本に送った後は苦役に従事させ、満足な食料も与えず、
一日12時間の労働を強いました。
その結果半年もたたない内に200余人が死にましたから、
私たちはこれ以上我慢出来ずに暴動を起こし、これで更に100余人が死にました。
合計して418人が死んだのです。私たちは歴史の事実に対して、
当然公道を取り戻すべきだと思います。
質問:
あなたは、日本との平和的な往来を支持し、過去のことは、
もうあまり出さないと言う主張に賛同しますか?
耿諄:
日本は必ず深刻に過去を反省し、歴史に正面から立ち向かうべきです。
質問:
当時の公認政府は蒋介石の国民党政府なのに、捕まった人の罪名を「通八路」とは?
耿諄:
捕まった人は大部分が抗日根拠地の住民だった。
質問:
耿諄老人は目下のところ、中国人が日本に対しての反映をどのように評価しますか?
耿諄:
私は、日本は正確に歴史を見ず、過去を反省せず、その侵略行為を回避し、
侵略の歴史を覆い隠して、歴史に向き合わないとしたら、
それは日本自身にとって決して良いことにはならないと思います。
中国人としては、良く歴史を学ぶべきで、若者は、更に歴史を学んで、
日本軍国主義が私たちにもたらした災難を肝に銘じて、
子々孫々にまで侵略者の私たちに対する害毒を記憶すべきだと思います。
質問:
和解協議で署名したのは、
原告なのにどうして日本側の弁護士があなた方を騙したと言えるのですか?
耿諄:
私たち原告は、「和解」文書に直接署名していません。
彼らは、私たちに文書を見せませんでした。
口頭で「和解」が成功したと言っただけでした。
私たちは彼らをとても信用し、委託していましたから、
当時どうしても見るべきだと思わなかったし、「和解」本文にも署名していません。
質問:
私の祖父も日本人が来て逃げ遅れ、捕まって彼らのために仕事をさせられ、
殺害されました。深い恨みを持っています。
耿諄:
あなたのお爺さんは、何千万の殺害された人の中の一人です。
お爺さんが殺害されたのです。あなたはこの血の債権を忘れてはなりません。
質問:
民間の対日賠償要求訴訟の進展は緩慢で、難しく、干渉や束縛も多い。
あなたはこの問題をどのように見ますか?
耿諄:
私たちの民間対日訴訟は正義です。
これには多くの人が理解と賛同を表明してくれるようになりましたから、
私たちは長期に戦うつもりで続ければ必ず勝利します。
質問:
あなたは、花岡訴訟が終わったと思いますか?
日本側が示した補償金をもう受け取ったのですか。
耿諄:
先ず、説明しておきますが鹿島が提供したのは「補償」ではありません。
救済金だと言っています。
彼は慈善者の顔をして金を出すというのですから、私は絶対に反対し、
受け取りは拒否します。
質問:
日本にも多くの良識ある人、例えば共産党員の小林多喜二、魯迅の友人の内山など、
自然の人間関係は得難いものです。
私たちは、交流を密にして接触し、
一部の人と平和を愛する広大な人民を区別すべきだと思う。
耿諄:
あなたのご意見はもっともです。
私も日本で多くの良識ある、進歩的で、歴史を正しく見る人々に会いました。
質問:
当時あなたの家は、抗日根拠地にあったのですか?八路軍を見たことがあるのですか?
耿諄:
私の家は抗日根拠地ではありません。だが、戦場では八路軍と一緒に戦いました。
質問:
私も当時日本人が東北のある村で写真を写してやると言う名目で
全村の人々を殺害したことを聞いたことがあります。
耿諄:
それは、遼寧省撫順の平頂山事件のことでしょう。
その時は村民3000人もが殺害されたと言うことです。
当時、日本軍の中国侵略時期にはそのようなことが各地で発生しました。
質問:
今でも、天皇があの時悪の限りをした「老鬼子」に、
毎月優待の慰霊金を払っているそうですが、
我が国の政府はあなたのような抗日英雄に優待の支援をしているのですか?
耿諄:
私たちの政府は、私にとても良く面倒をみてくれます。
私には一定の収入があり、生活は幸せです。
質問:
あなたは、彼らの金を受け取っていないなら、訴訟案はまだ終わっていないのですね。
今の状況はどうなっているのでしょうか?
耿諄:
今、5億円は紅十字会が管理しています。
ある人は金を受け取りましたが、私は絶対に受け取りません。
質問:
私たちは日本に対して寛容に過ぎるのではないでしょうか?
「小日本」は寛容を軟弱と見て、中国人は侮辱されても怒らないと考えているのでしょう。
もし、再度戦争になったら手加減せず徹底的にやっつけよう。
耿諄:
そうですね。
質問:
あなたは、日本に拘束されていた間、日本人侵略者とどのように話をしたのですか?
彼らは中国語が分かったのですか?
耿諄:
通訳がいました。
参加者:
私は民間対日訴訟を支持します。もし、支援金が必要なら私も出すことができます。
耿諄:
ありがとう。
質問:
日本軍は占領地に「模範村」を作ったと聞いています。
この「模範村」とはどんなものですか?
耿諄:
私は軍人ですから。
参加者:
どうぞお元気で長生きされますように。
過去の苦しいことには、あまり煩わされませんように。
耿諄:
ありがとう。
質問:
私たちは今喜んで日本の借款や援助を受け入れていますが、
これは全く中国人としての骨なしのようですがどう思われますか?
耿諄:
これにはもう答えたと思いますが、
日本の円借款と花岡訴訟とは別の問題ですから一緒に論じることは出来ません。
質問:
耿諄英雄、どうしたらあなたの心の傷跡を癒すことができるでしょう?
耿諄:
私が鹿島に要求した三項目の要求が適えられたら、私の心は穏やかになることでしょう。
質問:
私たちはどうしてわざわざ日本まで行って起訴しなければならないのですか?
まさか国内では起訴出来ないと言うのではないでしょう?相手が外国人だから?
耿諄:
この事件は日本で発生したので日本で起訴したのです。
もう一つは訴訟を通して日本の民衆を教育する意味もあります。
質問:
今、日本に対して賠償を要求するのは、決して金の額をいくらと言うのではない。
大事なことは彼らが罪を認めることで、
その賠償の意味は賠償金のそのものの意味を越えたと思います。
耿諄:
そうです。完全にその通りです。
質問:
老英雄、当時どのようにして蜂起を計画したのですか知りたいのです。
耿諄:
あなたは、テレビの《未被審判》を見てください。
それには、かなりはっきり現れています。
この他「九・一八」ネットでも見ることができます。(CHINA918.NET)
参加者:
抗争したことはつまり英雄的行為です。日本に媚び屈する者は犬だ。
あなたは、本当に尊敬する英雄だ。
耿諄:
ありがとう。
質問:
新一代にこそ中国の未来があります。
先輩として私たち若者に個人の本当の希望とは何か?を述べて頂けますか。
耿諄:
私は、若者が国家に関心を持って欲しいと思います。
自分の祖国を愛し、どのような仕事をしていてもどんな職責にあろうとも、
国を愛し多くのことを学び、国家の歴史的事実を知って、
祖国を愛することを心に記憶し、私たちの祖国が富み民が強くなり、
各々が私たち自身の力になるように。これが私のみなさんへの希望です。
参加者:
私たち河南のお爺さんたちはみな男らしい男です。
楊靖宇とあなたは皆私たち中国人の誇りです。
耿諄:
ありがとう。
耿諄:
友人たちよ!今日はみなさんと話が出来てとてもうれしく思います。
時間の関係でまだ説明出来なかったところがたくさんありますが、お許しください。
みなさんありがとう。
(山辺悠喜子 訳)