北京での「戦争遺留問題および中日関係に関する国際シンポジウム」での報告(2004年9月18日・19日)

「花岡被害者は賠償金を獲得した」との誤った報道を糺す



北京大正国都弁護士事務所  孫 靖
北京化工大學学友総会    林漢京

2004年1月13日、私たちは一部の花岡被害者の委託を受けて関係方面の代表と会談し、「花岡基金受け取り申請期間の終了」問題について共通認識に達した。その中で、報道において「花岡被害者が賠償金を受け取った」との言い方が使われているが、以降はこのような表現で報道しないことを双方が確認した。だが、その後も我々は一度ならず「鹿島は中国人被害者に謝罪と賠償として5億円を支払った」との誤った報道を見聞きする。この問題を解決するために、私たちは、関係部門と見解が一致した《「基金受け取り申請期間」問題に関するメモ》から関連する部分について説明を行う必要があると考えた。

  「花岡和解」とは、日本政府と司法体制が加害企業をあらゆる手段を講じて庇護するという厳しい情況の下で、中日両国の平和運動家および民間団体が長期にわたる苦しい闘いの後に得た成果の限界であり訴訟の結果であった。それは、一般の勝訴事例のように原告主体の利益を最大に考えた勝訴ではない。とはいえ、花岡被害者たちの鹿島に対する闘いを支持し注目していた人々の理解は、花岡訴訟の弁護団が最終的に「和解」方式に同意せざるを得ず、仕方なくこの訴訟を終わらせるという苦渋の選択を行った、というものである。

  ここで説明をしなければならないのは、「花岡訴訟」の原告らが事前に《和解条項》の正文を一切知らされていなかったということである。中国国内の学界や世論の間にも強い不満と疑念を引き起こし、論争が起きたのは、《和解条項》のなかに原告(花岡被害者)にとって大きな損失となる内容が含まれ、その成立過程にも問題があったからである。例えば、《和解条項》の第一項に「当事者双方は、一九九〇年七月五日の『共同発表』を再確認する。ただし、被控訴人は右『共同発表』は被控訴人の法的責任を認める趣旨のものではない旨主張し、控訴人らはこれを了解した」とある。この表現の中から明確にいえることは、加害者鹿島が法律の知識を持ち合わせない中国人被害者を文章のあやでもてあそび、すでに加害の責任を承認していたはずの「共同発表」から大きく後退し、当然負わねばならない責任を回避したことである。そして民主主義国家である日本の裁判所は、なんと中国人被害者を傷つける表現を厳粛であるべき法律文書の中に記載したのだ。日本軍国主義の迫害のもとに辛酸をなめ尽くし、12年もの長い間訴訟に希望を抱いて闘争し、まもなく古希を迎えようとしている者たちにとって、このような記述によって再度鹿島に騙されたと感じたとしても至極当然なことである。だから我々は、「和解」という結末と、花岡被害者が渇望していた真の勝利とを原則的に区別する。すでに効力を発している法律文書には、被告側鹿島の「誠意ある謝罪」も「賠償」という表現も得られなかった。反対に《和解条項》の中には記載されるべきではない表現で、客観的に中国人被害者に精神的損害を与えている。これは遺憾であるといわざるをえない事態である。

  しかしながら、花岡事件が残念な結末を招いたことが、花岡訴訟の歴史的意義を否定するものではないと考える。反対に、もし中国民間人による対日訴訟が訴え通りに進み、日本政府に被害者問題の全面的解決を促すことになったなら、「花岡和解」が引き起こした中日学者達の論争も決して無駄ではなかったと考える。第二次大戦期における中国の戦争被害者が初めて訴訟に踏み切った花岡訴訟によって、中国民間人の対日賠償請求訴訟が全体的に進展し、日本国民にこうした歴史的事実の認識を深める積極的な役割を果たしたことは確かだと言える。同時に、我々はこの「和解」締結の過程で存在した諸問題を直視し、その中から有益な経験と教訓をくみ取らなければならない。

  そこで、我々は再び関係方面に注意を呼びかけたい。花岡基金の管理と分配を受け持つ部門は、花岡基金の受取人に対して、基金の性格を明確に説明する義務があり、当基金を受け取るとき相応の権利を放棄しなければならないことをも伝えなければならない。「賠償金」という概念は、給付者が法的責任を認めそれを償うための金銭のことであり、他方で「基金」とは、罪を償うという性格を必ずしも含まず、社会的に是とされる目的のための資金にも用いられる没価値的な概念である。関係方面が基金を支給する過程で受取り人に配布する資料や、報道機関が宣伝する文章において「基金」を「賠償金」と表現すると、基金の性質と信託の目的を変えてしまうものであると同時に、受取り人の感情を傷つけるものである。同様に、不正確な報道は世論を誤った方向に導き、被害者や支援者の感情をも傷つけることになり、更に関係方面の名誉をも損なうものだ。したがって、報道機関は客観的かつ科学的な態度を持って、正確に間違えることなく民衆に対して花岡訴訟の結末を報道してほしい。事実・真相に忠実な報道こそが民衆に花岡訴訟に対する歴史的意義を認識させ、以後に続く民間対日訴訟の進展を推進することになると信じている。

  2004年7月2日、日本での「花岡事件」殉難者追悼会に参加した花岡被害者連誼会が、東京の参議院会館で小泉首相に対する8万人分の中国人の署名と、「花岡事件」に対して謝罪と賠償を求める連名の手紙を日本政府に手渡したことは、花岡受難の被害者らが日本政府から正義を取り戻す闘争の序幕となった。当時、労働者を率いて世界を驚かした花岡暴動の指導者である耿諄氏は、このニュースを聞いてとても感動したという。彼は「自分はもう90歳という高齢だが、日本政府に謝罪、賠償を要求することは生涯の願業である」と話し、「全国の同胞が日本政府に対して花岡被害者の正義を取り戻す闘いに支持と協力をしてくださることをお願いする」と語った。

耿諄老人の願いは、平和を愛し正義を求める全ての中国人民の心からの願いだ。我々は耿諄老人と花岡被害者の願いの実現のためにともに努力しよう。

2004年9月18日

                              (山邉悠喜子訳)


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