鹿島建設に対する公開書簡


1944年7月、 日本侵略軍はわれわれ中国人捕虜1000人を日本の秋田県花岡町に強制連行し、 鹿島組花岡出張所の監視のもと、花岡鉱山の河川工事という苦役を強制した。 そして、鹿島組補導員(看守)の凶悪残忍な虐待のもと、 日本到着から日本敗戦までの問に、前後418人が死亡した。 われわれ殉難者の遺骨は、一部今なお日本の土に埋もれるもの、 故国に送還されたもの、いずれもその肉親にとって耐えがたい苦痛をもたらしている。 心あるものなら誰しも、その骨肉の引き裂かれる痛みを感ずることができよう。
 わが会は、ここに、鹿島組がはっきりと改悛の意を示し、史実を重んじ、 平和の大道を歩むことを特に要求したい。 すなわち、花岡の惨劇を教訓とし、後世を教育するとともに、 世間に鹿島組の ”過ちを知らば改める”との公明正大な態度を示すことである。 それによって初めて、このいまだ償われない血債も清算されるのである。
 わが会は、ここに、次のことを決定した。 即ち、鹿島組が以下の3点を実行することを要求する。

(1)鹿島組は、わが殉難烈士の遺族及び生存者に対し、 鄭重に謝罪を表明すべきである。 それによってこそ、この血債が血債薄から消滅するのである。
(2)鹿島組は、改悛の態度を表明し、 日本の大館市及び中国北京市にしかるべき規模の花岡殉難烈士紀念館を建立すること。 紀念館は参観者の烈士追悼に供し、後世を教育するために存し、 鹿島組の懺悔の態度をたたえ、敢然として改悛する者の模範となるであろう。
(3)鹿島組は、われら花岡の受難音986人(殉難者遺族・及び生存者)に対し、 各人500万日本円の賠償を支払い、もって、 わが受難者が蒙った肉体及び精神上の苦難・ 傷痕そして犠牲に対しての補償とすべきである。

 もしも鹿島組が、なおも頑迷でありつづけるならば、千秋万代の後、 われら子々孫々の末代まで、永遠に鹿島組に対してこの血債を追求しつづけるであろう。 まして、花岡の惨劇は世間周知の事実であり、どうして覆い隠すことができよう。

                       1989年12月22日 北京にて

   鹿島組花岡強制労働生存者及殉難者遺族聯誼準備会
   (略称:花岡受難者聯誼準備会)
                       会 長  耿  諄
                       副会長  李 介生
                       幹 事  王  敏
                            張 肇国


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